いつか読書する日のレビュー・感想・評価
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美しさと不思議な魅力を感じる、主人公と映画。
大場美奈子(田中裕子)は、朝から身体を動かし、時に階段を駆け上がり、瓶入り牛乳の配達をする。
牛乳配達の仕事は気に入っている様子。
その後、自転車で次の仕事場まで移動。
職場はスーパーで、レジを担当している。
観ていて思い出したのだけれど、公開当時の約20年前に、観たいと思いながら観ていない作品だった。
あれから20年、環境が変わり、年齢が主人公に近くなった今、初めて観た。
感想というか、20年前の自分より、今の自分の方が、この映画を楽しめたと思う。
田中裕子、岸辺一徳、仁科亜季子、他の方々も素晴らしく、懐かしさも感じた。
映像や表現が好きな感じで、話の展開に色々と驚くけれども、幾つもの印象的な場面が記憶に残る。
誰にどう思われようと、自分がしたいと思うことを、したい様にして、生きて行けたら幸せだと思う。
ふと、題名の「いつか読書する日」は、どういう理由でつけられたのかと思う。
主人公の大場美奈子は、本が好きで家の本棚には沢山の本が並べられ、いつでも読むことが出来るのに、いつかとはどうしてだろう。
それと、主人公がスーパーの同僚に、クタクタになるほど動いて、布団に入れば、何も考えずに寝られると言っていたが、そういった理由で寝てしまうから、いつかなのだろうか。
だからね 奥さんとはできるだけ長く一緒にいたいんですよ
オリジナル作品ですが、もし原作かあったなら短編だったでしょう
内容は薄いんですが、しみじみくる話ですね
日本的な情景に溶け込む人を観る映画です
だって、一言で済んでしまう話ですから
だから時間が余るので、ボケ老人の話やらを盛らないといけなくなる
ただ、バッドエンドにする理由はなんでかなあ?
観客を悲しませて、観たあと、何を得ればいいんだろう
そりゃあ、話としては劇的な方が面白いんだろうけれど・・・
人生かけての忍ぶ恋ですよ
幸せになって欲しいじゃないですか
それを共有してこそ、観てよかったなあと思うんですよ
あえて逆にして涙を流させたいんかな
愛が無い作品だわ
現実は・・・
おわかりのように、みんな、いつか死ぬんですよ
この世は泡沫のようなものですのに
だからね
奥さんとはできるだけ長く一緒にいたいんですよ
向こうはそう思ってないだろうけれど
永遠の片想い
20年前の作品なので、亡くなった左右田一平さんが懐かしかった
江口のりこが出ていてびっくり
このテの薄い顔は年齢がわかりにくい
今とぜんぜん変わりませんねえ
最後に
ジュリーの嫁さんやのに、恋人がサリーって(笑)
まあ、沢田研二に公務員は似合わんか
今は叶えられない望みでも・・
後回しにしている
私の人生の大きな望みについて、
今は叶えられない望みでも
それが《いつの日かのための》支えになってくれている事がある。
認知症の介護とか、がんの看護とか、児童保護司とか、
そして、きょう一日を精一杯生きるための、日銭を稼ぐパートとか・・
優先すべき事柄の山に私たちの日常は埋もれている。
どれが本当の自分の夢であったのか、埋もれて分からなくなっている。
・ ・
「なぜ働いていると本がよめなくなるのか」三宅香帆著
この本は実にヒットをして、“読めない本についての本”を世のサラリーマンたちが競って購入する変わった現象が起こった。そのこと自体が、ちょっとした皮肉でもあるのだけれど。そして
「『なぜ働いていると本がよめなくなるのか』を、なぜ働いていると読めなくなるのか」と
延々と三面鏡のようにボヤいた友人がいた。
田中裕子・・
いつかは夢を叶えたいとぼんやりと思っていて
それが叶わずに、
きょうも牛乳配達やレジ打ちをやっている人たちって、田中裕子ならずとも、
(それがモデルケースとしては表には出ておらずとも)、
あの彼女の姿は我々人間の生き様の、生ナマの象徴なのではないだろうか。
すなわち
自転車を漕いで牛乳を配りーの、文字通りの“自転車操業”やりーの毎日であるならば
運転しながらの読書とかもちろん無理なのだし、その他にも両立はしない背負っている秘めた想いなど、その実現は、今は、諦めるしかないと知っている。
それは土台が無理だからだ。
