劇場公開日 1965年3月20日

「単なるスポーツの祭典の記録映画を超えて、日本に取り東京オリンピックが一体どんな意味を持っているのかを表現しています」東京オリンピック あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0単なるスポーツの祭典の記録映画を超えて、日本に取り東京オリンピックが一体どんな意味を持っているのかを表現しています

2020年7月24日
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鑑賞方法:VOD

今日は2020年7月24日です
本当なら今日東京オリンピックの開会式のはずでした

新型コロナウイルスの猛威によって、1年延期されたのはご存知の通り

考えてみれば今大会は色々とあやがついています
国立競技場の建て替えにはじまり、猛暑でマラソンは札幌開催になり、お台場の海は汚水の悪臭がするとかもありました
果ては1年の順延です

それに比べて、前回の東京オリンピックはなんと順調なんでしょうか
全てが上手く行っているのです
その事が強く印象に残りました

登り坂の勢いの前回大会での日本
下り坂に転がり落ちないように踏ん張りながらの今大会の日本の違いが映像から伝わってきます

本作は単なる記録映画ではない、映画としての芸術であったのは間違いありません
しかしそのことによって前回大会とは日本に取ってなんであったのか?
オリンピックとは本来何であるのかを表現しえており永遠の生命を得ていると思います

本作の映像には映画的な美があります
そして映画的な感動をもたらしてくれるのです

選手の活躍や、その肉体の躍動はもちろんですが、観客やグランドスタッフにカメラの視線が長く向けられています
1964年の日本人の姿、それも小さな子供達から、かなりの高齢の老人までを満遍なく、普段の暮らしまでが伺える服装で応援する姿を捉えようとしているのがわかります
そしてまた当時としては初めて大量の外国人を受け入れて世界の中の日本、国際社会で世界に互して活躍する日本を、外国人の観客の姿を通して表現しているのです

本作は単なるスポーツの祭典の記録映画を超えて、日本に取り東京オリンピックが一体どんな意味を持っているのかを表現しています
そして東京オリンピックを通して世界平和を日本は希求し、実践していくのだと表現しているのです

東京オリンピックの記録映画は、本当は黒澤明監督が担当する筈でした
日本を代表する国際的映画監督ですから当然の人選です

しかし黒澤明監督の撮影プランはあまりにも巨大になり開会式や閉会式、競技まで撮影の為にあるかのようなものとなり、予算は論外の規模、撮影する機材が日本中の映画会社からかき集めても足らないようなものとなり、大問題となってとうとう黒澤明監督は辞退したのです
それも開催前年の11月にです

後任を誰にするかでまた揉めて、結局市川崑監督に決まったのは1964年1月だったそうです
なんと開会9ヵ月前です
そこから本作を作りあげたのです

やり直しの出来ない一発勝負
誰が金メダルを取るのかも分からない筋書きのない中、一体誰を被写体にして良いかも分からない

撮影ポジションの確保、強力な照明の設置も競技が優先される
そんな制約ばかりの中でこのクォリティーの映像を撮っているのです

事前に映画方針を構想して、全スタッフに徹底させ、それに沿って大量の素材を撮り、予選などで撮ったラッシュを元にすぐ決勝での撮影プランを修正するという仕事を連日繰り返したに違いありません
そうして撮れた、あるいは撮り損なったフィルムを編集してまとめ上げているのです
それも己自身の美意識、編集方針だけでなく、大会組織委員会の意向を調整したうえのことです

全く恐るべき手腕だと思います!

市川崑監督は本作前年の1963年に「太平洋ひとりぼっち」を監督しています
その作品も単なるヨット映画ではなく、日本人に取ってどのような意味を持っていたかがテーマでした
本作のテーマはその延長線の先にあったと思います
だから、市川崑監督が東京オリンピックの公式記録映画を監督するのは当然であるとも思います

翻って2020年東京オリンピックです
その公式記録映画は一体どのような方針で「何が」撮影されるのでしょうか?

本作のように、単なるスポーツ大会の記録映画を超えたものであって欲しいです
21世紀の日本にとって、今大会は果たしてどんな意味があったのか?
コロナウイルス禍で世界がどのように変わってしまったのか?

そんなことが映像に活写され残されなければならないと思います

あき240