機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのレビュー・感想・評価
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地球存亡をかけて戦う英雄2人
総合:75点 ( ストーリー:75点|キャスト:90点|演出:75点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
今回で2度目か3度目で、久しぶりに鑑賞した。ガンダムは第一作しか観ていなかったので、話が必ずしも繋がらなくてよくわからない部分があった。いつの間にか地球の連邦軍に敵対する新しい勢力が出来ているし、シャアはその指導者として地球と宇宙に住む人々との対立を利用して強い権力を持ち英雄扱いを受けているようだ。
その彼が地球を滅ぼすような小惑星衝突計画を立案し実行しようとするのは戦慄する。場面場面で連邦軍の腐敗も感じられて、そのために敵対心を持つのもわかる。それにしても連邦憎しに加えて宇宙の支配者になるいうことで、宇宙育ちの彼は地球を罪の無い普通の市民も自然も野生動物もまとめて滅ぼしてしまうほどにまで地球に愛着がなくなるものかというのは空恐ろしい。
そのシャアに対峙するのは第一作と同じアムロで、幼さ故に好き勝手やって怒られて「親父にもぶたれたことないのに!」と言っていた彼が、すっかりと大人になっていたのは頼もしい。彼らの宿命の競合対決は十分に見応えがあった。ブライトもすっかりと指揮官としての能力を高めて、核弾頭誘導弾による攻撃や小惑星の破壊計画でシャアにもその作戦能力を認められていてこちらも頼れる人物になっていた。
一方で、超絶的能力を持ちながら、実年齢以下のとんでもない幼さと我儘ぶりとを思う存分見せつけるクェスは、一体どうしたものかと違和感だらけ。結局シャアにその弱点を見極められてあっさりと取り込まれ、大人達をかき乱すだけかき乱して、あっけなく散って行ってしまった。でも彼女の死に関わったハサウェイが心の傷を負って大人になって新しい物語になるのだから、それなりの意味はあるのだろう。
登場するモビルスーツと呼ばれる兵器は能力も高くなってかなり恰好が良かった。でもそれを映し出す映像の技術は昭和だなと思ったら昭和63年の公開で本当に昭和の作品だったが、それでも兵器の動きと活用で見せてくれた。古い作品でもこの時代にこれだけやってくれたのは凄い。これを『閃光のハサウェイ』で使われた今の技術で制作出来たらさぞ大迫力だったろう。
物語の細かいところはともかくとして、最後の地球に突入しようとする小惑星を超能力が包み込んで動かす奇跡が起きてしまうのはあっけないし、いかにもご都合主義だなあと思ってがっかりした。何かもっと合理的な理由で小惑星の軌道を変えてほしかった。
他にも説明不足なところとおかしなところはあったが、それでも全体としては大人が観ても楽しめた。そしてシャアとアムロという大物2人が精一杯戦っていった後の、恐らく彼らのいなくなったであろう残された世界は、一視聴者として寂しさが残る。
さて作品の大筋とは別のところで気になった部分がある。それはシャアの人心掌握術である。
シャアは高い能力と最高の血統と美形の見た目と圧倒的な実績と知名度により、この世界の最高の英雄である。だから誰を相手にしてもその権力で自由に人に命令をすることが出来る立場である。彼がやれと命令すれば、それに逆らえる人はいないだろうし、もしいればすぐに配置転換すればよい。
それなのに彼は自分の側近にもクェスにも大衆にも、まるで最高の色男のように甘い言葉で相手が欲しがる嘘をささやき心を取り込み操る。こんな大物に命令されるのではなく個人的な理解を示されれば、さも簡単に心を許してしまう。世界を変えようとする英雄というよりも伝説の色男カサノバのようである。
自分は正論を主張して相手に理解と同意を押し付ける傾向があるので、このシャアの相手の心に忍び込んで操る天性の術には感心してしまった。こんな能力が欲しいものだが、自分にはそれはどうせ無理だろう。でも少しは自分も正論一辺倒ではなくこういうやり方も心掛けようと思った。
アムロとシャアの最後の戦い。 変わらないシャアと大人になったアムロ...
