八甲田山のレビュー・感想・評価
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雪の重さや冷たさ、冬の寒さを感じる
YouTubeの遭難事故紹介動画で顛末は知っていたが、
やはり映画になるとわかるもの、伝わるものもある。
5連隊が吹雪の中、中心に向かって立っているシーン悲しくて…。
あんな吹雪の中、あんなに雪かぶさって…。
座ったり横になったら…ってことだけど、31連隊との比較を見ると尚更…。
三角の蓑かぶっていたり、藁葺き屋根のおうちがあまりにも日本昔ばなしの世界で…。
ゆきんこ…。
今の時代なら低体温症や雪山の知識が多く手に入るだろうが、
特に低体温症の知識なんて、あの時代にほとんどなかったんだろうなあ。
江戸が終わり明治後半、他国との戦争をするような時代、
おそらく軍国主義で上の者の言うことは絶対、
弱音吐いたら終わり、逆らったら終わり、という時代において、
上の者に意見を言うことなど難しいのもわかるが、
よく考えて、無謀なことに1人でも多く気づき、
別の方法で訓練できていればよかったね
軽い足取りだったのが、どんどん歩みも遅くなり、
暗い顔つきになるのが怖くてね。
悪い例、良い例、みたいに交互に出てくるの、
ちょっとわろた。
雪山に登らずとも低体温症になることはあるので、
外出するときは気をつけたいね。
24.3.18 スカパー
何度観ても涙する
映画撮影の逸話が数々ありますが、ここでは省略します。
明治のころも日本陸軍は「愚の骨頂」でしたね。
「硫黄島からの手紙」でもそうでしたが、軍隊ってどうして「わしが俺が」なんですかねー。
こう言うの観ると日本人って素晴らしい(優しくて温厚で頭が良い)人種なのに愚かな事をするのですね。
ま、軍隊が悪いのですが。。。
警察官のイジメによる自殺も絶えない。
同じタグイですかね。
鑑賞3度目ですが、やはり凄まじい吹雪の場面は言葉がありません。
1度目は封切直後、2度目はDVDになってから、そして3度目は先日、BSで放映(4kリマスター版)されたのを録画して観た。
映画と違いテレビでは吹雪の迫力が伝わってこないと思いつつ画面に引き込まれた。
210名中199名が亡くなった青森第5連隊と、38名全員が踏破した弘前31連隊の違いは何だったのか。
弘前31連隊の徳島大尉は、八甲田山麓の踏破が最大の難所と当初から認識していた。
指揮官がいろいろな困難、最悪の事態をきめ細かく想定し、周到な準備と対策を取ることが、いざという時の適切な判断につながった。
原作の「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)は映画の回数以上読んだ。
昔の単行本なので字が小さく読みづらい年齢になったが、またチャレンジしようと思う。
やはり名作中の名作である。
「白い地獄」に埋もれる名優たち
日露戦争への緊張が高まる中、八甲田の縦走訓練が必要と判断される。そこで青森第5連隊と弘前第31連隊は、雪中行軍を実施することになる。それぞれで計画を進め、第5連隊の神田大尉と第31連隊の徳島大尉は八甲田で会おうと誓い。
二度目の鑑賞。再び自然の脅威におののきました。この事件のときに、北海道旭川では日本最低気温を記録。まれにみる悪天候だったと想像しますが、八甲田の冬山を知ってる人によると「いつもあんなもん」とのこと、恐ろしい。村民に対し「守銭奴」、一方は「敬礼」という扱いが、命運を分けたのが象徴的。以前観たときに最後のところで、ひっかかっていたのを思い出しました。徳島大尉は幻を見ていた、危なかった、ということだったのか。
つらい役、嫌な役もある昭和の名優たちが大勢出演。それが吹雪と重厚な衣装で、誰が演技し、しゃべってるのかわからなくなります。腰まである雪をこいで登っていくのは、相当体力を消耗するはず。「白い地獄」に埋もれていく様に、ただただ感動しました。困難で絶望に、足を向けるだけのような音楽も印象に残ります。これほどの大作を作り上げた森谷司郎監督ですが、その後は目立っていない。53歳で亡くなっていたのか。
「ゴールデンカムイ」と衣装も繋がりがあり、漫画では登場人物が八甲田の捜索に参加していた描写もありました。時系列では「八甲田山」「二百三高地」「ゴールデンカムイ」。
日本の名作映画のひとつ
気象に対する想定の甘さ、
指揮系統の乱れ、
凍傷など極地での疾病への無理解、
希望的観測からの取り返しのつかない失敗…。
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特撮やCG、ましてや吹雪のシーンに大型の
扇風機を使う、そんなことが一切ない、
本物の八甲田山での撮影⛄️
デジタルリマスター4Kありがとうございます🙇♀️
「案内人殿に敬礼!」これこそ健さんの真骨頂!