相当のインテリの知人がいるのだが、一時期、彼は土方仕事の日雇い労働をやっていた。そして自身に起こった変化を興味深く僕に分析・解説してくれた、
「人はあそこまで疲弊すればスポーツ新聞がやっとやっとで、活字生活からは離れてしまうものだよ」。
彼がどんな見事な書庫を有していてもである。
「タコが言うのよ」
「恋は遠い日の花火ではない」
お酒のCMでは、ほろ酔いで目を奪った田中裕子さん。
「天城越え」では着物と美素肌。
40年前のYouTubeが未だにこれだけもてはやされていて、絶大なる女優の魅力は不動だ。
急転直下のラスト、
今こそが夢を叶える時だと、点滴スタンドを押して、冷たい夜明けの玄関を、裸足で出て行った
仁科亜季子の笑顔が
貴い。
今こそが夢を叶える時だと、
泳げないのに泳いでみた男槐多の快挙が美しい。
顔を、その存在を見せずにここまで抑制して、
坂道を登る足音と、吐息と、ガラス瓶の音だけで行き来したひとりの女に手渡された奇跡のメモ。
田舎町の本屋の、棚の前で出会った高校生男女の
ついに永年の希望を叶えた物語。
「人生を全うした」。
「したかった事をぜんぶした」。
槐多と美奈子と容子の
メモと 作文と 小説の、勝利の物語だ。
・・・・・・・・・・・・・・
[追記]
◆渡辺美佐子がナレーションを語っていたが、彼女が劇中で書いていた「あの小説」が
この五十女=大葉美奈子の実写化ドラマの台本になっていたのかも知れないと気付くと
「自分の本」をば私たちは自分で読みながら、今日も、この日を生きていたのだなぁと、想いが及んでゆくのだ。
不思議な感覚だ。
◆みんな死んでしまって、ぽつねんと部屋に戻った美奈子と共に、鑑賞者の我々も彼女の部屋に居るようなエンディング。
彼女の生の軌跡である愛蔵本を眺め、ひとりの女の歴史の頁をめくって見せてくれるような、静かなカットだ。
画面をPAUSEして、その書棚の一冊一冊の背表紙を辿るのも
鑑賞の最後の作業として、佳い時を持てた。
◆本作、今回は配信で鑑賞したのだが、合間に (いつもはとっても邪魔なのだが)、挟まれる広告には、ティファニー・ハードウェアのコマーシャルが流れていた。
いまをときめく「アノーラ」=マイキー・マディソンだ。彼女が素顔で登場してくれたのは、期せずしてのボーナス。
本作と、そしてあのアノーラと。
この女たちの藻掻きのドラマが、相乗作用していて面白かった所以。
それは
愛とか、憧れとか、その気持ちの置きどころとか、想いの量とか。
解説やメイキングも見てみたいのでDVDも借りてみた。
以下、
【追記:DVD鑑賞 2025.5.25.】
・しみったれていない美奈子のコート。
・池辺晋一郎の音楽が、この映画は悲劇ではないのだと告げる。
・原作の小説なしに!ここまでの優れた原案と脚本を仕上げた緒方監督と青木研次氏の驚くべき力。
誰にこの映画を薦めようかと思い巡らす。
う~ん・・・これもまたコメントしにくい作品である。
「”これから”本でも、読みます。」
岸部一徳と田中裕子は、
あえてこのキャスティングっすよね?
ジュリーこそ出てはいないが…。
本屋で自転車に乗るお互いの親を見かけて以来、
ミナコとカイタの時間は止まったまま。
止まったままなのでミナコは本を
買い続けるしかない。
ただ淡々と作業のように新聞を切り抜いて…。
カイタは一生地味に暮らすと心に決めるしかない。
止まっていた時間が30年ぶりに
動き出した瞬間に本棚を見たカイタは気づいてしまう。
想う人を孤独にしてしまった圧倒的で膨大な時間に。
止まっていた時間は動き出したと同時に”終わって”しまった。
もう作業のように本を買わなくてもよいのだ。
「これからどうするの?」
「これから、本でも読みます。」
50年過ごしたこの街を見下ろしながら、
離れない決心をした15の自分を確かめるように、
大きくひとつ息を吐くのだ。
このキャスティングは”あえて”かと思ったが、
あの飄々と何を考えているか不明な岸部と、
なにか捉えどころがなく本音を秘めているかのような田中は、
このキャスティングに最も相応しいと、
いや、この二人しかありえない。
必ず訪れる人生のタイミング
2005年の作品
俳優陣が皆若い。
「いつか読書する日」
このタイトルにはいったいどんな意味があるのだろう?
