東京物語

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東京物語

解説・あらすじ

名匠・小津安二郎の代表作で、東京で暮らす子どもたちを訪ねた老夫婦の姿を通し、戦後日本における家族関係の変化を描いた不朽の名作。ローポジションやカメラの固定といった“小津調”と形容される独自の技法で、親子の関係を丁寧に描き出す。尾道で暮らす老夫婦・周吉ととみは、東京で暮らす子どもたちを訪ねるため久々に上京する。しかし医者の長男・幸一も美容院を営む長女・志げもそれぞれの生活に忙しく、両親を構ってばかりいられない。唯一、戦死した次男の妻・紀子だけが彼らに優しい心遣いを見せるのだった。

1953年製作/135分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1953年11月3日

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映画レビュー

5.0普遍的日常

2025年4月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

20年前か30年前かも定かではありませんが、初めて観たときは退屈でした。以来、小津作品は自分の好みではないと思って敬遠してました。でも、大好きなアキ・カウリスマキ監督は、今作を観て映画監督になったわけだし、ヴィム・ヴェンダース監督も小津監督を敬愛してやまないというし、ずっと避けてるのもどうかと思い直して、昨年、「彼岸花」(58)を観てみたらとても面白くて、「そろそろいいのかな?」と思っていた矢先、丸の内TOEI「昭和100年映画祭」で上映されるというので観ました。期待ハズレだったらショックだなという心配は杞憂でした。モノクロームの昭和の風景や暮らしぶりは少年時代を想起させて懐かしく、親子の情愛、夫婦愛、旧き友情は、どこかで自分の半生に重なり、とても身近に感じられました。若い頃には退屈に思えた平凡な出来事も、いつかは消えゆく儚きものという実感があると、全く違う感慨がありました。原節子扮する紀子にとって平山周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)は義父母に当たるので、自分の義父母のことと重ねて生前のご恩なども思い出しながら、人の老いや死についても感じました。派手なアクションもなく、宇宙人も出てこないし、美男美女のラブシーンもない、若者には退屈かもしれない映画の面白さがわかるようになってちょっと嬉しい映画体験でした。

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赤ヒゲ

3.0昭和28年の時点で核家族的なドライな状況が描かれている

2025年4月20日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

難しい

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ねこたま

5.0実は東海道山陽道を股に掛けるロードムービーだったことに驚く

2025年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

先日観た「羅生門」に続き、今年7月で閉館となる丸の内TOEIで開催中の『昭和100年映画祭 あの感動をもう一度』へ。今回は小津安二郎監督の永遠の名作「東京物語」を鑑賞しました。「羅生門」は配信で観たことがありましたし、黒澤作品はその他にも観たことがありましたが、小津作品は配信、劇場を問わず今回が初めてでした。

で、本作については、ダイナミックな展開が柱となる黒澤作品に比べると、大きな出来事が起こらない日常を描いたお話という認識で、笠智衆がずっと自分の家で過ごすお話なんだろうと思っていたのですが、実際に観たら全く違い驚きました💦自分の家どころか、尾道に住む平山周吉(笠智衆)・とみ(東山千栄子)の老夫婦が、東京に住む長男の幸一(山村聰)と長女のしげ(杉村春子)に呼ばれて東京に赴いて東京見物をし、滞在が長引きそうになると世話が面倒になった幸一としげが両親を熱海に体よく湯治に追いやったかと思えば、周吉ととみが再び東京に戻ってから尾道に戻る道すがら、とみが体調を崩して三男の敬三(大坂志郎)がいる名古屋で療養し、ようやく尾道に帰宅したかと思えばとみが危篤になり、そのまま亡くなってしまうという、東海道山陽道を股に掛けた一大ロードムービーでした。

また、両親をぞんざいに扱う幸一ととみに比べて、次男の嫁の紀子(原節子)は、2人を心から大事に扱うという対比も中々の見所。本作が公開された1953年と言えば、敗戦から8年しか経過しておらず、それなりに親子・家族の絆と言うものが色濃く残っていたように想像していましたが、実はその頃から徐々にそう言った考えが後退していた、もしくはその兆候があったのであり、そうした時代背景を元に小津監督が本作を描いたと考えるのが妥当なのではないかと感じたところです。そういう意味では、実は本作の主人公だった紀子は、折り目正しい前時代の象徴であり、幸一やしげは時代の先端の象徴だったようにも思えます。

さらには、基本的に穏やかな基調で描かれた本作も、紀子の夫が戦死したという重たい事実を土台にしており、また周吉とその友人である沼田三平(東野英治郎)、服部修(十朱久雄)の3人による居酒屋での会話でも、沼田三平をして「戦争はしたらいけない」と言わしめており、敗戦から8年、(一応)主権回復から1年経過した当時においても、戦争による深い深い傷が人々の心に残っていたのは間違いのないところなんだとヒシヒシと伝わって来ました。

