ヒルコ 妖怪ハンターのレビュー・感想・評価
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真夏の白昼夢のようなジュブナイルホラーの怪作
昭和40~50年代のオカルト少年にソッと寄り添った漫画家:諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズが原作です。
妖怪ハンターという字面からTVアニメ版の「ゲゲゲの鬼太郎」や「地獄先生 ぬ~べ~」の様な特殊能力を持った主人公が人に危害を加える怪異を解決するようなものを想像してしまいそうですが、そうではありません。
このシリーズの主人公:稗田礼二郎(ひえだれいじろう)は学会から異端者扱いされる考古学者であり、神話や伝承に由来する異様な事例や奇怪な題材にばかり興味を示しては、フィールドワークで訪れた先々で怪異に巻き込まれます。
ところが神話や伝承に関する知識はあっても霊能力や超能力の類は持っておりませんので、基本的に目の前で起こる怪異を傍観するのみです。
なので『ハンター』といっても(狩り)というより奇怪な事例を(採取)、(コレクション)していくというニュアンスに近いです。
私は諸星大二郎作品が好きなのですが力不足ゆえにその作品の魅力を上手く表現できません。
ただ諸星大二郎ほど奇怪な物語を通して神話の時代へと続く人類の悠久の歴史に思いを馳せさせるスケールの作品を描ける人を他に知りません。
手塚治虫も「火の鳥」のように壮大なスケールの名作を残しましたが、それとはまた違った手触りをしているのが特徴です。(その違いを上手く表現できないのがもどかしいのです。)
すっかり映画の話を他所にしてしまいましたが、今作はそんな諸星大二郎の妖怪ハンターから「黒い探究者」を原作としています。ただ本作の持つ雰囲気は原作の持つ雰囲気とは似ても似つきません。
原作漫画がどちらかというと思春期が間近に迫った少年が独りで「自分は他の連中とは違うんだ」と読み耽りそうなのに対し、映画は社交的な子が友達数人と連れだって観に行き、頭からっぽにしてワーキャーはしゃぎながら鑑賞するような仕上がりです。(実際そんな客がこの映画を観に来たのかは知りませんが)
とにかく初っ端の「何?あのオッサン」呼ばわりされる主人公(沢田研二)の姿から原作の再現は期待するな!と宣告している映画ですので、こちらも割り切って鑑賞したわけですが、それにしても沢田研二をはじめとした出演者たちが渾身の顔芸を披露しながら、終始ワーワーギャーギャーと騒ぐ様に、個人的には少々胸焼けがしました。
そんな雰囲気のなかでも、自分の運命を悟り一人自決する室田日出男は格好いい気がするのですが、持っている鎌で校舎に傷を付けた事に何の意味があるのかは最後まで分かりません!
またヒロインを演じた女の子は年頃なのに、その青春の全てを投げ捨てているかのような渾身の演技を見せてくれます!が、その迫力には感動を通り越して、少しヒきます。
「仮面ライダーBLACK RX」などの東映特撮ドラマシリーズでよく顔を見る人ですので、こういう役はお手の物なのかもしれませんが、こんな映画のこんな役でここまでの力演を披露して、プライベートは大丈夫なのかしら?と心配してしまう程です。(本人は当の昔にいい大人になっている年代ですし、全くもって大きなお世話なのですが!)
ただ特撮ドラマもそうなのですが、こういった作品が今もなおファンたちの間で根強く語り継がれるのは、こういう出演者の捨て身の力演のおかげでも大いにありますので、やはりその作品への貢献度や役者根性には感服するばかりです。
そして原作がもともと扱っているテーマのスケール感の割に地味でアッサリしているため、そのまま映画にしても約90分の尺でさえ持て余す事になるのは明白です。
そこで何故「遊星からの物体X」へのオマージュ要素が加味されるのか?は疑問ですが、ただその結果産まれた今作のヒルコの不気味さはまさしく味があります…。
シーンによっては明らかにぬいぐるみをピアノ線で引っ張っているだけだったり、手を突っ込んで操るマペットなのですが(それもまた良し!)
