私が棄てた女

劇場公開日:

解説

遠藤周作の原作「私が棄てた女」を、「若者たち」の山内久が脚色、「非行少女」以来五年ぶりに浦山桐郎が監督した。撮影は「男の掟」の安藤庄平。

1969年製作/116分/日本
原題または英題:The Girl I Abandoned
配給:日活
劇場公開日:1969年9月3日

ストーリー

自動車の部品会社に勤める吉岡努は、専務の姪のマリ子との結婚を控えていたが楽しくはなかった。かつては学生運動に青春を燃やした自分が、いまは刹那的な快楽と利益を追う並みの人間の一人になっているのを自覚していたからだ。ある夜、努は旧友の長島らとクラブの女を抱いた。その女から努はミツの噂を聞いて愕然とした--。彼女は努が学生時代に遊び相手として見つけた女工だった。愛情もなく、肉体だけのつながり、将来への希望もない中で努が肉体だけを楽しむだけ楽しんだ上、海岸におきざりにして逃げてきた女、それがミツだった。下宿も変えた努に、ミツが子供を中絶したことなど知る由もなかった。こうしてミツとの関係を断ってから、努は今の会社に勤め、マリ子から愛された。社長一家との顔合せに向かう途中で努は偶然ミツを見かけ追いかける。突然の再会にミツは泣き崩れるのだった。顔見せの宴で努はしたたか泥酔したが、それでもマリ子の愛は変らなかった。しかし、努の心には、ミツを無残に見捨てたことへの慚愧の思いがあったのだ。とにかく、努はマリ子と結婚した。一方、ミツはその頃、借金をかかえて失意の日を送っていたが、女工時代からの仲間しま子から努の結婚のニュースを聞いた。それでも彼女は努との思い出を大事にしているのだった。ミツはひょんなことから知り合ったキネ婆さんの入った養老院に住み込みで働くようになる。その頃、努は都心のアパートに新居を構えたが、何かしっくりゆかなかった。ある日、努は業者の接待にきたホステスのしま子からミツの近況を聞きミツに会った。いつか二人は結ばれたが、その様子をしま子の情夫武隈が撮影していた。やがてマリ子の許にかつて努がミツに送ったラブレターが送られてきた。かねてから不審に思っていたマリ子は、養老院で働くミツを訪ね、手切金をつきつけたが、手紙はしま子の仕業だったのだ。それに気づいたミツはしま子から写真のネガを奪って焼いた。そして怒る武隈に窓から外に逃げようとしたミツは転落死する。努は彼女の死を知って、始めてミツを、本当に愛していたことを知った。それを告げられたマリ子は努を罵倒してアパートを出て行く。努の悪夢が始まる……。妊娠を告げられたマリ子がアパートに戻ると努とキネ婆さんの息子八郎が将棋を指している。ミツの写真と手紙を燃やしたマリ子はつぶやく。「ミッちゃん。何故あなたは死んだのか。何故あなたはもっと生きつづけて私を苦しめなかったのか…」。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0不思議な体験

2023年11月17日
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序盤の物語が過去と現代を錯綜し後半不思議な心地良い混乱へと、子供の頃観たゴジラvsヘドラにも似た行き過ぎだ演出も何故か納得してしまうこの映画、私は好きに成った。

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なんてこった

3.52人の女性が主役 昔の男にドン引き

2023年8月2日
Androidアプリから投稿

題名だけ知っており、アマゾンプライムに入っていたので見た。当時の日本の景色、時代背景が映されて車や看板のデザインから目新しく、古い映画は戦後史の資料のよう。

主役の吉岡努(河原崎長一郎)は、当時の早稲田大学卒で、尚且つ社長の姪マリ子(浅丘ルリ子)と婚約中。というけど、無愛想かつエラソーで魅力は無い男。
大学からの友達長島(江守徹)もひどい。

大学時代に長島は「明星のペンフレンド募集コーナー」で女を物色、自分がモテないのを棚上げし「ブタばっかり」と悪態つきながら(ブタ5連発してた)「タダでやれる相手」と吉岡をそそのかす。胸糞悪い。

吉岡は待ち合わせに来たミツに対し、最初から偉そう。初日でアパートに連れ込み襲おうとまでする。これで2度目のデートが有り得るって、よほど手紙の中身が良かったのか……。

ミツは太り気味で、垢抜けず鈍臭い田舎の女子。でも、明るくて気はよく、海岸で「東京ドドンパ娘」を演奏し踊ってる人達に混ざり、一緒に踊ってるの面白かった。
吉岡は離れたとこで仏頂面でみてるだけ。ミツは一緒に踊るような明るい男子と付き合った方が幸せになれた気する。

吉岡は酷すぎた。海岸の小屋に置き去りはミツが危険な目に遭う可能性もあったのに。しかも避妊もしてないとは最悪。

男は何のリスクもなくやり捨て、女は棄てられた挙句、中絶費用を払わされ怖い手術台に登り体の負担と罪悪感を引き受けるとは?

