火垂るの墓(1988)のレビュー・感想・評価
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今日この日、観るべき映画を見る。
4歳と14歳で精一杯生きた。はたしてそうだったのか。兄と妹、親を亡くし誰にも頼れず、そして死んでゆく。
もし現代の子供がこの時代にタイムスリップしたら、どう生きるかを再現していると、監督自身が語っている様に、人と人との関わりが、人間の生きる術だと感じさせられる。それが出来なかった清太。
戦争孤児を描くと同時に、人間の生き方も描いている。来年のこの日にまたもう一度見よう。
人間として絶対に目をそらしてはならない。
絶対に見なければいけない映画です。
たとえトラウマになろうが 悪夢を見ようが 絶対に知らなくてはいけない。
小学生の時に 学校の授業中に見て
恐ろしい場面(母の死など)も目に焼き付いてしまいましたが
この作品に出会えて本当に良かったと思います。
戦争を知らない私達。
戦争を知る世代のお年寄りたちは 辛さ悲しさのあまり口を閉ざしたまま
この世から去って行ってしまう
けれど その歴史の記憶は絶対に 伝えていかなければ
何も知らずに さらに恐ろしい核兵器を使おうとする人達が
どんどん増えて行ってしまうのです。
目をそむけず この作品を多くの人に伝えていきましょう。子供達の世代にも。
原作の小説も子どもの時に読みましたが、
あの薄っぺらい短い本、しかも文章はただ事実を書き連ねた記録文で
あの文から 書いた人の感情とかは全く感じとれず 全く感動できませんでした。
あの本を、ここまでリアルに しかも情感豊かに
必死で生きる人々の息遣いが伝わってくる 生々しいアニメーション映画を
創りあげた 高畑勲さんはじめスタジオジブリは 天才としか言いようがない。
あの時代を生きる子供達の 日々のささやかな幸せを描くエピソード(ドロップ等)や
貧しさゆえに優しさを失っていく人間の醜さ(親戚のみそ汁や 母の着物など)
当時の暮らしを具体的にリアルに伝えてくれる 数々のエピソード
あれはすべて 原作には無く 高畑勲さんのオリジナルなんです。
本当に 天才によるすばらしい映画です。
何度見ても毎回 同じ場面で涙があふれてきます。
もうセリフもおぼえているのに。
この映画のすばらしい点は、 ありのままを正直に描いていること。
主人公を、善なる正義として描いていない。
親戚の家を出て 自分の力で暮らそうとして、結果 妹を死なせてしまう。
妹の笑顔を守りたかった気持ちはわかるが、 賢いやり方だったとは言えない。
生き抜くためには、火事場泥棒もする。悪行も盗みもする。
大人達に頼らず 共同体から抜けたことで 悪い結果になった点は
高畑監督自身も指摘している。
周囲の人々も 親戚も医者もみな冷たく 死人はゴミのように捨てられる。
人々の心が荒廃し醜くなる姿を、日本人自らが冷淡に 公平に正確に描いている。
ハリウッド映画なら ヒーロー映画として描かれる。
韓国人は「自分達の悲劇ばかり前面に押し出し、お涙頂戴の被害者ヅラ。韓国人に何をしたか描け!」と強く非難する。
この映画は、無垢な罪のない子どもが戦争に翻弄される悲劇… という見方をされがちだが、
実はもっと深く正直に、
すべての人々が心を失っていく姿をさらけ出し、
清太の姿に 共同体からはずれて自滅していく当時の日本国家の姿を示唆し、
無垢なはずの子どもさえ 大量の蛍をつかまえて 自らの楽しみのために死なせてしまう姿を描き、
