白い巨塔(1966)のレビュー・感想・評価
全27件中、1~20件目を表示
財前五郎は悪人か?
田宮二郎の脂っこい熱演のせいもあり、一般的には「財前五郎=悪人」と見られているのではないでしょうか。財前先生は苦学して助教授までなった腕のいい外科医で、医局員たちにも慕われており、次期教授を目指しています。彼は自信家かつ野心家で、ボスの東教授のことを内心ではどことなく見下している様子です。言動の端々から、彼の傲慢さが透けて見え、誠実な人間ではなさそうです。偉そうで嫌な奴かも知れませんが、はたして彼は悪人なのでしょうか。
映画は前半で浪速大学医学部第一外科の教授選挙のゴタゴタを描きます。選挙あるところはどこでも同じですが、派閥ごとの密会、票読み、集票活動、買収などに登場人物たちが右往左往します。
教授選に勝ったら次は医学部長選挙、その次は学長選挙。または学会の理事選挙でその次は理事長選挙。まさにエンドレスの選挙地獄ですが、選挙に関わるみなさんの顔は輝いています。選挙と権力ほど、人間を夢中にさせるものはないのかも知れません。
この前半部分での悪人はなんといっても、東教授です。自分が財前先生を助教授に任命したくせに、教授選直前になって密かに学外候補を擁立します。理由は「スタンドプレーが過ぎるから」。まさに男の嫉妬です。本来東教授は後任者の育成が重要な仕事のはず。それなのに優秀過ぎる財前先生を後任に据えたら自分の影響力が残せないというみっともない理由で財前排除に動きます。策士であり悪人です。
後半部分は医療訴訟のゴタゴタを描きます。教授になったばかりの財前先生は、胃噴門部癌の術後に亡くなった佐々木庸平さんの妻から訴えられます。
もともとこの佐々木さんは第一内科の里見脩二助教授(田村高廣)の患者さんでした。腹部レントゲンや胃の内視鏡検査では慢性胃炎の診断でしたが、里見教授が研究を進めている「生物学反応」という癌の診断に関する新しい検査法で「±」の結果が出ます。慢性胃炎なのか胃癌なのか。診断に迷った里見先生は財前先生に相談し、財前先生は自ら胃の透視検査を買って出ます。検査と読影の結果、噴門部癌の診断が下ります。臨床能力の低い里見先生にはその透視画像の所見は読めない様子。癌となれば拡がる前に一刻も早く手術を。佐々木さんは第一内科から第一外科へ転科となります。
その後の顛末が実に奇妙です。ある日、里見先生は一枚の胸のレントゲン写真を持って財前先生の元を訪れます。
「今まで腹しか診てなかったけど、胸の写真に影がある!昔の結核の影か、癌の肺転移か、どっちかな?手術の前に、断層撮影しよう!」
外科に相談する前に、胸部レントゲンの一枚も撮っていなかったのでしょうか。撮っていても見ていなかったのでしょうか。断層撮影は外科への転科前に行っておくべきだったのではないでしょうか。
財前先生は里見先生の意見を聞き入れず、急いで手術を行います。術後に佐々木さんは呼吸状態が悪化します。財前先生は術後肺炎と診断し抗菌薬の投与を行いますが、改善は得られずに佐々木さんは亡くなります。
その後里見先生が遺族を説き伏せ、病理解剖を行うことに。その結果、肺に癌の転移があったことが明らかとなります。里見先生はその情報を遺族と関口弁護士に渡し、財前先生は訴えられます。証人喚問で里見先生は財前先生に不利な証言を行い、彼を断罪します。
この後半部分での悪人はなんといっても里見先生です。まず里見先生は、自分で癌の確定診断を付けることができませんでした。財前先生に診てもらわなければ佐々木さんを「慢性胃炎」と診断していた可能性があります。それこそ誤診です。内科医の仕事は、正しく癌の診断をして、遠隔転移の有無を調べ、病期分類を行い、手術可能であれば外科に紹介し、手術不能であれば化学療法を行うことです。内科医がやるべきことを里見先生は何一つできていません。里見先生がこだわる「生物学反応」も、佐々木さんのような進行癌で「±」なら検査の有用性は疑問です。