今も中絶費用を捻出できず産み捨てた女性が逮捕されてる事件があるけど。

ミツは、高額の中絶費用を作るために、友達の勧めでおじさんに売春したらしき場面があり悲惨。

やり捨てられ後も、まだミツが吉岡を好きなのはリアリティはない。後年会った時、中絶の話して費用ぐらいは取り立てたら良かったのに。痛快な復讐劇になれば良かったが、そうはならない。

少女期は楽しく遊んだ友人も、都会で売春斡旋業に堕ちてた。故郷に帰らずにこの友だちに頼る必要ある?とは思ったが。
傷ついて堅気の仕事する気にならなかったのか、吉岡とまた会いたくて東京を離れなかったのか。

マリ子が吉岡を好きになった理由はさらに分からない。美人かつ社長の姪で性格も悪くなく、歌もうまい(突然歌のシーンが)、
離婚歴があるとはいえ、引く手あまたな気がする。

会社で「お預けは勘弁だから」とマリ子の都合無視して「下宿に来いよ!」と命令する男のどこがいいのか。マリ子は「怒った目が好き」とか言ってるが、そうはならないだろう。

マリ子の親戚の集まりで、吉岡はマリ子のどこが好きと聞かれ「綺麗だから」しか答えてない。

社長のドラ息子が「キャディなんてうんと虐めて辱めてやらなきゃダメだ」だの「女は半人間」とか言い出し、当時の差別男にドン引きするが。酔って異議を唱え食ってかかった吉岡も、女に関しちゃクズっぷりは変わりはない。

酔いつぶれた吉岡を、女性5~6人が連れ出し介抱するのも度肝を抜かされた。ガタイのいい男を運ぶのに男どもは誰も動かない。

「あなたなんか嫌」と怒るマリ子に、吉岡は何故か無理やりキスだの押し倒したりだの、DVにしか見えない。

ミツも世話焼いた老婆の息子にも無理やりキスされてたが、当時はまだセクハラという言葉もない。再開した吉岡にも合意なく押し倒されたり、女性は言いなりで主導権も拒否権もなかったようだ。

ミツと再開した料理屋の2階で、カーテンも閉めずすぐ横の人で盗撮する男の気配にも気づかない吉岡はおかしすぎる。ミツは、これで恐喝の共犯にされてしまう。そして友達に追求にいきあえなく亡くなる。

吉岡もマリ子に捨てられ会社もクビになり、何もかも失うかと思いきや。

突然カラーの前衛的な夢を見る吉岡。

現実に戻ると、なぜか老婆の息子と将棋さして、髪を切り妊娠したマリ子が家にいて、仲良く喋ってる(老婆の息子、子猫持ってる?)シュールな光景……。

マリ子は、なぜか吉岡の元を去らなかったらしい。そして吉岡が持ってたミツの遺影写真は焼きながら、ミツを殺したものと対峙すると決意。

妊娠してる時に、夫が好きだった薄幸の女性や同じ境遇の人達のために動こうと思えるのだろうか。またミツを死なせた1人は夫なのだが。

やり捨ててもずっと自分を思い続け、何も要求せず、結婚してからもやりたい時やらしてくれて若く亡くなるミツ。

美人妻がほしい出世もしたい欲を叶えてくれ、浮気がバレても離婚せず自分の子を産んでくれる妻。

どちらも偉そうな男に都合がよすぎる女性ではないか。家父長制、男尊女卑、女への暴力、セクハラモラハラを消し去ることがミツへの供養だろう。

後に豊かな時代へ突入はしたけど、不幸な人が見えづらいところへ押しやられた。そしてまた格差が生まれたが「自己責任論」がまかりとおり、恵まれた者の責任という発想が無くなった。

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ららら

4.5苦闘する女性たちを通じて日本の差別構造を糾弾?!

2022年11月20日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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Kazu Ann

2.0原作とは全く別物として観る作品だとしても…

2022年4月6日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

遠藤周作原作とは全く異なる内容だ。

小説では、ほぼ吉岡が語る物語だが、
実質的に森田ミツが主役の話だ。
しかし、映画のキャスティングでは
吉岡とマリ子がメインで、
ミツの扱いは原作からはほど遠い。

また、「砂の器」と同じく、
映画としては表現出来ない背景があったと
しても、ハンセン病には触れていないから、
小説でのミツがハンセン病の陰性が
証明されても病院に残る決断へ繋がる
彼女の思索が無く、
遠藤周作のキリスト教感に基づく
大事な要素が全く抜け落ちていると
言わざるを得ない。

往々にして原作本の映画化に際しては、
監督は原作とは異なる芸術性創出のために
かなりの改変を行うことがしばしばだが、
同じくハンセン病を扱った両作品の映画化
で、私にとっては
上手く改変したのが「砂の器」で
残念なのが「私が棄てた女」のイメージだ。

また、人間的な魅力を感じない描写で
あるにも係わらず、
社会的には何故から出世を遂げていく
吉岡の人物像には不自然さを感じる。

話の展開として私が特に残念なのは、
知り合いのホステスの手配での
ミツと吉岡の情事を揺する展開だが、
余りにも問題を通俗的に特殊解化させて
しまい、
テーマの普遍化を妨げていることだ。

この作品、原作からは離れ、
社会的格差に深く切り込んだ内容に思える。
そして、ラストシーンで、
ミツを悲劇に追いやった皆々が、それでも
それなりに生きていくことや
背負っていくものの重さも示唆される。

原作とは全く別物として観るべき
作品なのだろう。

しかし、作品案内に原作が
「遠藤周作」とある映画である以上、
どうしても私の好きな小説
「わたしが・棄てた・女」から
頭が離れないままに鑑賞してしまうことは
間違いないだろうから、
これ以上の鑑賞は難しいかも知れない。

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