戦争による荒廃を暴いている。 これこそがこの映画の深い価値につながっていると思う。
何度でも、繰り返し見るだろう。せめて一生に一度でもいい、見るべきだ。
戦争を知る世代がいなくなり、親も誰も戦争を知らない時代になっていく。
戦争の恐ろしさを伝えられる貴重な作品を、
「残酷で トラウマになるから見ない」「子供に見せたくない」なんて
弱い甘っちょろいことを言っていてはいけないと思う。
戦争は決してしてはいけないと心に刻まなければ、
戦争を推進する政治家の言葉を単純に支持してしまい、またいずれ戦争がどこかで起きてしまうのだ。今だって、すぐそばの国で いつ爆弾が飛んでくるか、いつ戦争が始まるか。
大人はきちんと子ども達の心を思いやりながら、正しい知識を伝えていく使命がある。
子ども達の未来を守るために。
毎回見る
毎年8月になると、テレビ放映があるような気がする。しかし、放映されると必ずチャンネルを合わせてしまうほど魅力があるのだ。毎回、サクマドロップを見ると、それだけで涙がこぼれてしまう。
救いようがないほどの不幸。唯一救われたのは、畑泥棒したことを咎められるが駐在さんによって仲裁されたこと。初めて見たときには、不幸だけのストーリーに違和感も沸いたが、戦争が全ての原因であることをここまで訴えているアニメだと考えると、珠玉の反戦映画であることを改めて感ずる。
反戦や悲劇がテーマじゃない!と監督が言った理由
小さい頃に一度見て、それからずっと見ないでいた作品。
アニメや映画雑誌などインタビューで監督が【これは反戦や悲劇がテーマじゃないんですよ】と言っていた事は知っていた。
だけど、その意味が分からないまま大人になっていました。
セイタ兄弟は戦争の被害者のように写されますが
空襲で焼ける街や人を見て ホタルみたいだと言います。出だしから他人事なのです。
そしてセイタ達は自分達の為にホタルを大量に捕まえ、死なせてしまいます
ホタルを手当たり次第捕まえて蚊帳に閉じ込めて死なせてしまったのは自分達のはずなのに、かわいそうだと泣くのです。
【自分たちの都合や利益の為に大量の命を奪う行為】に対して何も感じていない。
この構図は明らかに戦争とシンクロしています。
ここがこの映画の最大のキモだと思います。
人間は目の前の事にだけ共感し、
共感した相手がひどい目に合えば敵に対して憎しみを持ち、自分にとっての正義であればどんな酷い事をしても全て肯定してしまう。戦争がまさにそれです。
物語を見る我々にとっての正義はセイタ兄弟に見えます。
自分勝手なワガママも、盗みも、妹を死においやったことも、ホタルを弄んでも【正義がやること】なので、見ている人は特に気にもとめません。
セイタを正義として見ている人はだいたいこう言います。『子供なんだし仕方ない、戦争なんだし仕方ない』
しかしセイタより年下の子供でも礼儀正しく、頑張って働いてるシーンは何度も出てきます。
この映画はセイタに正義を置いていないのです。
しかし、セイタ側に感情移入してしまっている人はオバサンや助けなかった大人達に対して酷い人達だと反感を抱きます。
危険な街に出て必死に働く娘を優遇するオバサンは悪でしょうか?
食料が底をついているのに働きもせず、お礼も言わず、遊んでばかりの人のご飯を少なくするのは悪ですか?
空襲で人も死んでいるのに『もっとやれー』と大笑いしながら泥棒する人が正義でしょうか?
妹が死んだ途端にスイカを食べ尽くすセイタは正義ですか?
