「脚色の見本、演出の手本」砂の器 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
脚色の見本、演出の手本
脚本が素晴らしい。
長大な原作を大胆に省略し、殺人事件を一件だけに削り、犯人の数奇な運命と宿命に焦点を絞りこんだ見事な脚色。
ほぼ全編を通して、刑事の地道な執念に満ちた捜査が描かれる。
その進捗が字幕で説明されるという、映画ではあるまじき手法が用いられているが、登場人物たちにそれを説明させないことで、ドラマにリアリティーを持たせている。
捜査員たちの活動を遠景で撮影したシーンが何度か出てくるが、捜査は足で行うということがよく表現できている。最近の刑事物が最も描けていない部分だ。
ロケーションにも驚嘆する。
時代背景を考慮してもこんな居住区が存在するのかと思うような村落を、これまた遠景で捉える圧倒的迫力。
そしてクライマックス。
捜査会議での逮捕状請求で唐突に犯人が特定される。
観客は、恐らく加藤剛が犯人なんだろうと気づいてはいるが、丹波哲郎がいかにして犯人特定に至ったかを知らない。
これを丹波哲郎の語りによって説明させるという、字幕に続いて駄作に陥る危険性の高い手法だ。
だが、この丹波哲郎の語りとともに、言葉より饒舌に映像と音楽が事件の背景を明らかにしていく。
この、日本映画史上屈指の名場面に、涙しない者がいるだろうか。
犯人和賀英良を原作の前衛作曲家ではなく、ピアニスト兼協奏曲の作曲家・指揮者にアレンジしたことで、この名場面は生まれる。
これも脚色の力だが、一方野村芳太郎の演出は、前半で捜査の進捗を文字で説明しておきながら核心部分では言葉を排した映像で言葉以上の説得力を発揮する。見事としか言いようがない。
また、芥川也寸志と菅野光亮による音楽が、シーンをより悲壮かつ劇的なものにしている。
キャストも絶妙だ。
繊細かつ鋭利な加藤剛、情熱溢れる森田健作の二人は、今見ても二枚目だ。
丹波哲郎の一見棒読みのような台詞回しは、抑揚がきいて深味がある。
清楚で愛らしさの残る島田陽子の美しさ。控えめなバストは後に全米のテレビ視聴者を釘付けにすることとなる。
kazzさん、コメントありがとうございます。
正直、カットしたいシーンは幾つもあり、その分、伊勢の顛末をもう少し丁寧に描いてくれたら、唐突感・強引さ観が減ったかなとも思うので、満点ではなく、0.5下げました。
もちろん、伊勢の調査を綿密に描かなかったのは、後半の語りのインパクトを考えてだと思うのですが、それ以前にあれだけ示唆しておいてね、とも思います。
しかし、語りの大胆さはおっしゃる通りで、テロップでの説明だけでなく、やはりラスト。2時間ドラマだったら、犯人の独白で崖っぷち(笑)で行われるんでしょうが、刑事の語りで行われる。その分、犯人の一人よがり感ではなく、”宿命”が際立ってきたと思います。唐突ですが「今父親と会っている」の台詞は丹波氏だからこそ説得力があり、それを裏付ける二人の加藤氏・春田君の演技・楽曲があいまって胸に迫ってきます。
丹波氏のあの存在感があるのだから、会場内をうろつくんじゃなく、舞台の袖で黙って待っていてほしかったような気もします。
それにしても、名優だらけでしたね。
私のレビューにも上げた以外にも、緒形氏の実直さ・強引さがあってこそ、納得できる物語。
他にも、山口さんの令嬢っぷり、わずかな出演なれどいつものエリートぶりをまき散らす内藤氏、人がよい中間管理職の苦労がにじみ出ている稲葉氏、聞き取れる範囲の方言を披露してくれた花沢氏・笠氏…。
加藤健一氏や佐藤蛾次郎氏も出演していてびっくり。
そんな往年の名優探しでも楽しい作品です。
とはいえ、加藤剛氏は『大岡越前』のイメージが強かった方なので、ある意味新鮮でした。『舟を編む』でも本当は下戸なのに酔っ払う場面を見事に演じていらしたから、この映画での演技も実力の範囲なのでしょうが。
今の若者に、どれだけ理解できるのでしょうか?
病気の夫と3歳児を置いて出ていく女。あの時代だったら、子連れで働けるところなんてなかったもの。
犯人が別人になりえた経過も『火垂るの墓』とか『はだしのゲン』と一緒に観ないと理解できないかしら。
ハンセン病への偏見を批判するのは難しいけれど、治療法が確立されたからこその話。
未来にも通じる深淵なるテーマを抱えた映画・小説なれど、時代を共有できたからこその物語でもあります。
それでも、だからこそ、語り繋いでいきたい映画だと思います。