火垂るの墓(1988)のレビュー・感想・評価
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子供は見るべき映画
子供の時は毎年といっていいくらいやってたのに久々の地上波。そのせいか娘は一度も見たことはないとのことで一緒に鑑賞。
子供の時はただただ西宮の叔母さんが嫌な人としかうつっていなかったけど、大人になってみたら叔母さんも嫌らしいけど清太のボンボン気質があかんかったのではと。
お金はあるから何とかなる!と甘く思ってたのかな?と。結果、清太の考えの甘さで節子が亡くなってしまった節もあるなーと思いながら見てた。
まぁでも1番悪いのは戦争を始めた国!現代の税金地獄も悪いのは国とゆーことで、この国はあんまり変わってないのかな…と悲しくなった。
恥ずかしながら…
戦争が残すもの
二度と観ないと思っていたが…
20年ぶりくらいでの再鑑賞。
『はだしのゲン』と同じく、避けてきた作品でした。
8/15 TV放映をきっかけにサイコパス先生のYoutubeを観て再鑑賞。(当日は嫁の反対で未鑑賞…)
清太と節子が繰り返し追体験しているのは分かっていましたが、『煉獄に囚われている』=『罪人』との認識は再見でも感じられなかった。
あの時代に子供が生きる為にはしょうがないという意識の方が強く、やっぱり『環境=戦争が悪い』に単純に感じてしまう。
高畑監督が伝えたかった事とは、違うかもしれないが『戦争の悲惨さ』を伝える物語として受け取っても良いのではと思いました。
どうすればせつこを守れたか、わからない
放送されたら観なくてはと義務的に思う自分がいる。
映画も観てTV放送を何度も観てその度にしんどくなる。
何がしんどいのか?
14才の兄清太と4才の妹節子が生きていくのが、
どんなに大変かとまざまざと訴えてくるからか。
食事もだがせめて屋根のある家にとどまって欲しかった。
あの湿気のある洞窟だと
小さな子はどんな病気に罹るかわからない。
清太には考えつかないことだ。
農家のおじさんの言う通りにあの家に戻れば良かったか。
しかし、疫病神とまで言われた。
あの家で居ようとすれば
おばさんに気に入られるような言動に徹さねばならない。
できるか❓
精神的に病んでいかないか❓
自分だと到底無理だと思う。
節子を守る為に泥水飲むように頑張れなかったか?
節子でさえ嫌がっていた。
節子も病みそうに思ってしまう。
家にだけ住めるよう頑張って欲しかったが。
やはり栄養不足となるだろう。
清太の妹思いには感服する。
だいぶと優しい兄ちゃんだ。
あの年頃で母の代わりにも父の代わりにもなろうとする。
節子の年頃ならグズって世話の難しい時もあるだろうに
あるがままに受け止め接している。
一人ならもっと生活しやすかっただろうか?
