機動警察パトレイバー2 the Movieのレビュー・感想・評価
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今観ると、また違った味わいがあります。
ご存知、押井守監督の「パトレイバー2」。
初めて観たのは高校生のとき。
「パトレイバー 劇場版」に本当に感動し、この2を楽しみに劇場まで足を運んだ。しかし、明らかに1とはテイストの異なる作品。パトレイバーという舞台を使って、押井色を全開に押し出した作品だったわけだ。高校生の自分には早すぎた。なので、最初観たときは全く面白くない、という評価だけで終わった。
あれから約30年。
後藤隊長の悲哀が沁みる年代になり、改めてこの作品の良さがわかる。
作品自体は最初に劇場で観たあと何度もDVDで見返した。1のスカッとした、これぞエンタメ!というストーリーも良いが、2の暗い雰囲気のストーリーも良いな、と歳を重ねるたびに感じるようになった。小説とかもそうだけど、歳を重ねてから見返すと違う発見がある。
この作品が公開されたのは「1993年」。
当時はガキだったので何も知らなかったが、大人になり冷戦など様々な歴史を知ることで、この時期がどれくらい重要だったのか、今になってわかる。この作品も、おそらくそういう危機感から作られたんだろう。首都圏で擬似戦争状態を作り出す、そのとき日本人(日本政府)はどう対応できるのか?庵野監督の「シン・ゴジラ」のテーマとも共通している。
日本は戦後に経済発展のみ追求し、他国のように戦争を(幸運にも)経験しなかった。2021年現在、冷戦が終わり、バブルがはじけ、失われた30年を経て、共同体が崩壊し、砂粒の個人だらけになり、格差が広がった。政治の世界は頭の中が昭和の80歳のジジイどもが権力をいまだに手放さずにいる。安倍政権から嘘をつくのが当たり前の世の中になり、安倍→菅と政権が代わったこの1年間、コロナに対して有効な対策を全く打てていない。森喜朗はもはや自分の何が問題なのか判断する能力すらなく、さらに、こんな能無しがなぜか自民党で権力を握っている。
そして、そのジジイだらけの政権を支えているのは多くの日本人だ。
ここまで落ちてしまった。そして、今後も落ち続ける。
この1993頃にもっと有効な対策を打てていれば・・この作品のような状況が良いかは置いといて、もっと危機感を持つような状況に追い込まれていれば、現在はかなり違った日本だっただろう。おそらく、日本人は占領されるくらいの危機感がないと変われないんじゃないかな。。阪神大震災、9.11(これはアメリカだけど)、リーマンショック、3.11、そして今回のコロナですら変われないのだから。そう思いながらこの作品を見返していると、暗澹たる気持ちになってきた。。。
この作品で、柘植は戦争状態を作ること自体を目的とした行動を取った。
それは、当時押井監督がまだ期待を持っていたのかな?とも思う。この時期の日本人であればやり直せる可能性がある、と。作中で荒川に「この国は、もう1度戦後からやり直すのさ」というセリフを言わせているが、むしろ、そうすることで、今とは違った社会をやり直す可能性があったのだろう。
2021年現在、日本社会がボロボロになった今、もはやその道はない。
今後死ぬまでに何度か見返すだろう。そのたびに違った印象を受けると思う。
そういう作品こそ、名作なんだろうな、と思う。
独り善がりの抽象絵巻(オリジナルでやってくれ)
押井守が好きな方は、どうぞこのレビューは読まずにスルーして下さいませ。
さて、本作であるが、エピソードやテーマは大変面白い。キャラ達は言うまでもなく魅力的である。
メカも音楽も声優陣も素晴らしい。
それなのに、どうしてこんなにつまらない作品になってしまうのか?
もちろん素材が良いから(素材とは、押井氏の語りたいテーマや全体的ストーリーとそれらを構成する1つ1つのエピソードも含む)それなりのレベルには当然仕上がるが「これだけ上質な材料を贅沢に使って何故!」と疑問と落胆が浮かぶ。
それはひとえにシェフ(監督)が、食べる人(観客)の事も生産者(原作者)の事も考えない独善的な調理を施しているからであろう。
難解か?いや、まったくそんな事はない。作品のテーマもストーリーもよくわかる。ではどうして「難解」に見えるのか?
