トキワ荘の青春 : 特集
コア映画ファンに発見してほしい、96年の隠れた名作
埋もれているのがおかしい…トキワ荘を描く青春譚が
デジタルリマスターで復活&劇場公開へ
「『漫画少年』、読み切り18ページ、締め切り来週まで!」
夕日が斜めに差し込む廊下を、途方に暮れた漫画雑誌編集者が声を張り上げ歩いている。すると、左右に8つある4畳半の部屋から、ペンだことインクだらけの手がニョキニョキと伸びてきてこう言う。
「俺、やります」「僕も」「俺が描きます」
ここは昭和30年代、東京・豊島区の木造アパート「トキワ荘」。ペンと紙で世界を変える、野心に満ちた若者たちの要塞――。
2月12日から公開される映画「トキワ荘の青春」は、手塚治虫をはじめ日本を代表する漫画家たちが、若き日を過ごしたトキワ荘の日常を描いている。主演は「おくりびと」「永い言い訳」の本木雅弘が務め、「東京兄妹」「トニー滝谷」などの故・市川準監督がメガホンをとった。
日常の何気ない“良さ”を切り取り、のちの大作家たちの若きエネルギーも余すところなく盛り込んだ本作。実は、新作ではない。1996年に製作・劇場公開され、多くの批評家やクリエイターに絶賛されたものの、興行的には全く振るわなかった作品を、デジタルリマスターで復活させたものだ。
鑑賞すれば「珠玉の名作」だと一目でわかるが、なぜ当時は評価されなかったのか? そして、なぜ2021年の現在に、デジタルリマスターで再び劇場公開されることになったのか? 「見るたびに泣いてしまう」と語る大根仁、岩井俊二らの本作への偏愛ぶりや、物語の見どころなどを交えて、25年におよぶ「トキワ荘の青春」の“旅”をたどっていこう。
犬童一心、成島出、岩井俊二、大根仁ら名匠も心酔する
「埋もれていた傑作が蘇った」「世界で一番美しい」
本作はクリエイターや俳優たちのファンも多い。その良さを心で感じてもらうため、名匠たちが口々に「大切な映画」と語るコメントを紹介しておこう。
犬童一心(映画監督)青春、その未決定な時間の魅惑と残酷。仲間の温もりのかけがえのなさ、光が見えてくる者の歓喜、去っていく者への慈しみ。市川準の見事な語り口で「トキワ荘」が描かれ、漫画黎明期の輝きが蘇る。この映画は生涯の糧になる。何のためにそれを為したいのか? 時代の流れに身を投げるのか? 諦めるのか? 踏みとどまるのか? 終わらない逡巡に立ち止まったとき、トキワ荘のテラさんに会いたくなる。
成島出(映画監督)埋もれていた傑作が蘇ってくれた。本当に嬉しい。全く無駄が無く、でも全ての事が深く深く伝わってくる。彼らの青春がおもしろく、そして哀しい。
岩井俊二(映画監督)新たに蘇った市川準作品はあまりにも美しかった。漫画家寺田ヒロオの挫折。俳優大森嘉之の素晴らしさ。改めて市川準監督の唯一無二の演出に感じ入った。ラストカットのアイディアには思わず息を呑んだ。
大根仁(映像ディレクター)劇場、VHS、DVD、今まで何度観たかわかりませんが、観るたびに泣いてしまいます。先日、デジタルリマスター版を観たら泣くシーンが増えていました。映像・照明・美術・演出・芝居、何もかもが美しい、世界でいちばん美しい映画です。
96年に製作、トキワ荘に集う漫画家描く昭和青春物語
当時は注目されなかった、“早すぎた”珠玉の名作
これほどの愛を受ける作品だ、“誰もが知る名作”と呼ばれていても全く不思議ではない。しかし現実は、知る人ぞ知る“隠れた名作”という扱い……。なぜなのか。本作がたどった25年の旅を、4つのポイントにわけて追体験していこう。
Point1. 監督・市川準、主演・本木雅弘、共演・無名時代の阿部サダヲら
トキワ荘に住む「漫画の神様」手塚治虫のもとに、編集者たちが日夜通い詰めている。向かいの部屋で暮らす漫画家の寺田ヒロオ(本木雅弘)は、その様子を眺めつつ出版社への持ち込みを続けていた。
やがてトキワ荘を去った手塚と入れ替わるように、藤子不二雄こと藤本弘/藤子・F・不二雄(阿部サダヲ)&安孫子素雄/藤子不二雄A(鈴木卓爾)、石森章太郎/石ノ森章太郎(さとうこうじ)、赤塚不二夫(大森嘉之)ら、漫画家の卵たちが次々と入居してくる。寺田を中心に「新漫画党」を結成した彼らは、才能について悩みながらも互いを励まし合い、漫画の未来を熱く語り合う日々を送るが……。
「東京兄妹」の市川準監督が、事実に基づきフィクションとして漫画家たちの青春を描出。CM演出と映画を中心に活躍した市川監督の面目躍如か、瑞々しいショットの積み重ねが“愛おしい映像体験”を見る者に与える。窓を開ければ夏の熱い風とともに草木や畳やタバコの薫りが鼻をつく、“におい”がただよう映画を創り上げた。
そして主演は本木雅弘が担い、「よく描けているけど面白みがない」と編集者から評価される寺田に扮した。「おくりびと」で世界的な評価を受ける前だったが、本作での存在感と美しさはため息ものだ。つげ義春(土屋良太)の部屋で原稿を眺め、「やっぱり上手いですよ、こいつの漫画」とつぶやくなど、繊細なセリフ回しとあまりにも優雅な身体表現は、見る者の魂をもみほぐしてくれる。
