ゴジラ(1954)のレビュー・感想・評価
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「ちきしょう!」
この作品を観て、何故ゴジラの下半身があんなにも太いのかを理解した。恐怖は遥か遠くから大きな地響きとともに近づいてくるのだ。その為には、肉食恐竜のような細い脚では全くもって説得力が足りないのだ。
焼け野原の東京を地響きをたてながら悠然と歩くゴジラ。大戸島で家族を失った少年が、街を蹂躙するゴジラに向かって「ちきしょう!ちきしょう!」と叫ぶ。
その叫びを聞き、『ちちをかえせ ははをかえせ』で始まる峠三吉の「原爆詩集」を思い出す。東京大空襲への怒りを書に叩きつけた井上有一の「噫(ああ)横川国民学校」を思い出す。
ただ、この作品は過去を見つめたものではない。未来を見据え、警鐘を鳴らすものである。科学技術の進歩を止められないものとしつつ、山根と芹沢という研究者を通して、我々に理性を問うている。それは70年経った今、より重たいものになっている。
最後、海底に沈み骨となるゴジラ。その姿を見て悲しくなるのはなぜだろうか。
特撮映画としてだけでなく、骨太な中身を持った映画作品。今後、このような映画が作られることのないようにという、強い思いを感じる。
【”君は、伊福部昭氏の重厚なメインテーマを聞いたことが有るか!”邦画が世界に誇る怪獣&特撮映画の金字塔作品。強烈な反核映画作品でもある。】
ー 兎に角、本作のゴジラは無慈悲で、怖い。そして、それが良いのである。-
■今作後、ゴジラ映画は一体、何作公開されたのか。
日本だけでなくハリウッドにも進出し、ナント70年近く、人々に愛されているのである。
- 個人的には、ローランド・エメリッヒ監督作は無しにしたい・・。-
◆感想
・万民が鑑賞していると思われるので割愛。
<久方ぶりに鑑賞したが、1954年の今作は今でも十二分に面白い。
何よりも、今作が切っ掛けとなり、70年近く世界で様々な””ゴジラ映画”及び影響された”パシフィック・リム”を始めとした作品が製作、公開されている事に、日本人として先人の偉業を称えたくなる作品である。>
第五福竜丸事件
TDRのミッキーマウスやUSJのミニオンと同じく東宝のゴジラはイメージキャラクター。そんなゴジラがデビューした作品。
マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカ合衆国がおこなった水爆実験で第五福竜丸が被爆した事件(第五福竜丸事件)に基づきゴジラが生まれた。
当時は東西冷戦の全盛期で核実験の全盛期でヒロシマ・ナガサキを超える水爆開発に余念がない米ソ。偶然、被害に遭い被爆したのが第五福竜丸。核実験に使用した「ブラボー」はヒロシマ・ナガサキの約1000倍の破壊力とされた。
ちなみに当時のアメリカ合衆国大統領は第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワー。911のブッシュ大統領と同じテキサス州生まれで元大本営の岸総理とも交流があった。
ゴジラ、科学兵器、驚異と恐怖の大決戦‼
意外と評価が低かった『ゴジラ』(1998年)に比べれば、『ゴジラ』(1954年)は立派な怪獣映画です。円谷英二の特撮は今見ると安っぽく見えるが、それでも映画のインパクト、脚本、ドキドキワクワクする展開が止まらない。モノクロで、ほとんどホラー映画です。怖くて、面白くて、力強くて、宝田明をはじめとするキャストの演技が、原水爆への痛烈な批判でもあるこの映画に華を添えている。
科学者の倫理観を再認識しましょう
阪急交通社のたびコト塾で申し込んだので特等席で観れました
思えば、コロナで何度も中止になり、行く気が失せてたんですが、再開後好評だったので再上映との事
嬉しいかぎりです
上映前に講談師と落語家の前ふり付きでした
寄席なんて行った事ないから新鮮でした
それに、特撮への想い、ミニチュアへの想い
そして、ゴジラの着ぐるみに入った俳優の想い等々、講談で聞いてちよっとウルッときました
熱い熱い想いがあったんだ
ゴジラは何度も観ていたんですが
あらためて観ると、やはり名作です
若干の古さは感じられますが、演出もスムーズで新鮮
ツッコミどころは沢山ある
特に芹沢博士のうさんくささと河内子の天然ぶり
でも、ロシアの暴挙に決定的な策がなく、ズルズル状態のご時世
強力な武器の危険性について、今一度考えさせられるよい作品ですね
核までチラつかせるプーチンは何があっても許しておけない
アメリカの大量殺人を見てもわかるように
銃ひとつとってみても人間には手にあまる
ヒトはもう少しは善であるべきなのにね
昭和29年の昔から人間はちっとも変われない
平成のゴジラシリーズを観ていると、初代ゴジラからの繋がりが多いので...
