女の花道
劇場公開日:1971年11月20日
解説
昭和二十一年、八歳で芸能界にデビューした美空ひばりの芸能生活二十五周年を記念して、川口松太郎が彼女のために書いた原作を、「幻の殺意」の沢島忠と岡本育子が脚本化した。監督は沢島忠、撮影は「女房を早死させる方法」の山田一夫がそれぞれ担当。
1971年製作/103分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1971年11月20日
ストーリー
安政六年、五歳の時から出雲大社に仕えていたおきみは十六歳になった。同時に、歓進坐子の許しがでると、育ての親であるおいねと歓進の旅を始めた。おいねに五歳の時拾われたおきみの踊りは天才的なひらめきがあり、以来天才坐子と人々に騒がれていたが、異国では乞食扱いされ苦しい旅だった。しかし、おきみの踊りは、貧しい百姓たちの拍手を浴び、舟の中で知り合った行商の薬屋圭介からは、生命力にあふれる踊りとほめられた。年老いたおいねは病床に伏し、息をひきとった。おいねの位牌を胸に出雲へ帰る途中、おきみは偶然、志摩流家元丹後の地唄舞を見て、その素晴らしさに魅せられ、弟子入りした。文久元年冬、おきみは十八歳になった。その毎日は、掃除、洗濯に追われ稽古場に入ることも許されなかったが、翌年の夏の終り、丹後から稽古をつけてもらえることになった。それからのおきみは、めきめき腕をあげていき、弟子入りしてから三年、とうとうその年の二条宮家舞の宴に抜擢される迄になった。その見事な舞は、二条宮、嵯峨野の称賛をえ、「花影」という名を貰った。そんなおきみに、恋という一つの試練が訪れた。歌舞伎の振付師篠原流家元文二郎に強く魅かれていったおきみは、二代目を継がせようとする丹後を捨て、文二郎の許にとび込んでいった。だが幸福なはずの結婚はうまくいかなかった。形式を重んじる文二郎の舞と、生命力溢れるおきみの舞とは対立したし、舞を忘れられないおきみは死人の様な生活に耐えられなかった。時代は変動しつつあった。長州藩が御所に攻め上がり京の町は火と化した。避難民の群れでごった返す町の中を、おきみは丹後の許へ走った。彼女はようやく自分から舞を取ったら何も無くなることに気ずいたのだ。おきみの望んでいた踊りは、大衆とともに、大衆の中で踊り続けていくものだったのだ。