獄門帳
劇場公開日:1955年6月21日
解説
オール読物掲載の小説を「消えた中隊」(原案)の井手雅人が脚色し、「七変化狸御殿」の大曾根辰保(辰夫改め)が監督、「喧嘩奴」の石本秀雄が撮影にあたる。主なる出演者は「風雪講道館」の鶴田浩二、「天保六道銭 平戸の海賊」の岡田英次、「のんき裁判」の香川京子、「サラリーマン 目白三平」の笠智衆、「八州遊侠伝 源太あばれ笠」の香川良介、「落日の血闘」の左卜全など。
1955年製作/130分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1955年6月21日
ストーリー
御牢奉行石出帯刀は、見廻り中、重罪を負って入牢させられた若い囚人三枝喬之助を一目見るなり、本当の罪人ではないと睨んだ。喬之助は、旗本都築三之助の用人であったが、去年から三之助の妻さきと情を通じ、本年正月十日主人を殺害してさきと逐電し、合意の上九段牛が淵に投身した--吟味書にはこうかかれてあった。さきは死んだが喬之助は救い上げられたのだ。帯刀は喬之助の無実を証明しようとして、差入れに来た仲間伝七や奥向きの腰元に問いただした。--三之助は疳性で、忠実な用人の喬之助に理不尽な当り方をし、同じ旗本の乾専十郎などと吉原へ入りびたりの生活をしていた。そして喬之助とさきに不義密通の言いがかりをつけて喬之助を手討にしようとし、果ては一人吉原へ出かけた。夫に信じて貰えぬさきは絶望のあまり自害しようとして、飛びこんで来た喬之助にとめられたが、何時の間にか帰って来た三之助が、その二人の姿を見、抜刀してさきに迫った。喬之助はさきをかばって争ううち誤って三之助を殺してしまった。--帯刀が知ったのはこれだけだったが、喬之助は頑として何事も語ろうとしなかった。喬之助が引廻しはりつけになる日、帯刀はさきが生きていることを知り、喬之助に告げた。折も折、牢の近くに大火事が起った。帯刀は火事が納ったら必ず善魔寺に戻ってくることを約束させて囚人たちを自由に避難させた。喬之助も、この機会を得てさきに会うことができた。さきは、専十郎によってあらぬことを三之助に告げ口され、救い上げられてからは喬之助が死んだといわれてほとんど押込め同様にされていたのだった。三之助に功を立てたのは、実はさきだった。そのときさきは我を忘れており、自分が刺したことは記憶にすら残らなかった。その時喬之助はあくまでこのさきの罪を負おうと決心したのだった。喬之助が寺に帰って来たとき、さきも同道して来た。三之助を殺したのは私ですというさきに、帯刀は、三之助の妻は死んだはずだといってとり合わないのであった。