いやー可愛らしい秋吉久美子相手に憎いことしよって。全然不器用ちゃうやん。ここは理屈抜きに「健さんカッコいい!痺れるぜ!」となるね。
それにしてもこんな大遭難事故を本当に冬の八甲田山で撮るなんて何と無謀な。よく殉職者が出なかったな。あまりのリアルさに真夏に観たのに震えがきた。しかし無事生還した弘前31連隊も隊長以下ほとんどが日露戦争で戦死とは…結局天は全員を見放してしまっていたのかと虚しくなる。
70年代邦画の最高峰では。
ホウレンソウ
どれだけお偉いさんがいようが、人数が多かろうが、ミッション遂行に必要な情報を得られず、的確な意思決定がなされないのであれば、まともに運営できず瓦解してしまう、という組織論の視点から本作を観たことがある。当時はそこまでピンとこず、オールスターキャストに目がいっていた。今ならその意味がわかる。
1992年鑑賞。
日本映画が誇るべき名作
映画「八甲田山」公開の日は 1977 年の6月4日。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を原作とする日本映画で、橋本プロダクション・東宝映画・シナノ企画の製作で公開された。1902 年に青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210 名中 199 名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を題材に、極限状態での組織と人間のあり方を問いかけた作品である。製作費約 7 億円、配給収入は 25億900万円で、1977 年の日本映画第1位を記録した。高倉健、北大路欣也主演。北大路の台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語になった。監督は森谷司郎、音楽は芥川也寸志で翌 1978 年3月の第1回日本アカデミー賞音楽賞を受賞している。
原作「八甲田山死の彷徨」の映画化を思い立ったのは脚本家の橋本忍であった。1974 年2月に新田次郎から映画化権を獲得し、製作のイニシアティブは橋本プロが執った。本作は初め東映に持ち込まれたが、明治物は当たらないという映画界の傾向を無視できなかった岡田茂東映社長が「そんな蛇腹(明治時代の軍服)の話が受けるかい」と承認しなかったため、東宝で製作されることとなった。野村芳太郎の所属する松竹、森谷司郎の所属する東宝に撮影済みのフィルムの一部を見せ、シナリオを渡し、東宝から「条件を聞きたい」とのオファーを受け、東宝での配給が決定した。
山田大佐役は当初丹波哲郎にオファーされていたが、丹波が厳冬期の青森での長期ロケに難色を示したため、出演シーンの大半がスタジオ撮影である児島大佐役に変更になり、代わりに三國連太郎に山田役が回されたとされる。また、役柄は不明であるが、山村聰が出演予定とされていた。
脚本の橋本忍は、当初群馬県の温泉地で撮れないものかと考えていたが、野村芳太郎や森谷司郎と八甲田の山々を歩いて見て、ここで撮るしかないと考えを変えた。野村芳太郎から「映画には空気が映る」と言われていたからという。 撮影の木村大作は思うような撮影の技術が発揮できず、不満が残ったという。映像は端正といえず、青森隊が露営する場面では白い雪を背景に兵士たちの顔が黒く潰れている。後のデジタルリマスター版では露出が補正され、兵士たちの顔も判別できるようになった。雪の山道では大きな照明道具を持参することができず、小さな手持ちライトだけで顔に当たったり外れたりしていたという。また内容も兵隊が雪の中で死んでいくだけでは、ヒットするとは思えなかったという。
実際に体感温度零下 20〜30 度にも及ぶ真冬の八甲田山で二冬もロケを敢行し、日本映画史上類を見ない過酷なロケとして有名になった。助監督を担当した神山征二郎は、その過酷さから「この映画の全ての撮影が終わった時、“寿命が2年縮んだ”と思った」と回想している。遭難現場は八甲田山北東斜面だが、ロケは八甲田山北西の寒水沢、酸ヶ湯温泉付近や岩城山の長平、奥入瀬などでも行われた。