そりゃあ、わざわざ、いちいちメタファーだのアレゴリーだのにするからですよ。センスの良いメタファーは私も好物ですけれどね。ダヴィンチ・コードなどは非常にテンポよく、快感ですらあるのだけれど、押井氏はただひたすら冗長なの!
思わせぶりでスローテンポな心象描写が「もう充分わかったから勘弁してくれ!時間の無駄!」と叫びたくなるほど続く。そんなシーンが繰り返し繰り返し挿入されていると、さすがに眠くなりますよ。
映画監督とは「表現者」だろう?伝えたいことを伝える為に表現するのだろう?わざと伝わりにくくしてどーすんの?
例えば、具体的に言うと憚りある事柄をメタファーで伝えるのならば、その必要性も芸術性もよくわかる。
しかし、押井作品は簡単な事までも、バカバカしいほどメタファーにしたがる。
一体何の為だ?難しい作品に見せかけて、含蓄が深いとでも言われたいのか?
また、作品に対する愛情や敬意が感じられない。
私はサンデー系作品は苦手だが、パトレイバーは秀逸だと思う。登場人物1人1人もキャラがしっかり立っていて魅力的だし、軽妙な台詞回しのゆうき節も気が利いている。メカもケレン味たっぷりである。しかし、押井氏自身がこれらすべてが嫌いだと明言している。
キャラも後藤さん、南雲さん以外は嫌いだし、二足歩行メカに存在意義を感じないそうだ。
だったらパトレイバーやるなよ!頼むから!
ビューティフル・ドリーマーを高橋留美子が嫌っているのもかくの如しだ。あれはまったく「うる星やつら」ではない。高橋ワールドと解釈があまりにも違うのだから。原作者の意図を無視して、好き勝手に世界観を作り変える暴挙は、創造者というより破壊者だと感じる。
パトレイバーにも同じ構図が透けて見える。世界観への敬意が無い。
リアリティが好きだからと言って作監に黄瀬氏を起用するか?あんなに眼が小さい野明と遊馬がいるものか。
「ロボ〜!」に目を輝かせるルフィ、ウソップ、チョッパー、そして野明。オトナでありながらそれらを具現化するフランキーや榊のおやっさん、シゲさんの存在意義も押井氏にはきっと理解出来ないのであろう。ゆうきまさみ氏はそれらをすべて飲み込んだ上で、オトナの遊びを描いてるんだよ。だから後藤さんが光るんだ。
パトレイバー第1話タイトル「ザ・ライトスタッフ(あっ軽い人々)」
最終話タイトル「THE RIGHT STUFF―正しい資質―」
ここに込められた価値の重さと作品根底に流れる世界観がわかるか?
重いテーマをいかにも意味ありげに重く描いたら、それはパトレイバーではないんだよ。
重いテーマを、あっ軽く笑いつつ、しかし熱く真剣に語るのがパトレイバーなんだ。それはいかに難しい事であろうか。
いくら小器用で調理技術に長けたシェフだとしても、こんな独善的料理では海原氏も山岡くんも席を立つわ。
天たまで干されたあと、パトレイバーに食わせて貰っておきながら、恩を仇で返すとはこの事だ。このテーマで映画撮りたきゃ、オリジナルでやればいいじゃないか。(出来ないよね)
他人の褌で相撲を取るのはもうやめてくれ。と、まぁ93年の作品に言っても始まらない。
「ある人質」鑑賞後は4DXパトレイバーに癒されようと、前もって映画館はしご計画を立てておいたが、押井氏だけが不安要因だった。悪い予感は的中してしまったな。やはりこれもビューティフルドリーマーであった。もし93年に見ていたら私も若かったから尚更許容出来なかっただろうな、、、。
このあと、キマイラ撮るのかな?
老成円熟した押井氏を観る事は出来るのであろうか?人間誰しも成長するから、押井さんも変わったか?
