男はつらいよ 寅次郎の告白のレビュー・感想・評価
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【”世の中で一番美しいのは恋なのに、何で恋する人間はこんなに無様なんだろう。僕は恋する伯父さんを笑わない事に決めた。”寅さんが満男と泉を大切に想う気持ちが響き、若き二人の成長物語でもある作品。】
■満男が恋する美少女・泉は、東京での就職がうまくいかず、母の再婚問題もあって黙って家出してしまう。
彼女が鳥取砂丘で書いた寂しげな気持ちを綴ったハガキを手にした満男は慌てて鳥取に向かい、泉や寅次郎と合流する。
そして、3人は、かつて寅次郎が恋した女性・聖子(吉田日出子)が女将を務める料亭兼旅館を訪れる。
◆感想
・今作では、久しぶりに寅さんの過去から今に続く恋話が描かれる。且つて、寅さんを恋しながら別の板前だった男と結婚した聖ちゃんを演じた吉田日出子さんのおっとりした鳥取弁が心地よいし、魅力的である。
・酔っ払った聖ちゃんに”寅さんと結婚すれば良かった・・。”と告げられ、いつものようにオタオタする寅さんと、二人の事が気になり泉と二階にいた満男が、話をコッソリ聞こうとして、二階から落ちるシーンは可笑しい。
■今作では、もはや満男と泉は恋仲であるように描かれる。又、泉は恋する母(夏木マリ)を最初は汚らわしく思うも、旅をして、家に帰った際に母に対し”ママ、幸せになって良いよ。私もう大丈夫だから。”と告げ、満男も今まで恋をしては振られる寅さんをさくらと同じように見ていたが、寅さんの生き方を肯定的に見る様になるのである。
<今作を観ていると、一家に一人、寅さんみたいな伯父さんがいると、ちょっと面相臭いけれど、人情溢れる古き良き日本が続くのではないかな、と改めて思った作品である。
寅さんも年を重ね、思考に深みが出てきているし、そんな寅さんに影響され人間として成長する満男と泉の姿が素敵な作品である。>
もはや満男と泉が主役
全体的に盛り上がりに欠ける作品だと思いました。
柴又の常連メンバーも老化が顕著で、もう柴又へマドンナを招き入れての団欒風景も無くなってしまった。団欒はひろしの家の食卓がメインに。タコ社長と寅さんの喧嘩(している風)のシーンは音と声だけ。第一話のような取っ組み合いの喧嘩シーンはもう望めないのでしょう。
マドンナの吉田日出子さんは、後半の短い時間での出演でしたが、すごくよい雰囲気を出していました。寅さんとは昔ひと悶着あったという設定ですが、寅さんまた逃げてしまいましたね。
泉はなんで鳥取に行ったのでしたっけ?寅さんとの再会シーンは無理筋すぎてちょっと引いちゃいました。
満男の告白めいたものでも、彼女は母からも父からも自由になって、彼女も一人の女性になれたのです
1991年12月公開
泉ちゃんは、今度はちゃんと前もって柴又に来ることを連絡していたようです
東京駅の新幹線ホームでの待ち合わせのエピソードは、あるある話です
名古屋からの一番後ろは1号車自由席です
一番後ろと、言われたらつい16号車に行っていまいそうになります
経験者沢山いると思います
寅次郎が三平をスカウトして商売しようとしたり、タコ社長が三平を引き抜ぬこうとしたり、ラストシーンではサブだって就職できていたことが分かるような人出不足が過熱しているエピソードが展開されて、バブル絶頂期を表現しています
就職氷河期世代には考えられないような売り手市場だったのです
そんなバブルの引く手あまたの就活事情であったのに、結局彼女の就活は上手く行きませんでした
それは本当は自分の家庭の境遇のせいかもしれないと彼女は思っています
その上、母は再婚しようと男を家に入れ始める
なんて不潔!
