東京オリンピックのレビュー・感想・評価
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平和の祭典
長嶋も王貞治も、昭仁皇太子夫妻(当時)も固唾を飲んで見守る東京オリンピック
この東京オリンピック、
僕はテレビの生中継で観ました。
当時4歳。吉祥寺のアパートです。
大家さんのおばちゃんがお部屋に呼んでくれて、テレビジョンで見せてくれました。
日本選手団の堂々たる入場行進を、はっきりと覚えている僕です。
ついこの前のオリンピックの記録映画=「2020版」は河瀨直美でしたね。
「1964年版」の本作は、日本の庶民に向けて
「オリンピックとはどんなものか」を見せてくれる「教育・記録映画」としての側面と、
映画作家=市川崑の「五輪に込める人類平和の思想」を、車の両輪として、40年を経てから、2004年に改めて作り変えられた「ディレクターズカット版」でした。
たびたび監督の「願い」と「祈り」が、字幕として画面に投映されます。
つまり、単なるドキュメンタリーではなく、総体として、“文学作品”としての編集がなされているのです。
安岡章太郎や谷川俊太郎もチームに入れていることでもそれがわかります。
まずその内容の素朴さに驚きます。
女子水泳選手の名前の読み上げに「さん」が付けがなされれます。
また男子マラソンでも場内アナウンスは「くん」付けです。
町並みはもちろんのこと、60年前の応援する日本の庶民の顔つきなど、とにかく被写体の全てがバック・トゥ・ザ・フューチャーで面白い。
そして競技の最後を飾る男子マラソン。
アベベの後方から「落伍者収容」と大書したバスが写った時には、思わずデッキを止めて吹き出してしまう。
本作の鑑賞を終えて、
競技者たちの身体の躍動感とスポーツマンシップの高潔さに敬意を覚え、
感動のため息をついて、
やはり改めて返す返すも残念だったのは、先年の「2020年版の東京オリンピック記録映画」の哀れさでした。
・コロナ禍による1年の延期に加え、
・運営側の総崩れ。
・汚職、逮捕、金権まみれのあの開催を、
川瀬は記録映画として触れないわけにはいかなかったわけで。
「記録にも芸術にも、そして教育にもなりえなかった混乱」を、その混乱のまま仕上げたあの河瀨直美版。
あの闇に葬ってしまいたい「黒歴史」の「2020版」だ。
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今年は第39回パリ五輪の年。
2024年のパリオリンピック・パラリンピックのメダルには、過去の改修の際に取り外されて、極秘に保管されていたという「エッフェル塔の鉄骨材」が使われることになった。
金 銀 銅の各メダルには、フランスの国土を表す六角形のその「鉄片」が象嵌されている。
オリンピアン、パラリンピアンたちは、その表彰メダルと共にフランスのスピリットを自国に持ち帰ることになる。
デザインは、かのLVMH傘下の超高級宝飾ブティック、ショーメ。
メダルの意匠、競技場の威容、招致ビデオの卓越さ、etc.
世界各地で、またいずれの開催回に於いても、主催する国が自国の威信をかけて執り行われてきたこのオリンピック。
招致と開催そのものが、すでにアスリートそっちのけの熾烈な“デッドヒート”となっているのかも知れない。
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本作品は、当初依頼されて上納された3時間を超える公式記録映画から、20分のフイルムをカットしたものらしい。
2004年のこの時期になぜリメイク発信を?
もともと短い演奏時間の「君が代」が、たぶん意識的に?全曲流れずにカットされていることに、僕はハッとした。
本作品は、
「ビルマの竪琴」
「野火」
を撮ったのが市川崑なのだと解っていなくては、「反戦」という本作の隠れ主題は見えてこないのだと思った。
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馴染みのない競技が次々と追加される五輪であるが、
「テレビゲーム」と
「ブレークダンス」(ブレーキン) がパリ五輪からの新種目だそうだ。
「ブレークダンス」がなにゆえと思ったが、その発祥は、
・ナイフや銃やメリケンサックを捨てて、
・暴力沙汰に明け暮れていた若者たちに抗争を断ち切り (=Brakeし)、
・ダンスだけで勝負する「新しい戦い」を教えたひとりの人間がいたことを僕は知り、言いようのない感動を覚えた。
サーフィン、テレビゲーム、そしてブレークダンス、
いいじゃないか!