獏さんの方が謙虚で人格者だと思うが、天使のたまご=天野喜孝繋がりで違和感は少ない。
どうか「この映画は最高に面白い!」と言える作品になる事を強く願う。
よかった
公開当時、お金をケチってレンタルビデオで見て映画館で見なかったことを後悔した記憶があり、それ以来多分2回目。1作目の映画の方が面白かった印象があったのだけど、やっぱり1の方が物語にダイナミズムがあって面白い。どっちも、ほぼいないも同然の敵と戦う話。
当時流行った「終わりなき日常」みたいな空気が前提となっており、それ以降、2回の大震災やオウム事件、原発事故、現在進行形のコロナなど有事に政府の対応は後手後手になっている現実に直面していて、自決しなかった柘植はこれらを見てどう思うのだろう。こんなにひどい状況でも政財界と政府は癒着して中抜きばかりしている。
アクションが少ない。レイバーが戦うのは地下道でタチコマみたいなのと戦う場面だけで、しかもエレベーターのところは省略。ノアはほとんど見せ場なし。
雰囲気たっぷりの会話は芯をくっているのかどうか、噛み合ってるのかよく分からない。後藤の抜けた感じがいい。
何度観ても
4DXにて観賞。
予約した当日が朝から雪とは、なかなかオツなものだ。
公開当時大学生だった私には、さすがに初見ではよく分からなかった。
それからDVDを購入、もしかすると人生で最も回数を観た作品かも。
あらためて思うが、核心を突く説明を直前で寸止めして進んでいくストーリーなので、繰り返し観ないと全貌はつかみにくい。
そういうトコロに逆に惹かれてしまう様に、我々ファンは育てられてしまったのかも知れない。
とにかく押井監督好きならしびれるモチーフ満載。
旧約聖書・東京・兵器・犬・鳥はもちろん、カメラやモニター、窓や鏡を通して描かれる無機質な現実。非常事態と隣合わせの日常。そして大人の恋愛。
劇場版1作目がエンターテイメント寄りの作品だったのに対し、本作は現代の日本における「戦争観」を描くドラマなので、正直なところ4DX演出が時折邪魔に感じる部分は否めない。
まあそれでも往年のファンとしてはこれがまたスクリーンで観られるというのは感慨深い。
川井憲次氏の音楽などの信頼度MAXなスタッフ陣に加え、今のバナナマン日村さんが声優に参加してたり、藤島康介氏がメカデザイン協力してるなど、エンドロールも楽しめる。
6
時代の違いは感じるかな
コロナ禍のこの状況でしばらく4DX作品を見てないこともあって久しぶりに4DX体験をしたく、また作品評価が高い事もあってこの度初鑑賞。
アラサーのためリアル世代ではなくその為この作品の公開年に観たこともない。
比較的ノーマルなアニメ作品は好きな方だが、リアル世代ではなく特に強い思い入れもないという事もあってか可もなく不可もなくといった感想。まぁそれなりには楽しめたが時代の違いは感じたかな。
というのも柘植の動機とか最初から最後までベールに包まれていたのに捕まるシーンはあっさりしているのがイマイチ楽しめなかった。
前作はHuluで見たが、もちろん前作を見るに越したことはないが今作は今作で初めて見てもまぁ見られる作品であろう。
4DXが無性に利用したくなり今回はそれを最優先にした為個人的には満足はした。
作品自体初見ということもあってか物凄く作品とマッチしていたかは別として、4DXを楽しむのを優先するのであれば最低限以上は楽しめる作品ではある。4DXは比較的好きな方だがボヘミアンは4DXを楽しむ事においては全くダメだった。そのような事は確実にないと人にも勧められる。
この時代の作品の声優さんはそれぞれ特徴ある声で分かりやすくそして聞きやすいのがいいよね。声だけでどのキャラか瞬時に理解できる。
メインではないとはいえ古川さんやら千葉さんやら馴染みのあるアニメの声優さん達の声を聞けるのはやはりテンション上がる。
オールタイムベストなのだが4DXはいらんち
4DXってなんなんですかね。
2度めの体験だったんですが、ほんと気が散りますね。
雪のシーンで「プシュッ」って余計な音出して、スクリーンに黒い影を落とすってなんなんでしょう。
風を吹き付けられて、寒いってなんなんでしょう。
霧のシーンにスモーク焚いて、表現ダブってしかも見辛いって何なんでしょう。
コンビニでおにぎりとかパンをカゴに詰めるシーンで椅子を揺らすのは、押井流のギャグ?もしくは皮肉?
