「ありふれた男が忘れてしまった「ありふれた幸せ」。」アメリカン・ビューティー すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
ありふれた男が忘れてしまった「ありふれた幸せ」。
○作品全体
ありふれた郊外の住宅街の、ありふれた通りにある、ありふれた家に住む主人公・レスター。
平凡で退屈な「生きながら死んでいる」生活を過ごす、ごくありふれた悲しき中年男性だ。家族に嫌われ会社に嫌われ、人生に行き詰まりを感じているところに娘の友人・アンジェラが現れて、世界が鮮やかになっていく…という物語なのだが、娘の友人に惹かれる父の姿は、最高に気持ち悪い。さらに言えばアンジェラの人間性を知って惹かれるならまだしも、外見に一目ぼれして、脳内で理想のアンジェラを作ったうえで夢中になっている。思春期男子ならまだしも、中年男性がやると凄くキモい。
ただ、そうでもしないと世界を変えることができない中年男性の悲哀がそこにはあって、アンジェラと出会ったことで思うがままに振る舞い始めたレスターの影に「未来を捨てた自暴自棄」という言葉がちらついてしまう。そしてその自暴自棄は「妻や子との幸せ」という過去をも捨て去ってしまうところに、鬱憤を晴らすカタルシスだけではない、ほろ苦さがある。
アンジェラが自分の思い描いた女性でないことを知って目が醒めるレスター。アンジェラから幸せかと問われ、幸せだと答える。アンジェラが理想の女性ではなく、娘から恨まれ、妻は不倫している状況のどこが幸せなのだろうか。それはきっと妻がいて、娘がいて、みんなで笑いあえた「ありふれた毎日」という幸せを再認識したからだろう。作中でアンジェラと出会ったときの感情を「長く眠っていて目が醒めたよう」とレスターがモノローグで語る。アンジェラとの出会いは、レスターの中に埋もれてしまっていた幸せに気づかせるきっかけであり、幻想的な幸せから醒めたとき、手のひらにあった幸せに気づいたのだと思う。
しかしそれに気づいたときにはすでに遅く、手のひらにある幸せに気づけず、息子を傷つけたフランクによって撃たれてしまう。物語の最後はレスターの抽象的なモノローグで幕を閉じるが、「いずれ気づく」と話すレスターが伝えたかったことは、要するに身近にある幸せなのだと感じた。
ただ、身近にある幸せを一度忘れてしまうと再認識することはとても難しい。再認識できたとしても、その喜びを身近な人たちに伝えることはさらに難しかったりする。しかしそこで足踏みをしてしまうと、レスターやレスターの妻のように後悔することになってしまう。そんな警鐘が印象に残る作品だった。
〇カメラワークとか
・妄想シーンの大量のバラを使った演出は、同じくサム・メンデス監督の『ジャーヘッド』の砂に通ずるものがあった。あっちも悪夢で大量の砂を吐き出す、というシーンがあった。
・デジタルカメラ越しの映像の使い方が良かった。映画用の高性能なカメラと違って、すこしチープな感じがするズームとか手ブレ。リッキーの部屋からレスターの家を隠し撮るシーンとか「生っぽさ」が巧く出てた。
・ファーストカットとラストカットが同一。レスターが死ぬことを早い段階で明示して、「いつその瞬間がくるのか」「誰がを殺すのか」を常時念頭に置かせ、その種明かしをするという構成のフックとしても使われてた。
〇その他
・人間関係の構図の作り方が上手だなと思った。例えばアンジェラは人とは違う「特別な人」であることにこだわる一方で、他の男子は違うリッキーを嫌悪する。実はアンジェラは口だけの「特別な人」だったことが明かされることで、ホンモノへの嫉妬心とか嫌悪感だったんだとわかる。
外見に悩むレスターの娘・ジェーンにとっての最高の薬が「撮られること」というのも面白かった。リッキーとジェーンが親交を深めるシーンに時間が割けない分、ジェーンがリッキーに惹かれる理由を端的に、強烈に描いていた。
・風に舞うビニール袋というモチーフが良かった。「中身が空」とか「周りに振り回される」とかっていろんなモチーフがあるけど、着眼点が面白い。ごくありふれたもので、デザイン性がなくて、チープなものほど心に刺さるときってあるなあ、と思った。
・「身近にある幸せ」っていうテーマ。大切さに気付く場面の作り方次第で安っぽく見えるときもあるから、定番だけどすごく難しい題材だと思う。本作も幸せだと話すレスターの表情とか画面の雰囲気はすごく良いけど、幸せだったころの回想を映しちゃうのは映さなくてもわかるものを映しちゃってるな、みたいな感じがした。
・ラスト、レスターが撃たれて妻が泣き崩れるところの芝居が良かった。クローゼットにあるレスターの服を握りしめるっていう芝居。短いカットだけど印象に残る。