妙にぎこちない動きで、そのくせ俊敏に迫ってくる様子は素晴らしいです。
原作のヒルコはハンガーのお化けみたいなデザインで、映画で再現するのは地味なうえ難しそうでしたので、そういう意味でも上手いアレンジだったかなと思います。
また映画が公開された後に描かれた原作:妖怪ハンターの中で、主人公の稗田が女学生に「沢田研二にちょっと似てない?」と噂話される一コマがあることから、原作者の諸星大二郎もこの映画を結構気に入っているでは?と思います。
映画の最後のアレも原作:妖怪ハンターの「海竜祭の夜」をはじめ、幾つかこういったデザインのモノが諸星大二郎作品には出てくるので、そこからイメージ引っ張ってきたのかな~とも思いましたが……いや、アビスだこれ!
と、原作からは遠く離れてはいるがギリギリ切れていない絶妙なラインで別の作品と混ざり合い産まれたトンでもないキメラ映画ですが、こういう映画も邦画の歴史の中には確かに存在しているんだ!という事実を受け止めるためにも、又ひと夏の思い出として見ておくのもアリな1本です。
このチープさが1番怖い 。
学校を舞台にした原作物のホラー作品。
その中身は、塚本晋也によるエイリアン2+遊星からの物体Xだった。
舞台は外界と遮断された無人の学校。
主人公2人は、センサーの鳴動を頼りに暗闇の中に潜む化け物を探す。
鳴動が早まる。
そこにいたのは人間の顔から昆虫の足を生やしたおぞましい化け物だった。
このシチュエーション。
どこぞの怪談だったらネタとして見れるだろう。
でもこの映画、なにせ造形も演出も本気で怖いのだ。
だから映画として緊張感があって面白い。
間違いなく監督は遊星からの物体Xを本気でやりたかったんだろう。
人面蜘蛛の動きと造形、人間の頭部が分離するシーンのこだわりも尋常ではない。
更にシチュエーションはまさにエイリアン2だ。ここに更に和ホラーな要素が混ざり合っておどろおどろしさも増している。
低予算ながら、今見ても楽しめるエンタメホラー作品に仕上がってるのは流石だ。
同時代のゼイラムといい、この時代の作品は低予算でも果敢にハリウッドに挑んでいるのがまた良いのだ。
ジュリーは美しい。
ホラーというかギャグというかコメディーというか、、。
妖怪ハンターというアニメっぽい副題。
鍋と茶こしの装置とかキンチョールとか。やっぱりコメディー?
でも、、
用務員さんはカッコイイし、稗田の妻のエピソードはちょっと悲しい。
妖怪は気味悪く良く動いているし、肌感があって質量を感じて凄く良い。
最後、工藤君の産毛がキラキラしてて美しかった。
適度にホラー、適度にコミカル
○適度にホラー、適度にコミカル
ホラーな雰囲気満載だが、
主人公がポンコツなので
適度にコミカルにできている。
○ゾクゾクするホラー演出
教室でピアノを弾くシーンは必見
○最後は感動
妖怪退治にゃキンチョール
小学生の頃に劇場や深夜のTV放映で観ていたら怖かっただろうな、それ位で観に行った『孔雀王』を思い出す全体的な映像のLookがオドロオドロしい、蜘蛛になる姿は漫画の「ゴッドサイダー」みたいに小学生で衝撃を受けた何かしらの記憶が蘇るような感覚ヲ。
手の込んだ学園祭のお化け屋敷みたいで、説明の付かない小道具と邪魔に思える鞄、チャリ移動がウザったい、ヒロイン的扱いの月島がお世辞にも可愛くない、終盤に再登場する竹中直人の演技がウ○コを我慢しているようにしか見えない。
姿を現さない何かが迫り来る映像表現は塚本晋也の今も昔も変わらない所かと。
今も新鮮なJホラー!