物語の最後に皆川おばちゃんが美奈子に問いかける。
「これからどうするつもり?」
「これから、本でも読みます」
その「本」とは、おばちゃんが描いた小説なのではないだろうか?
自分の人生が描かれた本を老後になって読む。
自分の人生を振り返る。
自分の人生を、もう一度見つめてみる。
それが一体どういったものだったのか、小説を読みながら考えてみたい。
それはある意味、人生の終焉を表しているかのようだ。
高梨陽子も夫のカイタに言う。
「男と女の関係がすべてよ」
この作品は、
人生とはつまり男女関係がすべてであるという概念に則り作られたものなのだろう。
さて、
なぜ、カイタは最後に死ななければならなかったのだろう?
妻の陽子が望んだとおりに彼は行動した。
同時にしばらくの間気にかけてきたネグレクトの児童への想い。
彼は自分が成した決断が正しかったのかどうか迷うところがあった。
カイタがした児童の母に対する行為は、子供にとっては由々しきことだった。
子供のいなかったカイトにはそのことがよくわからなかったのだろう。
子供にとっては、どんな親も絶対的存在だ。
それを理解した上に、行政執行の決断が為される必要がある。
彼はそれを理解していなかっただけだろう。
このひとつのことが罰、または因果となって水難事故を招いたのだろうか?
2005年 平成17年 この時代はまだ昭和的な思想が色濃く感じる。
同時にタイトルに仕組まれた難解さがこの時代の新しさなのかもしれない。
あれから30年
当時起きた出来事 お互いの両親の事故死
それは大きな出来事だったが、カイタと美奈子の認識は違っていた。
カイタはプールの授業でおぼれそうになっていて、それを見ていた美奈子が笑っていると思った。死ぬと思った。
だから、カイタは美奈子を避け始めたのだ。なんて薄情な女だ
美奈子はそんな出来事など覚えてもいなかった。
このくだらないすれ違い。
きっとほとんどの人がこのような経験をしていると思われる。
カイタは笑顔で死んだ。
それはカイタが自分自身のすべてに決着をつけたからだろう。
これこそがカイタが死ぬ理由だろう。
「美奈子の長い恋は終焉した」
また、
冒頭、美奈子が作文コンクールで優勝したことが発表される。
「未来の私からの手紙」 15歳の私へ
自分が未来に立ち、当時15歳だった頃の自分に宛てた手紙
しかしわずか2年後に母が死ぬ。カイタの父と一緒に。
この出来事は美奈子の人生観を大きく変えたはずなのに、美奈子はすでに決めてしまっていた自分の歩く道を変更しなかった。
噂などすぐ広がってしまうこの町に留まり続けたのだ。
「変わらない」と決める
それこそが30年彼女を孤独にさせたのだろう。
陽子から言われなければ、ケイタとの関係もなかったはずだ。
「自分の気持ちを殺すのは、周囲の気持ちも殺すことになる」
そして、ケイタの気持ちを受け入れることができた。
でも、あまりにも短く終わってしまう。
このあたりが昭和色を濃く感じてしまう。
美奈子が毎晩聞いているラジオに、ある日とうとう投稿してしまう。
彼女の想いはもう処理できなくなっていたのだろう。
それを聞く陽子 ラジオというのはすでに時代の流れの中へ消えそうになっている。
陽子の心理もまた特別だ。
死を前に考えることは、自分のことではない。
「平凡」を決めた夫の生き方に疑問を持った。
市役所への就職はそれが理由だろう。
しかし児童課での仕事に向き合う選択をした。
同時に、彼にもタイミングが来たのだろう。
すべてにタイミングがある。
美奈子が誰もいなきなった高梨家に毎朝牛乳を届けるのは、お供え物だからだろう。
町の一番高い場所から町を見下ろす。
30年間の決着をつけた清々しさ。
人生遅すぎることなど何もない。
最後は、ゆっくり読書でもすればそれでいいのかもしれない。
親のせいで変わった人生
私には好きな人がいます。
私には好きな人がいます。
大葉みな子の長い恋は終わった。
この映画のストーリーも小説だからね。デフォルメですね。
しかし、この街はどこだ?