平成のゴジラシリーズを観ていると、初代ゴジラからの繋がりが多いのでようやく観てみた。
戦後からまだそんなに経ってない時代でこれはけっこうリアルだったんだと思う。
白黒の方がゴジラの不気味さや恐さがすごく伝わってきた。
オキシジェンデストロイヤーなる毒ガスを使用する等もってのほかだ。
まだ、防衛庁が発足したばかりの頃なので、協賛は海上保安庁のようだ。従って、未確認生物に発砲する瞬間になんのためらいもない。GHQが1952年にサンフランシスコ講和条約によって廃止されたばかりなので、まだ、自衛隊に専守防衛の権限などないはずだ。従って、そのフラストレーションをゴジラにぶつけて、発砲しまくっているように見える。だから、オキシジェンデストロイヤーなる毒ガスを使用する等もってのほかだ。
水爆、放射能に対する警鐘はうなずけるが、やはり、台本がチープ過ぎる。
『○○獣の後始末』なる映画があったが、ゴジラの遺体は東京湾に放置されていることになり、しかもオキシジェンデストロイヤーに際して出来た副産物で、この一帯は死の海になるはずである。つまり『○○病』になる病が発生すると思うが。『綺麗な水が毒ではない』は間違いなのだ。海上保安庁が協賛するような映画なのだから、もう少し考えてもらいたい。怖い話だ。
始まりにして、最高傑作
レンタルビデオ黎明期に、過去のアーカイブ的な扱いで、自宅のテレビで鑑賞。その異様な雰囲気に、引きこまれ、一気に最後まで見た。まるで、どこかの孤島が台風に飲み込まれるニュースのような、天災みたいな雰囲気だった。
当時から、原子力というもののあやしさに、不快感を感じる人は多かったけど、自分が生まれる前に、水爆実験を引き金に、また日本が核の被害に飲み込まれるという骨子を、極限の映像で表現したギリギリの映画だったと思う。
今は、都会のビル群をその太い尻尾で薙ぎ払うような映像が当たり前に見られるが、この時代小笠原の漁村に上陸し、暗い夜の村を襲う映像はかえって新鮮だったりする。その迫力に圧倒された。そこに本当に未知の生き物がいるように錯覚したものだ。
この始まりの恐怖と畏敬の念を、いまだに超えるゴジラが生み出されていない。それだけははっきり言えるだろう。
2019.7.3
ドメスティックな恐怖
初めてみたのはたぶん2015年。
山岸凉子のエッセイ漫画に描かれていた「ゴジラが山の端から顔を覗かせるシーンの恐怖」を味わいに劇場へ行きました。
ゴジラ映画はまだ10本ほどしか観ていない新参者ですが、結局この1本目が初代にして決定版だと思ってしまいます。
やっぱりゴジラの怖さも、ドラマも、映画全体の出来映えとしてもベストで、そもそもゴジラという仕掛けが極めてドメスティックな存在だったことを痛感させられます。
終戦から10年も経たない、記憶や傷跡の生々しい段階で公開された初代ゴジラの、街を破壊する場面が当時の観客にどれだけの衝撃をもたらしたかは、その後の続編とは一線を画すものだっただろうと想像します。
この初代だけが持っている暗さ、怪獣が暴れるような荒唐無稽な企画でありながら独特の静けさは死者に向けた弔いの様相。
これだけ沢山作られていながら、結局災禍の後のその時限りの企画でしかなかったことを示しているように思います。
だからこの初代のインパクト、ゴジラという仕掛けが真価を発揮できるのは戦争や水爆といった現実の災禍が起きた後に、その傷を再びフィクションの中で再現する以外にないのだろうとも。
その点で震災の直後に作られた「シンゴジラ」は奇跡的な一作だし、アメリカ版としてはレジェンダリーよりも「クローバーフィールド」の方がより正統なアプローチだったことになります(俯瞰のショットを作ってしまった後半はいただけないけど)。
レジェンダリー版もこれはこれで好きですが、せっかく怪獣たちのワールドツアーするなら現実の地震やハリケーンなどの被害があった場所を舞台にしてその被害を再現したらいいのにと思います。
ニュースや映像を通してであれ、現実の被害を共有している観客にこそゴジラは真の姿を現す。人間の無力さの象徴として。
1954年(昭和29年)の作品
ゴジラVSコング公開記念
これは何度も観た
一度でいいから映画館で観たい
戦後間もない娯楽といえば映画しか無かった時代
今と当時の人では受け止めかたが全く違うだろう
「長崎の原爆から命拾い」「また疎開か」「もうすぐお父ちゃんのとこに行くの」
民衆の一言一言に時代を痛感する
BGMとゴジラの鳴き声がとにかく素晴らしい
特にゴジラのテーマは聴くだけでテンションが上がり魂が揺さぶられる
1954年(昭和29年)
3月1日遠洋マグロ漁船第五福竜丸がビキニ諸島近海でアメリカによる水爆実験によって核の灰を浴びる事件が発生した年である