さして期待していなかったと言うと失礼だが、思ったよりずっと面白かった!
映像面でいえば、今ならもっと出来ることはあるのかもしれないが、ヒルコはきっちり気持ち悪かったし、
撮影の工夫で演出しているんだろうが、なによりスピード感が凄い!
妖艶さを封印し、金田一耕助味を加味したジュリーも新鮮だ。
ヒルコのデザインは『遊星からの物体』にインスパイアされているらしいが、オープニングの音楽もジョー・カーペンター味あり。
昔の作品というなかれ、一見の価値あり、です。
アナログなホラー
なんとなくHuluで映画を探していて、たまたま目についたので鑑賞。
何とも言えない、91年のアナログ妖怪ホラー。主演も若き日の沢田研二というから、時代の流れを感じれる。また、今は亡き室田日出男も出演しており、懐かしく鑑賞。
ストーリーは、学校の敷地にあるとされる、怨霊を封じ込めた石室を巡り、妖怪と考古学者との対決が繰り広げられる。そこに、その学校の生徒達が絡んで、妖怪ヒルコとの血生臭い真実が明らかになっていく。
当時にしたら、それなりの怖さもあるのだろうが、今観るとコメディにも見える。血飛沫あげて首を切り落としたり、女の顔した蜘蛛妖怪等、まぁ、不気味さの演出を沢田研二のコミカルな演技で中和している。
舞台が、木造の学校というのも、和製ホラーの鉄板。殺虫剤で妖怪を退治するのも笑える。でもCG全盛の映像界において、アナログなこのビジュアル、嫌いじゃないかな(笑)
ルドンの蜘蛛
Netflixで。
勝手なイメージで、ビジュアル重視のマニアックな低予算作品と想像していたので、予想は完全に裏切られた。
王道のジュブナイルホラーで、ゴア度が高いことをのぞけばザ・夏休み映画って感じ。
特撮も想像の500倍はゴージャス。エイリアンのフェイスハガーがダブるのは仕方ないとして、ベースのイメージはルドンの絵ですかね。
なんだかんだ言っても人の顔って根源的な怖さがあるんだなと痛感させられました。
沢田研二はもちろん、若い主人公とヒロインの演技もちゃんとしていてアイドル映画の水準じゃなかった。
とくにヒロインのがんばりはトラウマレベルで、逆に今後のキャリアが心配になるほど。
と、思って調べたら主演2人のその後のキャリアがほとんど出てこず。
すごくよかったので残念です。
よかった
公開時に大学生で古町の松竹で見て、あまりの面白さに大興奮した記憶があるのだけど、改めて見ると、そうでもなかった。物語の展開がかなり強引だ。それほど熱心に古墳の謎を解いていなかったのに急に答えが分かる。
かっこ悪い役の沢田研二かっこいい。室田日出夫が狂った用務員。女の子の顔が飛んでくるのは不気味だ。DIYの秘密道具が面白い。人面蟹みたいなのがあんなに素早く動ける感じはしないのだけど、実際の蟹は素早く動くので、動けるのかもしれない。
『岬のマヨイガ』『チャン・チー』と続いて、これも魔物の封印を解く話しだった。
諸星大二郎の地味だけど染みるような怖さ。とはちょっと違う様な気はするけれど。
このポンコツ呼んだのは誰?いやはや。呪文が古事記そのものじゃなかったら、何の役にも立ってねーじゃん。妖怪ハンターって、もっとシャキーってしてなかったっけ?クールじゃなかった?これで良いんか?これじゃ、完全に三枚目やで?と言うか、意図的に笑い取りに来てない?