里見先生は自分の患者を外科に丸投げし、患者が亡くなると自分の責任は棚上げして外科医を断罪しました。なんとも卑怯な男です。自覚はないのでしょうが、恐るべき悪人っぷりです。医師としても人としてもだめです。一方財前先生は透視画像を正しく読影し癌と診断、手術も問題なく行いました。めちゃくちゃ有能な外科医です。
関口弁護士が説明する訴訟理由は2つ
① 手術前の注意義務怠慢(断層撮影を怠り、肺転移を見落としたこと)
② 癌性肋膜炎を肺炎と誤診したこと
訴訟を受けて新聞が書き立てます。『財前教授(浪速大)誤診か!!』『浪速大「象牙の塔」に鋭いメス、誤診の疑い濃厚、検察当局動き出す』。弁護士も新聞も、里見先生の怠慢は責めません。
一審では以下の理由で無罪判決が下ります。
① 断層撮影を行っていたとしても肺転移を確実に診断できたとは言えないため、術前の断層撮影は必須とは言えない。またもし遠隔転移が判明していたと仮定した場合、胃の手術をするかしないかは医師によって判断が分かれる。よって遠隔転移の確定診断が得られないままに手術を行った財前教授の行為に責任は問えない。
② 癌性肋膜炎の診断は解剖により得られたものであり、また肺炎も同時に存在したため、死亡前段階で明らかな誤診とは言えない。
まとめると、
東貞蔵(東野英治郎):悪人の皮を被った悪人(自覚あり)
財前五郎(田宮二郎):悪人の皮を被らされた普通の人
里見脩二(田村高廣):善人の皮を被った悪人(自覚なし)
3人の中でもっともたちが悪いのは里見先生でしょう。真に断罪されるべきなのは財前先生ではなく臨床医としてやるべきことをやらなかった里見先生です。直属のボスである第一内科の鵜飼教授はさすがに分かっており、里見先生に「きみはもっと大人になれ。臨床医としての融通性を身に着けろ」とアドバイスしていましたが、里見先生の耳には届いていませんでした。
佐々木さんが亡くなった時、奥さんが財前先生に向かって叫びます。
「あんたが、あんたがうちの人殺したんや!あんたが殺したんやー!!」
佐々木さんを殺したのは癌細胞と病原体であり、財前先生ではありません。小説家や脚本家や演出家は、何を考えてこんなセリフを叫ばせたのでしょうか。財前悪人説へのミスリードのためでしょうか。
悪い顔をした人は悪い人、いい顔をした人はいい人。善悪を決めつけるための印象操作は日本のフィクションの悪いクセです。類型化された登場人物といい、わざと善悪を逆転させたキャラクター設定といい、本作はなんとも後味の悪い映画でした。
本作は財前先生を悪人として描こうとしているのは明らかですが、財前先生の実際の罪は「偉そうなこと」くらいです。マスコミから叩かれるようなことはしていません。今日でもメディアのミスリードにより叩かれる人たちは多いですが、本作はまさにその典型ではないでしょうか。安易な正義感と印象のみで他人を軽々しく断罪してしまうことは慎みたいものです。
今日でも善悪の二項対立みたいな安易な医療ドラマが量産され続けていますが、本作はその嚆矢となったのではないでしょうか。この奇妙な映画に関わったことが、田宮二郎(柴田吾郎)のその後の人生に影を落としてしまったような気がします。RIP
1961年7月2日 アーネスト・ヘミングウェイ猟銃自殺(享年61)
1963年9月15日号から1965年6月13日号の『サンデー毎日』に小説「白い巨塔」連載
1965年7月単行本「白い巨塔」正編出版
1966年10月15日、本作公開
1967年7月23日号から1968年6月9日号「続・白い巨塔」が連載
1969年11月単行本「白い巨塔」続編出版
1978年6月3日テレビドラマ版「白い巨塔」放映開始
1978年12月28日 田宮二郎(柴田吾郎)猟銃自殺(享年43)
タイトルなし(ネタバレ)
原作既読。
