キューポラのある街のレビュー・感想・評価
全15件を表示
【高度経済成長期の社会問題を背景に、貧しき庶民の中学生の娘が時に父と喧嘩し、時に絶望しつつ様々な経験をし、自立した暮らしを選択する姿を描いた作品。】
■キューポラという煙突が立ち並ぶ鋳物の町として有名な埼玉県川口市。 昔カタギの頑固な職人・辰五郎(東野英治郎)の一家に時代の波が押し寄せる。 工場が買収され、辰五郎はクビになってしまう。 娘のジュン(吉永小百合)は、パチンコ屋でアルバイトをしながらも高校進学を目指すが、現実は厳しい。 ◆感想 ・テーマ的に暗くなりがちな物語だが、それを救っているのは弾けんばかりの笑顔が輝く若き吉永小百合さんの存在である。 ・飲んだくれで金銭にだらしない父、苦しい家計を助けるために飲み屋で働くようになった母。そんな姿を見てジュンは修学旅行を諦める。 ・仲の良い子は、経済的に苦しく北朝鮮へ戻る選択をするが、その子は別れ際ジュンに自転車を渡したり、登場人物が皆何だかんだ言いながら相手を思いやる姿が印象的である。 ・だが、彼女はそこで挫折する事無く、就職し夜学で学ぶ決心をするのである。 <組合や、労働基準法も知らない父の姿は、当時の中小企業で働く職人を象徴しているのであろうか。 けれども、あの時代に今作の様な人たちが、貧しさに負けずに懸命に生きたからこそ、今の日本があるのだと思う。 今の日本は、当時と比べて本当に豊かなのかな、とも思ってしまった作品である。>
翔んでる埼玉!?キューポラしかない街!?
キューポラしかない街!?その他にもあるだろ!
演ずるは団塊の世代代表の高学歴女優さん。
60年前のアイドル映画が、60年経っても同じアイドル?
職人を『古い』卑屈な者と言い切る所や、学歴による差別や、分断国家に対する解釈に、演出家や脚本家の悪意すら感じる。まぁ、ダサイタマと言われる所以にしたいのか?
この映画で川●市をおとしめている事は、
『PLA●75』や『男は●らいよ』での葛●区民への扱い方と同じ。まるで日本映画の伝統の様になっている。
組合活動や国家分裂の件も全く時代を考慮せずに、タダ自虐的に描いている。この時代を知らぬ世代に見せても良いのか?と感じてしまう。60年安保がこんな軽佻浮薄な若者に牽引されていたとは幼かった僕の記憶の中にもない。だから、団塊の世代は戦後日本のお荷物なんて言われるのだ。
確かに、犯罪者まがい者もいた。しかし、もっと強烈だった。そして、それは今でも形を変えて、存在している。
女性がお金を稼ぐにはどうしたら良いか?それを先ずは考えるべきだ。温故知新とか高度経済成長とか昭和♥って言えないでしょう?それは今でも同じなはずだ。
その流れを断つ為にも
『立てよ!団塊の世代!』こんな映画の様な時代ではなかったでしょ?