などなどなどと。
1人でツッコミ入れ続ける90分w
マジメな話をすると。夏のお化け屋敷の感覚、諸星大二郎の「実はとっても怖い古事記」の再現性、真夏の夜の夢的ファンタジー感、てなもんが、ローテク(30年前って事を考えると結構気張ってる?)にしては、なかなか真に迫るものがあって、面白かった。
美少女ポジションの上野めぐみちゃんの、微妙に慇懃な感じが逆に怖かったのは、ここだけの話です。
最終兵器はキンチョー〇
小学校の自由研究で作ってしまいそうな妖怪探知機など、かなりオンボロな器具を使って義兄の八部(竹中直人)を探そうと中学校へ赴いた稗田(沢田)だったが、ピンチに立たされていた八部の息子まさおを救うこととなった。
弱っちい妖怪ハンター稗田だったが、沢田研二の演技も相まって恐怖心を増してくれる。『鉄男』のイメージもそのまま、観ている者を怖がらせる特殊効果。CGのない手作り感たっぷりの人面蜘蛛はとにかく怖い!さらにまさお(工藤正貴・・・工藤夕貴の弟)の背中に出来る人面瘡や用務員渡辺(室田日出男)の狂気とともにノスタルジックなまでの木造校舎にやられてしまった。過去に火災があったということで、母校の火事も思い出したりして・・・
ロケ地は富山県の学校らしいが、とにかくガラス窓や扉を危険を顧みず破壊しまくり!神秘的な池といい、眺望した際の校舎といい、ロケ地巡りをしたくなるほどでした。そんな田んぼの広がる小路を自転車で駆け巡る月島(上野めぐみ)。歌も神秘的でうっとりです。
何故こうも怖いのかと色々考えてみたのですが、ヒルコそのものより人面蜘蛛、人面瘡、そして休ませてくれないほど連続した疾走感じゃないかと。そして、月島に対するほのかな恋心に対してショッキングな急展開ストーリー。『サイコ・ゴアマン』はちょっと寝てしまったけど、おめめぱっちりでの鑑賞となりました。
昔のホラーはなんで怖いのか
サイコ・ゴアマンを観た流れでこれも観ておくか、という感じでしたので、スプラッター描写はちょっと耐性ついた状態だったのが幸いでした。
妖怪ハンターというタイトルから沢田研二がさぞかし頼もしいハンターなのだろうなと思っていたら終始悲鳴をあげていた気がします。まああの状況なら仕方ないと思いますが、タイトルの違和感がぬぐえません。
犠牲者が何人か出るのですが、2021年に同じシーンを映像化してもあの気持ち悪さは出せないと思うのです。なんでなんでしょうね。メイクの質感とか血糊の色とかなのでしょうか、特に訳の分からない序盤は怖かったですね。ストーリーはほぼ一日の、同じ場所で進むので中だるみがなくて良かったです。事件解決の後色々どうしたんだろという疑問は残りましたが・・・。内容はあってないようなものなのでした。
ホラーコメディ
考古学者・稗田礼二郎は以前は学界で注目を集めていたが、妖怪の存在を唱えたことで異端視され、その後はほとんど忘れ去られていた。そんな彼のもとに、義兄で中学校教師の八部高史から、古代人の古墳を発見した、という内容の手紙が届いた。稗田は八部の家を訪ねるが、八部は生徒の月島令子とともに失踪していた。2人を捜すため学校へ向かった稗田と八部の息子まさおの前に、恐ろしい妖怪ヒルコが出現。妖怪退治を始めるという話。
途中まではドキドキして観てたが、蜘蛛人間みたいなのが出てきてからは呆れて怖くもなくなった。