作中の激しい吹雪のシーンも実際のもので、時には役者たち各々にビニールのカバーを被らせ、外で4時間も吹雪待ちをした。斉藤伍長役で出演した前田吟は「撮影当時はまだダウンコートもない時代だった。この映画で着用した軍服は見た目はカッコよかったが、生地が薄くてかなり寒かった。特に何もしないでただひたすら待つだけの待機時間が辛かった」と証言している。また、ある時ロケに参加した兵役たちのためにスタッフがカレーを作ってバケツリレーで回したが、後ろにいた前田の所に来た頃にはカレーが凍っていたとも証言している。
兵卒には高倉健や北大路欣也などのスター見たさもあって、現地で募集したエキストラも多数参加していたが、当地在住のエキストラにとっても寒さは過酷なもので、撮影開始から数日も経つとエキストラの数は当初の半分に減っていたという。裸で凍死する兵卒を演じた原田君事の肌が紫色に映っているのはメイクではなく本当に凍傷になりかけたためという話も残っており、主役級も含めて俳優たちの出演料も決して高額ではなかった。主役の高倉健は3年に渡る撮影に集中するため、マンションと所有するメルセデス・ベンツ・SL を売却した。
神田隊が雪崩に巻き込まれるシーンは、現場スタッフが 30 発のダイナマイトを爆発させて雪崩を起こし、3台のカメラで撮影された。十和田湖畔の行軍シーンでは良い画角で撮るため、氷の張った湖に木村大作が飛び込んで撮影した。この過酷な撮影は当時カメラマンだった木村大作にも大きな影響を与えたと言われている。前田吟によると、本作の終盤で遺体となった神田大尉が棺の中で横たわるシーンは、北大路が血の気のない死体役を演じるため実際に約5時間も棺桶に入って準備をしたという。また、高倉健もこの撮影で足が軽度の凍傷になってしまったという。
登山家の野口健は、「雪山登山を知る者からするとこの映画には“あるある”の場面が満載です。また遭難の典型例が勢揃いしています」と評している。
内容が暗いので映画向きではないと極言する映画関係者もいたが、ヒットは間違いなしという大方の前評判ではあった。しかしこれほどの超ヒットになるという予想はされてなかった。最終的に配収 25 億円の大ヒットで、「日本沈没」を上回る当時の日本映画歴代配収新記録を打ち立てた。本作のヒットの大きな要因として、先述の 15 秒のテレビスポット CM を大々的に放送したことなどに加え、豪華俳優たちの共演による前評判の高さもあった。既に主要キャストのほとんどは故人となっており、今なお現役なのは北大路欣也や前田吟、秋吉久美子などごく一部である。
いずれの俳優も持ち味を出し切っており、とぼけた味わいの丹波哲郎、独特の声を張り上げて計画の説明をする大滝秀治、いかにも重鎮らしい島田省吾、憎々しげな三國連太郎、実直な中間管理職そのものの北大路欣也、言葉を発しないシーンでの表情が素晴らしい高倉健、可憐さ極まる秋吉久美子など、誰一人欠けても成立しない奇跡的な作品であった。芥川也寸志の書いた音楽は、日本映画史に残る名曲である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。
高倉健の温かさが心に沁みる。再現不可能な映画。
この映画はエンターテイメントとしては正直、あまり面白くはありません。
しかし、日本映画を代表する作品だと思います。
明治に実際に起きた事を再現しているという点だけでも見る価値があると思います。
実際の極寒の中での撮影で、観ているとどのように撮影したのか分からなくなる程信じられない映像の数々です。
実際の冬山で撮影しているので寒さがよく伝わり、
あらゆる冬の映画の中で一番寒さが伝わります。
この作品を見て、高倉健の格好良さに深く感動しました。
演技を越えて人として信頼できると感じました。
リアルにもホドがあるわ!
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので、
これからは「星のナターシャnova」
以前の投稿をポチポチ転記しますのでよろしくお願いいたします。
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ある意味伝説の映画ですが、本当に伝説でしたね〜
凄まじい吹雪も、ヒゲや眉にできた氷柱も全部本物って!!
