切腹のレビュー・感想・評価
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いや、よくぞ血迷うた!
決めつけて話を聞かない、そういう場を与えない、遮る、制止する。「もういいから。」「それはいい。」こういうトップっているいる。。
そしてトップに同調するメンバー。まあ顔がイケズなこと。誰一人として意義を唱えません。現代でも会議の場などでこういうイケズな場面ってあるわー。
お宅をお借りして切腹をしたいと訪問し、嫌がる相手からお引き取り料をもらい受けるという強請・たかり。これも現代で似たような例あるな。笑
武士の時代だからといって全く高潔な話ではない。相手を騙して金を取ろうとしたり、集団でイケズな振る舞いをしたりするなど現代にも通じる「人間の小ささ・卑猥さ」を武士の時代を舞台装置にして表現したところが、この映画の秀逸で共感を呼ぶ部分であろう。
(そういえば黒澤監督の名作「羅生門」も自己正当化・虚栄心の映画であった。)
圧倒的迫力。カメラワーク、演出、音響!センスが唸る。そしてやはり演技。
凄い演技力だと思っていたら仲代達矢だったのか。後に無名塾を起こすのも納得の凄み。「待ていッ!待たれいッ!」と斬りかかろうとする家臣たちを一喝する声。周りの空気が震えている。丹波哲郎との果し合い、腰を落としたどっしりした剣の構えだけで「明らかにこいつの方が強い」を観客に認識させていた。娘は綺麗な人だなあと思っていたら、若き日の岩下志麻だったとは。なるほどなー。で、家老の勘解由は三國連太郎とな。イケズから狼狽まで表情の演技が秀逸。ワナワナという擬音が今にもみえてきそうだった。
脚本、演出、カメラ、音響、そしてこの俳優陣の迫真の演技があって、この作品を名作たらしめたのだ。
武士の面目を体現していたのは誰か?
半四郎が該当しそうだが、彼も「庭先切腹たかり」の件を興味深く求女に話していて求女に釘を刺されていたな。
彦九郎は求女に切腹を執拗に強いていたがそれは武士が言い出したことに責任を持たせようとしただけでイケズではないような。自分が半四郎に髷を落とされた際には切腹しているし。実は彦九郎だけが該当する様な気がする。でもそれはあんな融通の利かない、杓子定規な人間である、ということなのだ。
少し長いけど、圧倒された。
これがたった¥500で観れるとは。京都文化博物館、素晴らしい!
※登場人物の名前が変わった名前で難しい。下記に記載しておく。
津雲半四郎(仲代達矢) → つくも はんしろう
千々岩求女(石濱朗) → ちぢいわ もとめ
斎藤勘解由(三國連太郎)→ さいとう かげゆ
沢潟彦九郎(丹波哲郎) → おもだか ひこくろう
※しかしオッサンの集団イケズほど醜悪なものはないな。
※竹光での切腹シーンは思わず目を背けた。周りの人ものけぞっていた。
※脚本が秀逸なので収録されている本「日本名作シナリオ選下巻」をポチッとした。よく聞き取れなかったところもよくわかる。シナリオ通りでない場面もあるな。
※急に会社が倒産したり、これまでやってきた仕事が時代の荒波で消失したりして、家族を医者に見せられないような苦境に陥らせないよう、常に備えないといけないなと強く感じた。(「武士は食わねど高楊枝」は世帯をもっていない武士だけがやるべし。)
井に大
はじめて見たけど噂に違わぬ骨太。社会を超え、組織を超え、家も超え、損得ではなく、果たすべき筋を果たす人の意地が上部だけの面目の全てを突き破る。あっぱれ。
仲代と三國の掛け合い。仲代と丹波の果し合い。ラストの殺陣。ただただ美しい。若き岩下志麻も美しい。
おどろおどろしい怪談チャンバラ時代劇。こわいよ!ガク((( ;゚Д゚)))ブル 武士の面子の薄っぺらさを描いた怪作。【長文・要注意】
大好きな映画です。DVDで、過去に三度は観たです。
とにかくおどろおどろしいんです。もはや怪談の領域。
アマプラではジャンル分けが、なんでか「アクション」/「ドラマ」なんですよね。
どこに「アクション」の要素が?まぁ、最後に大立ち回りはあるんですが、そこは肝心じゃないでしょ!ちゃうでしょ!
