山椒大夫のレビュー・感想・評価
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残酷な話
plexという米国のストリーミングサービスをみつけた。黒澤や小津など往年の日本名画もたくさんある。そこで見た。
imdb8.4、RottenTomatoes100%と95%。
imdbは分母(採点者数)が18Kなので8.4は水物な数字(=採点者が少ないゆえの高得点)ではない。海外認知度が高い映画といえると思う。
ヴェネツィア映画祭銀獅子賞。溝口健二は西鶴一代女(1952)と雨月物語(1953)と本作によって三年連続でヴェネツィア映画祭に入賞した──そうだ。
plexの英題はSansho the BailiffとなっていてBailiffを翻訳機にかけると執行使とでた。なお森鴎外の原作小説にはSanshō the Stewardという英題がついているそうだ。
英語のwikiには絶賛の弁が並んでいた。曰く──
※英国映画協会が2012年に行ったサイト&サウンドの批評家投票では59位にランクインした。
※2022年サイト&サウンドはこの投票を繰り返し『山椒大夫』は『千と千尋の神隠し』と同率の75位となった。
※RogerEbert.comに寄稿したジム・エマーソンはこの映画を絶賛した。「どの言語においても、これ以上の映画があったとは思えない。~」
※ニューヨーカー誌の映画評論家アンソニー・レインは「映画館から出てきたときは、傷心していたが、これ以上のものは見たことがないという確信に落ち着いていた。」と書いた。
※フレッド・キャンパーは『The Little Black Book of Movies』にて、山椒大夫を「最も破壊的な感動を与える映画のひとつ」と評している。
※スコセッシは山椒大夫を「若い映画監督に必須の外国映画39本」のリストに加えている。
※映画評論家のロビン・ウッドはCriterion Collectionのウェブサイト用にトップ10リストを作成するよう依頼され山椒大夫を1位に挙げ「史上最も偉大な映画の有力な候補。完璧で深遠な傑作であり、『雨月物語』に匹敵する」と評した。
※リチャード・ペーニャ教授(コロンビア大学)は山椒大夫を「映画史上、最も偉大な感情的・哲学的旅のひとつ」であり「溝口健二が死の直前に制作した連綿と続く傑作の中で、おそらく最高傑作」と称した。
おそらく海外では溝口健二は黒澤明や小津安二郎とならぶ認知度になっているのだろう──と思った。すくなくとも日本国内よりも高い評価になっている気がした。
森鴎外の短編小説の映画化。未読だが山椒大夫やあんじゅやずしおうという名前は聞いたことがある。
あらすじを書いておくので知りたくなければ見た後に読んだほうがいいです。(有名な原作の古典名画をネタバレにするはなんか変だと思うのでネタバレにはしなかった。とりわけFilmarksのネタバレのコンシールは超大げさだと(個人的には)思う。)
──
父であり国守である平正氏は徳が高く百姓から慕われる領主だったが領民をかばいだてしたことで左遷させられる。別れに際して厨子王に如意輪観音像を託し「人は慈悲の心を忘れては人ではないぞ、己を責めても人には情けをかけよ、人は等しくこの世に生まれてきたのだ」と諭して筑紫へ旅立っていった。
主人をうしなった母玉木(田中絹代)とその子供である安寿と厨子王の姉弟は母の郷里岩城へ下る。その道中、人買いとつるんだ巫女にだまされ、玉木と姉弟は引き離され、玉木は佐渡で遊女となり、姉弟は丹後の荘園領主山椒大夫の奴隷となり劣悪な環境で過酷な労働に服しながら子供期から青年へと10年が過ぎる。
あるとき佐渡から女が荘園へ掠われてくる。女は母玉木のことを知らなかったが地元で聴いたという歌を口ずさむ。「ずしおう恋しや、あんじゅ恋しや」。中君という遊女がずっと歌っていたせいで、ひところ佐渡ではやり歌になった──と女は言うのだった。
玉木は佐渡から何度も逃亡をこころみたせいで宿主に足の筋を切られる。まともに歩けなくなった玉木は毎日海の向こうを眺めてはずしおう~、あんじゅ~と子の名を呼んでは泣きはらす日々だった。
