「無様に駆けずり回っているからって現実とは限らない」PERFECT BLUE パーフェクトブルー バスト・ラーさんの映画レビュー(感想・評価)
無様に駆けずり回っているからって現実とは限らない
今敏監督没後10年の節目に「ソレイユ」が特集を組んでいます、いい機会なので見返してみる
いやー、やっぱり色褪せないてすね、普通のサスペンスなら話の筋や真犯人が分かっていてればドキドキはしないものですが、主人公の未麻が精神的に追い詰められて段々と自分の演じている役と実生活が混じりあいあやふやになっていく過程の演出が恐ろしく手に汗を握りました
今監督の作品は一貫して“虚が現実を侵食する”ことをテーマに扱っている、この作品では鏡を効果的に使ってそれを表している
当たり前だがアニメは実写とは違い絵に描かなければ存在しない、冒頭の楽屋の鏡だけでなく普通は描写をはぶくような電車の窓ガラスに映る虚像まで丁寧に描写して、さりげなく日常シーンにもう一人の自分を散りばめている
未麻の精神が不安定になるにつれ、鏡の中のアイドル・未麻が私こそが本物だと暴走をはじめる、このあたりから作品内のドラマのシーンに現実の人物が嵌め込まれたり、その逆があったりと時系列が追いづらくなる
そしてクライマックス、事件の黒幕がマネージャーのルミだとわかるシーンでは鏡の中に映るのが太った体をアイドル衣装に押し込んだルミで涼やかな笑みと重力を感じさせないスキップで夜の街を飛び回るのがアイドル・未麻という逆転が起きる
最後の病院のシーンでは鏡に話かける虚像に囚われてしまったルミ=ミマと女優として成功している未麻の対照的な結果に
この話は主人公がアイドル=押し付けられた虚像から女優=本当の自己になるアイデンティティ獲得とか、成長物語だと思う人がいるらしい
でも、本当にそうだろうか
もしそうならどうしてラストで「私は本物だよ」と言ったのがバックミラー、鏡の中の未麻だったのか、第一女優=現実の自分なんて皮肉すぎない?
不思議なシーンはもう一つ、暴走をはじめた虚像未麻が「もう一度アイドルとして二人と歌う」といってもといたアイドルグループのライブに乱入するシーン
明らかに二人に未麻が見えている様子なのがおかしい、あの場にはルミもいたので扮装したルミだった可能性も無いわけではないけれど、それならもっと大事になってるだろうし、他の二人が困惑顔をしつつも踊り続けているのは変な気がする、まあこの辺の解釈はひとそれぞれかな
「この映画は未麻視点だから虚像未麻は幻覚、最後だけ視点がルミに移った」というある意味分かりやすい構造でも充分見られるけどどうにも釈然としない、もやもやとした気味の悪さを残す所が素晴らしいと思う
鏡の外側が虚構でないとは言い切れない不気味さは実写のように緻密に描き込まれたアニメーションならではかもしれない