大病人のレビュー・感想・評価
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あくまでも匿名の病人、その妻、医者、看護士の物語
主役の三國連太郎さんが良いです。
津川雅彦さんが準主役の活躍。
宮本信子さんは、この物語では少し引いた位置付けで、木内みどりさんが要所で良い味を出しています。
三國さんは、この映画の公開から丁度20年後に実際に亡くなる訳だけれど、この時期にこの映画に参加出来て、嬉しかったのではないかな、などと勝手に思いました。
前半から中盤のドタバタとした笑いも楽しいが、それを経た上で、終盤に告知されて以降の大病人の変化と終末は、かなり心に染みます。
エンディングは、正に大団円だけれど、全く不満には思わなかった。観ていて楽しい映画だった。
ちなみに、キャストには誰も役に氏名が付けられていません。あくまでも匿名の病人、その妻、医者、看護士の物語なのです。
それから、後の映画監督である山崎貴さんが、特殊撮影として参加しているのが面白いですね。
傑作です。
「がん」を「ポン」と言い換える?
大病人
当時は癌宣告をする、しないを世論が分かれた頃の作品かな。
それと丹波哲郎の大霊界などの死後の世界も流行った頃だろう。
あの幽体離脱は見事な映像だった。
「がん」を「ポン」と言い換えるか否か?
これも永六輔「大往生」が言い始めた様な気がする。
特筆すべきことは、
宮本信子さんのアップが異様に長く綺麗なことだ。
伊丹監督の熱烈な愛情を感じつつ、
三國蓮太郎演じる向井武平監督へのライバル心とヒシヒシと感じてしまった。
その後、1997年12月20日に自ら黄泉の国へ行かれたのだから残念だ。
(T_T)
大病人
1993/日本
ガンを宣告された俳優が、死を前にしていかに生きていくかを、彼を支える医師との対立や友情、また様々な葛藤を通して描くドラマ。
「ミンボーの女」に続く伊丹十三監督・脚本作品で、当初は「大病院」というタイトルで製作が進められていたが、伊丹監督の襲撃事件もあってか変更され、死を扱うコメディとして完成した。
「マルサの女2」以来の伊丹作品出演となる三國連太郎が主演、常連の津川雅彦との演技合戦も話題となった。
クライマックスのカンタータ『般若心経』を黛敏郎が作曲。
大病人
1993/日本
配給:東宝
監督の死生観や宗教観、監督の理想とする死期が強く打ち出された、かなり硬質で野心的な社会派コメディですね
2月21日(金)からTOHOシネマズ日比谷さんで開催されている「日本映画専門チャンネル presents 伊丹十三 4K映画祭」(監督作品を毎週1作品、計10作品上映)も7週目。本日は『大病人』(1993)。
『大病人』(1993/116分)
前年の『ミンボーの女』(1992)公開直後、組関係者に襲撃、重傷を負い入院中に着想したと語られる作品。
滝田洋二郎監督『病院へ行こう』(1990)のような病院内の内実を描いた痛快娯楽作と思いきや、然にあらず。
癌告知、延命治療、尊厳死、安楽死、臨死体験、在宅死など人の死に関わる問題を織り交ぜながら、監督の死生観や宗教観、監督の理想とする死期が強く打ち出された、かなり硬質で野心的な社会派コメディ、『マルサの女』などの「女シリーズ」とは一線を画しています。
クライマックスの黛敏郎氏作曲の西洋のカンタータと『般若心経』を融合させた朗唱演奏は最たるものですね。
本作の見どころは主人公・向井武平(大病人)を演じた三國連太郎氏の円熟味を増した硬軟織り交ぜた怪演。
『利休』(1989)『息子』(1991)、『ひかりごけ』(1992)『夏の庭 The Friends』(1994)と本作品前後は死期が近づいた老齢の役が多く、どれも鬼気迫る熱演で名作が多いですね。
見事だった最後の般若心経の演奏
同じ人間
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夫婦共にガンになる映画の監督&主演をしていた三国がガンにかかる。
入院するが、本人には告知されずに胃潰瘍とされる。
しかしいつまでたっても退院出来ない事もあり、ガンを疑い始め、
別の患者から聞いた点滴の色からの判断で半分確信に到る。
元々浮気性で目茶苦茶な三国ではあったが、
この辺りから弱さが表に出始め、浮気相手を病院に呼んだのがバレたり、
親戚を装って電話をかけて本当の病状を聞こうとしたのがバレたりする。
さすがの主治医も、芸術家気取りの割に往生際が悪いと怒る。
そしてつい強く言い過ぎてしまい、三国に逆切れで殴られる。
三国は殺してしまったと勘違いして自殺未遂をする。
この辺りからお互い本音で付き合うようになり、ガンも告知される。
三国はどうせ死ぬのなら、と冒頭の映画の撮影を再開する。
そして主治医や夫人とも良い関係となり、皆に看取られて死亡。
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ここのところ何作か続けて見たが、伊丹監督の映画っておもしろいなあ。
三国がハチャメチャ過ぎるが、結局それは弱さの裏返しで、
死を前にすると結局は一人の人間なんだなあと感じた。
いけないと思いながらもついつい患者に感情移入してしまい、
時々回診に来るだけの医者にはわからない辛さを抱える看護婦も、
大変な職業だなあと改めて感じた。
それから、三国連太郎はこの時代からすでにお爺ちゃんだった(場)
構図が美しい
題名で「重い映画」と判るが、笑える所が少しあって良かった
【伊丹十三監督、第7作。誰もが避けえぬ”死”をテーマに、現代邦画を牽引する山崎貴に臨死体験シーンを作らせた作品】
”死”と”性”という相反する(が、連関する)重いテーマをコミカル要素をふんだんに盛り込み、エンターテインメント作品として世に出した伊丹監督、後期の作品。
伊丹監督の”性”といえば「お葬式」からの常連、高瀬春奈さんの肉感的な色気は欠かせない。
大病人”武平”を演じた三國連太郎と”そんなことやったら、腹上死しちゃうよ”と思ってしまった場面など、ドキドキしながら観てしまったなあ(赤面)
今作では、現代でも話題になっている”自宅で死を迎えるために”に必要な条件も表している。
1.闘病生活を支える周囲の介護力
2.病人が居住する場所の確保
3.家に往診してくれる医者の存在・・・
これ、2019年の現在でも3条件を満たすのは難しいでしょう・・。
そして、若き山崎貴が描いた臨死体験シーン・・・。(当時はCISシステム ”Composite Image Systems"と呼ばれていた)
年上の方に対して甚だ失礼な物言いかもしれないが ”あれから25年、邦画VFXの先駆者として、頑張ってきたのですね” というのが率直な感想である。(が、今や大御所ですよね。お許し願いたい)
<1993年5月30日 劇場にて鑑賞>
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