確実に「ホラー」テイストの作品です。オープニングからして、その匂いプンプンです。
この物語、浪人・千々岩求女(ちじいわ もとめ)の切腹話から始まります。
当時、食いぶちに困った浪人たちが「このまま生き恥を晒すんイヤやし、武士らしく潔く切腹したいんで、玄関先を借してくれし(=なんぼか恵んでくれたら、おとなしく帰るし)」→「(面倒くさっ!迷惑なヤツやなぁ…)じゃあ、こんだけやるから、とっとと帰れし!」→「わーい!サンキュー!٩(ˊᗜˋ*)وやし」だったんですが。このお話では違って。
「そこまで言うんやったら、マジ卍切腹してみろし!(=御当家ナメんなし!)」→「えっ!マジ卍で!?Σ(’◉⌓◉’)ガーン! 」「ちょ!話がちゃうやんΣ(oдΟ;)!!」→「ほら“その刀”で早うやってみそw」→「ちょ!(てか、この刀竹光やし…)」「ほら、早よう!」→「お…おぅ!やっちゃるわーい!」グサッ!「うぐぁ!ぐわぁぁぁ!」みたいな?そんな流れ。
介錯も付けずに、かつ、切腹用の短刀でなく、本人の竹光の脇差で切腹させる様を冷ややかに見て楽しむとか、どんな悪趣味なドS連中やねん!ガク((( ;゚Д゚)))ブル
「んふっw この通り。大根(を切ること)はおろか、豆腐さえ難しいなw」
「武士の魂まで売り渡し、竹光などをたばさねておきながら、潔く腹を切りたい。よくもまぁいけしゃあしゃあと!」と笑われ罵倒される求女なんですよ。
しかも「誠の武士のあっぱれな死に様、心から拝見せんものと家中一頭ご覧のように集まっておる」「ささ、お心おきなく」と、イヤミたっぷりにのたまう三國連太郎演ずる斎藤勘解由(さいとう かげゆ)。
「近頃は切腹も単なる名目だけに終る。三方の上の短刀に手を伸ばす。そこを見計らい、介錯の者が適当に首を討ち落とす。したがって実際には腹を切るのではない。しかし本日はそのような形式に流れた軽佻浮薄な(新しい言葉を覚えました)お手軽なことではなく、全てを古式にのっとり、作法通りに行う」「十文字にかっさばいていただく」「十二分にかっさばいていただいた上でなければ介錯の儀はつかまつらん。よろししいかな」と冷酷に言い放つ丹波哲郎演ずる沢潟彦九郎(おもだか ひこくろう)。
短刀ではなく、自らの竹光を差し出された求女。「貴殿の差し竿である。お使い願おう」「我が腰のものこそ武士の魂。これほど最後を飾るに相応しいものはあるまい!」ことここに至って完全に詰んでしまいます。
(長い書き起こしですが、題名が『切腹』だけに、ここは書き記しておきたかったんです)
散々な辱めを受けた挙句、自らの腹に竹光を何度も何度も突き刺すんですが、そんな物で腹が切れるはずもありません。
遂には、地に立てた竹光に全ての体重を預け、無理矢理に腹に突き刺し、お白州に血を流します。
「斬れ!斬れ!」と介錯を頼むんですが「まだ!まだ!存分に引き回されぃ!」「何をいたしておる!ぐいっと引けぃ!右へ引き回せぃ!」どこまでも残酷な彦九郎。こんなんスプラッターですやん。
とうとう、あまりの苦痛と辱めに耐え切れず、自ら舌を噛んで絶命する求女。やっとこさ首に太刀を振るう彦九郎でした。
あまりにも惨たらしいシーンなので、毎度顔を背けてしまいます。本作最大のクライマックスシーンだというのに。
本作、そんな血塗られた過去から現れた求女の叔父・津雲半四郎の復讐劇なんですね。
「そんなアホがおりましたねんw」みたく求女の一件を半四郎に語る勘解由。