それから約8ヶ月後の11月3日に公開された作品がゴジラである
ゴジラの出現は水爆実験の影響によるものという設定は3月の悲劇で急遽盛り込まれたものだろう
リベラルの解釈では反核や環境破壊がテーマらしい
それならなぜ初代ゴジラは日本じゃなくてアメリカ本土を襲わないのか
GHQも解散してしばらく経つ時期だし遠慮する必要もあるまい
それにしてもなぜゴジラは都市を破壊するのだろうか
海の生物が激減しお腹を空いたから人間を食べにきたというわけでもないようだ
古代生物の生き残りらしいがなぜか火を吐く
山根博士役の志村喬が貫禄の存在感
良い味を出している
チョイ役だが志村喬以上に良い味を出していたのは野党の国会議員役の菅井きん
蓮舫もTwitterに夢中になってないでこのくらいの気概を少しは見習って欲しいものである
命を張って報道するラジオアナウンサーに大感動
今の新聞記者やテレビ局員にこんなことができるわけがない
さようならがせつない
なんとかデストロイヤーなるものでゴジラを退治するわけだがゴジラの最期としてビジュアル的にはシンゴジラの方が好きだな
これがゴジラだったんだ!
私は平成生まれで、ゴジラといえば子供の頃に親と見に行く定番映画だった。大怪獣バトルものの特撮映画というイメージで、内容はほとんど覚えていないけど、なんだかカッコ良いくらいの思い出だった。
初代のゴジラは名作だという話を前々から聞いていたので、ついに観てみた。そこには私の知るゴジラはいなかった。現実的な恐怖で人々や街を蹂躙する未知の怪物だった。
本作のテーマは兵器(主に水爆)に対する否定に感じられた。その一方で科学の発展に常につきまとう問題としてどう向き合うかを問われているようにも感じられた。
こんな作品が戦後9年くらいに放映されていたのには驚きしかない。逆にこれは人間が本気で復興すればなんとかなるという希望にもなった。
このORIJINを超えるものは作れまい
シンプルな人間ドラマ。明確で力強く突き刺さるメッセージ。
1954年3月に起きたビキニ環礁での核実験。
それに巻き込まれた第五福竜丸の被爆事件の悲劇+汚染マグロ等の風評被害。
(1954年9月23日に、第5福竜丸の久保山愛吉無線長が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して亡くなった)
この映画からわずか9年前の東京大空襲。
(大空襲は各地でも被蓋にあった)
広島・長崎の原爆の悲劇。
戦争の爪痕の記憶が久しいうえに、またもアメリカ等の核の恐怖が呼び起こされる。
1952年にはGHQは廃止されたものの、
この映画の10年後(1964年)には東京オリンピックが開催されるものの、
スカイツリーどころか、東京タワーもまだなく(1958年竣工)、
新幹線だってまだまだ(1964年)で、
まだ復興途上。
当時の世相。
これらがベースになっている物語。
ドキュメンタリーのようにとった部分と、怪奇物の演出を取り入れた部分の融合。
(徹底的にリアルにこだわった部分、
恐怖を煽る音楽、楳図かずお氏の漫画かというような河内さんの大仰な演技等、恐怖におののくさまや被害の概況はリアルに見せるのに、その恐怖の実体はなかなか見せない等の演出)
宝田氏は、ニューフェースらしい「存在がさわやか」という立ち位置で、この重苦しい映画の一種の清涼剤。
河内さんの可憐な佇まいもこの重苦しい映画での華。それなのに、わざと?随所で見せる大仰な演技。
芹沢博士の出で立ちも怪奇物を踏襲。そこに平田氏が悩める若き科学者の繊細さと影を添え、物語がどう動くか、ドキドキさせてくれる。
(芹沢博士の研究室も、怪奇物ぽさ全開)
新吉の朴訥さ。
田辺博士の、らしさ。なのに、意味ありげに、意味不明な画面の隅での佇まい。不思議な存在感。
この映画がフィクションであることを思い出させてくれる。
それでも、
避難者・被災者の様子がリアル。
次々に破壊される街の様子が徹底的にリアル(Wikiによると、銀座の街を実際にロケハンしてsizeを測ってミニチュアを作ったそうだ)。
(崖から、ビルから覗くゴジラの怖さ。炎をバックに、ビルの向こうに見えるゴジラの美しさ…)
スーツアクター・中島春雄氏は、動物園に通って動物の動きを研究し、ライオンの持つ威圧感に、クマの直立する動き、ゾウの脚運びを参考にしたそうだ(Wikiより)。
志村氏の、根底に怒り・悲しみを秘めた演技。
国会での、情報を開示すべきか、秘すべきかの論争。ー戦争についての正確な情報を全く知らされないままに参戦させられたことへの怒りをここに見るのは、読みすぎか?