これでおしまいか?
機動戦士ガンダム、オリジンと来ていよいよ今作
逆襲のシャア。
シャアの人となりは分かったつもりでいたけど、
何があったのだ?と
結局ZガンダムZZガンダムが気になる始末。
ネオ・ジオン軍の総帥までになっていたとは…
相変わらず人を物としてとしか考えてなさは
もはや流石だなと思うほど。
アムロもいつの間にか29歳となり
ブライトは結婚して子どもまで。
しかもしっかりした大人になっている!
シャアが「やるな!ブライト!」と2回も言うくらい
だから素晴らしい成長ぶりだ。
しかし、クェスというとんでもない苦手なキャラが
登場し、いっさいの感情移入も出来なかった。
相変わらずクェスやギュネイなど、物語の重要キャラ
が呆気なく死ぬのは
ガンダムでは当たり前なのだろうか?
ラストはここで終わるのか?
とこの後の地球やアムロ達を観たかった残念さは
残るが、ニューガンダム、サザビーを観れて
BB戦士、SDガンダム世代の自分は
これがニューガンダムか!と感動しました。
大人になるってこういうこと
2022年12月4日
愛知県豊田市でカーボンニュートラルを
ガンダムで考えるというよくわからない企画で
ガンダム芸人のぬまっちと若井おさむ目当てで
観に行ったのですが
3年前にも神戸の富野由悠季展で
企画上映をスクリーンで観たりちょくちょく
映画館で観た作品なので
せっかくだからなんか書いておこうと
公開時は8歳
ストーリーの骨はわからずνガンダムも
サザビーもかっこいいで終わっていましたが
40過ぎてから観るとまぁ印象が全然違う
これがあるから富野作品は面白いんですけどね
色々嫌われやすいクェスですが
今観るとクェスって親に
純粋な主張をまともに
聞いてもらえず袋小路に陥り
言葉にそそのかされて悪いことに
足を突っ込んで破滅に向かう
子供に映っちゃうんですよね
不思議なんですが
クェスとハサウェイに
同情的になってしまいます
クェス最後は自分にミサイルが
直撃する事をニュータイプ能力で
予見して巻き込まれそうな
ハサウェイを払いのけてる
最後に自分の能力を他人の
ために使ったんですよ
でもその時には遅すぎた
クェスはニュータイプ能力高すぎて
アムロに共感性を抱いていたけど
相手にされず
シャアに父性を求めたけど
自らの野望に利用しようと考え
かつて二人が持っていた力が
大人になったことでなくなってしまって
いる事が今観ると悲しく感じます
主人公とライバルのはずなのに
はっきり衰えを映す作品なんて
ありますでしょうか
アムロはνガンダムにサイコミュを
増幅する受信パックを付け
シャアはファンネル操作の時に
ヘッドセットを付けてます
しれっと二人のニュータイプ能力は
もう衰えていますとう描写が
なされているんですね
途中ロンデニオンコロニーに
居合わせたときに
「私を感じてみろアムロ」
というセリフがありますが
逆に言えばもうわからなくなって
いるんですよね
Zのアッシマー戦の時は
すぐわかったのに
そして結局二人を引き合わせたのは
ララァでした
大人になるってどういうことか
酸いも甘いも知って賢くなること
かもしれませんがそれってつまり
経験からトラウマを背負って
純粋な発想に気がつけなくなること
かつて覚醒するアムロに追い詰められ
苦しんでいたシャアにとっては
ララァとの出会いで自分が持っていた
力を見出されかけたところで
ララァを失いそこにずっと
囚われて生きてきて
今生きて目の前で動いてる
アムロへの憎悪しか残らなく
なってしまった
ガンダムシリーズの立役者の
悲しい背中
そんな風に映ります
ではニュータイプ能力は
あった方がいいのか?と言うと
チェーン・アギも
ロンドベルの技術士官として
責任を果たすために
アムロに献身的に接する姿を
クェスは愛と読み取られてしまう
人間同士の間にある感情を