確かにリアルに拘るのは分かるけど、
今となってはこれは役者虐待かも〜(笑)
で、ひたすら悲惨な吹雪シーンだけの映画ではなく、
ところどころ、幼い頃の思い出や夏の景色を妄想したりする
そのシーンが、とても美しい〜
古き良き田舎の素朴な祭りの風景や光溢れる夏の山々
なんだか泣けてきました。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
リアルに拘るあまり本当の吹雪待ちで5〜6時間
高倉健さんや北大路欣也さんはじめ
全ての役者やスタッフが雪の中で待たされたとか〜
死人が出なかったのが不思議な位のホワイトアウト状態!
劇中、村の古老のセリフに「白い地獄」とありますがまさに!!
映像が怖かったです。
日本型のノーと言えない集団主義のリスクを
改めて強く感じる映画ですね。
この国の悪い習慣が
未だに変わってないことに
絶望感を感じます。
変えなきゃいけない!!
強く強く思いました。
@もう一度観るなら?
「映画館で観ないとあの吹雪の絶望感は伝わらないかも〜」
史実とは異なる部分があるので注意
映画では5聯隊に対比して31聯隊の福島大尉が美談に描かれているが、実際には道先案内人の村人を自軍の都合で任務解除して全身の凍傷を負わせ帰郷後は人事不詳の体になった人に知らん顔だったとか、その他にも当時のいい加減な調査と「大本営発表」で史実と異なることが各所にある。最近発行された「八甲田山 消された真実」(伊藤薫著 山と渓谷社刊)のなかで遭難した5聯隊の当時伍長であり生存者の一人だった小原忠三郎さんは戦後、従来の書籍や映画では無視され或いは歪曲された内容について多く語っている。
雪の映像が素晴らしい
日露戦争直前の話で、弘前と青森の連隊が雪中行軍を行うことに。
弘前連隊のリーダー(高倉健)は少数精鋭の編成で、地元民の道案内を取り入れる。
青森連隊のリーダー(北大路欣也)は、上司に押し切られ大部隊を余儀なくされ、おまけに上司までが付いてくることに。
弘前と青森が明暗を分け、地獄を見ることになる。
雪の中でのシーンはよくできていて、よくぞここまで作り上げたものだと感心する。
観ていてフラッシュバックしてトラウマが疼きました
暖かくして、熱いほうじ茶も用意して観るべきです
白い地獄
文字通り白一面のホワイトアウト
それが延々と続くばかりになるのは確定してますから、それでは映画になりません
それをどう映画にできるのか?
そこが腕の見せ所ということになります
起承転結の転だけを白い地獄のクライマックスとして、この遭難に至る過程とドラマ性を際立てた脚本の優れた構成
徳島、神田両大尉のそれぞれ対照的な人物設定と交流、山田大隊長の造形
両隊の運命を分けた大きな要素の一つである案内人を際立たせるために若い女性を登場させ、しかも退場場面に見せ場を用意してあるのは舌を巻きます
日本映画史上に残る屈指の名シーンです
涙腺が緩み大いに泣かされました
効果的に青森の美しい春や夏の情景を、幼い頃の記憶として繰り返し挿入する演出
前振りの台詞のシーンまで用意されています
過酷な吹雪の中の山中ロケ故でしょうが、光量不足で薄暗くて何が写っているのかすら良く見えない山中シーンや誰の顔かも定かでない撮影もありますが、それ自体が却って迫力とリアリティを増幅させています
もしリメイクをしたとして、最新技術でクッキリハッキリ明るく撮影できたとしてもそれが本作以上の迫力とリアリティを生むでしょうか?
その中で名優陣の恐ろしく熱の入った名演が薄暗い画面を突き抜けて迫ってくるのです
高倉健はもちろんのこと、三國連太郎の説得力は強烈です
神田大尉の従卒を務める長谷部一等卒の役の若い俳優の配役の成功も悲劇性を増幅させ心に残りました
何もかもお見事としか言いようがありません
観ていてフラッシュバックしてトラウマが疼きました
思い出したくない悪夢を思い出します
そんな人も多いのではないでしょうか?
雪山登山のことではありません
会社や役所や大きな組織に属した人なら、神田隊と似たような経験をした人もいるのではないでしょうか?