TV塔アナウンサー役の橘正晃氏の危機迫る演技。
音楽や効果音で煽られる危機感・高揚感。
静かに力強く響く鎮魂・祈りの歌。
企画から公開まで半年くらいの短期間に作られた映画なのに、それぞれの知恵と己の力量を最大限に投じられている。
なんだかわからない恐怖・困難がじわじわと迫ってくるドキドキ感。
今の災害情報の先取り?自然に?突然に的確にスイッチの入るTVとラジオが伝えてくる惨状。
見せるときにはとてつもない破壊力パワーが炸裂する。
そしてなすすべのない絶望感に叩きのめされるシーンへと続く。
その緩急。
と、演出・映像・音楽等々、一級品であることを褒め称える事柄は枚挙にいとまない、
とはいえ、この点だけでいえば、今後、この作品を超える映画が現る可能性はある。
けれど、この映画に関わっていた人々の思いは超えられない。
この映画から、とてつもない怒りを感じるのは私だけであろうか。
DVDのコメントで伊福部氏が「テクノロジーの技術の圧倒的な差で、日本はアメリカに負けた。そのテクノロジーが、原始的な生命体のゴジラにはなすすべない。気持ちよかったですね(思い出し引用)」とおっしゃる。
終戦間際は、宮内省帝室林野局林業試験場にお兄様と同じく戦時科学研究員として勤務され、放射線による航空機用木材強化(木材!!!)の研究に携わって(Wikiより)いらしたから余計にそう思うのだろうか。
伊福部氏と同じように思うかどうかは別にして、この映画の製作者も、公開時の観客も、皆”当事者”だった。圧倒的な破壊・惨状。命の危険。状況への怒り。恐怖。生き残った者としての責務等様々な気持ち…。何らかの形で戦争の傷を負い、この映画に思いを託していた。ある者は、戦争を早くに忘れて、復興にまい進したとしていても。
鎮魂・祈りの歌を歌う音楽学生も。だから、あんなに心に響くのだろう。
「核反対」「戦争反対」と頭で考える私たちとは違い、体験・心の底・魂からの訴え。
ましてや、核の本当の恐ろしさを知らないアメリカなんぞがこのメッセージを語るとしたら、単なるコピーにしか過ぎない。
体験したものにしか伝えられない迫力。それを、明確なメッセージ・思いとともに、史上最高なエンタテイメントとして昇華させた作品。
息詰まると、実際の生活を破壊する代わりに、この映画を見てすっきりしてリセットするとともに、
山根博士のラストの言葉を深く胸に止め、人為的なこのような破壊を二度と起こさないよう、何ができるのか。
この映画を見るたびに考えてしまう。
《蛇足》
Wikiによると、のちに、手塚治虫先生・水木しげる先生・淀川長治先生、小津監督が絶賛したものの、最初はジャーナリズム系では不評だったそうだ。その中で三島由紀夫氏だけがドラマ部分も含めて絶賛したのだとか。
手塚先生・水木先生・淀川先生・小津監督がこの映画を観るのは納得するが、三島氏も観ているとは。私の中で、三島氏のイメージがちょっと変わった。
(美輪明宏氏や坂東玉三郎氏をいち早く認めたのも三島氏と聞く。絶対的な己の美意識の持ち主。そんな方に『ゴジラ』は認められているんですね)
傑作の誕生は不幸なことかも知れぬ。
戦後10年を経ず復興する都市を背景に、あの戦火を、科学の怖さを、人間の愚かさを忘れぬぞという切実。
その時代ゆえの撮る動機がフイルムに焼き付く様に慄く。
庵野の311への対峙も然り。
傑作の誕生は不幸なことかも知れぬ。
今更ですが今更じゃなかった
今時のCGより、映像が全然かっこいいんですけど。
特撮すげぇ。
ハリウッドゴジラの色々が、あぁなるほどってなりましたし。
最初ちょっと慣れるまで観にくさ感じたけど、ゴジラの破壊シーンはなんの違和感もありませんでしたし。
ってか、これを1954に撮ってんのがビックリですし。
かなり悲惨なシーンばっか、この時代のメンタリティどうなってたのか想像できないけど、どんな気持ちで観たんでしょうか。
人間の業はやばい。でも生命って凄い。カッコ人間含むカッコトジ。って感じでした。