フィルターなしに読み取れてしまう
のニュータイプなのだとしたら
しんどくて生きていられないと
思います
ガンダム世界で広がった
ニュータイプ論の限界に
富野さんは行き着いて
いたのかと驚くばかりです
この話で終わるはずだった
ガンダムシリーズは結局
35年経って更に広がっていますが
にたどり着く作品はなかなか
無いと思います
でも追いかけなくても新たな
ものを見つければ良いと思います
未履修組なので
有名なセリフと場面くらいしか知らないのでストーリーは正直わからなかった。
分からないなりにも戦争モノは本当に苦手。
アニメだろうと実写だろうと気持ちが押し潰される感じになり苦しくなる。
ストーリーよりも、聞いたことのあるセリフが次から次へと出てきて「すごい贅沢だな」と素直に思った。
ラスト近くでシャアがアムロに言ったセリフは一瞬我が儘でしかない印象だけど、今まさしくこの時代において至極真っ当な正論だった。
ただお前が言うなという突っ込みを禁じ得ない感が分からないなりにどうしてだか出てきた。
あと不思議だったのが、最後のシーン。
あの光の帯は…もしかして…ララァ…なんだろうか? …いやわからない。
もういい加減、女絡みのガキの喧嘩はやめれ
ファーストガンダムは映画版も含めて、それなりに何度も鑑賞。
リアルな戦争SF物として世界に誇る傑作だと思ってます。
ですがその他の作品は最近になってZと今作を鑑賞したニワカです。
ガキ(Zでは序盤のカミーユ、後半のカツ、今回はハサウェイ)が女絡みで好き勝手パターン、もう飽きた。というかイライラする。
今回なんて味方殺してるし。
自分は戦場に出ても死なないと思ってんだろぅな、ガキだから。
自分の気持ちを伝えれば、相手も分かってくれると思ってんだろうな、ガキだから。
ガキだから仕方ないんだけど、イライラする。
思春期に観ててもイライラしてるよ、知らんけど。
特に今作なんてシャアとアムロの話なんだから、無理矢理ガキを出すな。イライラする。
それはさて置き、
人類は地球を汚染するノミだという、シャアの主張も分かる。
でも、ただ地球に生まれたから、宇宙に出たくても出られないから、その他諸々の一般ピーポーが大半のはずなのに、殲滅するなんて酷すぎ。
しかも、核で地球を汚染させる作戦て、もう支離滅裂!どんだけ!
Zから続けて観てると、その間に色々あったんだろうけど、思想が極端過ぎてドン引き。
シャアに幻滅。
そして人類史上最大最凶の虐殺計画の根底に、
ララァ絡みの私怨私恨とか、もう勘弁してくれ〜。
しかも、マザコンでロリコンって、欲張りか!
とにかく、
もういい加減、女絡みのガキの喧嘩はやめれ!
Zでは、シャアとアムロの共闘は胸熱だったのにな‥
地球と違う環境の宇宙で暮らす事で、テレパシーや危機察知能力が発達したニュータイプが生まれる可能性がある、までは意味分かる。
でも、今作のラストみたいな行き過ぎた生命エネルギー?を全面的に押し出されると、
ガンダムはリアルな戦争物だと思って観てたコチラはドッチラケ。
シャアよ、もう、碇ゲンドウに人類補完してもらえばいいんじゃあないか⁉︎
もしかしたら今作は、
往年のシャアのイメージをぶち壊すために、
地球連邦政府が製作したシャアのネガティヴキャンペーン映画かも。
知らんけど!
閃光のハサウェイを見るために見た
閃光のハサウェイを見るために、見てみた。
ガンダムはファーストガンダムとZしか見てないのだけどZは
全く記憶にないのだけど、今回とのつながりってあんまり関係ないのかな?
大まかなストーリーはわかったけど、細かいところがイマイチよくわからなかったな。
監督の独特な言い回しがかっこつけ過ぎててわかりづらいんだよね。
シャアがララァを失った恨みを未だに抱いていて、それがアクシズ落下と
なんか関係あるような感じで語ってたっけどなんか関係あったのかな?