作品自体は、何度も観てますが、紛うことなき傑作です。
映画館で初見できる人はとても幸せだと思いますが、それが4DXとなると、良いんだか悪いんだかw
怒りというより、ちょっと頭が悪い感じで笑けてきます、4DX。アトラクションっぽくするにしても、もう少しやりようあると思うんですけど。
通常スクリーンでやるならまた見に行きます。
カミソリ後藤、ふたたび!
パトレイバー、最高です。
4DXは、パトレイバーにあってます。
カミソリ後藤の復活…竹中直人の怪演…押井監督の冴え、最高でした。
98式イングラムは、活躍しません。
Part3も4DXで観たい!!
色褪せない
久しぶりに見たけど、所々時代を感じるが、内容は色褪せないね。
本当に面白いドラマだよ。
ただ、予想通りというか、前作に比べて4DX感はちょっと弱いよねw
内容的にしょうがないけど。
それでも、改めてスクリーンで見て良かったと思ったな。
究極までリアリティを追求したアニメは、画面の中の虚構を暴く
冒頭でまず本作は、前線で犠牲者を出しながら、司令部の命令がないために何もできずに一方的にやられる自衛隊の場面から始まる。
それは当事者にとっては正に地獄だが、画面では間接的な情報の提示と、臨場感を削ぐ演出のせいで全く感情移入が出来ず、何が起こってるのかも理解できない。
その視線は前線の兵士のものではなく、事態を把握できず何もできない司令部のそれだ。
宮崎駿はこのシーンにスペクタクルがないためにつまらない、と評価しており、それは大半の視聴者の偽らざる感想だろう。
普通のエンタメ映画なら、この冒頭で派手なアクションを挿入して、観客の注意を引き付けるのが常道である。
前作のパト1では正にそのセオリー通りだった。
しかし本作のこの冒頭シーンは、作品全体のテーマを象徴しているのみならず、そのエンタメとしてのセオリーを破ることによって、異化効果を作って鑑賞者に考えることを促しているのだ。
次に場面は特赦二課で新型レイバーのテストするシーンに移り、ここではVRという最先端のバーチャルリアリティが出てくる。
またカメラを通した絵と、現実の絵の立体感が対照的に違うことが示される。
カメラを通した絵は立体感のない平面的な絵だが、本作の現実のシーンは押井守のレイアウト主義の粋を集めたような立体感をこれでもかと強調した、非常にリアルなものになっている。
テレビのニュースやバラエティなどの番組では、わざと望遠レンズを使って立体感をなくすことで、臨場感を減らし、肩の凝らない映像を作っている。
つまり実写でありながら、テレビの映像はわざとリアリティを剥奪することによって、画面の中で何が起きても深刻に受け取らないように促しているのだ。
そうしたマスコミによって育った人間は、物事に対して冷笑的で、何事に対しても無関心になる。(まるで某ネット民のようだが、そもそもあのわざとらしい露悪的な連中が、本当に好きでネットをやっているユーザーかどうか疑おう。連中が自分たちに都合の悪い書き込みには「わざと腐女子のふりして叩かせようとしている!」というように考えるのは何故だろうか?)