内実のところ無残に殺しておきながら、さらに笑い物にするとか、許すまじ鬼畜の所業。
同様の用件(切腹させろし)で井伊家を訪れる半四郎の口から語られる、娘婿一家の悲劇の話。それが先の求女を“竹光で切腹させた”一件。
お白洲の場につく半四郎。
何の咎もなく切腹するんやから、介錯人くらいは指名させろしとの旨を申し出ます。
ところが奇妙なことに、彼の希望する介錯人三人がことごとく、病床に臥せり出仕していません。
さすがに「なんかおかしい」と感じた勘解由は、半四郎に何か魂胆があることを察知します。
不敵な笑い声をあげる半四郎。ここからが本番です。
「退屈しのぎに、拙者の身の上話などひとつ」と語り始めます。
「食いつめ浪人の貧乏話で埒もござらんが…」続いて眼光鋭く「今日は他人の身でも、明日は我が身ということもある」と、思いっきりな牽制球を投げます。
ここで、求女の叔父であることを勘解由に告げる半四郎。
主家が没落したこと、そのことにより求女の身柄を引き受けることになった経緯も語られるんですが、ここでは割愛します。長くなりすぎるので。
まぁ、そんな半四郎の娘・三保が求女と契りを交わし、幸せな暮らしを送ることとなるのですが、よいことは長くは続かないもので。元々病弱な三保は病に冒され、明日をも知れぬ身になってしまいます。
医者代を工面するため、必死で金策に奔走する求女。とうとう武士の魂の二本差しまで質に入れてしまう始末。
そんな中、幼い一人息子の金吾まで病に倒れる悲劇が訪れます。
思いつめた求女が、唯一あてとしたのが、冒頭の「切腹させてくれし」だったのですね。
そういうわけで三保と半四郎の元へ無残な躯と変わり果てた躯を送り届けた井伊家の介錯人三人が、求女について「家中一同、竹光での腹の切り様、とくと拝見つかまつったが、やはり見苦しい。ぬははははw」と笑い物にします。とことん鬼畜。
ここでの三保役・岩下志麻の鬼気迫る表情の怖いこと、怖いこと。ガク((( ;゚Д゚)))ブル
結局、病で死んでいった三保と一人孫の金吾でした。
井伊家の求女への所業の恨みを語る半四郎に対して、「身勝手な言い分はほどほどにいたせ!」「世迷言はそれだけか?」と言い放つ勘解由もマジ鬼畜。
「“武士の面目とは所詮、上辺だけを飾るもの”と申したいのか?」と問う彼に対し半四郎は力強く「左様!」と返します。(“武士の面目とは所詮、上辺だけを飾るもの”ここ、本作での最大のテーマでした)
「腹を切るつもりなど毛頭なく、恨みの数々を述べにきた…と、このように?」と、ほくそ笑む半四郎。
天涯孤独の身やし。生き延びたとろでどうしようもないし。このままのこのこと手ぶらであの世に行ったんでは、みんなに顔をあわせられへんし。それを強く訴えます。
「当家よりお預かりしている品物を一応」と、半四郎が白洲に投げ捨てたのは、家臣介錯人の三人の髷(ちょんまげ)。
半四郎が復讐のためにとった手段は、殺すことではなく“武士の面目”たる髷を切り落とすことにありました。
求女を死に追いやり、あまつさえ笑い物にした介錯人三名との決闘に勝つ半四郎カッケー。ここ、この物語の唯一スッキリするシーンです。
「実戦の経験を得ぬ剣法、所詮は畳の上での水練。あははははは!」と、逆襲の半四郎の高らかな笑い。
武士たる者が髷を切り落とされるのは、首を討ち落とされたも同じの不面目、不始末。にも関わらず、仮病を使ってまで髷が伸びるまで出仕を拒むっちゅーんはどないやねん!と一刀両断の半四郎。
