PERFECT BLUE パーフェクトブルーのレビュー・感想・評価
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『ラストナイト・イン・ソーホー』っぽい。
アニメですが大人向け、ジャンル的には、サイコホラー?サイコスリラー?
原作は小説だそうですが、僕は読んでおりません。
この映画版は大幅に変えてあるそうです。
エドガー・ライト監督が『ラストナイト・イン・ソーホー』のインタビューで、
「60年代、華やかなショービジネスの裏で性的に搾取された女性が相当いた」
みたいな事を言ってて、この映画を観ながら、同映画を思い出しました。
このレビューを書くにあたってググってみたら、やっぱ言われてるみたいですね。
ぽい、類似点ある、って、
『レクイエム・フォー・ドリーム』
『ブラック・スワン』
も、そうらしくて、
監督のダーレン・アロノフスキーは、この『パーフェクトブルー』を実写化したいとも思っていたんだとか…
いま名前を上げた映画が好きな方は、比べてみると面白いかも?
あっ、この映画は、あるアイドルの話です。
このアニメがしたこと
多分一般受けはしないだろうと分かってて作ったのだろうと。
そもそもこの監督は一般大衆からズレた所をやりたい人だったと思うので、映画作品としてはそこまで評価されてない。
ストーリーは猟奇的だがバブル以降にサイコスリラーやサイキック系ミステリーの作品というのは一種のブームでもあった。
この作品で凄いのはアニメでどこまでの描写をかけるのかという部分がふんだんに盛り込まれている。
同じシーンを実写で撮り直したら、どれほど陳腐でレベルの低いシーンになってしまうか想像すると分かりやすいかもしれない。
見る側は素通りしてしまうシーンも、もし自分が書く側、作る側だった場合に こんなにパンチの強いシーン切り取れるだろうかと考えると監督の才能が伺い知れる。
終盤の幻影が空を華麗に飛びながら主人公を追うシーンの軽やかさや不気味さはアニメでしか描けない
これを実写CGでやるとリアルが過ぎて安っぽいものになってしまう
アニメは誇張表現なので、いかに偽物をリアルに感じさせるかというのは監督の手腕とセンスにかかっている
この映画はジブリ作品とは別の意味でアニメーションを追及しており、全編あらゆるシーンにおいて新しい表現を切り開いたり挑戦しているのが評価されている部分だと思う。
監督の残した中で作画的な最高傑作ではないかと思う。
今見ても面白い
ビビって観るのを躊躇していた
グロは基本ダメなので、あらすじを読んでから視聴w
グロはダメな人でも耐えられるレベル
目をアイスピックで指すのが一番エグいだろうが、あのシーンは美しさを感じた
素晴らしい映像世界が広がる傑作
本当に見事なサイコ・スリラー!
今敏監督の才能から生まれる素晴らしい映像世界が広がる傑作。
ある三人女性アイドルの1人が「卒業」を発表し、アイドルから女優への脱皮を図ろうとするのだが、彼女を女優にしようとする関係者が次々と惨殺されていく。
犯人は? 彼女はどうなる? といったことを想起させながらも、現実と夢(もしくは虚構世界)を混在させる描写に混乱させられる。しかし、脚本が確りしているので、確かな着地を見て映画が終わる。これは、まさに「映像に浸る快感」であろう。
本作は、他の今監督作品とは趣きが異なる[R15指定]の世界。
また、キャラクター原案:江口寿史 とクレジットされているが、キャラクターを見る限り、本当に原案は江口さんが描いたのかも知れないが江口キャラとはチョット違う感じ。
今敏監督の遺してくれた作品は、いずれも素晴らしいだけに、本当に惜しい映画作家を亡くした…と思いながら、楽しませていただくのが監督への感謝だと思う。
<映倫No.115183>
実像、虚像、偶像、増殖する自己
現実の自分「実像」と理想の自分「虚像」の間で揺れ動く主人公の姿が描かれていた。
主人公は、アイドル(=偶像)で、ファンが見たい自分を魅せている職業。ファンが勝手に理想像を作り上げてしまうから、いつのまにかそこにその人本人は抜け落ちてしまって、実体のないイメージだけのものになってしまう。