いや、節子亡き後二人で暮らした洞窟を去る清太の姿を
見ると節子のいない生活が無意味なのだ。
節子が居てくれたから良かったのだ、とわかる。
泥のおはぎを作って、どうぞと言うお行儀の良い節子。
兄を信頼しきって甘えて来ていた可愛い節子。
母の姿に驚き妹に嘘をつく。
いくら戦時中とはいえ今朝笑顔で別れた母と
あのように対面するのは大人でもキツすぎる。
母の遺骨を隠す清太。
必死に隠して来たのに、
節子はおばさんから聞かされていたのがわかり
涙ぐむ清太。
そして冒頭駅のコンコースで亡くなっていく清太。
周りには清太のような子が何人もいる。
清太と節子の霊を表す赤い映像、
二人再会しサクマ式ドロップスの缶を節子に渡す。
節子の骨は僅かしかなかったんだな。
💦昨日勘違いして地上波見逃しNetflix で見つけ再鑑賞できた。
幼き妹節子とともに懸命に生きた記録
実は初見。なんも言えねぇ。
今年は地上波テレビでも7年ぶりに放送されたそうですが、テレビ放送では無くVODでの視聴。とはいっても、VODも、Netflixでのみ配信と、見る方法は何故か限られていますね。
タイトルの通りなんですよね。実は、見る前に色々と知識を入れてしまっていたので、各シーンの意味合いであるとかを知ったうえで見てしまったのですが、事前知識がない状態で見たと仮定した場合、理解できないシーンや、違う理解をしてしまうところはあるかもな。だから、この作品、色々言われるのかもしれないし、中々テレビ放送もされないのかも。
たぶん、登場人物に悪い人はいないんですよね。でも、悲しい結末になってしまう。もう、言葉がありません。
語り継ぐべき名作
20年ぶりだろうか、久しぶりの鑑賞だ。
数あるジブリ作品の中でも間違いなく最高峰の作品だと思う。
作画、演出、脚本、設定考証、全てが高品質だからこそ、時代を超えても胸に刺さる物がある。
前回見た時と異なり、自身の環境の変化や歴史への理解なども伴い、様々な側面から見る事が出来た。
そして言えることは、登場人物の誰1人悪くないという事。清太も節子も、彼らを結果的に追い詰めてしまったあの叔母すらも。
誰も悪くない。
方法や立場は違えど、みな懸命にあの時代を生きようとしていた。
それだけの事。
悪いのはあまりにも過酷すぎる状況であって、彼等ではない。あんな時代を再び起こしては絶対にいけない。
この記憶を風化させない為にも、語り継ぐべき作品だと思う。
ちいさいけど、日本を代表すべき作品。
大きなアラソイゴトによって
小さな人々が迷惑し混乱し無惨な状況になる。
はじめて8月15日に見ました。
子供がリビングルームでゲームに夢中になっていたので、良いタイミングだと思い隣りで本作を見ていました。
よって、子供もながら見をすることができたと思います。
ながら見だろうが、ちら見だろうが、なんだろうが、とにかく最初から最後まで見せることができて良かったです。
それに、後半は、映画に対して子供ながらのつっこみをちょこちょこ入れていましたから、それで充分です。
視聴中、戦争に関してのちょっとしたギロンにもなりました。
なぜ日本がアメリカと戦争をしたのか。
なぜとめることができなかったのか。
なぜ戦争は終わったのか。
なぜ原爆を落としたのか。などなど。
とにかく、日本にとって、子供にとって、
大切で必要なアニメ映画の一つだと思います。
厳しい、これが戦争なのか。
もう2度と観たくないかな
野坂昭如先生の悲しい想い(泣)
訂正と追加
・アル中ではなかったかも。特に生き急いでもいない。
私生活は奥さんと子供や孫を大切にした。娘や奥さんは宝塚歌劇団?
奥さんは野坂先生を何年もの間介護し面倒を見た。
寿命をしっかり全うされていた。
・野坂氏が自らこの話を「心中もの」と言っている
・野坂氏がこの話のように死なせてしまった義妹(1歳ぐらい)の件、事詳細語ってて(ネットで出てくる)涙なしでは読めない。
空腹のために泣き止まない義妹の頭を叩いて静かにさせていた、そのことに対する尽きない懺悔の念。
・野坂氏の小説はエログロ、平和の時代に生まれてきてよかったと思わせてくれる。
野坂昭如先生の弔いの小説だよね、
(以下は私の勝手な憶測です、野坂先生には迷惑だと思います。)
幼い妹を衰弱死させて自分はのうのうと生きのびたという罪
それにさいなまれた戦後だった。アル中でしたもんね。
(野坂先生自身は頭もよく体格もすぐれ顔もかっこいいのに、、アル中)
たぶん映画の真逆、自分の食欲のため妹に十分なもの与えず、一人で食べたのだろう。
野坂先生は自分自身もう少し品性立派だったら妹も生かせてやることができたのではないか(泣)、こういう悔いに苛まれてきたのではないか(泣)。(誰でも無理だと思うよ!)