市川崑が存命していたら、このへんてこな競技を心底喜んでくれたのではないかと思う。
( ちなみに僕は人を標的として競う「ピストル競技」だけは反対している廃止論者です。
クレー射撃や 槍投げなどの、原始の時代からの「食料を得るための狩猟」が由来の競技ではなく、
人間を撃つ事が目的のピストル。
人の命を威嚇するための道具、ピストル。
警官や軍人しか参加できない特殊競技。
そんな「ピストル競技」は、異様だし五輪憲章には、まったく、絶対に、そぐわない。
廃止か非公開が望ましいと思います )。
追記:
せっかく開催国特例の「種目の希望が通る制度」があるのだから、
逆に、銃規制の国=日本での開催であればこそ、「ピストル」は止めるか、青少年の目には触れぬように、IOCに対して特例で非公開を望むべきだった。
人を標的にする武器の腕前で、金メダルを取る競技を、
オリンピックは今後も続けるべきか?
記録映画でも、芸術映画でもない中途半端な作品だと思う。
画面をトレミングしすぎている。また、カットしすぎ。競技している映像に関係ない映像が挿入されている。だから、状況がつかめず、緊迫感が伝わってこない。見ていて、イライラする。
小学三年生の時、近くの公園で野外映画を、いやいや見せられた。チャスラフスカさんの体操くらいで、何も覚えていない。運動会が嫌いだったので、でっかい運動会が始まったと苦痛に感じた。だから『つまらない』って周りのみんなに話していたのを思い出す。親父が『ビルマの竪琴』の監督だから『面白いはずた』と言っていたが、面白くなかったので、この頃から親父の話は信用できなくなり始めていた。『ビルマの竪琴』も面白くなかった。近日中にレニ・リーフェンシュタールの民族の祭典を見てみようと思う。
東京オリンピックは単純な国威発揚の映画ではない。なぜなら、国威発揚を出来ない位、日本は弱かったから。もっとも、それでも、国威発揚させようとこの映画は努力はしているが。さてドイツはどうだろう。
追伸 選手が食事中『コーク』を飲む場面があるが、サブリミナル効果があるものと思う。その効果ではないが、この頃からコークの広告が増えたと記憶する。僕もこの頃初めて飲んで、衝撃を受けた。しかし、我が親父には飲ませてもらえなかった。『あんなもの不良が飲むんだ』って言っていた。親父はコカインが入っていると思っていたらしい。ヒロポンで身を滅ぼした仲間の事も良く話していた。
さて、オリンピックを平和の祭典って言うが、1964年と言えば『公民権法』が制定されて、アメリカは黒人を徴兵出来るようになり『トンキン湾事件』が起こる年。つまり、アメリカがベトナム戦争を過激化させる年。平和なんかじゃない。
1964年 東京オリンピック記録映画
1964年に開催された東京オリンピック記録映画
市川崑総監督の元 制作された記録映画で
選手の姿や表情が鮮やかに描かれている。
当時 市川崑演出は記録映画か芸術映画かで物議を醸したが
現在この作品を見ても出来は素晴らしく
歴史的な映像作品と評価されて良いと思う。
続編
続編を作るのは今の私たち。このままでは、悲惨なストーリーになってしまう。80年前の日本人が阻止出来なかった悲劇を繰り返したくないと思うのは私だけか?いや、たくさんの日本人が、過去の過ちを繰り返したくないと、もがいている。金の猛者と名声に飢えた者から国民を救おう。
歴史遺産。 魂のぶつかり合う競技ドラマはもちろん、観客や風景で時代...
歴史遺産。
魂のぶつかり合う競技ドラマはもちろん、観客や風景で時代が見える。
ベストビューティー賞・・該当者なし。ある陸上選手にしようと思ったが、レース後すぐ婚約者と厚き抱擁、却下(笑)
ラストメッセージも良かった。
人類は4年ごとに夢をみる
この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか
さて今年の五輪、やるんですか?やるんでしょうね。商業化されすぎた現在の五輪。どこか、何かが違うような気がします。
高揚感溢れる本物の大会、そして本物の映画!