多分、長崎でしょう。当たり!!
『Rainy days and mondays』は
女性の心で歌っている
やっぱりカレン・カーペンターさんが良いなぁ。(性的な差別じゃありませんのてあしからず)
長い恋が終わったから
『カラマーゾフの兄弟』を読み終わらせて、次は『失われた時を求めて』かなぁ。
まぁ、内容は別物で、題名だけで何度挫折したか!僕の個人的な反省です。
【”50代男女の長年に亙る、秘めたる恋物語。”静的で、端正な映像で人間性の善性を表しつつ、二人の時を超えた関係性の変遷を描いた作品。2020年代に入り、このような作品の上映は少なくなりました。】
■50歳、独身の大場美奈子(田中裕子)の仕事は、早朝から急階段を駆け上がる牛乳配達とスーパーのレジ。
胸の奥に忘れられない人を押し込めて高校生以来、日々を暮らしている。
同じ町に住む高梨槐多(岸部一徳)は、毎朝牛乳配達の音にじっと耳を傾けている。
槐多の重い病気の妻・容子(仁科亜季子)は、ふたりの秘めた思いに気付き、美奈子に対し”会って欲しい”と手紙をしたためる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・大変失礼ながら、岸部一徳さんのイメージは涙袋が膨らんだ政治家の悪役である。
それが今作では高校時代から想いを寄せていた女性と、末期の妻を看病する善性溢れる男を好演している。ちょっと、ビックリである。
■大場美奈子と高梨槐多は、高校時代から想いを寄せていたが、美奈子の母(鈴木砂羽)と槐多の父(杉本哲太)の不倫と、その事故死により関係性は離れていた。
高梨槐多は結婚し、市のネグレストに対応する課で働き、美奈子はずっと牛乳配達とスーパーのレジで働く日々。
・槐多の重い病気の妻・容子は一度だけ美奈子に会った際に”私はもう長くない。あの人と一緒になって”と告げるが、美奈子はそれ以降会いに来ない。
そして、容子は亡くなる。
・容子が亡くなった後、暫くして初めて槐多と美奈子は雨降る中、結ばれる。
だが、槐多が目覚めた時には美奈子は牛乳配達に出掛けていた。
ー ここで、槐多が見る美奈子の書棚を映すシーンが秀逸である。
美奈子は槐多への思いを多くの本を読む事で、紛らわせていたのである。
更に、その本棚は二人が想いを寄せていた本屋の本棚そのモノだったのである。-
<大雨の中ネグレクトに遭っていた男子が川の流れに入って行く。
それを見た槐多は、泳げないのに彼を助けに川に入る。
そして、鳴り響くサイレン。
槐多は”笑顔”で溺死していた・・。
その姿を見た美奈子は、涙を流すことなく翌朝からも、誰もいない高梨家に長い階段を駆け上って一本の牛乳を届けるのである。
今作は、長年お互いを想いながら、漸く一晩の契りを結んだ50代男女の品性高き恋物語なのである。>
名作です 。
映画館で観て以来だから、
19年ぶりに鑑賞。
時の流れの早さに「ウソー」と
思いながらも、
全く色褪せていないこの作品の
魅力に、さらに驚く。
舞台は長崎。といって観光的風景は
いっさいない。険しい坂道が印象的な街で
30年の間お互いを思い続けてきた
同級生、50歳の二人。田中裕子と岸部一徳が主役。
大葉美奈子(田中裕子)は、朝は牛乳配達、夜はスーパーで
働く独身女性。楽しみは毎夜の読書。
高梨槐多(岸部一徳)は市役所勤務、妻(仁科亜希子)は
ガンで余命いくばくもない。
映画は程のよい回想場面を挟みながら、二人の
人生背景をさりなげく教えてくれる。
認知症やネグレストなどドキッとするシーンも
ときおりユーモアを交えながら、しかもドラマを
ただ盛り上げるための材料ではなく、
きちんと回収していく。
不器用で笑ってしまうような二人の抱擁シーンも
なんだろう、愛と愛がぶつかって切なくなるくらい
誠実で可愛くて美しい。
年を重ねれば重ねるほど、タイトルの意味の重さも
わかってくるなぁ。
いやーいい映画です。
アマゾンプライム→日本映画ネット15日間無料お試し、
で僕は観ました(笑)。
熟年男女の長い長い秘められた恋の物語
まずとっかかりとして傾斜がきつい密集住宅地というロケ地にオヤッ!となる。
あらすじにはさほど興味を抱けなかったが、ロケ地の魅力が好奇心を掻き立てる要素になるというケースは結構あるもの。