日本の組織が陥る駄目パターンの全てが詰まっています
土台無理な無謀なプロジェクトに投入される、あたら優秀な人材や若手達
本作に出てくるような連隊長や山田大隊長や神田中隊長に率いられて、磨り潰されて精神や身体に異常をきたして脱落していった人達の顔、顔、顔
それが思い出されます
八甲田山は冬の青森にのみあるわけでは有りません
あなたの属する組織で明日始まるかも知れないのです
ブラック企業なら八甲田山は毎日のことです
神田大尉になるか、徳島大尉になるか
それは私達の勇気次第です
若い人なら自分が神田隊に配属されていたと知ったならどう行動すべきでしょうか?
ラストシーンで現代のロープウェイから八甲田山を見下ろす老人は、緒形拳が演じる第五連隊の生き残り村山伍長の老人となった姿です
彼はこのままでは俺も死ぬと、「俺は自分の思い通りに歩く」と言い単独行動して最後の生存者となって生還できたのです
それでも凍傷で失ったのか左腕がありません
命あってのもの種です
あなたが神田隊にいると思ったなら、意見具申も重ね、本当に駄目だ、これ以上は無理と感じたなら、単独行動していいのです
いや、すべきです
あなたの代わりは会社にはいますが、自分と自分の家族に取って自分の代わりはいないのです
会社を辞めてもいいし、会社を辞めなくても、適当にこなして体と心を温存することも、単独行動です
エピローグで字幕ででる黒溝台の戦いは日露戦争の天王山といえる奉天大会戦の前哨戦と言えるものでこの戦いでの勝利は大きな意味がありました
正に極寒の1月下旬のことです
彼らの八甲田山の経験が貢献したのは間違いないことかも知れません
しかし日本は神田隊のそのままの態勢で第二次大戦に突入して、ニューギニア、フィリピン、インパールどころか日本全体が冬の八甲田山に踏み込んでしまったのです
組織の幹部にもなろうかという人は必ず観るべき映画です
むしろ管理職昇格研修に組み入れ、何処に問題があったのか列挙させるレポートを全員に書かせて競わせ、グループ討議させるべきぐらいです
こんな大それたロケ、今じゃできない
加藤嘉が雪中行軍隊に対して「こんな山の神の日に…バカタレが」みたいなことを言っていたこと、案内人秋吉久美子の「まんまくうびゃー」が印象に残る。
日露開戦前の雪の進軍を体現する映画。こんなのを日本は将来撮れるのだろうか。製作委員会でちまちま創ってる今では考えられない。
寒い
旧帝国陸軍、集団の恐ろしさに気分が落ち込みました。星は低いですが価値あるものだと思います。
鑑賞後ググッてみると、もっと悲惨な状況が分かったので、心底凍えました・・・。
秋吉久美子がかわいすぎて、そこだけは救われた。
なぜ、人は偉くなると冷静な判断ができなくなるのでしょう…
いかに極限状態であろうとも、規律の厳しい軍隊においては上官の指示命令は絶対なのだろう。
いや、現代のサラリーマンの世界でも、結局は自分を査定して給与を決める権限のある上司には逆らえない…そんな体質が日本には残っている。(私が知る限り)
「ベンチがアホやから、野球がでけへん!」啖呵切って飛び出せたらどんなにか……(愚痴ってしまった!)