「井伊家の御家風など“所詮は武士の面目の上辺だけを飾るもの!”うゎははははは!」半四郎の勝ち誇った笑いに、勘解由は「乱心者!斬り捨てぃ!」とキレますが、そこは百戦錬磨の半四郎。
先にも述べた畳の上での水練しか知らぬ武士たちは、半四郎にことごとく斬り捨てられます。
ここでの半四郎の喧嘩殺法が本当に見ごたえあるんですよね。段取りのある綺麗な殺陣ではなく、殺し合いの喧嘩。まさにそれが相応しい鬼の形相の仲代達也でした。
一方の勘解由は、屋敷に篭り冷や汗たらたら。ザマぁw
しかし多勢に無勢。次第に追い詰められ満身創痍の半四郎は、井伊家家宝の鎧兜を投げ捨て、見事切腹に及びます。
ここで介錯を務めたのは、武士の魂の刀ではなく、卑怯にも鉄砲だというのが皮肉です。
さらに勘解由の取った対応は、あくまでも上辺だけのことに終始するんですね。
「食いつめ浪人に斬られて死んだんでは、武士の面目が立たへん」と。
半四郎に斬られて死んだ者たちは病死。髷を切られた者に対しては無理にでも腹を切らせろと申しつけ、その全ては、あくまでも病死だと処分するわけです。
エンディングは、あくまでも武士の面子を重んじた勘解由の嘘八百の語りで幕を閉じます。
結果的には、半四郎は犬死ではあったのですが、彼の言う“武士の面子など、所詮は上辺だけを飾るもの”を証明させたわけです。
にしても、あまりにも惨たらしく悲しいお話でした。
とにかく怖いんですよ。主役の仲代達也といい、甥役の石濱朗といい、娘役の岩下志麻といい。仇役の三國連太郎、丹波哲郎も。目力や声色がめっちゃ怖いんですよ。
モノクロってところが、怪談話にさらに怖さの拍車をかけてるの。カラーじゃこうはいかなかったと思います。
私、レビューの書き方でいつも悩みます。
ご覧になった人向けに書くのがいいのか、まだ観たことのない人向けに書くのがいいのかに。
皆さまはどうされていますか?
私の駄文は、ご覧になられた人から「真面目に書けし!」とお叱りを受けそうですし、まだ観たことのない方々にとっては、ぽっかーん(゜O゜; で置いてけぼりですし。作品の魅力を伝えきえる才なんてないんですよ。
毎回毎回、それでも伝えてみようとがんばった書き方の挙句がこの有様です。そもそも。ご覧になっていない方々が読んでくださるはずもなく。
極めて実りのない書き方です。
これ、いつかどうにかしなきゃなぁ…の課題です。
まず、この長文をどうにかしなきゃです。今回も文字数制限ギリギリ。もっとコンパクトに書かなきゃです。
追い詰められながらも、逆に相手を理詰めで追い詰め、、、
武士のプライドをかざし、
人情を忘れた者へ、復讐する。
仲代達也の演技が光る。
居島一平氏が推奨していたので観たが、見応えがあった。
映画館で観たかった。
素晴らしい
当時の世相もよく現れていると思います。お家取り潰しにあった大名家とその家来達は数知れず。
原作の異聞浪人記は読んでいませんが 原作も素晴らしかったのだろうと思います。
竹光で切腹させられる場面も凄まじい。
計画的な復讐経由の切腹劇
脚本に弛緩がなく緊迫した展開で、良い時代劇だった。派手な殺陣とかは、それほどない。津雲半四郎が、どのような思いをもって、切腹をしたいと申し出たのかが、次第に明らかになっていく。