この物語は悪でも正義でもないのです。
自分にとって共感する相手を贔負の目で見てしまう人間の性。
皆がその人間の性質に気づくまでは戦争が無くなることは無い。と監督は描いているように感じます。
だからこそ この映画は反戦がテーマでは無いとことあるごとに言っていたのではないだろうか。
1歩引いて現実を見ることが出来る人間と
目の前のことしか見れない人間とで見え方が違う物語を意図的に作り、感想の食い違いを起こさせる事で
争いの本質は何なのかを気づかせようとしたのではないでしょうか。
最後の最後に幽霊のセイタが観客に問いかけるようにジッと目を合わせ 現代のビルの夜景で映画は終わりますが
我々現代人は何かにつけて誰かに悪のレッテルを張り付けバッシングを浴びせあっています。
物事の見方を変えれば、自分のモノサシの短さに気づけば、そのような下らない争いは無くなるはずなのに。
余談ですが
セイタのモデルでもある原作者は自身の本の中で
妹が次第に疎ましく感じて妹が死んだ時にほっとしてしまったと語っています。それが本心だったと・・
アニメ化が決まった時に原作者は
『絶対に僕を(セイタ)善人のようには描かないで下さい』と念を押したと言います。
その一言が ただの戦争反対の映画ではなく
戦争を起こさせない 気づく力を養う為の映画にしたのだと思います。
戦争の悲惨さ
終戦直前の神戸が舞台。
当時の子供がどんな様子だったのかがよくわかる。
実写以上の描写で、戦争の悲惨さを描いた作品。
こんなの見たら、もう二度と戦争なんてごめんだと思うわな…
同時上映だった『となりのトトロ』の後に上映されて、観客はショックで立ちあがるコトが出来ない人もいたとか…
そりゃそーだ…
俺も、もうとうぶんは見たいとは思わないなぁ~
ドロップアウト
呪いの光は美しく、衰弱していく節子の痛ましさをこれでもかと安全圏にいる我々に観せつける描写により、鑑賞後頭痛が酷くなった。
母になれず、父になれず、獣にさえなれぬ清太は、全体主義から抜け出せても、この煉獄からは抜け出せない。
供養する者が居ない人間のありのまま。
本作での光は、明確に死の直前の輝きとして扱われている。
ならば、ラストカットの光は。
よく自業自得だと言う人がいるが
戦時中という過酷な状況の中で、必死に生きる道を探し、苦しみ、踠いていく中学生に対して自業自得だと片付けるのはあまりにも非情ではないか。幼い女の子の未来を戦争によって奪われてしまった、救いのない悲劇映画として観れないのか。
たかが14歳、されど14歳。命への責務。
贖罪すべきこともあったかもしれないが、それでも少年は逃げなかった。
今なら中学2か3年生。家族なんて放って、自分のことに集中して、学業・趣味・友情・将来に思いを馳せ、没頭し、悩み、もしくは謳歌する年代。
反面、国民学校初等科を11歳で卒業してすぐに働いていた子も多かった時代。16歳の特攻隊員・ひめゆり部隊員もいた。今よりは、”子ども”ではなく、自分のことは自分でと”半人前~一人前”の力が要求された時代。
将校の家族として比較的良い環境で暮らしていた家族。
そんな家族にも、その日暮らしの人にも、区別なく降り注ぐ焼夷弾。
戦争孤児となり、親戚の家を頼る二人。
確かに叔母はきついのかもしれない。将校家族の利益にあずかろうという姑息な気持ちもあったかもしれないが、それなりに面倒は見てくれていた。
終戦間際。食料等は配給制になる。頼ってきた孤児の分も出るの? 出たとしても、日に日に少なくなる。そんな中で家族に食べさせなきゃいけない主婦。日々のやりくりだけで頭痛いだろう。
それなのに、勤労奉仕もせずに好き勝手している清太。皆が滅私奉公を強いられ、拒否すれば特高に目をつけられた時代。隣組等で相互扶助/相互監視されていた時代。叔母としたらご近所の手前肩身が狭かったのではなかろうか。
もっと悲劇的な扱いを受けた人もいるという話もたくさんある。皆逼迫していた。
叔母だって余裕がなかっただろう。
反対に、大金を持っていること、将校の息子であることで、清太に驕りはなかったか?
終戦。
今までの価値観がすべてひっくり返った時代。大人も子供も、皆混乱して、生きていくのが精一杯だった時代。
買い出し。闇市。絢爛豪華な花嫁衣装が米一合もしくは数本のサツマイモに化けた話を聞く。そんな中で、現在でも野菜高騰時にキャベツ等が畑から盗まれたニュースが記憶に新しいが、この頃だって闇市で売るための泥棒も多かった。盗みの実行者は戦争孤児たちが多かった。清太一人なら見逃してもくれるだろうが、おじさんには闇市のための盗みかはわかるまい。
頭を下げて分けてもらったら、節子を脇に置きながら手伝ったら、違う展開になったかもしれない。
後から、清太がこうすれば~、というのはたやすい。
でも、戦争がなければ、彼は両親と学校教育の庇護のもとで、必要な対人関係も学べたはずだ。
否、どうなんだろう。清太が親や学校から受けてきた教育は、”人の上に立つ者”としてのプライドではなかったか。こんな混乱・境遇に身を置くことは想定していなかった。
子供が生きるために必要な力って何?学歴?勉強?特技?お金を稼ぐ力?
