機動戦士ガンダム 逆襲のシャア : 映画評論・批評

2020年10月13日更新

1988年3月12日よりロードショー

アムロとシャア、“レジェンド”の終わりと始まりを目撃する

誕生から40年を過ぎ、様々なメディアでシリーズ作品が生み出されているガンダムだが、テレビシリーズの総集編などではない劇場アニメとして作られた初めての“ガンダム映画”が、この「逆襲のシャア」だ。手がけたのは、ガンダムの生みの親である富野由悠季監督。ガンダム作品を見たことがない人でも名前くらいは耳にしたことがあるであろう、主人公アムロ・レイとライバルのシャア・アズナブルの最後の戦いが描かれる。

物語の舞台は、いまではファーストガンダムと呼ばれる第1作「機動戦士ガンダム」(1979)から14年後の宇宙世紀0093年。宇宙に住む人々(スペースノイド)を地球から支配する地球連邦政府に反抗するネオ・ジオン軍の総帥となったシャア・アズナブルが、小惑星を地球に落下させようとする。その衝撃によって人為的な氷河期を引き起こし、地上にとどまり続ける人類を宇宙に強制移動させ、地球の自然環境を回復させようというのだ。シャアとは深い因縁で結ばれた主人公アムロ・レイは、自ら設計した新型MS(モビルスーツ)のν(ニュー)ガンダムに乗り、シャアの企みを阻止するため戦場を駆ける。

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ファーストガンダムではナイーブな印象だったアムロは精悍な大人になり、歴戦のパイロットとして頼もしさも感じられ、人々を信じる心をまだ持っている。一方、これまでにもさまざまな組織や立場を遍歴してきたシャアは、ネオ・ジオン軍の総帥になったが、変わらない人類に絶望し、粛正に乗り出す。彼らの行動や思想の背景を真に理解するには、「機動戦士ガンダム」や続編である「機動戦士Zガンダム」(1985)を見なければならないが、なんかすごいことをやらかそうとしている敵と、それを止めようとする主人公、2人がそれぞれ抱く希望と絶望といった対照的な構図は、初心者にも入り込みやすいはずだ。

独特のセリフ回しが有名な富野監督作らしく「私、シャア・アズナブルが粛清しようというのだ!」「人が人に罰を与えるなどと!」……などなど、いわゆる“富野節”がめくるめく展開し、細かな動きが見逃せないメカアクションも含め、繰り返し見てお気に入りのセリフや、アニメーションならではの動きを見つける楽しさもある。また、戦いの中で散っていく命も多いが(それもまた初期の富野監督作品の特徴でもあるのだが)、その中で生まれた“光”もあり、必ずしも絶望的に終わってはいない。

アムロとシャアの最後にも想像の余地が残され、それがひいては「機動戦士ガンダムUC」「機動戦士ガンダムNT」、そして今後公開予定の「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」など、後に続く作品の中でも種々に語られるきっかけにもなっている。それはまさにアムロとシャアという伝説的存在――今風にいえば“レジェンド”の、終わりであり、始まりでもあるのだ。

あさかよしあき

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