自分達の名誉挽回の為にも。
17歳の吉永小百合を輝かせた浦山桐郎監督の凄さ
浦山桐郎 監督による1962年製作の日本映画。原題:Cupora,Where the Furnaces Glow
配給:日活。
清く正しい教条主義的な映画を予想していたので、良い意味で大きく外してくれた印象であった。吉永小百合・浜田光夫コンビの日活映画は結構TVで見ているが、この映画の吉永小百合(当時17歳とか)が演ずるジュンは圧倒的に魅力的で驚いてしまった。見ようによっては大根女優かとも思っていたこともあり、監督によってこうも違うのかと感慨を覚えた。女優を輝かせる浦山監督の凄さを見せつけられた思い。
ジュンの弟タカユキ役の市川好郎と朝鮮人友達サンキチ役森坂秀樹のやり取りも、貧乏長屋でイキイキと暮らす子どもの逞しさと哀しさを見事に描いていて、とても感心させられた。子供社会の中での朝鮮人差別もしっかりと描かれていた。
ただ県立高進学でなく働きながら学ぶことをしたジュンの選択は、今から思えばあまり良くなかったかな、とは思ってしまった。また明るい未来を目指してサンキチ家族は北朝鮮へ向かった訳だが、多分それは叶わぬ苦難の道だったろうとの歴史的感慨は覚えた。そして、日立工場で働く女性たちが「手のひらの唄」を統制された様なかたちで楽しそうに合唱する描写には、本映画の労働者の未来への楽観性に、未来は分からず無理もない訳だが、かなり違和感は覚えてしまった。
監督浦山桐郎、脚色今村昌平、浦山桐郎、原作早船ちよ、企画大塚和、撮影姫田真佐久、美術中村公彦、音楽黛敏郎、録音古山恒夫、照明岩木保夫、編集丹治睦夫、スチール井本俊康。
出演
東野英治郎(石黒辰五郎)、吉永小百合(ジュン)、市川好朗(タカユキ)、鈴木光子(金山ヨシエ)、森坂秀樹(サンキチ)、浜村純(父)、菅井きん(母美代)浜田光夫(塚本克巳)、北林谷栄(うめ)、殿山泰司(松永親方)、川勝喜久雄(ノッポ)、日吉順子(中島ノブコ)、下元勉(東吾)、加藤武(野田先生)、西田隆昭(ズク)、坂本勇男(シミヅ)、岡田可愛(カオリちゃん)、青木加代子(リスちゃん)、小林昭二(平さん)、溝井哲夫(内山)、青木富夫(松永鋳工の職工A)、澄川透(松永鋳工の職工B)、土田義雄(松永鋳工の職工C)、武田晴道(少年A)、谷岸典久(少年B)、杉山(元少年C)、河上信夫(刑事)、小沢昭一(鑑別所の教師)。
今と確実に地続きなあの頃
舞台は1962年の川口市、戦後17年、私の生まれるたった2年前。吉永小百合や浜田光夫たちの長屋は貧乏で道も狭く舗装もされていない。自分のふるさとははるかに田舎なんだが、70年代初頭はまだああした景色が身近にあった気がする。ただそれも自分たちまでで、70年代80年代で全国的に大きく様変わりした町並み、今の若い人たちにはこの地続き感は伝わらないだろう。 映画は工業化の進展について行けない職人の父、日銭に困るが子沢山な家庭、高校に行けない、修学旅行に行けない家庭、朝鮮人差別、帰国事業など、当時ならではの社会課題と時代の風俗、景色を盛り込みつつ、主人公の明るい性格を中心に、或いは多少無理矢理に、様々な課題は概ね前向きな結論を持って完結する。 社会派とエンターテインメントの両立した、個人的に好きなタイプの映画でありました。吉永小百合もきれいだし。
ジュンの明るさが素敵
思想的なものとか時代背景とか街の事情など少し考えさせられるけれど、それら抜きにして好感がもてる映画だった。 どうしようもない環境の中でも、できることからやっていこうというジュンのたくましさ、明るさが素敵。 吉永小百合でないとここまで素敵にはならないかも? お金持ちの級友は優しかった。鼻持ちならないイヤな人に描かれるのがありがちなパターンだけど、そうではないところがピンポイント的に好き。 それぞれの立場で、とるべき形があるのだ、といった美学のようなものを感じる。 弟たちの描写は、少しダルかった。味わい深くて悪くないけど、じゅんの方が気になり、そちらをもっと観たかった。 とにかく清々しい映画だった。