そこからは、というよりほぼ最初から「展開は一体どうなるのか?」という中程度の好奇心が最後まで維持され、それに加えて主役二人の設定年齢と近いということもあってか、じわじわ共鳴共感の波が生じても来た。
落ちの悲劇に関しては全く予想外でしたが、背景音楽の調子が最初から最後まで軽妙で、邦画にありがちな「泣け泣け」的いやったらしい最低演出とは全く無縁だったこともあり、微妙な爽快感さえ感じつつエンドロールとなったのは実に良かったですね。
邦画は外れる率が高いですが、これは普通以上に良い映画でした。
エンドロールでロケ地が長崎と知り、「ああっーそうだったのか・・・」と、そこにもある種の感慨が生じましたよ。
田中裕子さん
過去にとらわれながらも誠実に人生を歩んでいる人たちの姿に心洗われる...
美奈子や槐多は自分の中もいるようです
心に刺さるという表現では足りません
突き刺さって心を引き裂いてしまった映画でした
最高の映画に出会った幸せを噛みしめています
冒頭15歳の美奈子は、未来の私からの手紙を書きます
自分はこの町を出て行かない
この町で生きていく
ずっとここの町で暮らしていると宣言しました
ちゃんと未来の私が待っていると
その結果が50歳の彼女です
彼女は青春は17歳のあの事件から時間が止まってしまっていたのです
あの作文が彼女を縛りつけたはずはないと思います
もう彼女も書いたことすら忘れているかも知れません
しかし、それは心の中に澱となって沈み、17歳の事件で恋がブレーカーが落ちたかのように瞬間的に打ち切られて、彼女の時間がそこで止まってしまったことと、複雑に絡み合ってしまったのです
互いに目も合わそうともしない
けれどもお互いに強烈に意識している
市電、スーパー、朝の配達の小さな音
その二人の演技の繊細さは強烈に胸に迫りました
叔父さん、叔母さんのエピソード
ネグレクトされた子供のエピソード
全てラストシーンに向けて収束していく遠近法の透視線となっています
何一つ無駄なエピソード、シーンもありません
全てが伏線となってつながっていく見事さに圧倒されます
槐多とその妻容子はどうやら職場結婚したようです
彼の課で窓口をしていた女性のような、市役所でも評判の美人だったようです
容子が牛乳配達の正体を確信したラジオのMさんからのリクエスト曲は「雨の日と月曜日は」です
美奈子が16歳だった1971年のカーペンターズのヒットです
ラジオではその作曲者のポールウィリアムスが美奈子が19歳だった1974年にセルフカバーしたバージョンが掛けられました
歌詞を是非調べて下さい
DJが「文面からすると20代女性といったところでしょうか」、「私も中学から高校にかけての3年間片思いでした」と語ったように、美奈子の心は17歳のまま閉じ込められているのです
その美奈子の心情がハガキの文面だけでなく、歌詞にもそのまま綴られてあるのです
その一節はこうです
変よね、私にできる事と言えば
愛してくれるあなたのもとへ、駆けていく事だけ
死を目前にした容子との直接対決は息がつまりました
容子の言葉に美奈子の呼吸が次第にゆっくりと大きくなるシーンの迫力は恐ろしいほどです
ズルい、と絞りだした小さな声は彼女の初めての感情の爆発でした
ズルいのはもちろん容子のことです
あの事件のあった17歳のあの日、槐多の母は取り乱して、美奈子の母と槐多の父の遺体が夫婦の様に並んでいるのを引き離そうとした事を思いだしていたのかもしれません
母がしたことを、槐多の妻がまた私にさせようなんてズルいと
そして妻の上から目線で一方的に要請して、自身の死期を盾に反撃を封じているからです
彼を譲ると言っていますが、容子は健康であるならば絶対に許さないと言っているようにも聞こえます
同時に、自分に対しても容子の言う通りにするのはズルいことだとも思ったのだと思います
彼女の死を願っている自分を知っているからです
ずっと昔からそうならないかと願っていたはずだからです
その三つの想いが一度に吹き出してぐるぐると絡まり合い、美奈子はズルいとだけ言うのが精一杯だったのです
彼女はその場を逃げ出すしかできなかったのです
槐多は容子の死期が近いのを悟ると、市役所に休職願いを出し、父の絵を画廊に売ります