NHKのBS放送の録画で何十年ぶりかで鑑賞。
この映画から受ける、
何かとショーアップされた
昨今のオリンピックには無い
素朴な雰囲気の大会から受ける高揚感溢れる
感動性は、
今風の進歩したCG特撮映画では
本物のように見せられながらも
何故か心に響かないシーンの作品に比べ、
実際にそのシーンを作って撮影したかつての
映画作品のように、
全てが本物っぽく見えたためかもしれない。
どんなに優れたCG作品として評判
となった昨今の映画でも、例えばかつての
「大列車作戦」の列車脱線シーン等の
緊迫感には足元にも及ばない。
人間はまだまだ本物とそうでない物を
見分ける能力を持ち合わせている
のだと思う。
いくら高度な技術を使った
近年のオリンピックであっても、
この東京オリンピックのような感動は
生まれなかったのではないかと想像
してしまう映像の連続だ。
本当の感動は人と人との
真の触れ合いからしか生まれず、
また、映画としてはそこにしっかりと
フォーカスされているからだろう。
確かに来日した選手や関係スタッフ
及び観戦者の皆さんには
現代の社会水準から比較したら
何かと未設備だったり未熟な対応点も
多かっただろうから
多大な不便や不満を感じさせた要素も
少なくなかったとは想像出来るものの、
それこそ“本物のおもてなし”の心から
世界中から来られた皆さんと
日本人に心豊かな結果をもたらしたのだろう
ことを画面から感じ取ることが出来る
見事な映画だ。
それなのにこの作品が完成した後、
国は公式記録映画には相応しくないとして、
別の記録映画を作った。
各競技の選手や記録に
充分に焦点が当てられていない
との理由だったと記憶しているが、
果たしてオリンピックは選手や記録の記憶
のためだけのものだろうか。
コーチ・監督のスタッフ他の大会関係者だけ
に留まらず、
会場・テレビで観戦する国民や、
もっと言えば興味深く注目頂いている
世界中の全ての方々のものだろう。
その意味では、この作品は競技記録だけに
留まらず、
選手の心情に迫ったシーン、
関係スタッフの裏方的な努力のシーン、
観客の悲喜こもごものシーンが
丁寧に拾われており、
素朴な大会の中で人間そのものを
拾いまくったそれがまさに
“真のオリンピック精神を体現させた大会”
に相応しい映画だったと思う。
クロード・ルルーシュはこの映画の影響から
「白い恋人たち」を作ったとも聞いている。
総監督を務めた市川崑作品は、
戦記物、文芸作品物、横溝正史物などを
随分観たが、
この映画ほど世界的に意義があり、
誇らしく思えるものは無かったと思える
素晴らしい作品だった。
人間が躍動し、熱狂し、歓喜する
戦後の上り調子の時代に、東京で開催されたオリンピックの意義。
渾身を込めて存在をアピールしたニッポンを、渾身を込めて撮り上げた作品は、それを良く映し出しているなという印象。
通常、スポーツの映像には軽いアップテンポな音楽がつくけれど、それこそ殺人事件ドラマのような重いBGMは、選手たちが積み上げてきた苦労、努力を滲み出させるよう。
射撃シーンは完全無音で、ここで感じるのは、集中力。
音楽の使い方が本当に面白い。
どこか、普通の日本人観客の目線ぽく、異国から来た見慣れぬ外国人のモリモリとした身体を凝視するように、躍動する選手をフォーカスするかと思えば、たった2人だけでやってきたアフリカの選手をちょっと掘り下げてみたり、ニッポン、ニッポンではなくオリンピックというイベントを、幅広くかつ独特の視点で見せている。
