ハリマオ

劇場公開日:1989年6月3日

解説

昭和初期に実在したマレーの虎・ハリマオと呼ばれる日本人青年・谷豊の数奇な生涯を描く。原作・脚本は井沢満、監督は和田勉、撮影は小野進がそれぞれ担当。

1989年製作/日本
配給:松竹
劇場公開日:1989年6月3日

あらすじ

昭和6年。マレーシアのジャングルで日本人青年・谷豊は、アラーの神に祈りを捧げていた。厳格な父から日本男子として教育を受け、母国で徴兵検査を受けたが不合格。豊は屈辱と傷心のままマレーへ戻ったが、家に帰れずにジャングルで暮らした。その頃町では日本軍の中国侵略に対して華僑の激しい排日運動が起こり、敵対するイギリス軍による在留邦人への襲撃も始まっていた。そんな時豊の義妹・千鶴子が華僑に虐殺された。しかし、島を統治しているイギリスの官憲は犯人逮捕にやる気がなく、豊は怒って復讐を誓った。“マレーの虎・ハリマオ”と名乗った豊は義賊となり、富豪の華僑やイギリスの官憲の金品を奪って貧しい人々に与えていた。ハリマオの名はマレー全土に広まり、彼を慕って部下になる者も多く、いつの間にか仲間は千人を越えていた。しかし、時が経つにつれて、ハリマオの復讐心も義賊心も薄れていった。ある日、相棒のアリアリがタイ警察に捕まり、ハリマオも出頭するとそこに城ヶ崎という日本人の少佐が現われた。彼は軍の命令で南方進出政策の支援組織をつくるために派遣された諜報部員で、豊に協力を要請した。「正義のために英雄となって両親を喜ばせてやれ」という言葉に心を動かされた豊は城ヶ崎に協力し、次々とイギリス軍を壊滅していった。母からは豊の活躍を褒め讃える手紙が届いたが、それは城ヶ崎の偽造したものだった。豊が日本軍の企みに気がついた時は、作戦も終わりに近づいた頃だった。また、豊が秘かに心を寄せていた千鶴子の母・堀内富子は実は華僑だったとわかった。豊も反抗すれば日本軍に殺されてしまう。城ヶ崎は豊にマラリアの注射を受けて病死するよう求めた。そうすれば“英雄”として葬ってやると言うのだ。豊はそれに従い、シンガポール陥落後死亡したのだった。現代のシンガポールで城ヶ崎は貿易会社を営んでいた。

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映画レビュー

3.0久々に観たらそんなに悪くはなかった

2025年7月17日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

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戦前にイギリス領マレー半島で盗賊として活動し、戦中はマレー半島に侵攻する日本軍に協力したハリマオ(マレー語で“虎”)こと谷豊を題材とした映画で、劇場公開時は観ていないがテレビスポットで流れた「右の耳ならオカマだが、左の耳なら勇気の印」(ピアスのこと)というキャッチコピーと「トラ・トラ・トラたい!」と陣内孝則が叫ぶCMのことは覚えている。確か90年代にレンタルビデオで観たが出来はあんまり良くなかった記憶。しかしWOWOWで放送されたんで、昔からハリマオに興味があった僕としてはDVD化もされてないし録画しとくかってことで今頃になって再び観た。

約30年ぶりに観てみたら意外にも記憶してたほどには悪い出来ではなかった。まあ観てるこっちのハードルが下がってたのかもしれないけど、良作というわけではないにしても駄作というほどでもなく、それなりに面白く観れたのも事実である。僕がハリマオを題材とするならこういう要素を入れてほしい、こういうシーンを描いてほしいと思ってたようなところがほぼ余す所なく入っているし、終盤のシンガポール華僑虐殺なんて、映画やドラマで描いた作品はこれくらいなんじゃなかろうか。また、なんといってもフィリピン・ロケの産物であるスケールの大きな舞台や風景が素晴らしい。いやぁバブル時代の映画ですなあ。初見の時にはミスキャストのように感じた陣内孝則もこれはこれでありのように思えた。

史実と違うところも当然ながらいくつかあって、谷豊が徴兵検査で実際には丙種合格(予備役編入)だったものを丙種より下の丁種合格(兵役免除)にしている(ちなみに戦中の戦意高揚映画『マライの虎』ではそもそも徴兵検査の描写がない。英雄が不名誉な丙種合格では困るからだろう)。また異母妹が不良華僑に殺害された頃には谷は徴兵検査を終えて日本で就職しており、翌年に家族が帰国した時に初めてその事実を知って単身マレーに戻ったんだが、映画では徴兵検査後すぐにマレーに戻り殺害現場に居合わせたりしている(これは『マライの虎』もいっしょで、そもそも谷は日本に帰国していない)。これは映画的な劇的さを狙ったものなんだろう。谷豊を含むマレー人たちがみんな英語でしゃべってるのも、まあ仕方がない(マレー人を演じてるのはアジア系米国人俳優のジェームズ・パックス以外はロケ現地のフィリピン人俳優のようだ)。

事実と違うところで意図がよくわからないのは、満州事変直後に病死したはずの父親がなぜかずっと生きていて、豊の戦死公報を妻(母親)といっしょに受け取っちゃうところ(『マライの虎』では父親はすでに死んだ設定で最初から出てこないが、そちらのほうが実は事実に近い)。観ていてもあまり意味のある改変のようには思えず、なんでわざわざそんな設定にしたのかよくわからない。父親を演じる川谷拓三もお得意のチンピラヤクザみたいな人物に演じており、その怪演ぶりには違和感を感じる。逆に母親役の大谷直子は影が薄い。怪演と言えば谷豊を籠絡する日本軍諜報機関J機関長の城ヶ崎小佐(F機関長の藤原岩市小佐と、実際に谷豊と接触した機関員を掛け合わせた人物と思われる)を演じる山崎努がかなり誇張した戯画的な人物を怪演しており、これもやり過ぎとしか思えない。谷豊以外の登場人物はほぼ全て仮名か架空の人物になっており(そこも『マライの虎』と同じ)、むしろ自由に物語を創作するために仮名(架空の人物)にしちゃったんではなかろうか。朝ドラ方式とでも言いますか。

また序盤から川谷と愛人役の竹下景子の生々しい濡れ場を見せられるのも戸惑うし(竹下さんの巨乳がチラッと拝めます)、他にも徴兵検査での肛門検査とかイスラム教の割礼とか妙に下のネタが多いのもどうかと思う。

とはいえ、いろいろ文句も言ったが、自分でも意外なほどそれなりに楽しめたのも確か。少なくとも『マライの虎』に比べればよほど良かった。村上春樹がエッセイか何かで書いてたが、2回目のほうが面白い作品はいい作品だとのこと。まあ、これもまた村上さんが書いてたけど、また観たいと思うこと自体がなかなか無いことだけどね。ま、とりあえずもう1度観て良かったです。

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バラージ

2.0個人的ノスタルジーじゃないの?

2010年5月4日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波

残念すぎる。なぜこの時代にコレを焼き直ししたかったのか考えると、もう監督 和田勉さんの単なるノスタルジーなんじゃないかと。俳優さんは頑張ったと思いますよ。

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chienu