この物語は史実に基づいている。
但し、浅田次郎の原作はノンフィクションではなく、あくまでも山岳小説。
弘前歩兵第三十一連隊と青森歩兵第五連隊が、参謀長の提案によって同時に双方拠点からの八甲田山踏破を計画することになる設定は、小説のオリジナルらしい。
実際は全く別々に計画されたものだとか。
両隊の中隊長同志を交流させることで、ドラマ性を高めている。
更に、橋本忍の脚色によって、組織のあり方を問う視点か強められた。
高倉健演じる弘前の中隊長 徳島大尉は、計画の説明において、十和田湖を回って迂回する長距離行程となったのは連隊長(丹波哲郎)の責任だとはっきり言う。
そして、失敗があり得る危険な訓練であることを承知させ、計画のイニシアティブを握る。
これは正に、ビジネスマンに求められるプラクティス。
状況を正確に理解し、利害関係人の特徴を把握し、権限者に伝えるべき情報を的確に選別した上で伝えるべき時にピンポイントで伝える。
重要なのは、やらないためではなく、やるための戦略を立てること。
高倉健の朴訥な印象に反して、徳島大尉は策略家でスマートだ。
一方、北大路欣也演じる青森の中隊長 神田大尉は、大隊長 山田少佐(三國連太郎)の面子に拘った浅はかな命令に抗えない。
神田大尉と山田少佐のこの関係性が物語の大きな軸となっている。
そこで、、、
高い地位まで出世するには、それなりの能力があったはず。
なのに、なぜ愚かで独善的な判断をしてしまうのだろうか。
上に行けば行くほど、その判断と決断の責任は重くなる。
その一方で、周りから意見されることが少なくなるからだろうか。
誤った指示命令にはどこまで議論しようとも、最期はポジションパワーがものを言う。
概ねは、議論さえ許されないのだ。
北大路欣也には、能力も人望もありながら、真面目すぎるが故に情勢を慮って自分を犠牲にする中間管理職の悲哀を見た。
前半、厳しい視線で状況を観察しつつも黙して語らない加山雄三演じる大隊本部随行の倉田大尉は、冷静沈着な人物だ。
彼もまた、山田少佐に意見することはできないのだが、とうとう行軍隊が立ち往生し犠牲者を出し始めたところで、指揮権を山田少佐から神田大尉に戻させる。
山田少佐が自らの失策に気付き始めたと見たからだ。
しかし、人は他人の行動に対しては過ちを見つけられるが、自分が最初からその立場だったら過ちを犯さないかというと、そうではない。
加山雄三も、疑いながらも上官に逆らうことなく従ってきたのだ。
そして、重責のあまり冷静さを欠き始めた北大路欣也に示唆を与え、隊を牽引させる。
自分では牽引することはできないからだ。
たが、この行動も遅すぎた。
旅団本部では、現地の情報が不確かなまま錯綜し、訓練中止の連絡も前線に届けられない。
危機管理のズサンさが浮き彫りになる。
この世界最大級の山岳遭難事故の裏側にどのような人間模様があったのかは知らないが、新田次郎と橋本忍によって作り上げられた物語において、会議室の思い付きに運命をもてあそばれた軍人たちの悲劇に心を痛める。
隊員たちを鼓舞するために、「路が見つかった」「天候が回復している」と士官たちが言う度に、また迷い、また猛吹雪に見舞われる、残酷なまでに容赦なく、天は彼等を見放した…。
当時、雪山でのロケーションはどんなに過酷だったか。
吹雪はどうやって起こしたのだろうか。
雪崩は東宝得意の特撮だろうか。
俳優たちは凍傷の危機にさらされ、実際に軽度の凍傷になった人(高倉健ら)もいたらしいが、それはスタッフも同じだっただろう。
作り手も、相当な覚悟でこの作品に挑んだであろうことは想像できる。
当時の撮影技術・機材では限界があり、映像の荒かった部分がデジタルリマスター版では幾分か補正されている。
撮影監督の木村大作は、後に自らの監督デビュー作「劔岳 点の記」で、明治の測量登山をロケーションで見事に再現した。
監督の森谷司郞は、「日本沈没」で橋本忍脚色作品を手掛けて大ヒットを記録した後の本作であり、連続で興行的な成功を収めた。
黒澤明の助監督時代に身につけた完璧主義が、本作では発揮されている。
当時では、超大作が撮れる数少ない監督だった。
次作「聖職の碑」も東宝・シナノ企画提携作品で、山岳遭難事故の史実に基づいた新田次郎原作小説の映画化で、木村大作が撮影監督を務めた。
作品的には決して劣っていなかったと記憶するが、二匹目のドジョウはいなかった。
実は、今回「八甲田山」を観直すまで、「聖職の碑」と記憶がゴッチヤになっていたのだけれど…。
北大路欣也の「天は我らを見放した…」
鶴田浩二の「この子達は私の命だ!」どっちもふざけて真似したものだ。
さて最後に、栗原小巻の美しさと、秋吉久美子の可愛さには言及しないではいられない。
案内人秋吉久美子を高倉健以下隊員たちが見送るシーンは、恐縮しながら笑顔で手を振る秋吉久美子が愛くるしく、感銘を受ける。
北大路欣也の亡骸を前に、初対面の高倉健に「八甲田でお逢いするのを楽しみにしていました」と伝える栗原小巻の悲しげで、なお軍人の妻であろうとする健気な美しさに、高倉健の言葉と涙もあって胸を締め付けられる。
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