理由なく破壊しつくゴジラにより焦土となる東京
口から吐く放射線により東京が破壊される様は、正に戦禍のイメージ。
自らの命と引き換えにゴジラを倒す科学者像、ゴジラの研究を優先する教授像、思っていた以上に暗く重く、第二世界大戦を引きずっている印象。
テーマ曲も相まって、ゴジラに意思や生物感を感じられず、水爆といった凶悪破壊兵器を感じさせ、奥深い迫力を呼んでいた。
戦争体験者による戦死者への鎮魂歌としての怪獣映画ゴジラ
太平洋戦争終戦から9年経ちサンフランシスコ平和条約から3年後の、自衛隊が正式に創設された1954年の日本人を震撼させた歴史的事件が、アメリカ軍により行われたビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸事件でした。敗戦の荒廃に続いてGHQの占領下から独立国として自立しようとしていた時に、広島・長崎の原爆投下による非人道的攻撃の悪夢を再び呼び起こす出来事に日本人が激怒したことは、至極当然に想像できます。この1954年に制作された日本映画の特撮怪獣映画の金字塔である「ゴジラ」シリーズの原点が、その事件を批判する動機から反核と反戦を主題とした娯楽映画に転化したことは、特別な意味を持っていました。それは怒りのメッセージを秘めながら、子供から大人まで楽しめる映画の特徴を生かして、これまでにない恐怖体験を観衆に与えたに違いないからです。その創造性の豊かさは、特撮監督円谷英二と音楽伊福部昭の偉業に象徴されていると言って過言ではないと思います。
私が格闘する怪獣を無邪気に楽しんでいた子供時代のゴジラ映画とは一線を画す元祖「ゴジラ」。特に最終段階のオキシジェン・デストロイヤーと共にゴジラに対峙する芹沢博士の心中を思うと、とても切ない気持ちになりながら、これは幸いにも戦争を体験しないで済んだ世代の限界も感じます。戦争体験者による戦死者への鎮魂歌としてのゴジラ映画として、日本映画史に刻まれたこの名画の精神は、令和の「ゴジラ-1.0」の戦後世代に引き継がれています。どちらも映画を愛して、楽しんで、大切にしているのが伝わり、私には嬉しくて素直に感動してしまうのです。
東宝特撮の歴史は「ゴジラ」に始まり「ゴジラ」に終わる。
今更、内容の話は言わずもがな。
当時、東宝が熱心に製作を進めていたという、日本とインドネシアの合作映画の話が白紙にならなければ、ゴジラは誕生しなかった。
第二次世界大戦終結から9年。国民の傷は深く残ったまま。
それでも終わることのない核兵器の脅威。
スタッフは未曾有の大作に奔走した。
本編の本多猪四郎監督は、ゴジラが劇中で破壊する実在のビルを一件一件訪ね、頭を下げて回った。
激怒されようが、門前払いを喰らおうが諦めなかった。
特撮の圓谷英二監督は、映画美術としての評価が低かった特撮をフルに発揮しようと、考え得るアイディアを全て投入した。
ゲテモノ、キワモノと呼ばれた特撮映画の汚名を返上したかった。
ゴムの塊で出来た着ぐるみは重さと暑さを極め、アクターを務めた中島春雄氏は何度も失神した。
当時デビュー1年目の大部屋俳優で、この作品が初主演となった宝田明氏、主演のプレッシャーよりも見えない巨大な演者を相手にどう演技をするかに頭を悩ませただろう。
東宝の上層部を説得するために、再三の会議を設けたであろう田中友幸プロデューサー。
「こんな在りもしない化け物が街を暴れる映画がヒットするわけがない。」
そして迎えた、1954年11月3日.....
今考えると、世相も人も、ありとあらゆる必然が重なり、生まれるべくして生まれた作品なんだと心から思います。
66年経った今でも、シリーズ全ての作品でオマージュされるのはこの第1作です。
絶望と悲劇を詰め込んだ空想は、全人類への宿題となりました。
この作品で描かれた地獄が現実に起きないことを祈るばかりです。
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