自分をしっかりと持って生きる少女の成長物語
終戦後の高度成長期を描いた物語である。令和の時代には考えられないような描写も多々あって興味深かった。差別表現も多々あった。良くも悪くも、時代は移ろっているということを感じた。それでも、なお、普遍的なメッセージを伝えてくれている。吉永小百合演じる主人公には、「自立」するということの意味を考えさせられた。たとえば、親からの「自立」ということに焦点を当てると、往々にして親に対する反発心が動機となりがちである。しかし、それだけでは、本当の意味での「自立」とはいえないのではないか。自分の人生を自分自身の足でしっかりと歩んでいくということは、親に依存しないという消極的なものにとどまらず、具体的にどうするのかという理想を描くところまでが重要である。主人公は、結果として、自分自身の頭で考えた上で、進むべき道を決めた。もちろん、(父)親に対する反発心もあるにはあったが、それだけではないところが素晴らしいのである。
(私さ、勉強しなくても高校行けるうちの子に負けたくないんだ)を信条に人生を切り開くジュンと時代の映画
原作は、1959年から´60年に雑誌「母と子」に連載され´61年に出版された児童文学者早船ちよの同名本。31歳の新人浦山桐郎監督の第一作品目。岩戸景気(作中では、天照景気)の戦後高度成長期にあった鋳物の街埼玉県川口市を舞台にした、川口市立第二中学校に通う中学三年生の少女が主人公の青春ドラマ。貧しい家庭にめげず進路に悩み打ちひしがれても、常に果敢に立ち向かう主人公のひた向きな生き方が感動を呼ぶ。その石黒ジュンを演じる16歳の吉永小百合の瑞々しく快活な演技と晴朗な美しさが、一際輝きを放つ。それは、日本の未来を担う戦後生まれの第一世代を象徴するかのようで、”自己中心主義”の時代からお互いが助け合う”組合”の時代への変化を託されたメッセージが込められている。しかし、それ以上に興味深く関心を抱くのは、昭和30年代の世相と風俗が随所に散りばめられた脚本の構成力の高さと省略と伏線の映画的表現をさり気無く施した演出の巧さだ。 例えば冒頭の、弟タカユキたち悪ガキが、川原で遭遇した同級生の女の子にスカート捲りの悪戯をするところで、金山サンキチだけはしていない。それが、後半のジュール・ルナールの「にんじん」を演目とした学芸会の場面で分かる。憧れのマドンナ カオリと共演するも、”朝鮮にんじん”と野次を飛ばされ委縮してしまうサンキチの繊細さが、最後のクライマックスに繋がる。 ジュンは父辰五郎が漸く就いた職を自分勝手に辞めたショックで修学旅行を断念するが、そこまでの過程が丁寧に描かれている。進学の為に内緒で月3000円になるパチンコ店のアルバイトをするジュンの事情を知る塚本克己は、担任の野田先生が彼女を咎めようとパチンコ店を訪れたのを知って、話があると飲みに誘う。説得がうまくいった克己は、上機嫌でジュンのところへ来てスーパーマン(野田先生のあだ名)が褒めていたと、自分の気持ちを込めて言う。野田先生はジュンがお金に困っていることを知って、旅行代を集金する前日に市の補助金制度を使うことを勧める。そんな紆余曲折に疲れて川べりで貸付書を破り捨てるシーンに、ジュンの気持ちが見事に表現されている。そして志望校の浦和第一高等学校に行くのだが、偶然ハトを放つ為に電車に乗るタカユキも浦和に向かう。タカユキは、浦和少年鑑別所の前で、こう叫ぶ(しっかりやれよ!ちゃんと帰るんだぞー!)と。興味本位で中を覗いたタカユキのこの言葉は、姉ジュンにも呼びかける意図を加えて三つの意味が込められている。だが、夜になり帰ろうとするジュンだったが、飲み屋で客と戯れる酌婦の母をみて嫌悪感を抱く。それは、その日の川原での自分に起こった体の変化が大きく影響している。 