安寿は厨子王に逃亡をすすめ、自分は追っ手をまいて入水自殺をとげる。厨子王は一時国分寺にかくまわれていたが、都へでて人身売買の悪行を関白へ直訴する。直訴は適わなかったが、正氏の嫡子であることが分かり、父の後継として丹後の国守をさずかる。国守になった厨子王は、人身売買を禁じ、山椒大夫を捕らえて荘園の奴隷たちを解放する。
奴隷を解放し任を果たしたことで国守を辞した厨子王は佐渡へわたり中君と名乗る母玉木をさがし、浜辺に座って歌をうたう盲目の老女をみつける。
それが母玉木だと気づいた厨子王は肌身離さずもっていた如意輪観音をさしだし息子であることを告げるとふたりはひしと抱き合った。
厨子王は国守として父の教えに忠実であったと語るも、もはや父正氏も妹安寿もこの世にはいない。ふたりは再会の喜びと喪失の悲しみに暮れる。
──
説経節という中世の大道芸の演目「さんせう太夫」を小説にしたのが森鴎外の「山椒大夫」とのこと。さんせう太夫では安寿は姉で、安寿は山椒大夫の息子三郎に凄惨な拷問の末に殺され、厨子王は山椒大夫父子に対して苛烈な復讐をする。
『鷗外は小説化にあたり、安寿の拷問や山椒大夫が処刑される場面など、原話で聴かせ所として具体的に描写される残酷な場面はほとんど切り捨てている。』
(ウィキペディア「山椒大夫」より)
説経節のほうが刺激的なのは過激であるほど大衆にウケるという方法論が昔からあったから──に違いない。それを軍医で翻訳家で教育者でもあった小説家森鴎外が理知的な話にしているがそれでも残酷な印象の話だった。
厨子王と玉木が再会するとはいえ到底ハッピーエンドではないし不条理と言えるところもある。
悪は最終的には勝ちはしないとはいえ何年も恣(ほしいまま)の状況を続けてきたわけであり、安寿は死んでしまうし母玉木は売春婦にさせられ歩けないように足を切られ盲目になる。
つまり「人は慈悲の心を忘れては人ではないぞ、己を責めても人には情けをかけよ、人は等しくこの世に生まれてきたのだ」などという慈悲心に忠実でいては、逆に酷い目に遭ってしまうのが人の世だ──と言っている話でもある。
しかしそれでもこの話の教理は「人は慈悲の心を忘れては人ではないぞ、己を責めても人には情けをかけよ、人は等しくこの世に生まれてきたのだ」ということには違いない。
ただし玉木や安寿の純真さには心懸かりがある。要するにばか正直ではいけない。怪しげな巫女にだまされて母子切り離されるところからして、何というお人好し・世間知らずなのかという印象だった。純真は結構だが騙されてしまうほどでは困る。
父の教えである「人は慈悲の心を忘れては人ではないぞ、己を責めても人には情けをかけよ、人は等しくこの世に生まれてきたのだ」にも同意するが、願わくばそこに「悪意を察知できるような強かさ(したたかさ)」も付け加えたい。──というような教訓へ導かれる話だったと思う。因業深く、古さをしのぐ見応えがあった。
ほかのVODにはない映画があり無料枠も大きいplexはおすすめです。
すべては最後のシーンのために
安寿は姉であって欲しかったがキャステングの関係で仕方なかったのだろう。香川京子は妹であっても厨子王を立ち直らせ勇気を与えた姉の力を持った安寿だった。
そして田中絹代の素晴らしさ。気品と優しさのある母は最後のシーンでも変わることなく更に神々しいものになっていた。
「昔はひどかった日本」でもあり、現代にも通じるアクチュアルな問題も含む普遍的な物語「安寿と厨子王」。この国の宝物だ。
おまけ
終演後、香川京子さんのトークショーが!溝口監督から安寿の眉は阿修羅の眉にと指示された、とメイクさんから聞いたとの香川京子さんの言葉に感動し納得しました。今も現役で「女優」という「仕事」をしている香川京子さん。若いときから自立心と自由を求める心の強い方で尊敬します。
海
佐渡から来たと言う少女に母の消息を聞いても存ぜぬという返事。しかし歌い出したら、自分たち「安寿と厨子王」の歌だったのだ。10年の歳月が流れていたが、自分たちを恋しいという内容の歌を聞いて泣き崩れる安寿。