彼の父は有名な画家だったようで、かなりの高額で売れそうです
しかし彼の家は遺産もあるのか市役所勤めにしては結構裕福そうです
何も妻の死を前にして父の絵を金の為に手放す必要は無さそうです
あの絵は女性のヌードの絵でした
もしかしたらモデルは美奈子の母であったのかも知れません
槐多はその絵を美奈子に見られたくなかったのです
つまり彼もまた容子が言い出す前から、同じことを考えていたのです
もしかしたらこの家に美奈子が住むことになるかも知れないと思い、バタバタして忘れてしまう前に手放したのだと思います
美奈子は口紅は余りにも自分の欲求がストレートに出ていると思い拭いさります
喧嘩腰で長い青春のけりをつけに槐多の家に乗り込みます
まるで殴り込みです
槐多の父と美奈子の母が二人乗りして向かった事故の現場に今度は美奈子が漕いで向かいます
事故現場で線香をあげたとき、二人の両親はどっちもどっちでおあいこ様であったことを初めて知ります
美奈子は、自分が働くスーパーのシングルマザーのふるまいを見る冷たい目と同じ目線で母を捉えていたのです
そして二人の両親が逢い引きの現場に目指そうとした、誰もいないダムの遊水池で二人は会話するのですが、まるで決闘です
33年間の積年の怨みつらみが美奈子を喧嘩腰にさせています
槐多はなにそれと言うようなことを言い出しますが、それは結局自分は臆病なんだと訴えていたのです
拒否されるのではないかといまだに恐れていた小心者だったのです
だから美奈子は自分は容子と同意見であるが、彼が違うというなら、この町をでていく覚悟だと決断を彼に迫ったのです
それで、彼女が帰ろうと自転車に手をかけた時、遂に槐多は勇気を振り絞って正しい行動を取れたのです
初めて彼女を抱きしめて正直に本当の気持ちを打ち明けられたのです
これを33年前にしていれば良かったのです
遠い遠い周り道でした
ずっと思って来たこと、したい
全部して
美奈子はその言葉を33年も待っていたのでした
続くシーンは初老の男女が服を脱ぐのももどかしく互いの肉体を求めあう激しいラブシーンです
この名台詞を含め、普通なら醜悪なのかも知れません
しかし、それはあまりにも美しく甘美なものでした
今までに見たラブシーンのなかでも最高峰の美しさです
本当の男女の愛が混じり気なしにそこにあるのです
涙が溢れて止まらなくなったシーンでした
槐多は翌朝、美奈子の家の本棚を観て呆気にとられます
あの本屋の光景そのままなのです
美奈子の青春は時を止められて、この部屋に閉じ込められて、そのまま残されていたのです
それは17歳のあの事件の直前の時点なのです
槐多の青春もそこで凍りついてそのまま残されていたのです
ここで二人の失われた青春を始めからやり直せるのです
彼女も同じ気持ちで長い年月を過ごしてきたのだ
そして孤独な老後にこの本を読む気なのだと知ったのです
孤独なのは槐多も同じです
容子との間に子供はいないようです
容子が死んで、彼にはいつか市役所で85歳の老人に50歳からの人生の長さを聞いたように孤独な老後の長さを恐れていたのです
この本棚は美奈子との老後こそが答えのだと証明していたのです
あの子供は美奈子が助けるようにと、彼を名指しで指名してくれた子供です
だから子供のいない槐多には、美奈子との間で心が繋がった象徴でもあった子供なのです
だからあの子を助けようと懸命だったのです
子供を両親から引き剥がすときに、母親へ重大性を分かっているのか!と大声あげ、その後車の中で泣いたのはなぜでしょう
美奈子を天涯孤独にしたのは自分の父なのです
彼は、その重大性を怒っていたのです
溺れる子供をみつけ、我を忘れて川に飛び込んで子供をなんとか助けられた時、薄れゆく意識の中で彼は美奈子との子供を助けたかのような満足感に包まれたのでしょう
だから笑顔で死んでいったのだと思うのです
騒ぎに胸騒ぎを感じて美奈子は川に走ります
水死体が槐多であったことを知った時の美奈子のアップは成瀬巳喜男監督の1964年の名作「乱れる」のオマージュでした
あまりことに衝撃をうける田中裕子の超アップの表情は、その作品での高峰秀子の一世一代の名演技に負けないものでした
救助される子供の姿で事情は察しています
なのに理解できない衝撃なのです
ついに結ばれたのに!