あの当時のオリンピックの意味とは、日本人だけではなく、参加国すべての人達に大きな意味があったのだろうなと、最後のごちゃまぜになって歓喜する閉会式のシーンを見て、思うのでした。
わたしは東京オリンピック公園で遊んで育ちましたが、東京オリンピック自体は経験していない世代です。
あの熱狂を生で感じたかったなあ。
日本映画屈指の傑作
一体何が始まるんだと驚いてしまう冒頭部分の音楽。そして競技が始まるまでに30分もかけている。この部分が重要でこの映画が何を表現したいのかを表明している。
競技が始まると時には超クローズアップで時には引いたカメラで。町や建物を映し、人々を映し、子供を映し、女を写し、天皇を映し。日本人を写し白人を映す。 この時代まだ黒人の観客はいない。時にはコミカルな、そして全体的には緊張感を漂うまるで戦争映画のような音楽を使って協議を見せていく。この音楽の使い方が緊張感がありオリンピックという平和の祭典の影に戦争という裏テーマがあるのがわかるのである。
監督はあの手この手で映像を繋いで行く。
それぞれの競技の撮影の仕方が芸術的にすごい。スポーツの記録映画としては完全に失格。これは多分、日本国の発注であるからこういうものは作ってほしかっわけがないのだ。監督は大胆にも国の金を使って自分の作品を作ってしまった。映画ファンにとってはそれがそこはかとなく嬉しい。まず最初の 投擲競技なんか、どういうフォームで投げているのか全くわからない。バストアップでしか写してないのだ。しかし美術芸術的にはそれが優れている。映画全体を通してそのような哲学に貫かれており競技の説明をする気など一切感じられない。
途中で休憩をはさみ、少し選手の選手の個人的な話なんかを入れて間を取る。そしてまた競技に戻って延々と映し続ける・・・これでなんで飽きないのが不思議としか言いようがない。
そして3時間近い映画が終わった時には、ああ、この場面もあった、この競技もあった、と長かった映画のいい場面を振り返りながら見終えるのである。
戦争から19年後・・・というと若い人にはとんでもなく長い時間が経ったように思われるかもしれないがおっさんからするとあっという間なのだ。だから完全復活した街並みや元気な人々の笑顔、姿というのはそういうことを重ねて見れるんですね。そして今こういう世の中になって良かったという感動に包まれるのです。
単なるスポーツの祭典の記録映画を超えて、日本に取り東京オリンピックが一体どんな意味を持っているのかを表現しています
今日は2020年7月24日です
本当なら今日東京オリンピックの開会式のはずでした
新型コロナウイルスの猛威によって、1年延期されたのはご存知の通り
考えてみれば今大会は色々とあやがついています
国立競技場の建て替えにはじまり、猛暑でマラソンは札幌開催になり、お台場の海は汚水の悪臭がするとかもありました
果ては1年の順延です
それに比べて、前回の東京オリンピックはなんと順調なんでしょうか
全てが上手く行っているのです
その事が強く印象に残りました
登り坂の勢いの前回大会での日本
下り坂に転がり落ちないように踏ん張りながらの今大会の日本の違いが映像から伝わってきます
本作は単なる記録映画ではない、映画としての芸術であったのは間違いありません
しかしそのことによって前回大会とは日本に取ってなんであったのか?
