2/デュオのレビュー・感想・評価
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簡単な物語ながら完璧に二人の愛情トラブルを表す
いつもアクションで主人公の情報を述べる。長回しの機能は 観客がちゃんと二人のアクションと表情を見て、さらに二人の悩みを感じる。
コツコツ仕事してる彼女 俳優の夢なのにいつも失敗の彼氏
もともと幸福みたい生活が、結婚しようって一言で暴れる。
これから、彼女は幸福の夢を守りたいが、今の二人なら未来がないと思う。だから、いつも悩んでる。最後、家出する。一人で暮らして、待ってる。
彼女うが家出してから、俳優の夢を諦めて、仕事をして、社会人になる。あの日、偶然自転車に乗る彼女に出逢って、最終二人が仲直りをする。
なんで
思った通り同じ生活が来る。
外国人だから、話の違いがたくさんあるが、ご迷惑をかけてすみません。
~広すぎる部屋で演技する~
この作品は何度も改稿した脚本を捨て、現場の役者の即興の演技で撮られた。この判断はこの作品に独特の世界観と緊張感をもたらした。
優と圭の関係がもつれていく様をモキュメンタリータッチで描いた。自然な会話や仕草は心の内から不意にでるのでよりリアルな生活を垣間見られて共感できる。二人を映し描くときゆっくりとした横移動のパンがある。特に暮らしている部屋だとその効果は二人の心理描写まで引き出す。始め、圭が金魚鉢に適当に餌を投げるシーンから別れの予兆が表象し始める。洗濯物を投げつけるシーン、喧嘩をしながら部屋を散らかすシーン、友人と食事するシーン、横の空間を一気に凝縮してフォーカスを合わせる。無駄な余白など存在しないのだ。しかし、優が出ていくと部屋はとたんに無機質になる。部屋に圭が一人しかいなくても空間は圭の心を写している。埋める人がいなくなり一人でなってやっと間取の広さに気付く。逆説的に言えば部屋を二人で満たすことができないぐらい大きかったこととなるのではないだろうか。
部屋の大きさがもたらす効果もあったが、即興演技から自然の中にも演技があることは分かった。特に喧嘩するシーンでは優は圭に悟られないように強がり、メロドラマのような必死な「行かないで」アピールもする。それに対して圭は本心からかは定かでないが、横暴な態度、子供じみたいやがらせ、殴るフリをする。日常生活で怒るシーンはあれどこれほどまでのことは多くの人はないだろう。よりしぼって「喧嘩」や「別れ」の場面ではどうだろう。自分自身にたような言動を取っていたような気がする。おそらく、より自分が相手より上に立とうしたい欲望や焦りなどの心理が働いて、自己正当化と負い目を隠そうと「演出」をしていたと気づかされた。紛れもなく普段はしない演技が出てしまう瞬間を目撃した。自然体だとよりその部分が誇張される。
ただ、映画内に散りばめられた効果をうまく出し切れていない気がする。シーン内に挟むブラックビデオやインタビューは正直この作品に必要だろうか。第三者の視点としての「自覚」の要素は面白い試みだが、この作品では返って興ざめした。個人的には綺麗な別れかたと思ったのに、優が帰ってきてしまい、人間的に成長してないというか、単純な関係だなと思ってしまった。その優は最後まで報われていない。金はせびられ、八つ当たりされて、平謝りされて、理不尽な屈辱しか受けてないのに、帰ってきてしまったら「共依存」になってしまう。ひどい言い方をすると「アル中夫と別れられない嫁」の映画のこてこての構図と一緒にしか見えない。その結果圭も反省したそぶりを見せているが最後まで改心したと思えないし、優の見方も変わっていないだろう。このカップル、物語後は長くは続かないと伝えたいのか、それとも離れられない二人と言う再生を暗示させたかったのか、そこが最後にして最大の疑問だった。
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