工藤正貴が主役で、沢田研二は脇役の感じだった。
日本の夏
脚本が素晴らしいのだろう。あっという間に終わる。息つく間もなくとはこの映画で初めて感じたのかもしれない。
何十年ぶりかに見たが、やはり良かった。
この映画の沢田研二は凄く好き。
原作厨と呼ばないでw原作派vs映像派の対立構図に関する一考察
いったい、いつの頃から「原作厨」などという蔑視用語が誕生したのか・・・。
OUT、アニメージュ、ジ・アニメ、ファンロード、マイアニメ、アニメディア等、書店の一角をアニメ雑誌が占めていた頃。
(New typeはこれらと一線を画す「新時代の雑誌」という印象が強かったので、私の中ではこのラインナップには含まれない)
各雑誌を手に取り眺めながら「自分はアニメファンではないなぁ。漫画好きなのだな。」という自覚や認識を抱いた記憶がある。
当時は別に「原作改変」に対して議論が行われる事もさほどなかった。
だって「TVアニメ・デビルマン」で育ったのだから。原作を知ればアニメというものが「上辺だけを借りてどれだけ好き勝手に無茶苦茶弄り倒すものか」なんて事はハナから知ってる。
一世風靡していたジェームズ・ボンド007だって、どれだけ原作小説とかけ離れているのか、という話は子供なりに聞いている。
そもそも、二次創作、いわゆる同人誌で原作キャラを自由自在に遊ばせて、好き勝手な物語を紡いでいたのは「コアな原作ファン」だからね。
当時は原作ファンvsアニメファンなどという対立構図は無いから。大好きな漫画のキャラを格好良く美麗に描いて遊ぶならば、絵柄が違おうが気にはならなかった。「作品を愛する人間が描けば、どんな絵柄でもきちんとそのキャラクターになる」ものだったからだ。
でも、それが良いのはあくまで「アマチュアの遊び」だから。
「プロフェッショナル」で「商業的」な「映像化」ならば、「原作」をそのまま「映像化してくれるもの」だと期待するわけですよ、原作ファンとしては。
でも事実は反対。「興行成績」「観客動員数」が重要なプロフェッショナルほど、原作に対するリスペクトや愛情は薄い。
70年代以前に「漫画原作の扱いが酷い」のは映像業界にも出版業界にも「子ども向け作品」なんて所詮子ども騙しの片手間仕事という蔑視があったからではないだろうか?
しかし、24年組に代表されるような文芸評論家にも高く評価される漫画が多数出現し始め「映像化」を取り巻く様相は変わってきた。
「小説家vs映画監督」「漫画家vsアニメ監督」の考え方や方針の違いが浮き彫りになってくる。
クリエイターとしての映像監督は、「解体・脱構造化・再構築」の部分にこそ「自分の仕事が出る」とばかりに頑張る人も多いだろう。
しかしながら、原作を愛する人間としては「それって原作を借りてくる意味がどこにあるんですか?」と聞きたくなる。
80年〜90年代は、諦めかけていた原作軽視の潮流が見直され、漫画・アニメ共にサブカルチャーという「大人の文化」として一般社会の中で立ち位置を確立していく過渡期であった。
(舶来モノに弱い日本人。スーパーマンやバットマンなんてDCコミックス作品は「大人の娯楽」として単純にとっくの昔に受け入れていたのだから、おかしなものだが)
原作改変甚だしい「シャイニング」は1980年作品(撮影に5年かかってるから感覚的には75年なのかも?)
