劇場公開日 1988年3月12日

「忌まわしい記憶と共に」機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 機動戦士・チャングムさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0忌まわしい記憶と共に

2021年6月15日
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 「ガンダム」のラスト2分、カツ、レツ、キッカの3人に、富野氏は、新たなる希望を託します。ヒトの進化は、アムロだけでは終わらない。始まったばかりだと云う希望です。ところが続編でその希望が…。進化を待てないヒトは、強化人間を投入。世界は混沌を深めます。ヒトは、自らの可能性を、浅はかな知識で、自ら摘み取ってしまいます。
 このお話の終止符として、富野氏は「ベルトーチカ チルドレン」をリリース。映像化には難があるとして「ガンダム ハイストリーマー」を雑誌連載。これが「逆襲のシャア」になります。この3つ、全て同じお話です。ただ、ラストの描写が少し違う。この少しが、その後の私に、大きく影響します。

 キャスバルは、全人類の敵になることで、ヒトの病巣を取り除こうとします。副作用は、一切考慮しません。でもそんな自分を、阿漕な道化師だと思っている。
 一体、誰がこんないけない遊びを、キャスバル坊やに教えたの?。ジオン父さん?、ジンバ ラルおじさん?、それともキシリア姐さん?。(詳しく知りたい方は、安彦良和の「オリジン」をどうぞ。)
 キャスバルの思念は、宇宙の彼方へ。ただ、私にとってシャアとアムロのお話は「ベルトーチカ…」をもって完結します。(「ベルトーチカ…」を映像化する企画があったそうですが、私、見たことないので、悪しからず。)
 キャスバルの忌まわしい記憶は、重力の井戸の底に導かれて行きますが、これを拒否したものが何だったのか、映画では今一つ不明瞭。あれでは、エンドロール直前に、何故、赤ちゃんの泣き声がするのか、想像するのも困難です。結果、小説を映像化することの難しさを、本作で学びました。
 本作の主題歌は、TMネットワークで、結構ですが、「ベルトーチカ…」なら、山下達郎の「蒼氓」のはず。今の私が、原作と映画の違いを受け入れるようになったのは、本作に、私の忌まわしい記憶があるからかも知れません。
 さよなら、昔の私。最期に、小説読んだ方のみに判る文言を遺させて頂きます。
 …もう、ナイチンゲールのさえずりは、聴こえそうにありません。

機動戦士・チャングム