さらに共演には、阿部サダヲ、鈴木卓爾、さとうこうじ、大森嘉之、古田新太(森安直哉役)、生瀬勝久(鈴木伸一役)、翁華栄(つのだじろう役)ら。今や演劇・映画界を支える名優たちだが、本作の製作時は名もなき“夢追い人”だった。2021年の現在に見ると、非常に豪華なアンサンブルがたまらない。
Point2. 見れば驚く珠玉の名作 なのに公開当時はほとんど話題にならず
上述の名匠たちが語るとおり、本作は正真正銘の名作である。しかし96年の公開当時はキネマ旬報ベストテン第7位に選ばれたくらいで、お世辞にも一般の観客に支持されたとは言いがたい。評価されなかった理由は、おそらくふたつある。
ひとつは、同時期に当時の世相を反映した“日本を代表する傑作”があったことだ。同年の日本アカデミー賞で最優秀賞コンプリートを成し遂げる周防正行監督作「Shall We ダンス?」、北野武監督のバイク事故後復帰作「キッズ・リターン」、地方自治体が初めて映画製作に乗り出した小栗康平監督作「眠る男」、いち早くパソコン通信を物語の中核に据えた森田芳光監督作「(ハル)」など。他の話題作に埋もれてしまった可能性は否めない。
もうひとつは、崩壊したバブルの日々を忘れられない人々にとって、本作はいささか“日常的で静謐すぎた”のではないだろうか。96年の興行収入トップ5を挙げてみよう。第1位「インデペンデンス・デイ」、第2位「ミッション:インポッシブル」、第3位「セブン」、第4位「ツイスター」、第5位「イレイザー」。そのどれもが、派手でカタルシスがともなう作品である。
結果から見れば、“動”を求めた観客から、“いい意味で何も起きない”本作はスルーされがちだった、と推察できる。要は、当時の人々にとって「トキワ荘の青春」は早すぎたのだ。
Point3. 25年の時を経て新たに復活 デジタルリマスター版が劇場公開
公開中に見過ごされてきた「トキワ荘の青春」だが、公開終了後も映画ファンの間で盛り上がったり、映画サイトのニュースになることはあまりなかった。というのも、国内で流通するDVD等は映像がやや暗く、音声も聞き取りづらい。鑑賞レビューや口コミで評判が広がらず、新規の観客・視聴者が生まれない構造になっていたのだ。
品質改善のリマスターをしようにも、楽曲や人物などの権利問題が入り組んでおり、クリアするための人的・金銭的・時間的コストの回収を考えると手が出せない。権利関係が解決しないとリバイバル上映や海外への輸出も難しく、新たなニュースはほぼ絶無。テコ入れするには、何か理由が必要だった。
こうしたケースは本作のほかに山ほどある。しかし幸運にも、時の流れが「トキワ荘の青春」の魅力を研ぎ澄ませた。社会が大きく変容した2021年の今、鑑賞すればトキワ荘の住人たちの日常はどこまでも味わい深く、肌がヒリヒリするほどアツく、そしてずっと見ていられるくらい心地よい。
配給を担ったカルチュア・パブリッシャーズのプロデューサーが、この“時の醸成”に目をつけた。「現代の人々にこそ感じてもらいたい」と掘り起こし、再び劇場公開することを決意。ポケットのなかで絡み合ったイヤホンのような権利問題を丁寧に解きほぐし、デジタルリマスターを施した。
約25年の時を経て、映像も音もクリアになった“真の姿”が、コロナ禍にのたうつ私たちのもとに届けられることになったのだ。
Point4. リマスターによって、見えなかった・聞こえなかったものが“見える・聞こえる”
最後に、劇場公開当時やDVD・配信などですでに鑑賞したことがある人に向け、デジタルリマスターで復活した本作の価値に言及しておこう。
注目は映像と音の品質だ。以前のバージョンでは暗くて見づらかった背景などのディテールや、ボソボソしゃべっていて聞きとれなかった会話やかすかな環境音が、見える・聞こえる状態に仕上がっている。
例えばつげ義春の部屋の窓から見える繁華街の景色。寺田たちが狭い部屋でギュウギュウに肩を寄せあって、チューダー(焼酎とサイダーを3:7で割ったもの)とウォルト・ディズニーの画集を片手に交わす漫画談義の詳細などだ。すでに鑑賞した人でも、新たな発見が次々と眼前に飛び込んでくるので、まるで新作のように楽しむことができる。
新作のように楽しめる、といえば、当時は無名だったキャストと、劇中の漫画家たちのシンクロぶりも印象深い。がむしゃらに芝居に打ち込んでいた若き日の阿部サダヲたちは、艱難辛苦を経て日本の演劇・映画界になくてはならない存在となった。
一方でトキワ荘の住人たちは、己の実力への歓喜と絶望を往還しながらもひたすら漫画を描き続け、世界に名を轟かす偉大な作家となっていった。両者の姿が重なって見える。それは、本作の劇場公開から四半世紀が経過した今、さまざまな条件が整ったからこそ目撃できる、蜃気楼のような瞬間なのだ。
このように、デジタルリマスター版は映像と音声だけでなく、時の流れによって生じた“作品の背景に宿るなにか”も見える・聞こえるようになった。2021年の今、本作の真の魅力を噛み締めに、劇場へ足を運ぼう。
※表記について
藤子不二雄Aは、Aは“マルで囲うA”が正式表記
石ノ森章太郎は、ノは“小さいノ”が正式表記