二人の未来がついに訪れた朝なのに!
こんな考えすら後から来るのでしょう
それほどの衝撃
しかし全てが終わってしまったことだけが理解できた衝撃の表情です
ラストシーン
いつも通り彼女は牛乳配達をしています
車が入らない細い階段のある急坂を気合いを入れて登っていくのです
しかし坂の上の方にあった槐多の家にはもう誰も住むものは無くもちろん牛乳の配達はないのです
そうすると軽快だった足腰がもう歳なのだと抗議をあげています
息が上がりとても苦しそうです
彼の家に毎朝夜明け前に行く
自分の手で牛乳という命の源を届ける
それは彼女にとりきっとエロチックなことで生きていく力の源であったのです
彼女が牛乳配達をしていると知って、彼が牛乳を好きでも無いのに取り始めた意味を彼女にはわかっているのです
容子が死んでからは一口飲んで捨てる偽装もしなくなります
彼女が毎朝来てくれるだけでよいのです
だからもう歳なのだから飲みなさいと叱ったのです
その彼はもういません
そう思うともう力が湧いて来ないのです
モチベーションが失われたら牛乳配達は辛くなってしまいました
槐多は今度こそ彼女の手のとどかない所に行ってしまいました
彼女はこの町を離れないと15歳の自分が未来の大人の自分に宣言していました
だから彼を追いかけることも出来ません
高台まで上がって朝陽を体一杯に浴びたとき
彼女は知ったのです
長い恋は終わった
長い青春も終わった
叔母さんに聴かれて適当に答えたように、老後の楽しみの為に溜め込んだ本を読む日がとうとう来たのだと彼女は悟ったのです
時間は沢山ある
50歳から叔母さん、叔父さんのような歳まではとてもとても長そうです
でも読みたい本はそれこそ本屋の様に売るほどあるのです
名作中の名作だと思います
超のつく高齢化社会に日本は突入しました
その老人達はもう昔の老人ではないのです
あなたのおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの心の中にはこんな青春が今も生き残っているのかも知れないのです
21世紀の日本映画が撮らければならないテーマなのです
美奈子の本棚は自分の部屋に似ていました
高い一面を埋める本棚を眺めて幸せな気分になるのも同じです
新聞の興味のある本の広告を切り抜いて、いつか読もうと取っておくことまで似ていました
今はまだ読めなくて本が溜まっていく一方なのも同じです
いつか読書する日がくるために備えているのです
美奈子や槐多は自分の中にもいるようです
極上の恋愛映画
事情があって別れざるを得なかった初恋の恋人たち。その一方と結婚した女。
言葉どころか目も交わさぬ恋人たち。本人たちは隠している想いなれど、関係者には密かに伝わっている。それを説明や台詞なしに、演技で魅せてくれる田中さんと岸部さん。
「愛はないけれど情はある」誠実に妻を愛おしむ夫。なれど、”女”とみてくれぬこと・愛する人の幸せを邪魔しているのではと同時に嫉妬に悩む妻。切ない。
この二人と並走して描かれる、長年連れ添った夫婦。
読書。
作者との対話。
そして感想を言い合う仲間との対話。ー映画レビューと一緒。
読書を通して深めていくであろう、心の中のカイタとの対話。
現実世界での対話。内的世界での対話。
それぞれの孤独
それぞれの愛溢れた繋がり。
昼メロ仕立てにしても良い筋だが、
分別のある大人の三角関係をしっとりと魅せてくれる。
なのに、終盤にカイタが美奈子に言う言い訳がこそばゆいのがみそ。
主人公の年齢に近くなり超えるほどに、愛おしくなる逸品。
名優ありきの作品だが、それをじっくり見せてくれる監督に感謝。
「居間まで主ってきたこと死体!」「前部仕手」