その辺が何わかりづらくてスッキリしなかったな。
全体的にはシャアとアムロの因縁の対決なんだろうけど、シャアのウジウジっぷりが
見かけとギャップがあって今見ればそんなもんかなと思えるが20年前に見てたら気持ち悪い〜
と、思ったに違いない。ウジウジしてたアムロはわりと大人になっててシャアと逆転してるのも
人としてはありそうで良かったような気もする。
とはいえたったひとりの人間の意思で地球を壊滅させるとか狂気の沙汰だよね。
普通の人なら到底思ってもできることじゃない。
地球連邦がどのくらい腐っているのか?また、正すためにどれだけの努力をしたのか?
もう、そうするしかない!という思いに至るまでのシャアの感情などを
もう少し描いてくれないと、安っぽい物語の独裁者のよくある話になっちゃうよね。
チェーンがクェスを殺した時に、ハサウェイ逆上してチェーンを殺してしまうけど、
ハサウェイの心の動き?感情の表現乏しくて、なんかあっさり殺したなあって思った。
ハサウェイは軍人ではないけどあの行動を取るには人として欠けているものがあると思う。
閃光のハサウェイでその辺が描かれることを望みます。
ラストのアクシズ落としでサイコフレームが突然共鳴してアクシズの軌道が外れるとか、
めっちゃキライです。悟空が元気玉集めて攻撃したみたいで、結局アムロひとりでなんとか
なっちゃうのは微妙だよね。
アクシズ落とし
ハサウェイの為に復習。
アルファアジールを落としたのがハサウェイって事になってるのかな?
初めての戦闘で敵の虎の子を落としたわけか…事実とは違うけど、そんな事になってたりすんだろうな。
クエスといいギギといい、どうやらかなりなハネッかえりが好きみたいだな。「女に振り回されたい病」なのかしら?
肝心の本編ではあるけれど、その後の変遷が結構楽しい。物語中盤でシャアとアムロが殴り合うのは中々オツなものである。
1年戦争で敵同士となり、グリプス戦役で同じ船に乗り込む。そんな歴史があるからこそだけど、反発しながらも分かり合えてる距離感に萌える。「やるな、ブライト」とか、思わずニヤけたりする。
かなり大それた作戦なのだけど、案外皆様のん気なもので…色恋沙汰が結構目立つ。
まあ、それはいいのだけれど、バランス的には結構な分量でもあり…戦争自体が軽く見えるのが難点か。
地球に隕石を落とすんだぜ?
で、それをガンダム…サイコフレームが阻止するわけなのだけど、よく分からない。
その点はナラティブで解説してたように思うから、また見てみよう。
ナラティブとハサウェイではどちらが後なのだろうか?どちらもシャアの反乱を背に始まったような気がしてる。そのまた後にユニコーンになるのかな。
でもナラティブではフェネクスがいたから…ハサウェイ→ユニコーン→ナラティブになるのかしら?
まぁ、なんだろ?
アムロxシャアの会話が聞けただけで結構満足してる。世代なのだろうなぁ。
サイコフレームに戸惑う。
「機動戦士ガンダム」完全新作劇場映画。
Netflixで10年ぶり、2回目の鑑賞。
テレビシリーズは未見、劇場版三部作は鑑賞済みです。
アムロ・レイとシャア・アズナブルの因縁がついに決着!