一方で押井守は、二次元アニメという平面的な絵を使ったメディアによって、徹底的にリアリティを追求する。
本作では、アニメという虚構でありながら現実感を追い求める本作と、現実でありながら現実感がないテレビやモニターを通した情報の峻烈な葛藤が展開される。
そしてそれは誰がいるのかも分からない、夢幻のようなビル群と、その下で地の上に足を付けている登場人物たちの対立でもある。
主人公たちは地の上にいる人間でありながら、その画面の向こう、ビルの中にいる顔も知らない人たちのために、同じ地上にいる者たちと戦う。
それは正に「誰のために戦わされてるのかも分からない」という、集団自衛権の問題と結び付く。
冒頭の戦闘で唯一生き残った自衛官の柘植は、仏教の仏像建築を目にする。
彼は民衆という実在するが見えない神のために戦っていた戦場で、実在しないが圧倒的な実在感を持って見える偶像に魅せられ、この瞬間に一種の棄教をしたわけである。
その偶像とは作中で荒川の口を通して語られる思想であり、実はあれは説得力を持っているが、全てデタラメなのだ。
ここにも押井守の一貫した「リアリティのない現実に代わる、リアルな虚構」というテーマが繰り返されている。
本作では同じモチーフとテーマが、全編を通してあの手この手で何度も描かれ、語られる。
結果的に全てのシーンが何らかのテーマを象徴しているような、凄まじい密度によって描かれている。
このようなテレビ批判のような映画が、むしろテレビ局の中で一部の人間に強く訴求したという事実が、本作の現実批判がどれだけ的を得たものかを語っている。(といってにこいつらにしろもっと直接的に叩かれてたら反発する程度だろう。テレビ局に味方をする人間に良心などない)
「フィクションと現実をごっちゃにする」という批判を業界人が頻りと使いたがるのは、正にそれこそ彼らのコンプレックスの急所であり、最も痛いところだからなのだ。
テーマと現実批判と演出が、全て奇跡的なほど渾然一体となって一致しており、ゆえに本作は押井守の最高傑作だと私は思う。
ラスト、黒幕と対峙するシーンでは白い鳥の群れが出てくる。
前作では冒頭で黒幕が自殺する時に黒い鳥であるカラスを放つ。
白い鳥とはキリスト教の象徴として聖霊を意味する。
黒いカラスとはその真逆で、悪霊ということを示しているのだろう。
何ともわかりやすいことに、そのカラスのタグには「666」とまで書かれているのだ。
前作の黒幕は自殺した後でも一人歩きするAIプログラムによって事件を起こす。
解き放たれたカラスは、そのAIプログラムというコンピューター言語によって、解き放たれた黒幕のスピリットを象徴しているわけだ。
押井守はイエズス会の神父に認められて対談までしたことがあるくらい、神学的な象徴性に関しては本職顔負けである。
本作では逆にラストシーンに白い鳥の群れが出てくる。
本作の戦争では「死傷者多数」と報告されているのにも関わらず、人が死ぬシーンは一切出てこない。
その代わりに最後の鳥の群れによって、黒幕が背負った死者の数を間接的に伝えている。
それが伝わらないということが、本作のテーマが現実であることを証明しているわけだ。
言葉で死者多数と伝えられても、実際に見せられないと実感を抱けないということは、どれだけ統計の上で戦死者が積み上がっても、少しも良心が痛まず、本作の警察幹部のように現実感を喪失し続けた大日本帝国の司令部と同じことなのだ
本作ではそれぞれの葛藤に対して一応答えを出している。
最も力強いのは、「現場を離れた司令部はもうどうしようもないから、現場の人間に全て頼るしかない」という現場主義の答えだ。
そのせいで本作は、本質的に現場的な人間の感性とはかけ離れていたながら、現場参加として受け入れられ、バリバリに当てられたあの踊る大捜査線の「事件は現場で起こっている」というセリフを生み出すに至る。