対して、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「異邦人」は「原作を改変するな!」という原作縛りのせいでヴィスコンティの優れた能力を封印された「悪しき原作縛り」の代表作。
しかし、監督の中には「原作なんてレイプしてなんぼ」とほざく輩もいるらしい。(誰かはわからないけど押井守や森田宏幸辺りが浮かぶなぁ)
そこまで言うなら「なんでオリジナルでやらないんだよ!コケるの怖くて出来ないだけだろう!」と腹立たしくなる。
ただね。仮に「原作至上主義」と「映像至上主義」という対立があるとしても、それぞれの中で「価値観の水準」がピンキリだと思う。
原作派にも「古参ぶって映像から入った人間を軽視する奴」「僅かな、しかも優れた改変に対して目くじら立てる奴」がいるだろう。こういう奴らをウザいと形容する心情は理解出来る。
映像派にも「面白ければそれでいい」という思想に偏りすぎて「本来魅力的な登場人物の、人間性自体を貶める」「作品の核となる重要なテーマを改変する」という事を平気でやる監督がいる。
これは原作派にしてみれば「大切なものを殺された痛み」に近いのだ。
映像派は『原作と切り離せ』というが、頼むから最初から『原作の名前を使うな』『切り離して欲しいのはこちらの方だ!』と思ってしまう。
インスパイアでもなんでもなくて『原作の名前』という、すでに確立されている『ブランド名』に寄生し、リスクの少ない商品生産してるだけじゃないか。
「解体・脱構造化・再構築」の象徴とも言えるコミック・マーケット(コミケ)
私が記憶している時代は参加サークル1000〜5000未満。参加者数1万〜5万人未満。それがある年を境に一気に倍の1万サークル、10万人規模に膨れ上がった。随分と空気が変わった気がして次第に足が遠のいたが、現在は50万人市場だと聞く。
クリエイターが増えたのではなく、エンドユーザーの参入が増えたのは市場原理からも間違いない。
それが10倍に膨れたならば
「古参ぶる優越意識」でマウンティングする愚か者も増殖するだろう。
原作派を「十把一絡げに原作厨と罵る」視野狭窄者も同様だ。
そんなくだらない対立ではなく「原作を尊重した、より面白くする改変」という着地点をクリエィティブな視点で探るべきだと思う。
前置きが長くなったが、本作も「原作ファン」を落胆させる内容である。
「諸星大二郎の稗田礼二郎」を映像化するつもりじゃなくて「NHK少年ドラマシリーズ」を作るのに「妖怪ハンター」を使おうと思っただけならば、最初っからそう言ってくれないか?
だったらわざわざ「映画館にまで観に行ってないから!」
それを90年にやってどーなるのよ?
そんな作風を甘酸っぱい記憶と共に楽しめるのは、ピンクレディー全盛期に高校〜大学生くらいだった世代だけじゃないか?
少なくとも私は、21世紀に再放送で「少年ドラマシリーズ(多分、眉村卓の「謎の転校生」だと思う)を観た時には、70年代中学生の感覚の違いに愕然としたぞ?すでにギャグネタレベルに違う。立派過ぎて(笑)
70年代中学生って大人だわー。この感覚、90年にはすでに通用しないよ?(80年の時点でおそらく通用しないw)
あぁ、でも「スウィートホーム」とかもクオリティは近いものがあるか?
確認したらスウィートホームは1989年東宝。ヒルコは1991年松竹。
シャイニングの前例のように、B級・短館系ニッチ作品よりも、A級・一般向け娯楽大作の方が大幅改変を必要とするなぁ。
作品の「ターゲット層」がわからん。A級娯楽大作なんだろうけど、30〜40代をメインに狙ったジュブナイル&ホラー?ジュブナイルにする意味、あるのか?
今後、原作改変作品について、分析、体系化していくのも面白いかもしれない。30年の時を経て、そんな気にさせてくれたので星半分オマケしておこうか。
私はジュリーのファンでもあるので今のジュリーが「私じゃないです。親戚の子(爆笑)」とのたまう当時のジュリーに会えた喜びで更に半分盛っておこうw
原作の不穏な空気をきっちり描き切った作品
言わずと知れた諸星大二郎原作、塚本晋也監督の怪作。
それと監督の2作目で、初のメジャー配給でもありますね。
正直このリマスターの一報にはかなり驚きました、もう30年経つんですね?