兄だけ脱走させて自分は湖に身を投げてしまった安寿。兄は知らずに、安寿と自分の夢を叶えるために関白に直訴して、自分が正氏の嫡子であることが証明され奴隷を解放することに成功。しかし安寿の死を知ると絶望。囚われの身になっているときには弱腰で、安寿に励まされ強くなったというのに・・・
ラストの海のシーンが印象的
リアリズムと物語の平明さが生むヒューマニズム映画の理想形、その美しさと感動がある
「西鶴一代女」「雨月物語」「祇園囃子」と優れた女性映画を世に送り、女性崇拝と人道主義の美徳を知らしめた溝口監督は、そのテーマをもっと広く伝えるために普遍性と平明さに拘って、この歴史小説を映像化したのではないだろうか。この作品によって、溝口健二の作家としての良心が完成したように感じられた。それは、戦前のサイレント映画「故郷の歌」から数えて23作品の溝口監督作品を観て来て、(客観的な評価を別にして)個人的に最も感動し、映画の世界観に一番共鳴したからに他ならない。中世の荘園制度や奴隷制度の背景の描写力は勿論、ラストの母と子の再会シーンまで映画全体が人道主義の核心にあり、古典物語の映像美を見事に作り出している。このような美しく純粋な精神性を備えた映画こそ、総ての若者に見せるべきなのではないかと真剣に思い、映画の素晴らしさとその存在理由まで考えるに至った。
平安時代の末期、越後の浜辺を旅人が通る。農民の窮乏を救うため朝廷に反発して左遷された平正氏の、妻玉木とその子供厨子王と安寿、そして女中の姥竹の4人である。平正氏の政治は本来の人道主義で、当時の身分による差別社会の苦労を教える。これを現行の場面とモンタージュして分かり易い導入部になっている。野宿をしようとした4人のところに巫女が現れ宿を案内してくれるが、翌朝母と子は引き裂かれ姥竹は海に落とされる。この残酷な場面の非情な美しさというのは見事に尽きる。溝口演出の厳しさと宮川一夫の撮影の美しさ。リアリズムに徹した現実凝視は映像空間をここまで重々しく強固にするのかと感銘を受けた。母は佐渡へ連れられ、子供たちは山椒大夫に売られてしまう。
それからは、山椒大夫の残虐非道の振る舞いが真正面から描かれる。右大臣へ賄賂を貢ぐ一方、奴隷たちには過酷な労働を強いる様子は、いつの世にも存在する社会の縮図を教え、政治と産業のひとつの典型として実在するものだ。大人に成長した厨子王と安寿は、佐渡から来た女の唄に母の消息を知り、厨子王は逃げ出すのに成功するが、安寿が犠牲となる。この兄妹愛が、自然を背景に切なく訴えかけてくる。冒頭の海辺の厳しさに対して、湖水の静寂の悲しさ。都に上った厨子王は関白藤原師実に会えて出自が明らかになり、丹後の国守に抜擢される。そこで山椒大夫の荘園に駆けこむが、妹の死を知ることになる。厨子王は国守の身分では不十分ながら強引に山椒大夫の財産を没収する仕事をやり遂げ、最後母を探しに佐渡島に渡る。このラストシーンの感動的な演出の素晴らしさ。人の世の罪をすべて見据えた、作者の悟りのような語り。それは、人間を厳しく批判すると同時に愛して止まない人間性を印象付ける。
溝口健二の悟りの境地にあるヒューマニズム。リアリズムの演出は相変わらず徹底した時代考証の上でなされているが、原作の物語風な平明さにより、描かれた情感が素直に感動を呼ぶ。役者では、田中絹代と香川京子、進藤英太郎が素晴らしく、撮影宮川一夫の功績も高く評価しなくてはならない。ここには、ヒューマニズム映画のひとつの理想形がある。
1978年 7月21日 フィルムセンター
名作だが寓話的ファンタジー幻想は少なめ。
早稲田松竹にて溝口健二の2本立て
「山椒大夫」4Kデジタルリマスター版なのでとりあえず鑑賞。
子供の頃に読んだ事のある安寿と厨子王の物語で、大筋は、昔から知っているので、展開に驚きはないが、姉弟が逆の兄妹に変更してあり、悪党の山椒太夫を処刑するところがないのが不満。
原作通りにノコギリで悪党の山椒太夫を頭をギコギコしてくれないと爽快感がない。(オイ!)