仲代は鬼気迫る演技、丹波、岩下、三國、石浜も、真に迫る演技であった。娘婿夫婦が、食うに食えなくなって、息子も高熱を発して、井伊家に切腹詐欺で何とか取り立ててもらおうと一縷の望みで訪れる。しかし、井伊家に無碍にされて、一刻の猶予も与えられず、竹光で切腹させられたこと、それが基で津雲は、娘も孫も失い、身よりがなくなって復讐を果たして切腹する物語。津雲は、極めて周到に計画をし、娘婿を邪険に扱った3人の髷を切り落とし、その3人を介錯に指名し、井伊家が名ばかり、表面だけの武家だと騒動を起こし、その結果復讐を果たし、最後は切腹をして果てる。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉があるが、死ぬに値することに際して、自分の命に執着しないで、身を捧げるという意味かと。
そういう意味では、津雲半四郎と千々岩求女こそが、武士道を貫いたといえるのではないだろうか。
江戸時代の秩序や太平を守るためには、隠蔽、事なかれ主義などが横行したのだろう。と共に、現在の日本にも十分に耳が痛い話だと感じる。
すごかった
・庭先で切腹させてくれって申し出て取り立ててもらったり、お金をもらおうっていう事が流行っていた?事に驚いた。タイトルからして、ラスト切腹でしょって思ったけど、冒頭から自ら切腹させてくれって話からとは。
・切腹する側の方が迫力、威圧感がある状況はこの映画で初めて観た。ほぼ回想シーンっていう構成だったけど、どうなるんだこれっていう緊迫感が凄かった。
・終始、当時の台詞っぽい言葉でわかりにくい箇所もあったけど、何となく理解できて凄くよくできている映画だと感じた。ラストの切り殺された人を病死として記録?しろとか事実の隠ぺいの感じがリアルだった。また、介錯人の三人を切腹させろっていう、厳しすぎる社会で怖かった。
・先祖の象徴の鎧で一部屋とってて、敬う気持ちが凄いなと思った。
なまなましい武士の姿
今まで知らなかったことが悔しい。
こんなに面白いものがあったのに。
衝撃的な切腹のシーンから、どんどんと
予測できない方向へ話が進んでいきます。
極端にアクションがあるわけでもない。
やたらとカットが変わるわけでもない。
ただ、佇んでいるその姿のなんとも重い。
重低音のような暗く響く声。
今の若い俳優さんは誰かできるだろうか…?
殺陣も腰が据わってるからかっこいいです。
武士は関が原を境に、趣が変わっています。
江戸時代からはサラリーマン的な侍になってしまう。
武士道とか、忠義とか、さかんに現在世間で認知されてる
侍イメージは江戸時代の武士です。
それ以前は武士道ではなく「男道」といい、
自分の信念を貫いたり自分の在所を守り抜くのが
一番であったために
主家は家来に見放されないよう心を砕かなければならなかった。
仲代達也は戦国の武士、井伊は江戸の武士です。
切腹さえも物珍しいイベントと化してしまっている。
仲代が娘婿の躊躇を褒めますが
それは戦国武士からすれば正しい姿。
江戸の武士からすれば見苦しい行為であった。
そこには世代の断絶があります。
前の時代の亡霊と小ばかにしながらも、
徒花仲代を恐れるのは、井伊家の彼らが
死線を乗り越えた経験をしていないから
かなわないと恐怖を感じる。
だから仲代は井伊家の赤備え=当主の代わりに
鎮座してる赤い鎧をふりまわして笑えるのですね。
めんどくさいことは分からなくても
単純にサスペンスとして観ても楽しめます!