個人的には、財前五郎が裁判に負け、癌が発覚し、亡くなるまでを描いた第二部がある原作が大好きで、田宮二郎バージョンも当時かなり期待して鑑賞したのですが、どうしても物足りない…という感想に。山崎豊子はそもそも田宮二郎版の通りに物語を終わらせるつもりだったけれど(現実世界は弱者は泣き寝入りで医者は権力闘争に忙しいので、そのままを描きたかったらしい)、大勢の読者からの熱烈な要望に応える形で第二部の連載を開始したと聞いています。荘厳なアメイジンググレイスが鳴り響く中、カタルシスと共にうやうやしく結末を迎えるところは、ちょっと感傷的な感じもあり、時代劇的な、溜飲を下げるような結末で、より大衆向けと言えなくもないのですが、私は唐沢寿明バージョンの方が好きです。
何と言ってもこの白い巨塔、財前五郎という人間がこんなにも魅力的に描かれているという所に、私は最も山崎豊子の凄さを感じます。
自分や家族の主治医が財前だったら丁重にお断りしますが、小説の主人公としてはどうしても彼を嫌いにはなれない。彼は人としては明らかに間違っているけど、財前五郎としては決して間違っていないのです。彼は自分自身に正直で、欲しいものは全力で獲りに行く人です。苦労して医者になり、野心に燃え、その反面で母親に楽をさせてやりたいと思う心を持ち合わせ、手術の腕前は右に出る者はおらず、多くの患者をその手で救いながら尊大で、人として最も大事なものが欠落して、医者にあるまじき罪深い間違いを犯す。そして最期は自分も病魔に犯され、死んでいくのです。こんなにも人間臭い男が、一体どこを探したら他にいるでしょうか?私は彼が憎いような、仇のような、それでいて、ただ愛しくてたまらないのです。…冷静に見たら酷いクズっぷりなのに、不思議です。
また、医療業界の権力闘争の行方が非常に面白い。魑魅魍魎の蠢く世界を読者に見せながらぐいぐいと話を引っ張っていく力に圧倒され、里見助教や、関口弁護士などの存在がキラッと光り輝いて、読者の心を強く打ちます。
田宮二郎版は、だいぶ前に鑑賞したので、また改めてじっくり見たいです。「白い巨塔」は、これからもずっと私の本棚に。古本屋に行くことはありません、私のバイブルみたいなものです。原作をまだ読んでいない方はぜひ試してみて欲しい、まるで彼女に何か憑依したかと思わせるほどの迫力です。取材、勉強、さぞや大変だったろうなというのはもちろんですが、この作品を描き切るという超人的エネルギーが凄まじい。エネルギーが迸っています…!!もう我々は作品の前にひれ伏すしかない。本当に素晴らしいです。
日本における医療ドラマの原点
子供の頃にTV版白い巨塔を見てからというもの、大学病院や大きな病院にかかりたくなくなった記憶がある。実際にプロパーとして医療業界に携わったことのあるので、大学病院内にある実情には今も昔も変わらない体質があることにリアルさを感じる。教授と助教授には金銭的にも名誉的にも雲泥の差があることは事実であるし、教授選挙の裏で蠢く陰湿な部分もリアルに描いてあると思われる。TV版の再放送時にはある病院の医局で医者とともに鑑賞したが、レントゲン写真にはリアルさを欠いていたらしい。
後半の誤診に関する訴訟問題については、充分な検査をしなかったという点も取りざたされているが、医療保険でどこまでの検査ができるのかという社会問題もテーマに取り上げられれば最高の作品になったであろう。
【2004年ケーブルテレビにて】
不朽
浪速大学の財前五郎助教授は、その技術の高さで週刊誌にも取り上げられる。そして東教授の定年退職で、次の教授と目されていた。しかし彼の傲慢不遜な態度を、東教授は良しとせず外部から教授招くことを画策。一方財前の義父は、金の力で彼の昇進を成し遂げようとする。そんな中、財前が執刀した患者が亡くなってしまい。
久しぶりの観賞。裏工作のやりとりや、納得せざるを得ない微妙な感情を残す判決、と見ごたえ十分です。現代にもいまだに通じていて、良くも悪くも不朽の名作です。
田宮二郎と船越英二が、ずいぶん日本人離れした顔つきですね。
最初の手術シーンの腹腔内は、本物の人間ものだそうです。モノクロでよかった、カラーじゃ見れない人がいるな。
どうしても比較してしまう
唐沢版を連ドラで見てハマり、その後再放送も見ていたためどうしても比べてしまいますが、田宮二郎版を見ていた母からしたら、唐沢版は田宮二郎版の重さが足りないと!
