雪の喪章

劇場公開日:

解説

水芦光子の原作を、「日本名勝負物語 講道館の鷲」の八往利雄が久々に脚色し、「眠狂四郎無頼剣」の三隅研次が監督した文芸もの。撮影は「女の賭場」の小林節雄が担当した。

1967年製作/92分/日本
原題または英題:The Shroud of Snow
配給:大映
劇場公開日:1967年1月14日

ストーリー

昭和五年、妙子は金沢一の老舗、金箔商狭山家に嫁いだ。先代を継いだ夫の国夫は優しく、姑りつも美しい妙子が殊のほか気に入りで、妙子の生活は正しく幸福そのもののように思えた。だがそうした幸福は、国夫と女中せいとの関係を知ったその日から、妙子から去ってしまった。狭山家の“働き手”ではあるが、妙子は、夫や姑の意に反してもせいを出そうと決心した。しかし既にせいが妊娠していたことを知ると絶望のあまり妙子は家出してしまった。雪山で失心していた彼女を救ったのは狭山家の番頭群太郎であった。彼は秘めていた妙子への慕情を訴えるのだったが、そこへ飛びこんできた国夫を見て、逃げ去った。やがて妙子も彦一を出産し、せいの子は京太と名づけられ、こうして彼らの一種奇態な生活が始まった。数年後の冬、折りからの強風で狭山家は全焼した。戦争激化の事情もあり、国夫夫婦は大坂の取引先東屋を頼って行った。ここで妙子は初めて貧しいながらも生甲斐のある生活をした。だが一枚の赤紙が夫を戦地へと奪ってしまった。東屋も閉鎖になり妙子が次に勤めた所は、意外にも群太郎が経営する軍需会社であった。二人の心は微妙に揺れたが、そこへ前ぶれもなく胸を病んだ国夫が帰ってきた。今は金沢の旅館くすもとの女将になっているせいから手紙がきて、病弱な夫をかかえた妙子は涙をのんで金沢に戻った。やがて終戦、ある晩妙子はまたも夫とせいとの不倫の現場を見てしまった。だがせいは過労で倒れ、自分の死後旅館は群太郎に譲るつもりだと国夫に打明け、妙子には一言も口を聞かず息を引きとった。一カ月後の雪の日に国夫もせいの後を追うように喀血して死んだ。さらに数年後狭山家の金箔業を引継いでいた群太郎も妙子への実らぬ愛を抱きながら、やはり大雪の降る日にこの世を去っていった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

4.0若尾文子がとりわけ綺麗に描かれた三隅監督作

2024年6月16日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

初見は2013年2月、11年ぶりに購入DVDで鑑賞。初見時は未ソフト化作品だった。

この映画、三隅研次監督が、実に綺麗に若尾文子を撮っているカラー映画。
戦前~戦中~戦後の時代を描いているのだが、ホント綺麗に撮っているので若尾文子は年齢不変に見える(笑)

物語は、栄枯盛衰の物語。
昭和5年の金沢を舞台に始まり、金箔・銀箔などを業としている店があり、その店の旦那に嫁いで来たのが若尾文子。
旦那は女中(中村玉緒)とも肉体関係を持っていて、母親も知っている異常な家。
その家は、若狭家というが、若狭家の浮き沈みとともに関係する人達に次々と襲いかかる試練を描いた三隅監督作品。

この店の番頭(天知茂)は女将さん=若尾文子に好意を抱いている。
ただ、戦争突入しそうなので、天知茂は大阪で軍需工場の社長となり稼いでいる。

この映画で印象的なのは、金沢の若狭家の火事を見て、若尾文子が「キレイ」と言う場面が美しい。(……というか、物語全般で若尾文子の美しさは煌びやかである。)
戦中、戦後も描かれるが、若尾文子がほとんど歳をとらない綺麗さ。

大雪が降る度に若狭家の人間は死ぬ…ということから付けられたと思われる『雪の喪章』という映画タイトルは、物語を顕著にあらわした良いタイトルだと思う。

<映倫No.14772>

コメントする (0件)
共感した! 0件)
たいちぃ