ナイーブで薄弱なものではあるが、「たとえ顔は見えなくても現実の人間を守る」という応えも提示する。
この二つに関しては、どちらも虚構よりも現実を選んでいる。
ところが最後の、リアリティのないテレビのニュースと、リアルなアニメという対立では、前者を選ぶことはできない。
それは本作がアニメ映画だからというより以上に、この場合だけ現実を伝えなければいけないはずのニュースが、自分たちの利益のためにその現実感をわざと奪おうとしているからだ。
他の二つの問題では、不可抗力的に仕方ない理由で現実からリアリティが喪失していたが、最後のこの問題に関しては、テレビがわざとそうしているのだ。
そうなるとアニメよりニュースを選ぶ、という選択は選ぶわけにはいかない。
しかし本作ではその問題は棚上げされる。
その、アニメという虚構に関してだけは現実より優先し得る、というアンサーをはっきり示すのは、自作の『攻殻機動隊』においてである。
上層部と現場の温度差
犯行予告後にベイブリッジが爆破された。警察は捜査の過程で自衛隊に疑いの目を向け両者の緊張は高まっていき…。
再鑑賞。前作の方がまとまりは良いが、保身に走る上層部によって事態が最悪の方向に向かっていく様はコロナ禍の現代だとより考えさせられる。
2度、3度と観て欲しい名作です。
武装テロを、パトレーバー小隊隊長の後藤が捜査する物語。
前作が、「パトレーバーを押井色で仕上げをした作品」なら、この作品は「押井作品をパトレーバーキャラが演じた作品」で、その意味ではビューティフルドリーマーに近い作品のように思えます。
ベイブリッジ爆破から続くテロ行為。そのテロに翻弄される政治家、幕僚、警察官僚、諜報機関、そして後藤たち。ストーリーはロボット物ではなく、ポリティカルサスペンスの様そうで進んで行きます。
そこにはグリフォンとの戦いのようなロボット格闘はなく、遊馬や野明の活躍もありません。
しかし、その捜査過程の描き方は秀逸で、観る者を魅了します。そしてクライマックスで再び集結する第二小隊という展開にはカタルシスを感じざるを得ません。
正直、最初鑑賞した時には失望感を持ちましたが、2度、3度と鑑賞すると、映画単体の魅力を実感出来る映画です。
個人的にはそのインパクトで、前作を上回った作品だと感じています。
第二小隊最後の戦い。 正しい資質よ、永遠なれ!
警視庁警備部特車二課第二小隊の活躍を描くロボットアニメ『機動警察パトレイバー』シリーズの、劇場版第2作。
横浜ベイブリッジ爆破に端を発するテロ事件に、特車二課の面々が立ち向かう。
監督は前作から引き続き押井守が務めている。
陸上自衛隊幕僚監部調査部第二課別室に所属する陸上自衛官、荒川茂樹の声を演じるのは『私をスキーに連れてって』『シコふんじゃった。』の竹中直人。
パトレイバーの世界は作品ごとにパラレルであるとされているが、1998〜99年が舞台であるという設定は共通している。
しかし、本作で描かれている時代は2002年。
他のどの作品より時系列が後ということもあり、お馴染みのメンバーは後藤隊長、南雲隊長、シゲさん、ヒロミちゃんを除き散り散りになっており、また「バビロンプロジェクト」の完了により都内からレイバーが少なくなった為レイバー犯罪も減少し、レイバー小隊は益々無用の長物となっている。
映画全体に流れるのはそこはかとない無常感。「あぁ、これまでの楽しい祭はもう終わってしまったんだ…」という雰囲気に満ちている。
この空気感はファンであればあるほど耐えがたい哀しみとして胸に迫ってくるでしょう。
だからこそ、終盤にお馴染みのメンバーが後藤隊長の下に集い、事件に立ち向かう場面は燃える!!
「祭りの最後にドデカい花火を打ち上げたるでっ!」という感じで、めちゃくちゃワクワク!!