岡田准一版がうっすいな〜と感じたのと、同じ構図かと思いますが…
原作が完成していない状態で映画になったため財前が癌になるくだりがなく、あの後も大事なのに!と思いましたが、見応え十分でした。
個人的には、「源氏物語」と並んで、いま映像化するならどんな配役にするかを妄想するのが楽しい「白い巨塔」。この映画では、財前又一の品のなさがよかったというか、合っていたと思いました。
余談ですが、佐々木庸平は財前に冷たくあしらわれたのに、財前が癌になったら東教授に執刀お願いできて、財前が閑職に追いやったような里見先生にも親身になってもらえていいねと財前に言いたくなる自分は、性格が悪いのか…と思います。
命か、権力か…磨かれる野望のメス!
Amazon Prime Video(KADOKAWAチャンネル)で鑑賞。
原作は未読。
命か、権力か。熾烈な教授選に挑む財前五郎が野望のメスを磨く。大学病院に渦巻く権力争いの裏で失われる、医者の良心と患者の命。医学界の病巣を描破する社会派監督・山本薩夫氏の重厚な演出がモノクロ映像によって際立っていました。
患者より野心を優先する財前が発散するギラギラを、田宮二郎氏が渾身の熱演で表現していて、魅せられました。
また、対象的な里見助教授の、医師として、科学者としての良心を体現している田村高廣氏の演技も見物でした。
原作が完結前(「続・白い巨塔」発表前)に映画化されたので、誤診裁判の判決までで物語が終わってしまいますが、教授としてさらなる権力の階段を上ろうとする財前と、大学病院を去る里見の残酷な対比が医療界の抱える問題を際立たせる構造となっていて、橋本忍氏の脚本力と山本監督の演出の鋭さが光る見事なラストシーンが印象に残りました。
田宮二郎さん、やっぱりカッコいいです。
『白い巨塔』、テレビシリーズを両親が熱心に観ており、私も小さい頃たまに夜更かしして一緒に観て、ストーリーこそ全く覚えていませんが主演の田宮二郎さんのカッコ良さだけは覚えています。
なので、当時のクイズ番組『タイムショック』を観る度に「あっ、白い巨塔の先生だ!」と思っていたし、自死された際、両親が驚くと同時に大きなショックを受けていたこともかなり鮮明に思い出せます。
その後、別の俳優さんが演じられたものの、やはり財前先生は田宮さんという幼い頃の刷り込みにより全然観ていませんでしたが、当時の映画をBSでやるということで録画して観ました。
当時のテレビシリーズはカラーで観た記憶があるので、白黒なのに最初ビックリしましたし違和感も感じましたが、その面白さによってすぐに慣れました。
医療ドラマというよりは、前半は選挙ドラマ、後半は裁判ドラマって感じはありますが、医療業界を若干知っているだけにいわゆる「あるある」も感じられ、相当取材されているのだろうなと思える部分も多々あり、2時間半もの時間が結構短く感じるほどでした。
田村高廣さん、東野英治郎さん、下條正巳さん、加藤武さん、小川真由美さんなどその後も大活躍される役者さんの若い頃の活躍が観られて感激できただけに、田宮さんの若過ぎる死が惜しまれ、あらためて両親がハマってた当時のテレビシリーズも観てみたいなと思いました。
あと、時代なので仕方ないのでしょうが、どんだけ吸うねん?ってツッコみたくなるほど、カットが変わる度に喫煙シーンが出てきたのと、マスコミが出てくる度、当時原作が掲載されていたサンデー毎日が出てくるのには、本筋とは関係ないところでちょっとウケました。
ドラマチックな展開
キネマ旬報において圧倒的なベストワン作品だったが…
山崎豊子作品は全て長編過ぎて
これまで読むことはなく、
「華麗なる一族」や「大地の子」等々、
全て映像作品に頼ってきた。
この映画もその一つ。
1966年のキネマ旬報のベストテン選定に
おいては、半数以上の選考委員に満点を得て
圧倒的に支持されたベストワン作品で、
山本薩夫監督の代表作の一つでもある。
