春琴物語

劇場公開日:

解説

谷崎潤一郎の小説「春琴抄」から、「山椒大夫」の八尋不二が脚色し、「番町皿屋敷 お菊と播磨」の伊藤大輔が監督する。撮影は「春雪の門」の山崎安一郎が、音楽は「足摺岬」の伊福部昭が夫々担当する。出演者は「或る女」の京マチ子、「山椒大夫」の花柳喜章、「こんな美男子見たことない」の船越英二、「晩菊」の杉村春子に、青山杉作、進藤英太郎などで、語り手の老女の声は東山千栄子である。

1954年製作/111分/日本
原題または英題:The Story of Shunkin
劇場公開日:1954年6月27日

ストーリー

大阪の道修町にある鵙屋は、数ある薬種問屋の中でも、名の聞えた老舗だった。そこの二女お琴は、幼い時に失明し、春松検校を師匠として琴や三味線の稽古に通っていたが、その美しさは世間の評判となっていた。少年時代から仕えてきた佐助はお琴の唯一人のお気に入りであり、彼女は佐助以外の誰もが身の廻りの世話をすることを喜ばなかった。佐助も真心こめてお琴に仕えたが、何時も彼女が音曲の稽古をするのに耳を傾け、自己の給金を貯めて三味線を買い、音を立てずに手つきだけで秘かに練習する様になっていた。それに感ずいてお琴は佐助に弾かせてみるが、その才能を認めて二人は師弟の間柄になった。お琴は常に佐助を召使いとして扱っていたが、心の中では彼に愛情を抱いて居り、遂に佐助の子をはらむようになった。生れた子は間もなく死んだが、外見依然として主従の間柄だった二人の愛はゆるがぬものとなっていた。お琴は師匠春松の名を貰って春琴と名乗ったが、一方鵙屋の店では商いも不振に陥り、且つ主人も亡くなったので、春琴は佐助と二人で淀屋橋に住まい、生活を立てるために琴の教授をすることになった。この頃春琴を見染めたのは金持の若旦那利太郎であったが、彼は春琴に対する野心から弟子入りをすることになった。だが彼に対する春琴は冷かった。ある夜、彼の寝室に忍び入る一人の曲者があり、身を避ける拍子に鉄瓶の湯が彼女の顔にかかった。醜くなった顔を歎き悲しみ、決して自分の顔を見てくれるなと頼む春琴の言葉を守るために、佐助は自己の両眼に針をつきさして失明した。今や孤独の二人の心は斯くして永久に結ばれたのである。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0規定されたくない女

2022年9月16日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1954年。伊藤大輔監督。谷崎潤一郎原作の小説を映画化。幼いころから丁稚修行に入った大店には盲目で絶世の美女のお嬢さんがいた。その女性に長年にわたって献身的につくす男の姿を描く。
男は主人ー奉公人に加えて師匠ー弟子となり、とことん従属的に振舞う。女は恵まれた家庭に生まれたうえに美貌にも恵まれているが、さらに芸術上の高みを目指している。何から何まで言うことを聞く男と結婚をすすめる両親のやさしさを拒絶するのは、それが自分自身の思いを決めつけているからだ(あの男のことが好きなのだろう)。決めつけられること自体が許せないのであって、男とは子までなしているのだが、男への愛(通常の意味での)があるのかないのかは描かれない。主従という自分と男がつくり上げている関係を第三者に規定されたくないのだ。映画もそこまで踏み込まない。
物語の性質上、ヒロインの京マチ子は終始目をつむっている。服従する男である花柳喜章もラスト近くで盲目になるから目をつむる。二人の主観ショットがむずかしいのだが、記憶であることをしめす幻想的な映像、暗闇、画面のぶれ、などさまざまに工夫している。また、絶世の美女といわれているのだから客観的にそう見えなければいけないが、瞳がない顔に華がないのは否めない。その分は長いまつげと細く引いた眉が引き受けている。

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4.0☆☆☆☆ 今では眼が見えなくなってしまったお琴が、雪の冷たさを思い...

2018年11月11日
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☆☆☆☆

今では眼が見えなくなってしまったお琴が、雪の冷たさを思い出しながら舞う場面の美しさが白眉。

作品中に佐助が物干し場で三味線を練習する場面が有り。同じく伊藤大輔監督作品・主演京マチ子の名作『いとはん物語』を思い出す。
美術監督は別なれど、音楽も同じく伊福部昭。
あちらはカラー作品で、セット美術で描かれた夕日の美しさが悲劇性を増幅させ。こちらの涙を搾り取られたものだった。

お琴の美しさを妬むのが杉村春子。
もう素晴らし過ぎる(^.^)
いつまでもこの女の嫌味顔を観ていたいと思わせてくれる。

そして映画は終盤の《その場面へ》

分かりきっているにも関わらず、ドキドキか止まらない。
作品中に何度も重なるお琴と佐助の手のカットこそ、2人の気持ちの通い合い。
単なるその繰り返しと言えるのに、《その場面》の後に起こる、なかなか重ならない2人の手。
ただそれだけで、何故にこれ程までに感情を揺さぶられてしまうのか?
まさに悲劇の名匠伊藤大輔の真骨頂と言っていいクラシカルな演出に酔わされしまった。

2018年11月9日 国立映画アーカイブ 長瀬記念ホール OZU (旧国立近代美術館フイルムセンター大ホール)

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