レビューでこの作品と出会えました。
レビューで教えてくださってる皆さん、どうもありがとうございました。
『武士の面目とは!所詮上辺だけをつくろうと言うものが?』 『さよう』
ガキの頃、見に行こうと思っていたが、スプラッター映画が好きでないので、見ずにいた。今日が初見。
『これでは切腹出来ない。待ってくれと言う訳を、何故聞いてくれなかった?』実にカッコウ悪い口上。
家老は薄ら笑いを浮かべて
『武士の面目とは、所詮上辺だけをつくろうと言うものか?』と聞く。
それに即答で
『さよう』
うぁーすげーこのセリフ
最後に下級武士(若しくは町人?)が後片付けをしている。まげを拾い上げる。そして、それをゴミのように桶へ捨てる。彼らはこのまけの為に運命が終わる。
仲代達矢さんの仕草が歌舞伎の『にらみ』の様で、狂気を感じた。
だが、この話をダイレクトに受け取って、江戸幕府の幕藩体制への批判と見ない方が良い。それよりもこう言った士農工商と言う身分制度へのアンチテーゼなのだと思う。例として、江戸幕府から維新政府に変わったが、最後までのこった旧会津藩は『斗南藩』として、屈辱を受けている。つまり、維新後も士農工商に変わって、別の形で階級や幕藩体制(?)は残り続けている。と語っている。江戸幕府の幕藩体制への批判と受け取ると、西郷隆盛の『田原坂の戦い』と同じになってしまう。その点を解釈して
私は傑作だと思う。
侍ものの映画の最高傑作
映画における脚本、音楽、役者、動作
無駄というものがなく緊張感をもったまま一気に見てしまう映画。何度みても飽きが来ない。問答形式をとって回想するスタイルがつづき、最後に大殺陣(おおたて)というのでしょうか、斬り合いがあるが、赤備えの鎧、鉄砲まででてくる。そして切腹して死んでいく。映画の途中で竹光による切腹の残酷シーンも見事に描かれている。過去を回想する場面とて自然でよどみがない。たしか「壬生義士伝」とかいう映画の回想シーンのくどさにうんざりしたことがあった。これにはそんなことはなく起承転結ほぼ完璧で無駄がない。一気にみても余韻をもって終わる。場面場面できりとっても完成されている。なかなかこういう映画は出来るものではなく、リメイクのものもみましたが相当な俳優をつかっても、どうも駄目です。さらに白黒でちょうどよかったと思うのは私だけであろうか。いやそうでもあるまい。
真剣!
能役者が主人公のまんが、「花よりも花のごとく」作中で紹介されてて知った映画。本物の日本刀で撮っていたとあり、気になっていた。どこでだと思ってたら、仲代達矢と丹波哲郎との果たし合いでだそうだ。私の眼力ではとうてい真剣と見分けられないが、やはり尋常でない緊迫感があった。しかも、曇って風が強いところで向き合ってて、一歩狂ったら大けが。なんかもう、見てるうちに変な汗が出てきた。あー怖い。
井伊家も台所は苦しいのだろうが、ちょっと厳しすぎる。苦しい立場の人間を、嘲りなぶるのはアカン。こんなんだから後々暗殺されちゃうんだよ。
何というか、いろいろ恐ろしい映画であった。武士は生きにくい職業だと思った。
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。
時代劇の中でも5本指に入る作品‼️
この作品は武家社会における非人間性、建前、偽善、虚飾、残酷性といったものを小林正樹監督が切腹という形で重厚に描いた超傑作です‼️若かりし頃の仲代達也さん、三國さん、岩下志麻さん、丹波さんががっぷり四つで組んでおられますが、やはり橋本忍さんの脚本と小林監督の演出あってこそ。仲代さんが懐から髷を三つ放り投げるシーンは衝撃的でした‼️
武家社会の終焉
千々岩求女(石浜朗)に対しては、彼には本当は死ぬ気などないことを承知の上で、竹光で腹を切らせるという無茶をさせてしまったのは、ご多分に漏れず、井伊家側の台所事情も、決して富裕ではなかったからなのだと思います(それだけに、切腹を口実に金員を強請ろうと押しかける食い詰め浪人には業を煮やしていた)。
津雲半四郎(仲代達矢)に、その点を問い詰められたときの、斎藤勘解由(三國連太郎)の苦悶の表情が、そのことを雄弁に物語っていたと思います。
しかし、結局、本件の顛末は…。
終焉を迎えようとしていた武家社会の、断末魔の苦しみを描いて余りある一本でした。評論子には。
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