以上、観る前はどんなに退屈な話なんだろうと勝手に構えていたものの、ものの見事にその予想は覆されました。そして当時の人々の心情を正確に映し出した極めて優れた作品であると当時に、尾道→東京→熱海→東京→名古屋→尾道を移動するという物理的にもダイナミックなお話であり、先の展開を観たくなるほどにのめり込む作品であることを感じ、非常に感激した次第です。

そんな訳で、本作の評価は★4.8とします。

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鶏

5.0小津やるやん ByZ世代

2025年1月29日
iPhoneアプリから投稿

小津安次郎の『東京物語』(1953)は、尾道に暮らす老夫婦が東京の子どもたちを訪ねるが、それぞれの生活に追われて相手にされない、という物語である。劇中、戦死した次男について「亡くなってから8年」と語られる場面があり、物語の時代設定は1953年頃と推測される。

1950年代の日本は、戦後復興が進み、第1次ベビーブームとともに東京の都市化が急速に発展した時期でもあった。本作は、そうした経済成長の波の中で崩壊しつつある大家族と、新たに台頭する核家族という家族形態の変化に直面する人々の姿を、多面的に描いている。

本作を観る中で、特に注目したのはカメラの画角とストーリー展開である。小津は、従来の映像表現のルールをあえて破る演出を取り入れており、例えばイマジナリーライン(180度ルール)を超えるカットが見られる。このような手法は、独自の映像スタイルを確立する一方で、観客にとっては空間認識が難しくなることもある。

個人的には、この映像表現にはあまり馴染めなかった。特に違和感を覚えたのは、ワンショット(ミドルショット)において障害物がほとんど配置されていない点である。肩越しのショットが少なく、主要人物の会話はほぼ単体ショットで表現される。さらに、二人ショットから単体ショットへのアクションやセリフの繋ぎがなく、画角もほとんどが真正面であるため、登場人物がカメラ越しに直接話しかけているように感じられた。結果として、観客である自分がセリフを言わされているような感覚になり、個人的には苦手なスタイルだった。

また、小津監督のこだわりである固定カメラも特徴的だった。現代の映画ではカメラが頻繁に動くことに慣れているため、動きのないカメラワークが不自然に感じられた。観測した限りでは、カメラが動いたのは上野公園で二人が扉の前の段差に座っているシーンのみだった。さらに、画角に関しても直線的な構図が多く、背景の家の間取りやドア、壁がほぼ垂直に配置されている。そのため、もう少し「斜め」からの画角があれば、より自然な映像になったのではないかと感じた。

編集についても気になる点があった。例えば、登場人物たちが団扇をはたいている場面では、アクションの繋ぎをスムーズに行うのが難しそうに見えた。しかし、それらを差し引いても、本作の物語は想像以上に面白かった。

小津監督については、『小早川家の秋』や『宗方姉妹』などのタイトルを知っている程度で、「家族」をテーマにした作品を多く手がける監督という印象があった。しかし、本作を実際に観てみると、単なるのんびりした郷愁作品ではなく、ストーリー展開が計算され、非常にバランスの取れた作品であることに驚かされた。全体的に緩急のテンポが心地よく、東京や尾道の雰囲気を存分に感じられると同時に、それらに飽きることなく観客の興味を引きつける展開がタイミングよく切り替わる。

例えば、老夫婦が半ば追い出されるように熱海旅行へ向かうシーンを振り返ると、
① 二人の会話
② 騒がしい旅館
③ 二人の会話
④ おばあさん倒れる
⑤ 二人の会話
⑥ 息子たちの薄情さを愚痴る飲み会&原節子の家で泣く
⑦ 二人の会話
⑧ 危篤

と、静と動のバランスが巧みに配置されている。このように、緩やかに見えて計算された展開が、観客を飽きさせない要因となっていた。

ストーリーとしては、藤子・F・不二雄の『オバケのQ太郎』最終回として語られることの多い「劇画Qちゃん」と似た哀愁や切なさを感じた。尾道からはるばる訪れた両親が半ば強制的に熱海へ追いやられる場面や、母親の危篤を知らされた次女が「喪服はどうする?」と長男と話す場面など、目を背けたくなるようなシーンがいくつもある。しかし、小津監督はそれらを激しい効果音や劇的な演出で煽ることなく、あくまで淡々と描く。そのため、京子が家族の冷たさに疑問を抱きつつも、他の登場人物たちは大家族の崩壊を粛々と受け入れる様子が、観客に対しても静かな強制力を持って迫ってくる。

本作は、単なる「古き良き家族の物語」ではなく、戦後日本の家族のあり方や価値観の変化を冷静に描いた作品である。その独特な映像手法や淡々としたストーリー展開には賛否が分かれるかもしれないが、映画表現の多様性を考える上で非常に興味深い作品だった。

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桃子