しかもリマスター記念上映までやってくれるのだから、テアトル新宿ってやっぱり素晴らしい。
この作品で一番の収穫は、やはりジュリーを引っ張り出せた事でしょう。
監督が「どうしてもお願いしたかった」と言ってましたが、これ原作の「稗田先生って沢田研二にちょっと似てない?」って一コマからですよね?このファン目線がすごい。
作品は監督独特のカメラワークがかなりのもので、狩に向かうシーンは今観ても緊張感があります。
それとジュリーのヘタレ具合が凄くて、声が良いからとても映えるんですね。
あと驚いた時の表情。ドリフの時に培ったかのような顔芸を見せてくれます。
そのヘタレ具合は本当徹底されていて、用務員の渡辺さんが昔話をする時もキンチョールに指をかけたままなんです。
顔芸ですが、始まりと終わりの方にしか出ていないのに、竹中直人の存在感はすごすぎですね。
それとヒルコの動きが今見てもすごいと思いました。一体どうやって撮ったんだろう?
塚本作品らしく尺は短めですが、原作の不穏な空気をきっちり描き切った作品です。
いや、見事でした。
ジュリーに首ったけ
1990年4月。大学進学に伴い、わたしは東京で一人暮らしを始めた。
上京してすぐ、どうしても行きたいところがあり、足を向けた。何しろインターネットはまだ民間に普及する前、手掛かりになるのは情報誌のみ。不慣れな大都会で右も左もわからない中、それでも地元にいるころからどうしても観てみたい映画があった。
『鉄男』。塚本晋也監督の実質的デビュー作だ。
これを観た時から、わたしはこの映画の世界観に惚れ惚れとしてしまい、大学時代のアマチュアとしての作品作りにおいては完全にエピゴーネンであった。
その翌年、今度はその塚本監督が、なんと私の幼少からの初恋の相手、沢田研二を主演に映画を撮るという。それがこの『ヒルコ/妖怪ハンター』だった。
けれども、なぜかその時わたしはこの映画を観に行かなかった。理由は覚えていない。何かあったのだろうとは思う。ちゃんと次の『鉄男II』やさらにその次の『TOKYO FIST』は舞台挨拶にも行ったのだから、塚本監督への愛情が醒めていたわけではない。が、とにもかくにもそれが、後々まで後悔として引きずることになった。
さて、そんな映画をついにスクリーンで観る機会が訪れたわけである。これはぜひ行かねばならない。多くの期待といささかの(何か当時観に行かなかった理由となるものがあったのではないかという)不安感を抱えながら、テアトル新宿に向かった。
杞憂だった。
というか、完全に冒頭の稗田礼次郎、いや、稗田を演じるジュリーの純真無垢を絵に描いたような笑顔がスクリーンのこちらに向けられた瞬間に、私はかつての恋心を完全に取り戻し、胸の奥がキュッとなってしまった。びっくりである。恋ってこういうものなのかと、頭がくらくらした。
そこから先はあまり覚えていない。いやまあ嘘ですよ。そこかしこに伺える塚本節といっても過言ではないカメラワークや、監督あなたジョン・カーペンターがやりたかったんですねみたいなクリーチャー表現とか、もちろんそれはそれでちゃんと堪能しましたとも。だって監督の作品は全部好きなんだもん。そのうえでジュリーがね。なんか悲鳴を上げて逃げ回ったり、腹を据えて立ち向かったり、そのいちいちがもう可愛かったりなんだりで、メロメロですよメロメロ。ジョージ・A・ロメロは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』。
閑話休題。
わたしのオールタイムベストである『鉄男』と引き比べると、やや物足りない感は実際ある。その辺は家内制手工業みたいな制作体制で映画を作っていたところから一気にメジャークラスのスタジオで映画を撮ることになった、不慣れゆえのところがあるかもしれないし、あるいは原作付きゆえのしがらみなどもあったかもしれない。あるいは低予算を情念で乗り切った『鉄男』とはモチベーションの差もあったかもしれない。憶測でなら何でも言えるけれども下種の勘繰りはこの辺にしておくとして、ただ、そうはいってもなかなかの意欲作だったかとは思う。
30年経ったことにより、若干クオリティ面では見劣りがするものの、きちんと怖いお話には仕上がっていて、上でも述べた塚本節のようなカメラワークの妙も含め、監督のファンにとっては居心地の良い作品ではあった。
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