身代わり仏像や死後の見守りなどの原点に有ったと記憶しているファンタジーな要素も完全に排除しているのは、リアリストの溝口らしい。
少年の頃の厨子王が、子役時代の津川雅彦なので、とても凛凛しいのだか、成長したらあれ?風体も滑舌も個人的に今ひとつの俳優変わって、子役時代が、良いのに成長したらどうしてこうなった?なキャスト。市川雷蔵だったら文句なしだか。
田中絹代も兄妹の母親役で、これまた酷い目に遭わされる。強制娼婦にされて逃げないようにアキレス腱を切られ、盲目に・・酷い。
個人的な不満も有るが、ともかく4Kデジタルによって蘇った、平安期の豪華なセットや衣装とロケ撮影も素晴らしい。
日本映画の至宝です
日本映画の至宝です
世界の映画遺産のひとつに間違い有りません
圧倒的な美意識、構成美
900年以上昔の平安時代そのものはかくやと言うべき美術と衣装、考証、音楽
何もかも圧倒的です
姉弟を逆転し兄妹に設定変更してあるなど、脚本も伝説や森鴎外の原作から見事な翻案です
田中絹代の品位があり気高い貴婦人ぶりは彼女だけにしか出せないものでしょう
そしてラストシーンでの零落の果ての姿でさえもその品位と気高さを漂わせることなど彼女にしかできないものです
彼女によりラストシーンの強烈な感情の破壊力をもたらすことが可能になったといえると思います
抱き合う二人をロングショットで高めから捉え、クレーンで視線を高く水平線に上げつつパンしていくカメラは本作を観終わった私達観客の感動をものの見事に表現して代弁してくれるのです
これぞ溝口監督といえるカメラでした
小中学生の内に、生涯の映画の基準の原点として一度は観ておくべきものです
丹波の国の国分寺は今の天橋立駅の対岸にあったそうです
山裾の高台の原っぱに白い木柱の碑が立っています
国府はそこから1キロ程東の辺りにあったのではとされているようです
山椒大夫の屋敷は映画では岩滝温泉の辺りに設定されているように見えます
昔は京都からは山また山で恐ろしく時間がかかりましたが、今は京都縦貫道で京都市内から2時間もかからず到着します
日本三景のひとつ天橋立観光の際は本作を思い出してみてはいかがでしょうか
国分寺は直ぐ近くです
言われているほどの作品ではないと思いました
雨月物語にびっくりして借りてみた、確かによくできていると思いましたが...ジョンフォードみたいに、その時代なりにしっかり作っているなぁと感心しましたがうまく映画と一体化できませんでした、残念。
※時代性なのか最期のあたりで「民主主義万歳!」みたいな、政治的なメッセージが唐突に入ってきた変な感じがして興ざめしたのは私だけでしょうか
●平安時代の奴隷制。
山椒大夫ってこんな話だったのか。
安寿・厨子王伝説を森鴎外がアレンジしたらしいが。
神も仏もないというか。
平安時代の奴隷制。元はお偉いさんの子供だったのにね。
命が軽い。人がゴミのように傷つけらてていく。
すごい環境だ。
そんな中、脱走を企てる主人公。
元の身分が認められて、山椒大夫に奴隷解放を命じる。
ラストは、身分を捨てた主人公が母を求めて佐渡に渡る。
海外でも絶賛された作品らしい。
田中絹代がまあキレイ。
ストーリーもドラマも絵も音楽も演技・演出も脚本も衣装も何もかもが素...