オリンピックとは本来何であるのかを表現しえており永遠の生命を得ていると思います
本作の映像には映画的な美があります
そして映画的な感動をもたらしてくれるのです
選手の活躍や、その肉体の躍動はもちろんですが、観客やグランドスタッフにカメラの視線が長く向けられています
1964年の日本人の姿、それも小さな子供達から、かなりの高齢の老人までを満遍なく、普段の暮らしまでが伺える服装で応援する姿を捉えようとしているのがわかります
そしてまた当時としては初めて大量の外国人を受け入れて世界の中の日本、国際社会で世界に互して活躍する日本を、外国人の観客の姿を通して表現しているのです
本作は単なるスポーツの祭典の記録映画を超えて、日本に取り東京オリンピックが一体どんな意味を持っているのかを表現しています
そして東京オリンピックを通して世界平和を日本は希求し、実践していくのだと表現しているのです
東京オリンピックの記録映画は、本当は黒澤明監督が担当する筈でした
日本を代表する国際的映画監督ですから当然の人選です
しかし黒澤明監督の撮影プランはあまりにも巨大になり開会式や閉会式、競技まで撮影の為にあるかのようなものとなり、予算は論外の規模、撮影する機材が日本中の映画会社からかき集めても足らないようなものとなり、大問題となってとうとう黒澤明監督は辞退したのです
それも開催前年の11月にです
後任を誰にするかでまた揉めて、結局市川崑監督に決まったのは1964年1月だったそうです
なんと開会9ヵ月前です
そこから本作を作りあげたのです
やり直しの出来ない一発勝負
誰が金メダルを取るのかも分からない筋書きのない中、一体誰を被写体にして良いかも分からない
撮影ポジションの確保、強力な照明の設置も競技が優先される
そんな制約ばかりの中でこのクォリティーの映像を撮っているのです
事前に映画方針を構想して、全スタッフに徹底させ、それに沿って大量の素材を撮り、予選などで撮ったラッシュを元にすぐ決勝での撮影プランを修正するという仕事を連日繰り返したに違いありません
そうして撮れた、あるいは撮り損なったフィルムを編集してまとめ上げているのです
それも己自身の美意識、編集方針だけでなく、大会組織委員会の意向を調整したうえのことです
全く恐るべき手腕だと思います!
市川崑監督は本作前年の1963年に「太平洋ひとりぼっち」を監督しています
その作品も単なるヨット映画ではなく、日本人に取ってどのような意味を持っていたかがテーマでした
本作のテーマはその延長線の先にあったと思います
だから、市川崑監督が東京オリンピックの公式記録映画を監督するのは当然であるとも思います
翻って2020年東京オリンピックです
その公式記録映画は一体どのような方針で「何が」撮影されるのでしょうか?
本作のように、単なるスポーツ大会の記録映画を超えたものであって欲しいです
21世紀の日本にとって、今大会は果たしてどんな意味があったのか?
コロナウイルス禍で世界がどのように変わってしまったのか?
そんなことが映像に活写され残されなければならないと思います
芸術か記録かという論争がかつてあった
リーフェンシュタールのベルリンオリンピック記録映画に通じる、選手たちの筋肉の記憶。ただ躍動する選手の筋肉を捉えたことがまるで違う。そのせいなのか投てき競技シーンが多かった笑。
当時の風景や人々の顔がすごくいい
昔テレビで放送されたのを家族で見た記憶がある。両親はリアルタイムで見てて、その当時の話やこの映画の評について解説してくれた。「芸術になってて、記録映画としてどうなのか、って議論になったのよ」と。両親は否定寄りであった。
今改めて見ると当時の市井の人の意見も理解できる。市川崑は完全に撮りたいスタイルが出来ていてそれを崩さない。全編スタイリッシュで美しい映像。脚本もあったというから驚く。アスリートを一種の素材として、オリンピックをトリミングしている。何を写し、何を使うかは編集次第。一般的なスポーツ記録映画を見馴れている者にとっては驚くほかない。
しかし、もし凡庸な記録映画が作られていたらどうだったであろうか。それはわからない。
1964年東京五輪はこの独特なスタイルの映画と共に記憶の中にある。それで良い。
芸術家の目で見た民族の祭典
東京オリンピック。国をあげたお祭りだ。
最高の人材、機材、予算を使っての作品だということをヒシヒシと感じる。言葉、映像、音楽、…とても格調高い。しかも細かい記録としても精度が高い。「世界平和」に言及しているところもいい。
さてさて、今度の東京オリンピックはこういうものが作られるのだろうか。たのしみ。
1964年の東京五輪を当時の最高技術で残した
