裸の大将

劇場公開日:

解説

山下清が自ら放浪の半生を綴った『放浪日記』から「純愛物語」の水木洋子が脚本を書き、「女殺し油地獄(1957)」の堀川弘通が監督した喜劇。撮影は「旅姿鼠小僧」の中井朝一。「風流温泉日記」の小林桂樹が山下清に扮するほか、加東大介・三益愛子・団令子・青山京子・有島一郎・市村俊幸・中田康子・横山道代などが助演する。パースペクタ立体音響。昭和33年度芸術祭参加作品。

1958年製作/93分/日本
原題または英題:The Naked General
配給:東宝
劇場公開日:1958年10月28日

ストーリー

--清は生れつき頭が悪いので、八幡学園という特別の学校に入った。小さいときから、ひとりぼっちで花をみたり虫と遊んだりするのが好きだったので、花や虫の絵と貼絵を夢中でやった。清は兵隊検査が近づく頃になると、突然、学園から姿を消した。戦争に行って死んでしまうのが怖かったから。ツンツルテンのゆかたに大きなリュックを背負って、汽車の線路を伝って歩き廻り、夜は駅に泊った。--清は親切な汲取屋のおばさんの世話で、阿武田駅の弁当屋で使ってもらうことになった。初め、清はハエを取る仕事をした。ハエは取っても取っても飛んでくるので、次には弁当を重ねて運ぶ仕事をした。弁当は途中でひっくり返るので、ホームで駅弁を売る仕事をした。走って忙しくてお金を貰うのを忘れて、これも駄目でした。--つまり、清は要領が悪いので、ジャガイモの皮むきや鼠のクソ取りに廻された。--戦争は太平洋戦争になったので、弁当屋のよっちゃんたちも皆、兵隊に行ってしまった。清は、それが怖くて腹を出して寝たり、絶食をしたりして病気になろうとしたが、駄目なのです。--清は二十歳の年の暮れに弁当屋を逃げだした。来年は兵隊検査をしなければならないので、歳を知っている弁当屋の他へ行って働いて、年を二十二歳にとばすと兵隊検査はしなくていいと思ったから。割烹「魚吉」で雇ってくれた。警防団の訓練や人の嫌がる仕事はみんな清の役目なので、つらい仕事ばかりでへたへたになっていると、お母さんが兵隊検査の通知が来たと迎えに来た。--区役所で、清は検査官の前で、「生れつき頭が悪いので、ものを覚えてもすぐ忘れてしまうので……」というと、最後に、「山下清不合格!」といわれた。フゴウカクとはどういう意味ですか。--清は家に帰っても食べるものがないので、また旅に出た。駅の待合室で、赤い傘をさして、褌一つで踊っていると、褌が落ちて、巡査に捕った。「一番大事なものを人に見せるのは気が狂っているのだ」といわれて、気違い病院に送られてしまった。飯が出ないで汁だけなので、風呂へ入ったとき丸裸のまま逃げだした。そのとき、戦争が終った。--清は横浜で乞食をした。「魚吉」へ来た大佐や上等兵は闇屋をやっていた。家へ帰ると家族は共同便所に住んでいた。--清は八幡学園へ戻り、昔通り貼絵を始めた。春になったので、清はまた放浪の旅へ出た。--草津や伊香保で、ただの露天風呂に入って廻った。東京で清の絵の展覧会があったので“日本のゴッホ”などと騒がれるようになった。--清は花火を追って全国を歩いた。新聞社の人が来ていろいろ聞いたり、たくさんの人が絵を描いてくれなどと頼むので、清は気楽な裸でのんびり出来るところが好きなので、そっちへ向って歩きだしたのである。

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映画レビュー

4.0教育勅語を言ってみろ!

2018年11月18日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 芦屋雁之助以外の山下清を初めて見た。時代も戦時中。「教育勅語を言ってみろ」なんて言われてもとぼけるだけの清が面白い。

 なんとか弁当屋に勤めることになった清だが、ヘマばかり。徴兵検査にも不合格になったけど、「死にたくない」という彼の信念が自然とそうさせたのだろう。精神病院に入れられたりしたが、終戦後には学園に戻り、油絵や切り絵に精を出す清。個展を大々的に開いたり、日本のゴッホと称されたりするが、清にとってはルンペン生活も捨てがたいライフスタイル。家庭の事情もあったが、放浪画家を続ける・・・

 旅の途中、自衛隊の行進を見たとき、「戦争をやらないのになぜ鉄砲を持ってるのか?」と素朴な疑問を持つ清。腹いっぱい喰えないだけではなく、清にとっても戦争の恐怖が植え付けられていたことがうかがえる。反戦、反自衛隊など、はっきり打ち出している映画なんて、現代じゃなかなか作られないんだろうなぁ・・・

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kossy