ストーリーもドラマも絵も音楽も演技・演出も脚本も衣装も何もかもが素晴らしい映画。
白黒だし、画像もフィルムの状態もあまり良くないはず。話も古いし、台詞回しも古くさい。もしかしたら、セリフもしっかりと聞き取れないかもしれない。名作だと言われているから、とりあえず時間があったら見ておくか。それが映画好き現代人の考え方でしょう。
でも見るときは、ちゃんと時間をとって見た方が賢明です。何かの前にとか、ちょっとずつとか、タイトな時間で見るのはすすめません。なぜなら、おそらく釘付けにされてしまうと思われるからです。暇つぶしとかに見るのが最適かもしれません。
でっかい画面で、大音量で、ただボーッと画面に集中して下さい。そうすると、やっぱこれって名作ッ!と思うはずですから。
安寿と厨子王…その後
森鴎外 なんとも悲しいお話
子さらい 人身売買 強制労働
今よりももっともっと ままならない世の中
自分を責めても 人の情けを忘れてはいけない
というお父様の言いつけを守る子供
哀れお母様は 津波に飲まれず生きてはいたが…
子供の頃絵本で読んだ「安寿と厨子王」
こんな悲惨なお話だったのか~
人身売買の犠牲とはこういうことだ
総合:85点 ( ストーリー:85点|キャスト:75点|演出:70点|ビジュアル:60点|音楽:65点 )
いいとこ育ちの子供たちが騙されて母親と別れ人買いに売られてしまった後の生活が酷くて、それだから引き込まれる。逃走を計った者達に対する仕打ち・故郷や家族を思う気持ちの表現・使い捨てにされる絶望の中に生きる奴婢たちの生活が、その身分がどんなに悲惨かを示している。
演出自体はそれほど迫力があるわけでもないし、演技も説明的だったりで古い。それなのに、人身売買を扱った作品としては、その悲惨さの伝わり方という意味で屈指のものだった。遊女に身を落したと思われる母親の歌が実に物悲しい。汚辱の中でも清廉さを保ち続けた足の腱を切られた妹の勇気と決断に、尊敬と哀れみを感じざる得ない。だからこの過酷な運命の物語の登場人物たちがこれからどうなるのかと、目を離せなくなった。
ところが脱走以降の話は上手くいきすぎで、中弛みだし白けてしまった。物語として弱いところで、急に出世してこんなにもあっさりとやりたいことをやってしまえるのは拍子抜けした。経験も学問もない男がどうやって組織をまとめたのか、権力を傘にきる相手を打ち破ったのかすっきりしない。
ここまで観て、前半は面白かったけれど後半からはこの程度なのかなと思って少し冷めた。しかしそこからまだもう一つ山場が残っていた。佐渡の場面でもう一度引きつけられる展開があった。当時の犠牲者の姿にいたたまれない気持ちになるし、心を揺さぶられる。
制作年が古いから映像や演出が古いのは仕方が無い。それでも面白かった。心に響いた。湖と海辺の場面は特に印象に残った。これは是非とも森鴎外の原作も読まなければ。
香川京子の美しさ
監督:溝口健二、撮影:宮川一夫のゴールデンコンビ。画面の奥のそのまた奥にまで観客の視線を誘う素晴らしい構図と撮影。
田中絹代のわが子を想ううら悲しい声がいつまでも耳に残る。
そして、香川京子の凛とした美しさ。これまでに観た彼女の出演作で、おそらく最も初期のものだろうが、最も美しい香川が観られるのがこの作品。
兄の厨子王を逃した後、香川扮する安寿が入水する場面は人の罪深さを訴えている。水面にあぶくときれいな波紋を残して、安寿は水中に消えてしまう。この静けさの中の残酷なシーンに人間の罪の深さを強く感じた。
映画史上屈指の名カット!
角川シネマの大映映画特集で見ました
作中では二つの人物群が対比的に描かれている
①人を目的としか捉えない人たち
②人を目的ととらえず、それ自体に価値があると評価する人たち
時代は下っても「効率」と「公正」の問題を考えるとこれは大変重要な示唆を持つのではないか。我々でも①ような精神性で人と接していることは少なくない。むしろそれが人の本質なのだとすれば、「人のモノ化」は理性に訴えてもどうにかなるものではなく、「制度」に従って制御するしかないのだろう戸まで思わされた。
安寿が入水するシーンはこれまで見た映画の中でも屈指の名シーン。
遠くから安寿を老婆が見つめる視点。安寿は一礼して靴を脱ぎ、水に向かって一歩、また一歩と歩を進める。画面終焉部の植生による黒色と池&安寿が構成する白色がコントラストをなしていて美しい。安寿が水の中を歩いて進むごとに波紋が生じて綺麗な同心円を描いて広がっていく。全くうろたえる様子はない。入水する瞬間は描かれていないが、完全に水に沈んだ後、ブクブクと泡が出て、波紋が消える。
悲惨な奴婢の描写が続く本作全体とのコントラストもくっきりとしていて、神々しいまでの美しさに至っている。
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