この思いから清太がでてきたのではないか。
小説の中の清太と節子はカップルの様だ。
野坂先生の罪の意識、それほど心に食い込んでいたのでしょう。
節子がほとんど聖母マリアのように神々しい。
高畑勲監督の映画の中でも、変わらず清太と節子が恋人同士のように仲睦まじい。
清太のここに関して監督はノーコメントだ、清太の性格のこの点について監督はどう考えていたのだろう。
とにかく節子が可憐だ、可憐であればあるほど切なく、戦争が残酷…
清太がいないとき節子一人でケンケンパー遊びしてるところ、本当にこの小さき生命、もっと生きててほしかった。
大人の庇護者がいない子供は戦争を乗り越えられない。無数の無名の悲惨な現実が当時たくさんあったのだろう。ほんとに怖い‥
終戦当時の年齢
作家三島由紀夫20才
手塚治虫17才
作家加賀乙彦(帰らざる夏)16才
清太14才
高畑勲監督10才(私の義母も)
節子4才
年齢によって戦争の影響が全く変わってくる世代。
特に女性、語られなかった悲惨な実態がたくさんありそう、想像するだけで怖くなる
戦争のこと語りたくないというのは清太のおばさんのようなことをして生きてきた、
という面も当然あるでしょう、優しい人ほど苦しむでしょう、
戦争が何回も繰り返されてきたのは
戦争いじめが語りたくない、さらに共感を得るのが難しい部類のものであるから。
苦しい過去は語りたくないというのは本音だと思う。一切記憶から拭い去りたいだろう。
客観的に語れるのはなかなか難しいだろう、
とすると、
今後はそういった過去に耳を貸さない
ポジティブバカが戦争を引き込んでくる可能性なきにしもあらずなので
この映画は毎年金ローでやって欲しい。
忘れられた子供たち
実は初見です。戦争中に孤児の兄妹が餓死した話と知っていたので、なかなか観る気になれなかったのと、タイミングが悪かったりで、毎年のようにテレビ放送していたこの作品を観るのが今になってしまいました。
すごく泣く映画と想像していましたが、それよりも苦しくなる映画でした。
おばさんの言葉は冷たく聞こえるけれど、酷い人とまでは思えなかったです。
男の子がちょっと野菜を盗む位を許さない農家の人達も、余裕が無かったんだなあと思いました。
謝ってあの家に戻った方がいいよと諭されたのにそれが出来なかった兄。彼の選択は間違っていて、どんどん窮地に追い込まれますが、親身になって心配してあげる大人が居なかったこと、それが不幸だったと思います。
戦争が引き起こした悲劇ですが、現代でもどこかにこういう子供たちがいるかもしれないと思えて、昔の話とは言い切れない気持ちになりました。
反戦というより、「孤立は良くない」の印象が強かった
子どもの頃に観て、
母親が空襲で火傷を負い、
包帯をぐるぐる巻きにされた挙句亡くなったり、
死体が山のように積まれてたり、
節子もどんどん弱って死んでしまったり、
最後は清太が妹の死体を焼くシーンで終わったり…
と幼かった自分はしっかり物語を追えてない状態で
次々とショッキングな映像が展開された感じがあり、
怖い映画、
二度と観たくない映画、
という印象がついてしまっていました。
今回のテレビ放送は息子が観たいと言い出したので
30年以上ぶりに一緒に鑑賞。
辛い話が展開されるんだろうな~と
ちょっと身構えながら観ましたが、
今回、しっかり最初から最後まで観てみて
けっこう拍子抜けしたところもあり、
子どもの頃って
ロクに映画観てないもんなんだな~と思いました。
(神戸~西宮あたりが舞台ということすら
認識としてなかった)
清太と節子に悲惨なことが
どんどん降りかかって
追い詰められる印象だったのですが、
プライドが邪魔をしたのか、
清太が頑なに頭を下げたり
ヘルプを出せなかったから、
悲惨な結末になってしまったんじゃないか…?