昭和39年の東京。戦後二十年経っていない時期にその当時の最高の技術であますところなく撮影した東京五輪の記録映画。もとの、上映時間が三時間近くあったものは見ていません。市川昆総監督が2004年に22分削って音響を再構築したものをDVDで拝見しました。
どこが短くなっているのかまではわからない。当時はすべての種目を入れなければならないという制約があったそうなので、いくつかの種目を削ったのかもしれません。開会式も少し削っているような気がします。
ギリシャでの聖火点灯から、インド、アジアを経て沖縄から広島、大阪を経て聖火が富士の前を通過して上京してくる場面から始まる。もしこれをきちっとやったらそれだけで二時間の作品が作れるかもしれない。
昭和天皇も御出演されています。全体のナレーションはごく少なく、実況中継の音声をうまく使っています。
2016年の現在からみると52年前。その当時のオリンピックの雰囲気があちこちから伝わってきますが、陸上競技、マラソン、競歩、バレーボール、水泳、体操の場面が多くなっているような気がします。スタイリッシュな映像がほぼ100%。
もっと早くに見るべきだった映画ですが、ネットでも見れるようになっているのがうれしいですね。
市川崑はすごいな
ナレーションがクールでよかったです。笑える箇所も沢山ありました(脚本は谷川俊太郎さん)。レニ・リーフェンシュタールによるベルリンオリンピック映画よりも、リラックス感があり距離を置いて記録している感じに好感がもてました。
私はスポーツ鑑賞に関心がありません。今回(2021)も同様です。ただオリンピック開会式の選手入場だけは初めて見ました。皆にこやかでスマホ片手に自由な入場風景でした。兵隊みたいな行進でないんだ!いつからそうなったんだろう?入場が国名の五十音順だったのも新鮮でした。
スポーツ鑑賞に興味がないからテレビのスポーツ放送も新聞のスポーツ欄も見ません。だからオリンピックも見ません。昔からずっとそうです。でもスポーツが嫌いな訳ではありません。下手ではあってもスポーツをする気持ちよさは知っています。ボクシング、シュノーケリング、泳ぐ、スキー!コロナが落ちついたらしたいです。
色んな種目で世界選手権がある今、オリンピックをする意味はどこにあるんだろう?パラはしばらく続けてほしいと思います。「しばらく」の意味はパラもいつか今のオリンピックみたいになってしまうだろうからです。「スポーツ」を掲げればなんでも許されると思っている雰囲気に私は怒りと呆れしかありません。
世の中の人全員がオリンピックなりスポーツを見る・するのが好きという訳ではありません。オリンピックやって学校の運動会ができないのは変だ、悲しいという意見を聞いたり読んだりします。でも、運動会が嫌いな子どもだっています。勉強や学校が嫌いな子がいるように。学校の先生はそれでなくても忙しくてストレスフルなので行事関連は減らすべきです。
その代わり、子どもも大人も年配の人も失業中の人も学生もリハビリ中の人も子育て中の人も誰でも、何歳になっても、安価で気軽に運動できる設備と仕組みができるといいのにと思います。ドイツ各地に沢山ある地元中心型のスポーツクラブ(提供されているのはスポーツだけではない)はうまく機能していると思います。日本では社会人になった途端にスポーツを楽しむ機会がなくなります。それがとても残念です。
おまけ
この映画のスタッフはすごい。撮影に宮川一夫、監修の一人に田畑政治!カッパのまあちゃーん!阿部サダヲの顔がうかんでしまう。ここだけちょっとミーハー!
映画を見てから時間がたって加筆しながらやっと書けた。関心ないから何書いていいかわからなかったから。でも今はわかる。映画のレビューになってないけれど。
(2021.8.)
偉大な記録であり、この上ない芸術
市川崑監督による東京オリンピックのドキュメンタリー。1965年の作品。
「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで、国内最高の観客動員数を保持していた国民的映画でもある。
単なるドキュメンタリー映画でないのはもはや有名な話。
スローモーション、サイレント、アップなどあらゆる撮影技法を駆使し、選手たち一人一人の筋肉の躍動、息遣いや内面すら伝わってくるドラマチックな演出は劇映画を見ているよう。
カメラもレンズも録音テープも膨大な数に及び、さながら一大叙事詩。
記録か芸術か、議論となった。
役人の理解の無さには辟易する。
映画は芸術だ。
オリンピックも芸術だ。
偉大な記録であり、この上ない芸術なのだ。
2020年、半世紀ぶりに東京でオリンピックが開催される。
その後、またドキュメンタリーが作られるであろうが、本作を超える事は絶対に出来ないと断言する!
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