「一種の歴史改竄ともいえるかもしれない」八甲田山 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
一種の歴史改竄ともいえるかもしれない
1977年の公開時には多分観たはずなのだが記憶がはっきりしない。
一時期、DVDが絶版となり、再上映も配信もない時代があり「午前十時の映画祭」で久しぶりにスクリーンで観ることができた。
橋本忍の脚本であるが、ほぼ新田次郎の原作本「八甲田山死の彷徨」通りの筋書きである。新田は人物名を全て仮名に置き換えているのだが(神成大尉→神田大尉、福島大尉→徳島大尉)映画はそのまま仮名を引き継いでいる。そもそも新田の作品はノンフィクションではなく小説である。
青森の第五連隊と、弘前の第三十一連隊からの選抜部隊が同時期に八甲田山系に入ったのは史実通りであり、第五連隊が大きな遭難事故を起こしたのも史実通りである。しかしながらその行動の目的は全く異なっており、第五連隊が、映画でも触れられたように、ロシアが日本海沿岸と陸奥湾を艦砲射撃の圏内に入れた場合の物資輸送ルートを確保する実験が目的であったのに対して、第三十一連隊は、大陸における対ロシア戦を想定し、冬季の索敵ないし掃討戦の装備や気象条件などの情報整備を目的としていた。だから、かたや中隊規模で日程が短く、貨物をそりに乗せて運び、かたや小隊単位で日程は長く、服装装備に万全の注意を払っているのはそれなりに意味がある。
だから新田が原作で書いている(そして映画が踏襲した)師団幹部が連隊幹部を呼んで競わせるようにしたというくだりはフィクションである。実際は両連隊は相手のことを知らず、だから当然、八甲田山中で出会う約束も存在しなかった。
さて、映画だが、原作以上に第三十一連隊に焦点を当てている。特に、後半部分は両連隊の行路が交互に登場する。(そして合間合間に、冬季以外の津軽の美しい風景が挟まる。さすが叙情派 森谷司郎の真骨頂というところだが少しうるさい)
つまり第五連隊の悲劇と第三十一連隊の成功が対比されているわけだ。わざわざ徳島大尉を高倉健に演じさせているのも優秀で善良な軍人もいたことを強調するためともいえる。
これって結局、この悲劇は特定個人や特定組織の怠慢や不見識、不勉強によるものだと言っていないか?そして、結局、そうやってトカゲの尻尾切り、本質の覆い隠しを続けたことが、日本の近現代史において次々続く失敗につながったのではないのだろうか。そして軍の持っていたメンタリティは日本人全体として継承されており、それがこの映画で無意識に歴史の改竄を行ってしまうことにつながっているという構造なのでは?
悲劇は悲劇としてきちんと描き、変な逃げ道みたいな表現は避けるべきだと思うんだけどね。
そうそう三国連太郎が演じている大隊長さんですが最後、拳銃で自殺するが、あれも新田次郎の創作です。どうしても罰を与えたかったんでしょうね。実際のモデルの軍人は八甲田で亡くなったようだけど。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。