と思ってしまいました。
(父親が軍人でそこそこ高い階級っぽかったし、
家もちょっと裕福そうな感じだったので、
そのあたりも影響してるのかな~と思ったり…)
西宮のおばさんは「あんな言い方しなくても!」
とよく槍玉にあげられがちですが、
食うや食わずの時代に
身寄りのない子ども2人を家にあげて
世話してあげてる時点で
「なんとかしてあげたい」という
気持ちはある人なんだろうな~と感じました。
節子に勝手に母の死を伝えやがって!
みたいにも言われたりしますが、
遅かれ早かれ知ることです。
むしろ清太が節子に
母のことについてごまかすシーンを観て
ウソつくのもどうなん?
黙っててもいつかバレるで。
と思ってました…
戦争で家がなくなる、
母が空襲で亡くなる、
父は軍人としてどこで何してるか分からない、
ロクに食べるものがない、
という状態で
ヤケになる気持ちも分からなくはないですが、
火事場泥棒のようなことをしてまで
節子を守ろうという気持ちがあるなら
もうちょっと他の守り方があったんじゃないか…?
とちょっとモヤモヤ…
不安・恐怖や貧しさは心の余裕をなくさせ、
視野を狭め、浅はかな行動をとらせるのかもしれない。
いつの時代でも孤立するって良くないな。
たいへんな時ほど「いかに人と協力できるか」なのかも。
衣食住が満たされてて、
人間らしい生活ができてることって幸せなことだな、
というのが
今回、改めて観て抱いた感想でした。
彼らの亡霊が問い掛ける
"金曜ロードショー" で5回目の鑑賞。
原作は読了済み。
本作は観る度に心が苦しくなる。今回も観ている間中、ずっと胸が締めつけられ続けた。以前は人でなしと感じていた清太と節子の親戚のおばさんの気持ちも分かるようになってしまった自分に嫌悪感を抱き、さらに苦しくなった。年齢を経ると見方が変わるのが本作が名作たる所以のひとつかもしれない。
ラストシーンは、意味を理解出来るようになって初めて心にズシンとのしかかる衝撃的なものだ。亡霊の清太と目が合い、現在の神戸を見つめる姿にハッとする。あの頃と今が地続きであることを忘れていないかと、責められているようで…
[余談]
先日、Eテレで放送されていたETV特集「火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート」を観た。番組で触れられていた内容を踏まえての鑑賞となったため、とても有意義な時間だった。
冒頭の神戸大空襲のシーンには高畑勲監督の実体験が反映されているそうだし、原作を徹底的に分析した上で構想が練られているとのこと。より作品を味わえたと云う気がしている。
いちばん驚いたのは、高畑監督が本作を「反戦映画」の意識でつくっていなかったと云う点。監督としては、戦時下の厳しい環境で生きようとしたふたりの悲劇を描いただけである。
世に反戦を謳う作品は数あれど、いっこうに戦争が無くならないのは何故か。それは戦争状態について考えてばかりで、戦争に至るまでの道を見つめていないからではないか、と…
答えが出せない
金曜ロードショーにて鑑賞
七年ぶりの放送だそう。
二度と観たくない傑作映画 名作映画
だから本当に久しぶりに観た。
自分がもしも清太だったら?
自分がもしもおばさんだったら?
何が正解なのか、考えながら観ていた。
しかし、答えが出せない。
ただ一つ、農家のおじさん達、交番のおまわりさん、医者
おばさんより、この四人が戦犯な気がした。
何か別の方法で手を差し伸べていたら、
二人はもう少し生きられた気がする。
悲しみよりモヤモヤが止まらない。
でもきっと私もそうなんだよ。
子どもの泣き声がして、親が怒鳴る声がして、
育児ってイライラするもんだよね、怒鳴りたくなる気持ち分かる分かる。
って横を通り過ぎる。
もしかしたら、その子の泣き声、
最期のヘルプだったかもしれない。
戦後80年、7年ぶり地上波か。 スパンだけで見ると初見の人も多いか...
戦争は二の次のアニメだったとは
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