”社会性”という言葉一つとっても難しい。清太だって、以前の生活の中での”社会性”は身に着けていたのだから。
自分の力だけでやれると思う独善。
周りの状況を見ない・聞かない傲慢。
何より自分の力量を客観視する力。何ができて、何ができないか。どういう力を借りなければいけないのか。借りっぱなしにならないためにはどうすればいいのか。
これは、日本の終戦前後の話だが、世界にはこんな子どもたちはたくさんいる。災害にも置き換えられる話。
日常生活にも通じる。自分の首を絞めるようなチョイスが多い人っている(私か)。
「サポートを受けなさい」というのはたやすい。でも、サポートのネットワークから漏れる人って、サポートが提供するものと、自分のこうありたいのギャップが埋まらない人。”自分のこうありたい”を変えることって、結構難しい。
そして、
この原作は、野坂昭如氏の、妹さんへの贖罪・レクイエムと聞く。
誰かの命・人生を背負うことに重荷を感じるなんて、大人でもあり得ること。
「疎ましく思う」「投げ出したかった」なんて、誰でも一瞬頭をよぎる。
それでも目の前の存在を放り出すことができなくて、やるべきことをやるの繰り返し。
「もっとこうしてやりたいのにできない」と自分で自分を責めている人にとったら、映画鑑賞者の私達には愛おしい節子の表情・仕草・行動も、できない自分を責めているようで、嫌悪の対象となるだろう。
でも、捨てて逃げることもせず、頼る人もいないのに、野坂氏も清太も頑張った。
今の世、ネグレクトや遺棄する大人だっているのに。(せめて福祉に相談するか赤ちゃんポストにしてくれ)
不幸にして、時代があんなだったから、節子(野坂さんの妹さん)は亡くなってしまったけれど、貴方のせいじゃない。それだけははっきり言える。
単なる戦争犠牲者の悲話ではない。
人の助けを必要とする小さきものを守るために自分がどう動くのかとか、社会との接点・人との関わり方とか、アイデンティティとか、心の底の深い気持ちを揺さぶられる。
”孤独死”という言葉も頭がよぎり、身につまされる。
だから、映画としては、どこをとっても一級品だけれども、鑑賞するのがしんどい。
これは反戦映画ではない。どちらかと言えばウシジマ君に近い。
この火垂るの墓。大人になって随分と見方が変わった映画の1つ。
昔は反戦映画だと思っていたけれど、いまは痛烈な現代社会風刺映画にしか見えない。
というのも清太は、現代で言えば、女を不幸にする男の典型・・・というか単なる甲斐性なしの男の人生を描いているとしか見えない。まあそういうダメ男に対して女の方もそれで満足してるなら、それはそれで幸せなのかも知れないが。その結果として待っているのは破滅である。
戦争があろうとなかろうと、こういう男は今の時代にも結構たくさんいる。
現代であれば、そんな甲斐性なし男でも、離婚したり、親の脛をかじって生きて行くことができるが・・・。
分かりやすく言えば、この清太君、ウシジマ君に出てきそうな感じなんだよね。僕的に言えばだけど。
自分はそれが悪いとは思わない。人生ってそういうもんだよな、と思うだけであり、明日はわが身である。
ここまで救いがなく描くことができたからこそ、
火垂るの墓は何故かわからないが忘れることのできない映画なのだと思う。
高畑勲さんご冥福をお祈りします。
戦争孤児
僅か2ヶ月の出来事だったのかと何度も鑑賞しようやく気付いた。
14歳の清太は海軍の父と病弱の母、10歳離れた4歳の妹セツコと何不自由無く贅沢な暮らしをしていた。
空襲に遭い家は焼け、母は死んだ。
残された清太とセツコは西宮の親戚に身を寄せる。
小母さんの棘ある一言一言は清太のプライドをへし折るように刺さる。
戦時中に働かずケラケラ笑い妹と遊び呆ける清太に小母は更なる仕打ちを…
自炊する2人に冷やかな視線の小母。
強情な清太と夜泣きするセツコに向かい小母の一撃。
お国のために働いてる娘達が眠れない何とかしろ!とまくしたてられ清太はセツコと池の淵の洞穴で暮らす。
