涙くんさよなら

劇場公開日:

解説

「帰ってきた狼」で共同執筆した倉本聰と明田貢がシナリオを担当。「帰ってきた狼」の西村昭五郎が監督した、青春音楽路線第一作。撮影は「放浪のうた」の姫田真佐久。

1966年製作/82分/日本
配給:日活
劇場公開日:1966年7月30日

あらすじ

ワシントン。父親がアメリカ人、母親を日本人にもつジュリーは、父が死亡したので母を訪ねて日本へ渡ることになった。みなし児のため、ジュリーの周囲の入れ知恵で、父の死によるショックで口がきけなくなったことにして、慈善団体の援助をうけることができたからだ。無論、日本の慈善団体もだまっていなかった。日本の慈善団体代表が、猪又SAT・TV社長夫人だったことから、SATは強者、御前をキャップに母親捜し大キャンペーンを実施することになった。日本に到着したジュリーは、慈善団体やマスコミの功利的な態度に嫌気がさし、一人で昔母親が芸者をしていた料亭“山岡”を訪ねた。“山岡”の女将の子健や、ヤング・アンド・フレッシュの三人と雅子達は、取巻きの売名行為に抵抗を感じ自分達の手で、ジュリーの母親を捜し出すことを誓った。ポンコツカーに乗った七人の若者は、一路、母葉子の転居先京都の“嶋の家”へ向かった。一方、健達の情報をキャッチした御前達は、母親探しのドキュメント・フィルムを作成することになり、ジュリー達を尾行した。虚々実々、二組の間に東海道珍道中が繰り広げられた。やっとのことで追跡を振り払ったジュリー達は、待望の“嶋の家”へ到着した。しかしそこで知らされたのは、思いがけなく葉子の死だった。すなわち、財閥の夫人におさまっている葉子は、涙ながらにも、現在の地位を棄てることができず、娘を目の前にしても母親と名乗ることができなかった。醜い大人達を前にジュリーは、口が不自由だと装っていたことも忘れて大声で泣きわめいた。ジュリーの真実を知った大人達は、今度はいともたやすく彼女を攻撃する側に立つのだった。そんなジュリーを励ますのは健達以外になかった。ジュリーは、温い健達の友情を胸に、再会を約束して日本を飛びたった。そこには、希望に満ちた青春群像があった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

2.5九ちゃんが目的なら全く空振りです

2025年4月8日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

涙くんさようなら
1966年7月公開、日活カラー作品

この曲は
坂本九ちゃんのヒット曲として知られています
なのでその映画化作品なら坂本九ちゃんが出演しているものと思い込んでしまいますが、チラリとも出演していません
理由はややこしいのですが、こういうことらしいです
この曲は元々は1965年5月発売の坂本九ちゃんのシングルです
でもさほどヒットにはならなかったそうです
この曲が同年9月にジョニー・ティロットソンという米国人歌手がを英語と日本語の両方でカバーを発売したところ大ヒットします
この人は米国ではヒット曲も何曲もある有名歌手です
この大ヒットを受けて翌1966年7月30日公開で年映画化されたのが本作という訳です
それで坂本九ちゃんがでず見知らぬ白人歌手のジョニー・ティロットソンの歌唱シーンや台詞のあるシーンがあるということです
公開の1ヶ月前の6月29日にビートルズが初来日しています
それで日本では空前のエレキバンドブームになり、それがのちのグループサウンズになるのですが
その草分けのザ・スパイダースが主要登場人物達として出演して演奏シーンもヒット曲「夕陽が泣いている」などがあるというわけです

ジュディ・オングは16歳
2歳から日本に住み9歳から劇団ひまわりに入団して芸能界入りしています
その美貌が花咲こうとしているのを映画関係者が目ざとく見つけてヒロインに起用したのでしょう
お話は日米ハーフのヒロインの父が死に、生き別れの日本人の母を探すため単身来日するというもの
それを美談として大きく取り上げようというテレビ局がのりだして
騒動になるというものです
東京から、母のいる京都までのロードムービー的な作りも楽しめます
しかし九ちゃんが目的なら全く空振りです

因みに上を向いて歩こうは1961年10月の発売

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あき240