ネオ・ジオンの総帥に就任し、コロニー落としによって地球の寒冷化を企むシャアに、アムロやブライト・ノア率いるロンド・ベルが壮絶な戦いを挑みました。
人類の可能性を信じる男と地球を見限った男の死闘は、周囲を巻き込んだ濃密なドラマを生み出し、新たな物語の種を蒔きつつも、モヤモヤしたものが残る結末となりました。
そもそも、νガンダムとサザビーなどに搭載されている"サイコフレーム"の意味が分かりませんでした。
ニュータイプ能力を利用するための外装甲と云うことはなんとなく分かりましたが、パイロットのニュータイプ能力が発現し、それが最大まで高まると、開発スペック以上の性能を示し始めると云うのが、どうもピンと来ず…。
なのでクライマックスの展開もご都合主義感が強くて、これが許されるのならば、ガンダムすら必要無くなりそうだし、もはやなんでもありなのではないかと思いました。
クェス・パラヤに振り回されました。男は惚れたが最後と言うかのように巻き込まれたハサウェイ・ノアが不憫で仕方ありませんでした。自ら死地に飛び込んで、自業自得で死んでしまったような展開に、ニュータイプの悲哀を感じました。
忌まわしい記憶と共に
「ガンダム」のラスト2分、カツ、レツ、キッカの3人に、富野氏は、新たなる希望を託します。ヒトの進化は、アムロだけでは終わらない。始まったばかりだと云う希望です。ところが続編でその希望が…。進化を待てないヒトは、強化人間を投入。世界は混沌を深めます。ヒトは、自らの可能性を、浅はかな知識で、自ら摘み取ってしまいます。
このお話の終止符として、富野氏は「ベルトーチカ チルドレン」をリリース。映像化には難があるとして「ガンダム ハイストリーマー」を雑誌連載。これが「逆襲のシャア」になります。この3つ、全て同じお話です。ただ、ラストの描写が少し違う。この少しが、その後の私に、大きく影響します。
キャスバルは、全人類の敵になることで、ヒトの病巣を取り除こうとします。副作用は、一切考慮しません。でもそんな自分を、阿漕な道化師だと思っている。
一体、誰がこんないけない遊びを、キャスバル坊やに教えたの?。ジオン父さん?、ジンバ ラルおじさん?、それともキシリア姐さん?。(詳しく知りたい方は、安彦良和の「オリジン」をどうぞ。)
キャスバルの思念は、宇宙の彼方へ。ただ、私にとってシャアとアムロのお話は「ベルトーチカ…」をもって完結します。(「ベルトーチカ…」を映像化する企画があったそうですが、私、見たことないので、悪しからず。)
キャスバルの忌まわしい記憶は、重力の井戸の底に導かれて行きますが、これを拒否したものが何だったのか、映画では今一つ不明瞭。あれでは、エンドロール直前に、何故、赤ちゃんの泣き声がするのか、想像するのも困難です。結果、小説を映像化することの難しさを、本作で学びました。
本作の主題歌は、TMネットワークで、結構ですが、「ベルトーチカ…」なら、山下達郎の「蒼氓」のはず。今の私が、原作と映画の違いを受け入れるようになったのは、本作に、私の忌まわしい記憶があるからかも知れません。
さよなら、昔の私。最期に、小説読んだ方のみに判る文言を遺させて頂きます。
…もう、ナイチンゲールのさえずりは、聴こえそうにありません。
宿命の戦いの最後
何これ?リメイクして欲しい(笑)
行けっ!アクシズ!忌まわしい記憶と共にっ…!
何故未だに【逆襲のシャア】の周りを纏わりつくスピンオフ的なアニメがあるか。
何故か?
純粋にこの【逆襲のシャア】が伝説だから。
圧倒的に面白いからでしょう。
観客を魅了する。引きずり込む。これが無いと、この後どれだけこの作品に纏わりついても駄作に終わるだろうね。
駄作であればあるほどこの作品が伝説化されるからいいけど。
【ユニコーン】?
【ナラティブ】?
