三月のライオンのレビュー・感想・評価
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映像は鮮烈、なんだけど…
瓦解していく建造物はあらゆる既存性のメタファーだ。それが崩れていくごとに、禁断であったはずの兄妹愛もまた普遍性を帯びていく。
視覚的に印象深いシーンが多い。往来の真ん中でパンツを履き替える、新宿の路上で出前のラーメンを啜る、アイスキャンディーの入った大きなアイスボックスを持ち歩く、などなど。これらも建造物と同様に、既存性からの脱線を意図しているといえる。
ただ、このシュールレアリスティックなメタファーの蓄積が、ラストの出産シーンに結実するというのは何とも肩透かしの感がある。「赤子を産むこと=愛の証明」という定式はまるきり倫理的で旧態的だ。それまで静謐が支配していた画面空間が、突如として赤子の劈くような叫び声で埋め尽くされるのも、鮮やかなコントラストというよりは不快なジャンプスケア的演出に感じられた。
逆張りをするのだったら、最後までそれを貫徹したほうが説得力があるんじゃないか。あるいは単に、映像としてのメタファーの巧さに内容が追いつききれなかっただけなのかもしれないが。
相米慎二や森田芳光あたりが本作とほぼ同様の手法を用いていながらも作品としてちゃんと面白いのは、たぶん、その「手法」が本質ではないからだ。
相米は過剰ともいえる演技空間を構築することで、演者の根底にある「人間」を否応なしにカメラの前に引き摺り出そうとする。森田は映像の中にシュールな空転を生み出すことで笑いや不安を誘発し、映画を受け手にとってよりアクチュアルなものと認識させる。
それらに比して、本作は手法そのものが目的となっているように感じた。これが「邦画の誇るべき特色」と誤認されていった果てに、日本映画は終焉を迎えると思う。今のところそんな様子はほとんどないから、よかった。
監督の意気込みが空回りしただけの映画
1980年ごろの懐かしい(私にとって)東京の風景と瓶のコカコーラ、撮影が丁寧だという印象が残っただけの映画でした。台詞を少なくして映像で表現しようとしているのでしょうが、意気込みが空回りしたのでしょう、単に悠長で退屈な映画になってしまっています。
途中で出てきてしまった。ストーリーがない映画がダメなわけではないけ...
途中で出てきてしまった。ストーリーがない映画がダメなわけではないけど、代わりに、フェテイッシュな影像が続くだけで、センスも古く、なぜ賞をとってるのかわからない。女優は悪くない。男優は有名な人だけど、素人みたいに見えてしまう。
苦手。けど、いつかまた観たくなりそう。
なんとなーく、なんとなーく気になっていた作品で、相変わらず前情報皆無で鑑賞です。
近親相姦モノ(と、行っていいのかな?)は僕自身、苦手分野で、ちょっと不思議というか、お伽話的というか、抽象的表現が多い作品も苦手ですから、レビューになっていないかもしれません。
あと、想像し難い行動動機とか。(恋愛感情に説明できるものはないですが)
男女二人のシチュエーションによるものなのか、近親のソレなんですが、純愛モノめいた作品の匂いがしました。結局、血の繋がりってなんなんだろうかなぁ?なんてぼんやり考えてました。
血の繋がりがありますよ・・・・と言われたら恋愛感情を持たないし、言われなかったら持つ・・・
そんな生き物なのだろうか・・・?人間って。
父親の匂いを娘は嫌うようになっている・・・って聞いたことあります。(真偽は定かではないです)
生物として「近親者を好きにならないようにできている」と信じている僕は、どうしても本作に無理を感じてしまうのです。すみません。
妹の心情がよくわからなかった・・・という点も、ついていけなかったポイントかなぁ。
でも、でも、ラストの方の二人の関係の昇華の仕方には、なぜかグッと来てしまったんですよね。
前述しましたが、純愛モノめいた印象はその辺りで感じているのかなぁ?
不純のはずなのに、純という変な気分。
こんな感じで、終始モヤモヤーーーっとしながら、なんだろうなぁーーー?って思いながら鑑賞していまして、もやっと終わってしまいました。
でも、なんか、また観たくなる気がしている自分がいるんですよね。なんでだろう?
相性が悪いんだな、きっと。
いやぁ~、
自己陶酔なドヤ感満載の映像のオンパレードに辟易しました。
横断歩道でパンツ履き替えるのなんか、いらん。
これ、イケてるだろっ!て思ってんだろうなぁ…って興醒め。
奇抜な話なんだから、奇抜な映像はいらんねんなー。
バラバラでまとまりがない。
若さゆえの作品かと思い、監督さん調べたら、
昨年観た『さくら』と同じ人で、
「あぁ、わたし、この監督と相性悪いわ!」と合点がいきました。
この人、俳優を裸にして俯瞰で撮るの大好きなのか?!(苦笑)
【記憶と、人を愛することと】
兄妹或いは姉弟間の愛については、「山の焚火」が有名だし、最近の「さくら」で、ミキが亡くなった兄を想いながらマスターベーションするシーンも思い出す。
この作品は、記憶と兄妹の恋愛ストーリーが、バブルの残り香の中、さも、街の記憶を消し去るかのように建物が取り壊される東京都心を背景に展開される。
初めて観た時に、記憶のない相手は同じ者として愛することが可能なのかと疑問に感じたことを思い出した。
人を外見だけで好きになるわけではない。
愛情にもヒストリーや、蓄積があるはずだ。
或いは、きっと相手はいつか自分を思い出すと信じて一緒にいようとするのか。
もし、思い出しても、兄妹だから、一緒ではいられないと思うリスクもあるのではないか。
思い出しても、「山の焚火」の姉弟のように、深いところで繋がっていることが、やはり重要なのか。
近親相姦はタブーであることは、間違いない。
しかし、人を愛すると云うこととは何なのか。
記憶の葛藤を交えて、投げかけられるメッセージが重い秀作だと思う。
※ 実は、僕は小学校低学年の時に、近所の造成中の公園で遊んでて、砂場を囲うコンクリートの枠を型取っていた木枠に付いていた釘を踏んづけて、足の土踏まずにグサっと刺さったことがある。
慌てて帰って、祖母に言うと、釘でできた傷は、カナヅチで叩くのが一番と、映画のシーンであるようにバンバン叩かれたのを思い出したことを、今回また思い出した😁。出血は本当に止まったことも思い出した😁。祖母はなんでも知っててスゲーって思ったことも思い出した😁
付き纏う影
記憶喪失の兄と恋人だと偽る妹。
兄と妹としての姿はほぼ描かれず台詞も最小限なため、映し出される二人の時間はどこかふわふわと夢の中の様な空気感。
その中で響く建物解体の音が影を落とし切なさ儚さを漂わせる。
雰囲気を味わう映画かな。良くも悪くも。
陰を歩く。
セリフが全編にわたり抑制されており、兄・妹の心の動きは、その所作含め映像に委ねられている。
妹の兄への想い、それに呼応する兄の心。
今後、決して大っぴらに語られない、語ることのできない二人の関係は、転落の匂いに満ちている。
悪くないです。…が、ちょっと長いな、と感じました。
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