間違った日本語を使うことに抵抗のある50歳独身、大場美奈子(田中裕子)。朝は牛乳配達、昼はスーパーのレジ係、仕事で疲れ切ったた、読書しながら寝るのが日課だ。一方、岸部一徳演ずる高梨槐多も50歳。妻は病に臥して自宅療養。平凡に生きることが生きがいである、市役所勤務だ。高校時代にはお互い惹かれ合うものの、ある事件がきっかけで疎遠となってしまった二人。初恋の日から30数年経った熟年カップルによる単純なメロドラマかと思いきや、認知症、自宅介護、児童福祉という現代的なテーマが輻輳して、心に染み入る重厚な社会派ドラマとなっていました。
自らを殻に閉じ込めてしまい、牛乳を配達することが生きがいだと自分にまで嘘をつく美奈子。妻へ最大級の介護を施し、たっぷりの愛情を注ぐが、妻からは内面が読めないと思われている槐多(かいた)。いつしか妻の容子も牛乳配達の時間を正確に覚えるくらい、ルーティーンを大切にしてしまっている。
かつては、牛乳配達用の牛乳箱なんて日本中どこの家庭の玄関先にあったものだ。紙パック入りの牛乳が普及し、朝早くにカチカチとビンがぶつかり合う音も久しく聞いてない。今ではピラミッド型の紙パックさえ見かけなくなってしまった。この懐かしい牛乳ビンを毎日配達するという日常が平凡を愛する男の宅にも届けられ、30年という世界を告白できない二人の静かな時を刻み付けていく・・・また、玄関先で受け取った牛乳をそのまま飲むじいさんが素敵だ。
皆川夫妻は認知症。敏子(渡辺美佐子)も少々その気があるのだが、英文学者の夫真男は進行が早かった。彼のボケるというイメージを内側から描いた描写も素晴らしく、一瞬、観客をもボケの世界に引きずり込んだようなシーンが光っていました。徘徊という症状も、静かな町に住む登場人物に心の変化をもたらし、物語にアクセントを与えている。しかし、敏子だって、吸いかけのタバコがあるのに、二本目を吸ってるし・・・危ないよ・・・
二人の心が通じ合う場面は、不器用な男と未経験の女という性格を見事に描写。岸部一徳の演技は今までで最高のように思う(あまり見てないのかな・・・)。ラストは賛否両論でてくるのでしょうけど、美奈子が力強く生きていくためには、この展開が一番自然だったのではないでしょうか。
2005年マイベスト
「みらいのおとな課」と「ゆうゆう人生課」
映画「いつか読書する日」(緒方明監督)から。
作品の冒頭「未来の私からの手紙」や
「あなたは15歳だった時のことを覚えていますか?」など、
アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」と
似たシュチエーションがあり、ちょっと驚いた。
さて、今回の気になる一言は、主人公が勤める市役所の課名。
機構改革か、首長が変わって変更したのか、詳細はわからないが、
面白くて、メモしてしまった。
窓口の担当課を探している市民に対して
「みらいのおとな課」は「前の児童課と同じなんですよ」と説明。
じゃあ、高齢者担当は「むかしの子ども課」と想像してみたが、
予想は外れ「ゆうゆう人生課」だった。(笑)
全国の自治体には、ずっと以前に話題になった「すぐやる課」を始め、
面白いネーミングをした「課・部」などがあるが、私は馴染めない。
これだけ国民が転入・転出を繰り返しているのだから、
どこへ住んでも「同じ課名」の方が国民のため、と個人的には思うから。
だから当然のように、自治体ホームページも全国的な統一感がない。
2004年製作の映画とはいえ、変わった名前の課名、多かったのかなぁ。
作品と関係ないところで、盛り上がってすみません。(汗)
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