老人Z
劇場公開日:1991年9月14日
解説
大友克洋原作・脚本・メカニックデザイン、江口寿史がキャラクターデザインを担当。SFアクション・アニメ。監督はオムニバス・アニメ「ロボット・カーニバル」の一話を担当した北久保弘之。
1991年製作/80分/日本
配給:バビット
劇場公開日:1991年9月14日
あらすじ
寝たきり老人を乗せた自動看護ベッドが、変形しながら勝手に動きだし、軍事用に開発されたロボットとはげしい戦いを繰り広げる。
劇場公開日:1991年9月14日
大友克洋原作・脚本・メカニックデザイン、江口寿史がキャラクターデザインを担当。SFアクション・アニメ。監督はオムニバス・アニメ「ロボット・カーニバル」の一話を担当した北久保弘之。
1991年製作/80分/日本
配給:バビット
劇場公開日:1991年9月14日
寝たきり老人を乗せた自動看護ベッドが、変形しながら勝手に動きだし、軍事用に開発されたロボットとはげしい戦いを繰り広げる。
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2013年3月2日ハリウッドなどでのAIの関係の作品だと、その多くが人に害をなす「敵」として登場する。もしくは、人間になりたがるAIだ。
AIがAIとしてそのまま存在し人間と友好的な関係を築く物語を紡げない。
その点において日本の場合だけ少し違う。キリスト教的考え方と付喪神的考え方の違いだろう。
そこから始まり、鉄腕アトムやドラえもんを経て、AIは基本的に人間の友であり、AIはAIとしての自覚を持ち存在するのが日本だ。
この作品はAIが暴走する物語だ。
しかしハリウッドのように人間を滅しようとするわけではない。
そして何より、本作に登場するキャラクターの多くが、AIに芽生えた自我に対して「個人」として接しようとしているところが興味深い。(個人として扱うに足る仕掛けはされているのだが)
この、実は割と不自然と言える事態に対して、観ている多くの日本人は違和感を感じないだろう。
高齢化社会、老人介護と、現代がまさに直面している問題を隠れ蓑にしているせいもあるだろうが、自然と受け入れられる土壌が観る側にあることは驚くべきことだと思う。
SF作品が好きで、洋画を多く観る身からすると、AIの扱いに関してだけは日本のアニメーションが最も進んでいると感じずにはいられない。
それはもしかしたら自分が付喪神的考え方からきている人間だからかもしれないが。
「AKIRA」と「攻殻機動隊」を混ぜてスパイスに少し「パプリカ」。それを「うる星やつら」のノリで、といった作品で、中々面白く観ることができた。
■厚生省が発表した老人介護全自動ベット・Z-001号機のモニターに、晴子が世話していた高沢老人が選ばれる。機械に世話されている彼を痛々しく感じる晴子だが、学校のパソコンを埋めつくす「HARUKO」の文字を発見し、高沢老人の元に急ぐ!
◆感想
・高沢老人を覆いつくす介護用ベッド。彼の自由は失われるが、そこに彼の亡き妻ハルの意志が反映されてメタモルフォーゼしていく様。
・愚かしき男が作った戦闘用ロボが、高沢老人とハルが目指す鎌倉行きを拒もうとするシーンなども実に上手く出来ている。
<看護学生の晴子が世話していた高沢老人を想い、最後まで老人の意志を叶えようと頑張る姿など、ナカナカである。
今作は、介護問題、人間の尊厳と夫婦愛をコミカルに描いた作品なのである。>
AKIRAを作った3年後、大友克洋が手掛けた老人介護がテーマのヒューマンSF。
面白い話を考えるなあ。
いわばこれは、シニカルでユーモラスな老人解放運動。
寝たきり老人の最後の夢を叶えるためにボランティア介護を担当していた晴子は、厚労省や国家軍事機密までも巻き込んで鎌倉の海を目指す。
「厚生省を舐めるなよぉ!」と言った寺田にも、
「海へ行くのよぉ!」と言った晴子にも、
あるのは今の世の中には珍しくなった純粋な善。
大友作品特有の“流動的な固体”とでもいうべき作画は健在。これが有機的なロボットの挙動と実にマッチする。
そして細かい書き込みとラフな書き込みの両立がする独特の風合い。
そしてそしてなんと言ってもキャラクターデザインはあの江口寿史。
これ、ほんとに30年前の作品?笑
思い“入れ”のある場所や物を、
鮮明に思い“出す”ことができて初めて、
思い“残し”はなくなるのかもしれない。
だとしたら、老人を大切にするというのは、悔いなく天に送ってやることなのかも。