日本暴力列島 京阪神殺しの軍団
劇場公開日:1975年5月24日
解説
暴力団の縄張り拡大の時に先鋭隊となって暴れまくる暴力集団の実態を描いたアクション映画。脚本は「少林寺拳法」の松本功と野波静雄、監督は「日本仁侠道 激突篇」の山下耕作、撮影は「逆襲!殺人拳」の山岸長樹がそれぞれ担当。
1975年製作/93分/日本
配給:東映
劇場公開日:1975年5月24日
ストーリー
昭和27年。大阪・阿部野の暴力団庄司組の客分だった花木勇は、数人の仔分を従えて暴れまわっていたが、とある抗争事件がきっかけで、花木と同じ韓国人の金光幸司と兄弟のような親しみを感じるようになった。当時、大阪は大組織の天誠会と日新連合会が張り合っていた。大阪・今池を縄張りにする日新連合会系の仁田組と花木たちが事件をひき起こした事で、日新連合会々長の国友は、庄司組を強引に加盟させた。これに不満な花木は組を去り、庄司組を襲撃して組長を殺した。自首した花木は五年の求刑を受け、留守を金光が守る事になった。三年後、花木は出所した。その頃、仁田組をバックに新興の桜会が花木の縄張りに出没していた。花木が喫茶店のウエイトレスの石沢ケイコと知り合ったのはこの頃だった。彼女は花木を待ち伏せしていた桜会の数人に犯されたが、二人は結ばれた。この年の5月、天誠会大槻組々長に見込まれた花木は、大槻の舎弟分となった。そして、桜会との幾度にも渡る抗争の末、遂に桜会を壊滅させた。この功により、昭和31年3月、花木は天誠会々長の盃を受け直系の若衆となった。時あたかも全国制覇を目論む天誠会は、花木軍団を先兵として全国各地に送り込む事になった。昭和32年、山陰・城崎に花木、金光、松原等が乗り込み、三田一家の縄張りを荒しまわった。しかし、この抗争中、花木の子を宿したケイコが巻き込まれ死んだ。城崎を制圧した花木軍団は、その後、奈良、和歌山、北海道を次々と征服していった。昭和35年、花木は岐阜・柳ヶ瀬に花木商事の看板を掲げた。花木は大槻から柳ヶ瀬を取ったらまかせる、という約束をとりつけていた。岐阜の風間会は、日新連合会々長の国友に助けを乞うた。天誠会は多数の組員を岐阜に送り込んだ。だが、岐阜県警も手をこまねいてはいなかった。大槻、風間、国友の三者会談がもたれ、大垣を花木組に譲る事で天誠会は手を引く事になった。だが、この手打ちに不満な花木と金光は、抗争を続けたために、金光は大槻の派遣した殺し屋によって、殺された。そして、花木も大槻の次の指令を使えに来た松原を殺した。即座に天誠会から破門された花木は、姿を消した。彼は日本の何処かに身を潜め、牙を研いているのだ……。