常に前の場面の意図を受けた展開を見せ自然な流れを作る脚本は、今村昌平と浦山桐郎の映画的な話術の洗練さであり、説明と暗示のバランスの良い演出と見事に溶け合っている。最も素晴らしいのは、友人リスに誘われて投げやりな気持ちで酒場に行き、不良たちの暴行から逃れるシーンだ。足に怪我を負いひとり蹲っていると、遠くから心配してジュンの名前を叫ぶ克己の声が聞こえてくる。彼女はその声で我に返り、自分の不甲斐なさに泣き崩れるのだが、このカットの吉永小百合の表情演技が素晴らしい。ライティングを生かした姫田真佐久のカメラワークも秀逸だ。これに呼応するタカユキの場面が次に来るが、ラストシーンが象徴するように、この映画はジュンの物語であり、ジュンとタカユキの物語でもある。それまで自分を親分と慕うサンキチと散々悪さをしてきたタカユキたちだったが、牛乳配達の少年の可哀そうな事情を知って一気に消沈するところが可笑しい。少年は、病気の母の薬を買うために牛乳配達をしているのに、盗まれた分の代金が引かれてしまうと泣きながら訴えるのだ。もうこの場面だけで、この映画を絶賛したくなってしまう。少年に同情したサンキチとまだ反省の色を見せないタカユキは、このことで喧嘩別れするのだが、これが最初の別れの駅前場面になって、待ちわびるサンキチと考えを改めたタカユキの友情を熱く描くことになる。 この時代を記録する意味で、在日朝鮮人の帰還事業が描かれている希少価値がある。今となっては朝鮮総連と北鮮を”地上の楽園”と称賛したマスコミに騙されてしまった人々の嘆きを、母恋しさに一度戻ってしまい会えずに号泣するサンキチが代弁している様に見えて、複雑な気持ちになってしまう。真実を伝えること、真実を知ることの大切さを改めて考えされてくれる日本映画の名作でもある。 両親を演じた東野英治郎と杉山徳子から生まれた子供にしては、余りにもかけ離れた可愛らしさを溌剌と演じる吉永小百合。タカユキの借金返済交渉で、不良たちのたまり場のビリヤード場のトイレで大人ぶって口紅を付けるショットの吉永小百合が、16歳にして完璧な美しさを魅せてくれる。
涙なくして
1960年代初めの川口。掃きだめの中の鶴みたいな吉永小百合。前向きでひたむきで、ほろほろしてしまいます。でもやはり、希望を持って北朝鮮に「帰って」行くヨシエしゃんとサンキチしゃんのその後を思うともう不憫で不憫で......。制作側が朝鮮帰還運動を肯定的に描いていることが皮肉にも残酷さを強調します。ともあれ、子どもの頃から「名作だ」とあちこちで言われていた作品。はじめて見ましたが、いい映画でした。
私が知る小百合様出演映画、最高峰。 極貧、男尊女卑の中、前を向いて...
私が知る小百合様出演映画、最高峰。 極貧、男尊女卑の中、前を向いて人生を進むジュン(小百合様)に感動。 映画は歴史を映す鏡、それを色濃く感じる作品。昭和30年代後半の社会に愕然。高校進学もままならなかったんだ。在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動にも衝撃。このことで本作を批判する人もいるようですが、それは間違いです。時代なのです。 仮にも小百合様の最高峰におかしな点はつけられないのでこの点で(笑)
団塊の世代が育った風景がこれなのだ そしてまたその精神世界もそうなのだろう