普段は電車で通うし、スーパーで買い物するし、アイドルの自分とアイドルではない普通の人間の自分がいて、自分の像が2つ存在していて、入れ替わりながら生活している。
主人公は女優に転身する。女優はいろんな役を演じるから、自分の像は役の数だけ増えていくことになる。ネットの中で増殖していく自分と重なる。自分じゃない人が、自分を装ってホームページを更新する。主人公はそれを読んで「私、今日原宿行ってたんだ」と徐々に現実とフィクションの境界を失っていき、現実を生きているのか、夢の世界を彷徨っているのか、現実の世界でドラマの役を演じているのかわからなくなっていく。
アイドルの自分が乖離して自分から遠く逃げ去っていく幻想、反対に、アイドルの自分に追いつめられる幻想、割れた鏡に増殖して映る複数の自己、自分の影の部分が映る鏡の中の自己。すべてが物語とリンクして、自分を見失っていく様が重層的に描かれている。
主人公の視点で描かれていて、その主人公は自己を見失っているので、この物語は「信頼できない語り手」の系譜の物語。結局、殺人事件や、精神の不安定さが、どこまでがほんとうに起きたことで、どこまでが夢の世界で、どこまでがドラマの世界なのかを確定するのは不可能である。
哲学者デカルトの「我思う、故に我あり」という言葉がある。この物語の最後の主人公の言葉「私は、本当の私よ」はこれと同義であるように思った。「私」が「或る私」を「それは私である」と認識できる時に、私は、「本当の私」になる。実像と虚像の間で悩み、揺れ続けた「私」が自己を再確立する、というのが、パーフェクトブルーの大きなテーマであろう。
現在の私たちは、ネットの中の私・社会的な私・素の私を使い分けることが容易になっていると思う。Twitterでは病みツイートしていても、Instagramではキラキラ投稿をする。アイドルだって恋愛するし、ファンはSNSで日常が覗ける。複数の私を認識できるし、使い分けできる。
でも、この「PERFECT BLUE」という作品はインターネットが普及した初期段階のお話。自分の像はひとつであることが当たり前の時代だったのではないかと思う。だから、増えていく自分の像を簡単には受け入れられない。アイドルも本気で排便しないと思われていた時代だったのだから。1990年代の人間の心情を、インターネットの台頭という時代背景を的確に捉えて描いた、この時代だからこそ生まれた傑作であると思う。
まだ面白い
現実感の喪失
最近色々とアニメを観るようになったので、何故か海外でも評価が高い今敏監督の「パーフェクトブルー」を鑑賞してみました。えーと、率直に言うと「気持ち悪っ‼️」。
ドルオタのストーカーの描写が怖いんですよね。ホントにこんな感じ?ってか(失礼ながら)監督にはストーカー経験あるんじゃなかろか?っと思えるぐらい気持ち悪かったです。幸いストーカーの知り合いはいない(と思う)のですが、リアルであんな感じなのでしょうか?ヤベェな、ストーカー。
で、もう何処から現実で何処から妄想かわからない作りは観てる方もおかしくなっちゃいそうでした。blu-rayの特典に付いてたインタビューで今監督が「現実感の喪失を描いた」というような事を言っていたのですが、見事に監督の目指していた作品に作られてる感じです。見終わった後にゾワゾワする物が残ります。
結局ミマの関係者ほぼほぼ殺されますし、ミマもちょっと大丈夫かどうか怪しいエンディングだったのですが、20年以上前の作品にもかかわらず今観てもなかなかインパクトのある作品でした。当時から日本のアニメってスゴかったんですね。
サイコサスペンス
ドラマなのか夢なのか映画なのか現実なのか
なんだこの映画は・・・
ストーリーは理解できるが、細々した設定が多く一回見ただけでは理解できないかもしれない映画。
理解できなかった自分は見終わった後にネットのネタバレを見つつ、さらに作品の重要なシーンを見てようやく理解できた。
それでもどこか違和感が残る作品である。
それにしても最後、鏡を見ながら「私は女優よ」というシーン。みまの実際の毛色と鏡の中のみまの毛色が違うのはなぜなのだろう。
やーっと観た
心に余裕がある時に
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