「冒頭、加速度に満ちた躍動感を見た時、この映画の成功を確信した」お引越し 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
冒頭、加速度に満ちた躍動感を見た時、この映画の成功を確信した
京都を舞台に、それまで家族だった3人の心が離れて、初めて過ごしたひと夏の物語。
冒頭から、11歳の主人公のレンコ(オーディションを経て選ばれた田畑智子)が躍動する。その加速度に満ちた走りを見た時、この映画の成功を確信した。この高い運動性は、無駄な悩みや不安を駆逐するから。ただし、レンコは、両親が別居することになり、父親であるケンイチ(中井貴一)が家を出て行き、母ナズナ(桜田淳子;好演)と暮らし始める。テーマは、子の旅立ちにあると思われ、その背景に家族や社会、自然、ひいては宇宙が存在しているのだと思った。一言で言えば、テーマは生きること。いつもの相米慎二の長回しだけでなく、室内の会話では、鏡を利用した展開もあり、コッポラの影響かと思った。
一番目立つのは、自然界の水と火。引越しの前夜の梅雨からはじまり、梅雨の上がる直前には豪雨(黒澤の映画を思わせる)があり、京都の夏を告げる祇園祭がはじまると、庭には水が打たれ、山向こうの琵琶湖のお祭りでは、おじいさんに水をかけられる。この船幸祭の祭礼は、湖上で行われる。一方、引越しの時のゴミ出しにくすぶる火に始まり、小学校の実験室のアルコールランプ、夏の終わりを告げる京都の大文字焼き、琵琶湖の祭りの花火、湖上で燃えさかる船。水と火が何を意味するのかは知っているから、映画の終盤はひたすら、何が起きるのかと思い怖かった。
心に残るのは音、梅雨や豪雨の雨音に始まり、夏の到来を告げる祇園祭のコンチキチンの鉦(電話の背景に聞こえ、相手とつなぐことも)、琵琶湖のほとりで坂を駆け上がる時の下駄の響き、炎がはじける音、でもそれだけじゃない。室内でも、紙を破る音、話し声の背景で、大根をおろす音が伴奏になっていた。しかも、前半には、リュート(あるいは琵琶)の響き、中盤では二胡を弾いているらしい音楽も聴こえた(これは、三枝さんの考えだろうか)。この映画がヨーロッパでいち早く再評価されたのも、音楽から連想されるシルクロードを思わせる世界観も一翼を担ったのかも。どだい祇園祭の背景には、ペルシャを含む世界がある(インバウンドの人々の圧倒的な支持を得ている理由でもある)。レンコとナズナの二重唱も、爆発的な世俗曲の歌唱もあったが。実は、これだけ、自然界の音や音楽が聞こえると、逆に静寂が極めて強い印象を与える。躍動感と静寂の強い対比。
役者さんでは、中井貴一は、いつものように飄々としていた。彼は、日本を代表する2枚目俳優であった父、佐田啓二と比較されて、どれくらい苦しかったことだろう。桜田淳子が秋田美人であることも改めて意識したが、体型の変化に触れていたことが可笑しかった。これがキャリアの最後になるなんて、あり得ないことだ。バッシングを気にする必要は全くない。信教は、個人の自由だ。田畑智子には、現在ではありえない相米の強い演技指導があったに違いない。
相米慎二が私たちに遺してくれた傑作をまた一つ知ることができたことを何よりの喜びとしたい。