前作はエンタメ重視でギャグも多めな、『パトレイバー』の劇場版らしい作品だったが、本作はそれとは方向性が全く異なる。
『パトレイバー』のロボットアニメ的な要素を極限まで薄くして、その分非常に押井守的な、安穏としている日本社会に対し問題を提起をするかの如きポリティカル性をぶち込んでいる。
基本的には会話劇であり、結構重要なポイントもセリフで流したりするため、集中していないと今どういう状況なのか、何故こうなっているのかよくわからんという事態に陥ってしまう。
何本か押井守作品を観ていれば「まぁこんな感じだよねー」と受け止められるが、押井守に耐性がないライトなパトレイバーファンにとっては凄く退屈する作品かもしれない。
何やらごちゃごちゃしているが、要約すると自衛隊内部の過激派によるクーデターの話。
戦争から目を逸らし続けることで獲得した平和の虚構性であるとか、警察内部の権力争いとか、クーデターは手段では無くそれ自体が目的であるとか、そんなややこしいあれやこれやを鍋にぶち込んで哲学的なワードとリアリティのあるアニメーションでぐつぐつ煮込むとこの映画は出来上がる。
個人的にシビリアン・コントロールがどうだの、米軍の政治的介入がどうだのというポリティカルな物語にはあまり興味がない。
ただ、パトレイバーのキャラクター達の活躍が見たいのである。
とはいえ、ポリティカルな問題を扱うことでこれまで脇役だった後藤隊長や南雲隊長を主役に据えることが出来、その結果従来の作品とは一味違う、パトレイバーの世界をより拡張するような独特な作品が出来上がっていることは事実。
パトレイバーファン=後藤隊長ファンと言っても良いと思うので、後藤さんの有能ムーヴを堪能できるだけでも本作は一見の価値がある。
個人的に本作で一番好きなのは、オープニングで野明が試作機のテストをしている場面だったりする。
驚異的な作画のクオリティもさることながら、遊馬と野明の関係が進展したことをさりげなく描いていた点が良かった。
野明の耳にピアスがある!これまでの野明なら絶対にしなかった筈なのに…これはつまり、ってことですよね。上手い演出だなー。
時代設定的にも話の内容的にも、パトレイバーの最終回といって良いでしょう。
ややこしいし難しいけど、クライマックスとして申し分のない作品だった!!
陸幕調査部の荒川の扱いがなんか中途半端で、結局何がしたいのかよくわからないとか、ラスボスである柘植に魅力がないとか、そもそもたった1人で、しかも数年でクーデターを起こせるほどの戦力を揃えられるのか?とか不満点、疑問点もあるが、個人的にはかなり好きな作品です!
バブル崩壊時
自衛隊機ではなくてアメリカ軍戦闘機によるものだと怪情報を入手。テロリズムもそうだが、ミグ戦闘機の亡命事件を引き合いに出して、日本が軍備増強に応じてくれないなどといった生々しさ。戦争直後からやり直さねばならないといったセリフも聞かれ、バブル崩壊時代の設定としては興味深いものがあった。
正体不明のテロに政府はどう動く
非常時の災害に指揮系統はどう作られるのか丁寧に描いた社会派アニメ。
ホームビデオの投稿映像をループして流すニュース。
特車二課のしのぶと後藤に裏切り者荒川が絡む会話劇がメインに進む。
新宿に墜落して着色ガスを撒き散らす無人飛行船。
アルタビジョンに映る鳥の映像、飛行船の周りを飛ぶカラス、埋め立て地を埋め尽くさんばかりの鳥。
使われない旧地下鉄を使ってレイバーを運び、坑道で二課と無人有線戦車との対決。
実写よりリアルに描ききった対話の映像に、夜の車内に差し込む光や水槽の明かり、窓の反射などこだわりの映像美。
憂う者たちの“TOKYO WAR”
「機動警察パトレイバー」劇場版シリーズ第2作。
DVDで鑑賞。
マンガ版は既読、OVAとテレビシリーズは未見です。
憂国のテロリストが仕掛ける東京での仮想戦争―。重厚なリアリズム演出が光り、押井守監督が「機動警察パトレイバー」で本当に描きたかったのはこれなのかもしれないと納得させられるような、骨太ポリティカル・サスペンスでした。
パトレイバーがクライマックスにならないと本格的に登場しないので、ロボット・アクションが好きな方は、もしかすると「物足りないなぁ…」と思われるかもしれません。