昭和37年の川口の光景 古い白黒写真で見ることができる街並みそのものが、本当にそんな貧しかった時代があったことを動く映像で伝えてくれる 団塊の世代が育った風景がこれなのだ そしてまたその精神世界もそうなのだろう 吉永小百合17歳、役は中学三年生だから15歳 本当に美しく可憐だ 本作は三つの物語が絡み合って進行する 一つ目は、彼女の物語 彼女が貧しい生活の中で挫折しそうになるのを乗り越え新しい時代を目指す 映画だからこうなるが現実には彼女は堕ちていき行き着くところまで墜ちる運命が待っているとまで暗示させる 二つ目は、彼女の父の物語 父は古い世代で横暴であり、社会主義的なものの考えを受け入れない けれども結局組合の力で職の安定を得る 三つ目は、朝鮮人の父と日本人の母の家庭の物語 帰還事業で帰る父と姉そして弟 ラストシーンは東北線にかかる二車線の車道と両側に歩道を持つ真新しい立派な跨線橋が真っ直ぐに遠くまで伸びているのを撮す これからの日本はこの橋の上にいるあたらしい世代のものでありその成功はこの橋のように約束されていること暗示させる 帰還事業で列車に乗り込む朝鮮人集団も、新国家建設の意気と希望に満ちている そう未来への希望に満ち溢れたものだ しかし、21世紀の我々はその後どうなるのか その結末までを全て知ってしまっている 古いと批判された父の世代は高度成長を成し遂げ現代に至る豊かな日本にしてくれたことを知っている 本作では青少年だった団塊の世代は今では70代になろう 彼らは学生運動の騒乱を起こし、その挫折を経て、社会主義革命の夢を見果てぬ夢として胸の奥に仕舞いみ、その実未だにくすぶらせていることを知っている そして北朝鮮に帰った朝鮮人達の悲惨な末路、それにまして朝鮮人の夫についていった日本人妻達やその子供達の筆舌に尽くし難い辛苦を舐め尽くして未だに苦しんでいることを知っている なのに団塊の世代と、それに洗脳された若い世代の人達まで、この映画のマインドセットのまま21世紀を見ているように思えてならない 彼らの説くお花畑な平和思想は、本作の帰還事業によって新国家建設がなると希望に燃えている朝鮮人達のシーンに重なるのだ ともあれ映画には何の責任もない むしろ、その時代の空気を見事に切り取っている佳作と言える
父の失業により働かなければならない現状・・・
高度成長期の日本。誰もが物質的に豊かになったわけではなく、中小企業に働く者の悲哀や在日朝鮮人の寂しさをモノクロ映像に集約させている。中学3年生であるジュンが父の失業により進学を諦めなければならなくなった心情を上手く表現しています。 この映画のすごいところは、貧乏という言葉を直接的に台詞にしていること。職業に貴賎がないこともハッキリとジュンが言っていて、在日に対する差別も全くないことだ。ただ、大人びた考えの持ち主であるため違和感はあるし、全体的なバランスが悪くなると感じられるところもある。 それにしても、当時の北朝鮮帰還事業への考え方も楽園のような宣伝のされ方だったのだろうから、感想も変化しているんだろうなぁと・・・あのサンちゃんが逆に可哀想でならないよ。
●高度成長期前夜。
なんと逞しい子供たちか。貧乏ながらも真っ直ぐ生きる姉。悪さばかりしてる弟。盗む者、盗まれる者。悪ガキどもに犯されかけたり。 小さいながらも、社会の厳しさを肌身で感じて強く生きていく姿は頼もしい。ゆとりだなんだって若者に不安を抱く我々も、この時代を生きた先輩たちからするとひよっ子だ。 典型的な職人気質の飲んだくれオヤジ。東野英治郎って、黄門様になる前はこんな役が多い気がする。 そして朝鮮人親子たち。彼らのさらに上をいくというか。こんなことが普通にあったんだろうと思う。人間が強くなる。 個人的には、川口の町並みや、おそらく浦和一女と思われる高校の当時の様子が知れて、それはそれで、なかなか楽しめた。
荒川を越えて。
BSで諸用をこなしつつ初鑑賞。 吉永小百合が出ているアイドル映画的なモノと思っていましたが、成人のみならず、小中学生たちにも様々な社会的問題を背負わせていて。 北朝鮮への帰国事業が盛んだった頃、まだまだ貧しい日本の市井の人達の暮らしぶり。家父長制の残り火が燻っていた晩期、肉体的にも精神的にも暴力でねじ伏せられることの少なくなかった女性が、その2本の脚で歩み始める黎明期を描いているともいえる。 歴史資料としても面白いと思いました。
全15件を表示