この作品も原作未読を尻目に
何度か鑑賞してきたものの、
たまたまTV放映があり
またまた鑑賞した。
原作の力ではあるだろうが、
教授選考会と医療ミスの絡み合わせからの
裁判への展開など、
話としては確かに面白いし、
映画としてもダイナミックな演出に感じる。
冒頭から引き継いだ、
先任教授の頭だけをすげ替えたような
財前の大名行列的総回診のシーンも
印象深い。
しかし、登場人物が多いためか、
登場人物が類型的に描かれているきらいが
あり、何か派閥同士の陣取りゲームでも
見ているような印象だ。
それは、一部の登場人物が安直に
取り扱われているためのようでもあるが、
果たして、
原作ではどう描かれているのだろうか。
また、裁判のエンディングにおいて、
医学界の権威を守るためとは言え、
それまで敵の陣営だった東都大教授の
「財前教授にも大きな手落ちと責任がある」
と言いながら、
「卓越な医療技術を深め…教授に…」との
証言で裁判の幕引きを計る構成が
強引過ぎる気がして、
これも原作からの飛躍があるのか、
今回の鑑賞では、キネ旬NO.1映画の割には、
少し簡易的にまとめ過ぎた作品に感じた。
それにしても、現在においても
医学界に留まらす、政界や財界においても、
専門的な英知の発揮ではなく、
里見内科助教授の言葉を借りれば、
「才能がありながら、
他のことに興味を持ち過ぎる」
的立身出世者ばかりでは、
将来への危惧がますますつのるばかりだ。
主演:田宮二郎
前からwowowで放映されていて、チラッと観つつ、モノクロ、あまり観ない古い時代?の面々、に耐えられずに直ぐ挫折したが、今日最後まで観てもったいない事をしたと思った。皆様が詳しく書いてくださっているのでなるほどと思いつつ原作を読んでみたくなった。超イケメンの田宮二郎見たさであったが、教授任命を聞いた時の表情から数年経って髭をたくわえた顔つきが悪人にしか見えなくなった。それだけ田宮二郎の演技が真に迫っているという事だろうか。里見助教授の清らかな表情とつぶらな瞳が対照的だった。田村高廣さんの若い頃を見ることもできた。当たり前だが、出演者の方々ほとんど鬼籍に入られていた。最後の裁判での傍聴席でのそれぞれの表情、損得にあわせてのものだったか。
是非田宮二郎主演のTVドラマを観てみたい💕
モノクロームが映える映画
現実の世界は複雑なグラデーションをなしていて、物事を単純に白と黒では分け切れない。しかし、人間の社会では事実を解剖し切り分け、白黒をはっきり決さなければならない時がある。
病院では白衣姿の医師達が、己の出世と保身のために白衣を脱ぎスーツを着てバーとお座敷を掛け持ち。金と権力を用いた策謀を巡らせる。一進一退の攻防が繰り広げられる中で、男たちの陰に描かれる女達、派閥争いに巻き込まれていく者達の描写が印象的だった。
判決の決め手となる証言は、被告・財前五郎に対して否定と肯定を含んだものだった。
証言の後にカメラはゆっくりと法廷に並んだ人物の顔をなめていく。皆それぞれが様々の表情を見せており、見事なグラデーションをなしていた。
悪の台頭‼️
『これより以前は、医者が患者に訴えられる事が無かった』って?!ふざけている。
コンプライアンスが叫ばれて、表向きはこう言った輩は一掃されたはずである。
しかし、あのオリンピックの事件を考えると、未だにこう言った体質が行政機関にはあると思う。つまり、国立大学=独立行政法人って、たぶん抜け穴なんだと思う。
各シーンを見て思う事は『煙草を吸って、安い洋酒飲んで喜んでいる』のが、実にアナクロに見える。
しかし、母子家庭の苦労人ても医者ってこんな性格なのかなぁ?まぁ、こう言った医者は少なくなったと思うが、未だに平然と残っているのが、政治家なんだろうね。派閥、地縁、世襲、お金、令和の自由と民主主義とコンプライアンスが整っていても平然と存在する。つまり、そんな奴選ぶ側に問題があるんだろうね。