作画が第1作よりも劇画的になったことで、作品のリアリティーに一役買っているように思いました。戦車などの兵器群の描き込みもリアルで、本物感が満載でした。
二・二六事件を彷彿とさせるような雪景色と戒厳の風景が眼前に展開されている中、日常生活が変わらず営まれていると云う不気味さが、画面からひしひしと伝わって来ました。
仮初めの平和を、何も考えずにのうのうと享受している日本国民に対し、東京に戦争状態を現出させ、果たして戦争とはどう云うものなのかを容赦無く提示してみせました。
平和と戦争は紙一重、危うい均衡が辛うじて保たれているだけであり、ちょっとしたきっかけで容易く箍が外れてしまうことを知らしめるために、今回のテロを決行した…。
首謀者・柘植行人の思想には、押井監督の憂いが籠められているのかもしれないな、と思いました。
※リライト(2021/02/14)
※鑑賞記録
2021/02/14:DVD(サウンドリニューアル版)
この頃も音響が悪かったなあ
押井守は自己流が行きすぎていて勝手なことばかりするので、事実上アニメ界を干されてるのか
自分から愛想がつきてアニメ界を去ったのか詳しくは知らないが。ただ、やっぱり奇才な人だと思うので、最近のはしにも棒にもかからないような単なる商売人のアニメ作家と仕事したいと思わないのは事実なんだろな。
このパトレイバー二作目、やっぱり分かりにくいわけだが。何がいちばんわからないかって、柘植という人物の目的がわからない。
戦争を思い知らせたかっただけならやりすぎだし、クーデター計画でないなら手間をかけすぎる。
クーデター計画とむかしは考えてたので、すぐに連想する映画として
「皇帝のいない八月」
というのがある。これは本当に自衛隊が二つに割れて国家転覆を企むのでエグい場面も多いし人もかなり死ぬ。
ところが、パトレイバー二作目のこれはほとんど全く人が死なない。あえて死人を出さないような作戦をとっていると言える。
戦争に怯える恐怖を味あわせてやる、というところか。
「戦争?もう始まってるよ」竹中直人演じる公安の不気味な男が言うが、時代が違う今どう受け止められるかわからない。
むかしはそういう言葉に揚がった、アゲアゲ〜
正体不明機が勝手に飛んでいるのが確認され、三沢基地と小松基地にスクランブルがかかり、発進するが正体不明機は突然レーダーから消える。燃えるじゃない〜
普段歩いてる渋谷や新宿の街を戦車が通っている。燃えるじゃない〜(笑)
いや今の時代笑えないって。
戦争をしている国と戦争によって発展を遂げていく国同じだろ、みたいに言ったのは後藤だっけ?
その意味するところはいまいち判断しずらいが(いろんな解釈ができそうだが)
現代に訴えてくるテーマとしては重い。
ところで、後藤と刑事課の松井の連携は今回も冴えてますね。
「また松井さんと組んでなんかやってるんでしょ」とあきれて言う南雲がいいです。
南雲しのぶ、今回の主役。はっきり言って感情的になると言わなくていいことまで上司に言ってしまう、ちょっと暴走してしまうところもある人だが
最後、柘植との再会に何を思ったか。
見所はたくさんある。と思う
訂正
竹中直人演じるのは荒川とかいう公安じゃなくて
陸幕調査部別室とかいうこれは架空の部署かな?ウィキ情報
考えてみれば公安の人間が単独で動いてればあからさまに怪しいしなんか変だな〜と書いてて思いました。
こういう難解さが若い人に敬遠されんかな…
20150523 Huluにて。
監督: 押井守
脚本: 伊藤和典
メディアミックス作品
90年代の作品とは思えぬほど、クオリティの高い作品の一つ。いつものメンバーが主人公ではなく(笑)、隊長クラスの視点から描く手法がすばらしい。今の時代だからこそ、観て考えるべきではないだろうか。。
喉元にあてられた、冷たいナイフ。
一本の映画としての完成度は前作に譲りますが、押井監督が「行けるところまで行った」というだけあって、冷たく力強いメッセージが満載のこちらも名作です。
冒頭の、全滅の危機にさらされながらも、命令に逆らって撃ち返すことのできない指揮官について、宮崎駿監督とやりあっていた対談はお互いの価値観が垣間見えて面白かったです。
全40件中、21~40件目を表示