君に幸福を センチメンタル・ボーイ
劇場公開日:1967年12月16日
解説
「その人は昔」の松山善三がシナリオを執筆し、「石中先生行状記(1966)」の丸山誠治が監督した歌謡もの。撮影は「喜劇 駅前百年」の岡崎宏三。
1967年製作/92分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1967年12月16日
ストーリー
能登から上京して、洋菓子店に勤める史郎は、日本一のケーキ作りの名人になることが望みだった。ある日、同僚の木村はそんな史郎にガールハント術を伝授した。木村は遊園地でハントした仙子をそば屋に住み込ませ、恋愛中だった。ガールフレンドのいない史郎は木村の言う通り、日曜日の遊園地に出かけたが、ラウンドアップから落ちて来たハンドバッグを頭に受け気絶してしまった。次の日曜日も浅草観音の社殿で同じことが起り、史郎はガールハントを諦めてしまった。まもなく分った犯人は同郷の女子大生の十紀で、これが縁で二人はすっかり親しくなった。史郎は十紀の前では菓子職人とは言えず大学でインド哲学を専攻し、菓子屋でアルバイトしていると嘘をついた。十紀はそんな史郎に家庭教師のアルバイトを探してくれたが、史郎は次第に自分の嘘が苦しくなりある日本当のことを打ち明け、逃げるように十紀と別れた。二人はすでにお互いに愛しあっていることを知っていたが、史郎は十紀に会おうとはしなかった。一方、十紀は史郎に会えない淋しさから、正月休みを両親と過ごすべく、史郎あての手紙を残して能登に帰った。間もなく史郎も故郷に帰った。温泉芸者の母まつは史郎を暖かく迎えたが、史郎は芸者から足を洗えないでいる母を軽蔑していた。和倉太鼓の名手でもある史郎は、和倉一の大きなホテルでその腕前を披露したが、その時に十紀がホテルの持主の一人娘と知って驚いた。史郎は身分違いの恋と、十紀を諦めようと思った。二人の仲は十紀の両親に知られ、そのため十紀はホテル経営の勉強という名目で、米国留学させられることになった。再び東京に戻った史郎は、十紀がアメリカに発つ日、大きなケーキを作って港に駆けつけた。だが、十紀を乗せた船はすでに港を離れたあとだった。