サードのレビュー・感想・評価
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セミドキュメンタリーでも見ているような気分に、当時の高評価にも理解の及ばない己を見つめることに…
若い頃は脚本が寺山修司であることも意識外
のまま、名画座で観た記憶のある作品。
キネマ旬報では見事ベストワンの栄冠を得た
作品だが、野球でサードを守っていた主人公
の犯罪的物語という以外の内容は
全く忘れてしまっていた。
今回、少年院の淡々とした日常描写や、
いかにもマイクを通したような登場人物の
“棒読み”のような台詞回しからは、
何かセミドキュメンタリーでも
見ているような気分にさせられる
驚きの再鑑賞となった。
さて、私には、消えたホームベースは、
人生における真なる目的なり目標なりを
見定められない青春期の精神的な揺らぎの
例えと思われたのだが、
果たしてどうなのだろうか。
それにしても、敬愛するキネマ旬報の
ベストワン作品に、これほど理解の及ばない
のは初めてのケースのような気がする。
それは、世代間ギャップによる
“サード”を代表する若者達の焦燥感への
無理解の結果なのか、
はたまた、単に、加齢により
浅くなった思索の賜物なのか、
何か、そんな己を見つめ直す
再鑑賞となってしまった。
歪んだ青春。 森下愛子が2万円、大半の男は堕ちるでしょう。もう1人...
道を踏み外した少年の走り続ける足
少年院送りになった高校生が主人公の内省的な青春映画の佳作。少年院の中の生活が興味深く描かれていて面白く観た。軽率と無知の未熟さが、性とお金だけに関心が行く高校生の危うい姿を率直に描いている。東陽一監督のドキュメンタリータッチの堅実さと冷静な視点が生かされた乾いた演出が良かった。全体のイメージは暗い映画でも、寺山修司の脚本の面白さもあり、この脚本と演出のバランスが内容と合っていて、映画として不思議な魅力がある。
施設内で喧嘩などのトラブルがあった時に、少年たちで会議を開き解決策を模索するところがいい。たどたどしい弁論大会の様相ではあるが、実直で飾らない少年たちの素直な考えが語られている。冷静にさえなれば、どんな少年たちにも相手を説得させるだけの常識や理性があるのだ。それと主人公のかつてのクラスメイトが少年院に収監されてから事件の内容が描かれる構成も、映画の語り方として上手い。時系列通りの単調な構成では、ドキュメンタリータッチが勝ってしまう。主人公が置かれている状況からその時何を考えているのかに映画らしい表現がある。
主人公は、野球のサードをしていた。独房にあたる静思室で彼は変な夢を見る。自分がサードを守っていると相手チームのランナーが続いてホームベースへ向かう。そして、いざ自分がバッターボックスに立って打つと、ホームベースが無くなっていて、再び走り続けなければならない。道を踏み外した少年の先が見えない将来に対する不安がイメージとして映像化されたラストシーン。走る足のショットがいい。
1978年 10月12日 ギンレイホール
ポスト団塊世代を使って全共闘世代が自分たちの苦悩を表現した映画です
ATGの映画、寺山修司の脚本
それでイメージされる映画そのものです
前衛的な意味深なシーンや哲学的な台詞の世界です
しかし、その世界はねっとりとしていて一度はまりこむと抜け出てこれない力があります
この世界は体験すべき価値があると思います
永島敏行、森下愛子は良い配役で本作を成功に導いたと言えると思います
そして特に峰岸徹のヤクザは強烈な印象を残しました
少年院やサードが元いた高校の俳優達はみなポスト団塊世代です
しかし本作が訴えるのは、ホームベースという目標を失いいつまでもグランドをぐるぐると駆け回る他ないのだという全共闘世代のレクイエムです
サードの見る悪夢とは、60年、70年と安保改定を阻止できず、次々とランナーを返してしまった悪夢の中に永遠に閉じ込められたという意味でしょう
つまり少年院の中に居るかのようだという彼らの苦悩の訴えであったと思います
ポスト団塊世代を使って全共闘世代が自分たちのその苦悩を表現した映画なのです
これは1971年の藤田敏八監督の八月の濡れた砂と同じです
この構図は21世紀にまで連綿と続いており、老人達が若者達を使い彼らの妄執を未だに遂げようとしているのです
そもそもサードはホームベースから見れば左の孤塁なのです
罪のなさ、という罪。
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