原作を呼んだが、この映画見るだけで充分だと思う。
財前五郎って兄貴が四人もいて、母親大変だったでしょうね。
しかし、日本映画ってなんでキャストに演技させないのか?悪役は悪役しか出来ない。田村○和さんが財前助教授をやってもらいたかった。臭い演技が鬼気迫る演技と過大評価される。そんな役者しかいないのかなぁ。この映画の役者さんはほぼ全員が天国にめされているようだが、この方達が後継者を育てた気配が無い。こう言った業界にこそ、徒弟制度を残して貰いたい位だね(良い意味で)。
今のお医者さんなら、必要以上の検査行うと思うが。レントゲン撮って、CT撮って、MRI撮って、胃カメラまでも呑まされる。お金がかからなければ良いが、健康保険を使ってもかなりの高額。その上『老人は無駄に医者に通って、健康保険を使いまくる』って若者から揶揄される。つまり『老人は医者に通わず早く死ね』って言われているように聞こえる。その上『PLAN75』とはね♥
あれ?!そうか『続編』があるんだ。映画は兎も角、原作がなにわ商人の様にデフォルメして執筆しているので、アナクロ感は拭えない。植木等さん主演の映画や森繁久彌さん主演映画の様に感じた。笑えないけどね。でも、同じ様なテーマで今もこう言った話がウケる事に疑問を感じる。
橋本忍の技量に感服した
原作を読もうと本を購入したのだが100ページくらいで断念した。説明が長すぎストーリーが面白くなさすぎた。あの分厚い小説を全部読んで面白いとこだけをギュッと凝縮し取捨選択してエンターテインメントなシナリオにまとめあげたのは見事だ。ほぼ得票工作の話なのだが非常に面白い。脚本家の技量が特に優れていると感じるのは主人公がどっからどう見ても感情移入できないタイプの男だという点だろう。普通こういう主人公だと観客はいやになって興味を失ってしまう。ところがこの作品ではそういう奴を描いておきながら見るものを惹きつけてしまった。脚本家、橋本忍のやはり世界一の脚本家だ・・いや脚色家かな。
演出は脚本に沿っており脇役が変に目立つことを避けるようにしている。エロもバイオレンスもなく会話だけの映画なのに見ごたえのあるものに仕上げたのは監督の力であろう。すべてが成功した作品だと思う。原作のファンにとっては物足りない部分はあっただろうが原作を読んでない私からすると文句の言いようのない傑作だ。
ついでに書いておくと手塚治虫の傑作、「きりひと讃歌」はこの作品に似ているという評価を受けている。実は私はそれが気になってこの作品を映画で見てみたのだ。確かに主たるテーマは同じだと思った。この映画のこういうところをもっとを膨らましてデフォルメして描けば更にもっと面白くなるのに・・・というのが「きりひと讃歌」では描かれている。そして結末もまた異なっている。それもまた漫画の歴史に残るような傑作なのでこれを見て面白かった人は「きりひと讃歌」もぜひ読まれたい。
関西人な田宮二郎の大阪弁
山崎豊子と田宮二郎
隔世の感のある医療現場。1966年の平均余命は68歳。さもありなん。
ドクターXも現代の技術の上で成り立ってるのが良く分かる。
怖いのは人間のドロドロ心理が変わってないこと。そしてコロナ騒ぎを見るような業界の利権が最後の決め手という情けなさ。そして大名行列は続く。
山崎豊子なのでそのドロドロが社会批判にうまく繋がる。今ならターゲットが狭くなるけど池井戸さんか。
個人的には曽我廼家明蝶の又一のイメージが強い。映画版(1966)もTVで見てたと思うが年代的に理解できてなかったんだろう。そのあとのTVドラマ(1978)の印象が強かった。唐沢版の時も同年代の中では明蝶の又一の大阪弁とえげつなさを口真似して盛り上がった。TVドラマ(1978)やらんかな。
財前が想像していたような人格者ではなかったのが興味深い。 愛人は囲...
悪徳が栄える
全27件中、1~20件目を表示