ラブ・ストーリーを君に

劇場公開日:

解説

白血病に冒された少女と、それを見守る青年との純愛を描く。ディディエ・ドゥコワン原作の小説「眼れフローレンス」の映画化で、脚本は「紳士同盟」の丸山昇一が執筆。監督は「恋人たちの時刻」の澤井信一郎、撮影は「この愛の物語」の仙元誠三がそれぞれ担当。

1988年製作/104分/日本
原題または英題:Memories of You
配給:東映
劇場公開日:1988年3月5日

ストーリー

大学の山岳部員上條明は、以前家庭教師をしたことのある広瀬由美と偶然新宿の路上で再会した。私立中学の2年で14歳になる彼女は大人っぽく綺麗になっていた。ある日由美の母・友子は大学病院の医師・千葉から、娘が白血病であと半年の命しかないことを知らされる。夫と別れてから女手一つで育ててきた友子は娘に残りの人生を自由に豊かに送らせてやりたいと思い、由美が兄のように慕う明に恋の相手を頼んだ。明は戸惑うが、友人として出来る限りの協力をすることにした。しばらくは由美の病状も変化はなく平穏な日々が続いたが、初夏を迎えて明が教育実習のため長野へ帰省するという日に、由美が学校で倒れた。友子の友人・吉野琴のもつ軽井沢の別荘で療養することになった由美は、時折明の教える中学を訪ねた。そして自分の病気に不安を抱きながらも、明と一緒にいることで安堵するのだった。明るく楽しそうな由美を見て、明は死の訪れる瞬間まで由美と共に生きようと思った。夏が終わり東京へ戻ると、由美は病院で集中治療を受けなければならないほど病状が悪化していた。入院が近づいた日、明と由美はホテルのディナーショーや山岳部のコンパで楽しんだ。その帰り道、由美は明に「もっと生きたい」と自分の感情をぶちまけた。別れた父とも再会を果たした由美を、明は登山に誘い、医師や友子も賛成してくれた。ロープウェイで穂高の中腹まで登り、頂上を目指す2人。息をはずませながらも楽しそうに微笑む由美はまた上に登ろうとするが、明は途中で由美をおぶって下山することにした。明は「やるだけやったじゃないか」と声をかけるが、由美は熱に浮かされていてほとんど反応がない。「明さんのお嫁さんになりたい」と呟く由美に、「もうお嫁さんじゃないか」と答える明。やがて2人の姿は山裾へと消えた。そして由美の部屋の机の上にはひっそりと花の鉢植えが置かれ、穂高の中腹には由美が明との登山の記念にと積み上げたケルンが残された。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第12回 日本アカデミー賞(1989年)

ノミネート

助演男優賞 緒形拳
新人俳優賞 後藤久美子
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映画レビュー

3.0直球

2022年2月15日
PCから投稿

この映画は佳作とされている。
なぜそうなのか説明したい。(しろうとの見解に過ぎません。)

『松田優作主演による一連のアクション作品の脚本で知られる丸山は、ニューシネマが好きで、最初に薄汚く屈折した青年と、はねっかえりな少女に設定を変えて脚本第一稿を提出したが黒澤につき返された。黒澤は本作を毒を持った人間が一人も出ない映画を基本に考えていた。』
(ウィキペディ「ラブ・ストーリーを君に」より)

日本の映画人は(なぜか)観衆が、悪い奴、いびつなもの、性的な様態、エキセントリックや残酷を見たいだろう──と考えている。ヤクザものとか好きだろう──と思い込んでいる。これは日本映画界が有する伝統的な見当違いで、この国の映画界には(なぜか)そういう人しか集まらない。

本作も「薄汚く屈折した青年と、はねっかえりな少女に設定」された、ごく普通のザ日本映画になるはずだった。が「毒を持った人間が一人も出ない映画」を基本に考えていたプロデューサーの意向によって、愚直なまでの寓話になった。のだった。

拍子抜けな説明とお感じになるかもしれないが、この映画が傑出してしまった理由は、偶さか、日本映画界がいつもはつくらない日本映画をつくったから──に尽きる。

つまり、日本映画界の映画人は、観衆をなっとくさせるためには、変化球や、場合によっては消える魔球が、ひつようだと考えて、映画をつくっている。

それが誤解かつ、迷走の元凶であって、そもそも変化球や消える魔球を投げられる技量なんてないんだから、直球を投げてこいよ、という話なわけ。

ようするに「ラブ・ストーリーを君に」は日本映画界が、ほとんど偶然投げた直球だった。

映画は気恥ずかしいほどの直球=純情一直線でつくられている。後藤久美子も仲村トオルも棒演技で外国人向け日本語教材みたいな会話をする。14歳の子が別れ際に「ご機嫌よう」なんて言う。授業中あてても寝ている生徒に「こいつは大物だ寝かしとこう」なんて言う。修身教科書のようなやりとり。古い日本人の気配。それらは見ていて気分が良かった。

14歳の中学生と20代の青年。現代社会(2022)の準則(コンプライアンス)にのっとるばあい、この関係は、まず絶対にまっとうな純愛話にならない。中坊と家庭教師/実習生なんて、きょうびエロにしか使えない。

したがって、この映画は旧弊な日本映画界にあって、今、なおさら新しくなってしまっている。14歳の中学生と20代の青年の疑似恋愛話を、セクシー女優(a.k.a:AV女優)を使わずに描いている──どころか、文部省(現:文科省)選定にさえしている、から。
いつごろからか解らないが、こんにちの社会では、成人した男は誰もがプレデター(性的な搾取者)と見なされるようになっている。(この映画のようなことは、)あり得ないと一蹴されるだろう。

そもそも上條(仲村トオル)が由美(後藤久美子)の母親に頼まれたのは、真似事でもいいから、由美と恋愛をしてやってくれ──である。なぜか。由美は白血病であと半年ほどしか生きられない。その僅かな間を病床でふせっているより、キラキラと充実した思い出をつくって旅立ってほしいから。すなわちクオリティオブライフのためだ。

映画はさいしょからクオリティオブライフについて医師役の露口茂から時間をかけて語られる。
『原作はフランスの小説家・脚本家のディディエ・ドゥコワン(フランス語版)の1969年の小説『眠れローランス Laurence 』』
(ウィキペディ「ラブ・ストーリーを君に」より)

余命いくばくもない少女の話だが、生者たちの葛藤を同比率で描き込み、むしろホスピスの映画といえる。そこには異国の人が見てもわかる普遍性があった。

畢竟もうすぐ死ぬで釣ろうとした──というより、たんじゅんに映画的題材である難病ものの映画化で、変な媚びは感じられない。北川景子のDear Friends(2007)もそうだが、この主題は強引に泣かそうとする演出がなければ、いい映画になる。

たとえば、おなじ「もうすぐ死ぬ」でも湯を沸かすほどの熱い愛は、かわいそうをひとりに集約せず、出演者全員に不遇の免罪符を背負わせ「泣け」と迫ってくる映画だった。じぶんはしつこいほど湯を沸かす~をけなしているが、あの貫一とお宮の臭すぎるかわいそうワンダーランドが高評価を得るのはどう考えてもおかしい。だいたいにおいて(以下割愛)。

後藤久美子のデビュー作でとうぜん寅さんで泉ちゃんやるより前だった。これ見てからお帰り寅さん(2019)見るとタイムトラベルできます。

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津次郎

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