観たけど、全く心が震えなかった。つまらなかった。
シャアまで引きずり出したけど、残念だったが駄作だろう…。
嘘だと思うなら、10万円の【ユニコーンガンダム】のプラモ出してみろ。
売れないから。
何故νガンダムの10万円するプラモが販売して数分で完売したか。
あの伝説の作品、【逆襲のシャア】のνガンダムだから。
単純にそこで決着。
【逆襲のシャア】のプラモなら、【リ・ガズィ】の10万円プラモの方が【ユニコーン】より売れそうだわww
しかし何度観ても面白い。
余計なストーリーの説明を入れない所がいい。
ダラダラしないところがいい。
『これ以上やると作品のスピード感が失われる』というところでスパッと次のシーンへ行くww
『しかし…』とか『まさかな…』とか『なんだと言うんだ…?』とかで次のシーンに切り替わるww
こういう観客の頭を使わせるところ好きです。
しかし観ていて何となく理解できる。
そういうライトユーザーと、掘り下げてストーリーを完全に理解しようとするコアなファンを取り込んだ、伝説の作品だと思う。
自分はどちらかと言うとライトユーザーだろう。
だから面白い。
戦闘の緊迫したシーンに滅茶苦茶力が入ってて、【レズン】のような荒い台詞を吐きながら淡々と戦うキャラが戦闘シーンをより面白くするなぁ…
『ロンドベルなら鈴を鳴らしてりゃいいんだよ』
こういう台詞がライトユーザーには刺さる。
戦闘中にダラダラダラダラ理屈や理想語りながら戦うパイロットは萎えるわww
そういえばこういうのも好き。
出撃直前、【ジェガン】ではなく、【リガズィ】で出撃したかった【ケーラ】と、【アストナージ】のやり取りで…
『リガズィは使えないんだな?』
『整備!間に合いません!』
『わかったよー』
…この一瞬のやり取りから、【ケーラ】って優しい人なんだなぁ…って想像する。
うん、【ケーラ】好きですww
つまり…何が言いたいかっつーと、今のガンダムの作品には無い【人間味】ってのがこの作品にはある。
この【逆襲のシャア】に出ている全てのキャラに【人間味】がある。
一人の空間になったらつい出てしまう本音。
それも【人間味】
『行け、アクシズ!忌まわしい記憶と共に!』
『ナナイッ!?男同士の間に入るなぁっ!』
コレがシャアの本音だろう。シャアの【人間味】だろう。
創り手に【人間味】があればこそ、ここまでキャラに【人間味】が出せる。
昔昔の作品に、心を揺さぶる作品が多いのはここじゃないかな?
令和の創り手に…ここまでキャラに【人間味】を乗せれる創り手は居ないだろうな。
【人間味】を持ってる駒は省かれる時代だから。
【シャアという呪縛】
改めて、ドルビーシネマで鑑賞したが、僕はやっぱり、この作品はあまり好きではない。
いわゆる「ファースト・ガンダム」の良さが消えてしまったどころか、赤い彗星シャアを、ザビ家のような存在に貶めてしまった感じがするからだ。
更に、この作品上映後しばらくして発生した一部のイスラム教原理主義の引き起こしたテロやIS建国、国内で発生したオウム真理教の複数のテロを考えると、仮にシャアが環境問題を提起していたとしても、内容は稚拙だと感じるようになった自分がいるのだ。
本当は汚染問題を概念的なところに留めず、具体性を持たせるべきだと思うし、核を利用した惑星落下は更なる地球汚染に繋がると感じたのは僕だけではないと思う。
クェスの扱いも、改めて観ると、ISやオウム真理教のやっていたマインドコントロールのようにも思える。
ニュータイプだから何でも良いと云うわけではあるまい。
ニュータイプである前に人間としてどうあるべきかを示すようなストーリーであれば違った印象になったのか、想像で語るしかないので無責任だと思うが、このままでは物語の後退だと思ってしまう。
「ファースト・ガンダム」では、シャアはザビ家への復讐を第一としながらも、アムロ達と共有する想いがあったように思う。
戦いの中で命を落とす戦士にも背景があって心が震えたように覚えている。
セイラ(アルテイシア)の願い、ララァの願い、アムロの願いは、シャアに通じていたはずではなかったのか。
ブライトとミライの息子が主人公となる「閃光のハサウェイ」に通じる物語としてのリバイバル上映だと思うが、「逆襲のシャア」は、エヴァ「:序」のようにリビルトしても良かったんじゃないかくらいに感じてしまった。
本編後10分ほど上映されたハサウェイの物語は、「閃光のハサウェイ」の一部なのだろうか、それとも、別の導入部なのだろうか。
作画は随分進化したと同時に、繊細なタッチは、印象を随分変えてしまったのではないかと少し心配にもなる。
小説の原作も未読なので、期待半分、心配半分といったところ。
33年振りにスクリーンで鑑賞
全63件中、21~40件目を表示