健気な兄妹の暮らしにもやがて陰りが来る。
セツコは栄養失調で衰弱死した。
清太はセツコを1人で火葬した。
その小さな白い骨をドロップ缶に入れて持ち歩き、清太もまた戦争孤児の衰弱死としてかたずけられた。
意地悪な小母さんと可哀想な兄妹の話だと初めの数回は涙を流し鑑賞していたが、私自身母となり鑑賞した時、清太の可愛げのない性格に腹が立った。セツコは死なずに済んだのに清太の強情さによって死んでしまったのではないのか?と思うようになった。清太の自己満足の犠牲となったセツコの屈託のない笑い声が更に切ない。
戦争と言う暗い題材だが自然の美しさと蛍の光が美しい映画。
基本的には、 よくできた映画です
迫力ある爆撃シーンと、 戦時中のつらい生活が中心のはなしです。 といっても、 主人公は勝手に厳しい環境で生活することを選択しているため、 そもそも親戚の家にすみ続けていれば、 妹の節子が死ぬこともなかったのですが。
基本的には、 よくできた映画です。 しかし、 テンポの悪さが有り、 どうしても退屈だと感じるシーンが有りました。 また、 主人公の亡霊が過去を振り返るような演出がありますが、 非常に分かりづらく、 亡霊と本人の区別もつきづらいです。 そういった演出上の不備もマイナス要素でした。
戦争の悲劇・・
故アニメ作家の高畑勲氏の自らの空襲体験を元に描いた作品。スタジオジブリの最初の作で、野坂昭如氏の原作。戦争下で生きていくのは苦しい。必死さがリアルに伝わって来る。日本はかつての敗戦国だが、その悲惨さは教科書では分からない・・
戦争が生んだ悲劇
高畑勲監督の訃報がニュースになったのをきっかけに、ちゃんと見てみようと思いレンタル。
清太の判断が、生きるために正しい決断だとはちょっと言えない。きっと他の選択肢には、生き延びれるものがあっただろう。
でも、14歳で、母が死に、戦争という地獄の中で、自分に正しい判断ができるのかとも思う。少なくとも清太には、妹を守らねばという使命感があって、不安な思いをさせたくない気持ちでいっぱいだったんだろう。それを思うと、批判はできないし、やっぱり憎むべきは戦争であって。
戦争を体験してないからわからないけど、平気で隣の人が死んでいくような世の中に、今の常識なんて通用しないよなあ。虚し悲しい。
納得いかない
部分的に切り取ってみれば戦争の悲惨さを伝える映画。しかし全体的に慢心的な兄貴が目立つ。当時の日本軍に重ねて、それを批判しているんだろうかとか考えたが、それにしても胸くそ悪くなるくらい甘いやつ。監督は何を伝えたかったんだ…
10日追記
「反戦映画ではない」と監督が言ったという話を知った。単純に二人の生き様を描いた作品なのか。だとしたら、あんまり共感できなかった
戦争をテーマにした作品。 私自身、戦時中の話をご老人の方から聞く機...
戦争をテーマにした作品。
私自身、戦時中の話をご老人の方から聞く機会があり、話を聞いた時に浮かんでくるイメージが本作のシーンと被ることがあります。
なぜ本来の面白さを伝えないんだろう
どうしても「かわいそうな兄弟の話」として観られてしまいますし、自分もそう思ってたました。
しかし本質は、プライドの高さ故に妹を殺してしまい、自分も死んでしまった哀れな少年の話なんです。
作品の作り方をそのようにすれば良かったんですが、興行上良くないんでしょうか。
戦争の悲惨さ、平和の大切さを子供にもわかりやすく伝えている映画。 ...
戦争の悲惨さ、平和の大切さを子供にもわかりやすく伝えている映画。
子供のころにみたときは、親戚のおばさんがいじわるで嫌いと思ったけど、
どう見てもお兄ちゃんがよくない。
お兄ちゃんのわがままで親戚のおばちゃんの家を飛び出し、幼い妹の命を奪ってしまう。。
節子が栄養失調で弱っていくシーンはかわいそうで涙なしには見れません。
最後はお兄ちゃんも節子も死んでしまうバッドエンド。
考えさせられます。
全53件中、21~40件目を表示