そんな風に彼女は自分は世界一不幸せだと思いつめてしまったのです
泉ちゃんの突然の鳥取砂丘からの絵葉書の文面には、ビビります
彼女の母の電話で家出と判明したからには、まっしぐらに鳥取に向かった満男は立派です
何時間でも砂丘で待てるのです
それが若さです
泉ちゃんと寅さんがバッタリあったのは、鳥取市ではなくて、鳥取から西に45キロ離れた倉吉市だそうです
大昔、同じ季節に仕事で行ったことがあります
鳥取から車で向かうと、日本海の美しい海岸が続きます
逆方向からですが鳥取砂丘に向かった寅さん一行が車窓からみた光景です
「寅次郎の告白」とは、直接的にはかって聖子に所帯を持とうと告白してふられたことを指しています
でも、やっぱり本当は満男の告白のことでしょう
「じゃあ、先輩はどうなの?」
「えっ俺? 奪い取ってしまう方だよ、なーんちゃってね」
大阪行きの車中、少しづつ手を握りあう満男と泉
「ママ、幸せになっていいよ、私もう大丈夫だから」
母の再婚を許せるようになったのは、一人の女性として愛し愛されることの幸せを知ったからこそなのです
母も一人の女性と見れるようになったのです
そして、満男の言葉を告白と受け止め、愛を実感した彼女は、父ではなく満男を自分だけの男性と確信できるようになったからだと思います
満男の告白めいたものでも、彼女は母からも父からも自由になって、彼女も一人の女性になれたのです
それ故に、母も自由にしてあげられるようになったのです
さて寅さんはというと、未亡人となった女将が、やっぱり寅さんと結婚すれば良かったと言い寄られると、途端に逃げ腰になってしまう体たらくです
「寅さん、また一緒に飲もうなぁ」と明るく見送る彼女ですが、見送ったあとの顔には、あきらめと悲しみが混じった表情が貼りつくのです
寅さんもバスの中でいつになくシリアスに考え込んでいます
鳥取駅で、満男と泉の二人と別れた寅さん
改札をでて鳥取駅前の商店街を歩いて看板をみた安宿に空き部屋あるかと聞いているようです
結局、寅さんは聖子のところに戻らないと心を決めたようです
「寂しさなんてのはな、歩いてるうちに風が吹き飛ばしてくれらあ」
お正月に今年も泉ちゃんは突然柴又にやってきます
3年連続です
今年も満男にどうしても会いたくなったんです
だってお正月には家族と過ごしたいものです
つまり彼女はもうすでに満男と家族になるつもりになっているのです
満男本人も、満男の両親も、周囲だってそういう未来しかないと思っています
前作の中盤での寅さんの泉ちゃんと満男の結婚のアリア
そのシーンかいつか本物になると私達観客も信じていました
それがまさかの人生の展開になるのは、この時誰も予想していませんでした
旅先で人生や人について いろいろと考えた後藤久美子は 夏木マリの再婚を喜べるようになった。 良くも悪くもあまり印象に残らない作品であると思う。
BSテレビ東京で映画「男はつらいよ 寅次郎の告白」を見た。
1991年製作/日本
配給:松竹
山田洋次監督69才
渥美清63才
倍賞千恵子50才
後藤久美子17才
夏木マリ39才
吉田日出子47才
母親(夏木マリ)の再婚を喜べない後藤久美子は
家出をしてしまう。
後藤久美子は寅さんと偶然鳥取で出会う。
後藤久美子を追って鳥取に向かう吉岡秀隆。
3人が出会って、寅さんのなじみの吉田日出子が
そこで合流する。
旅先で人生や人について
いろいろと考えた後藤久美子は
夏木マリの再婚を喜べるようになった。
良くも悪くもあまり印象に残らない作品であると思う。
満足度は5点満点で2点☆☆です。
寂しさなんてのは歩いているうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ~
「大したもんだよ、かえるのしょんべん。見上げたもんだよ、屋根屋のふんどしだぁ」などと店で働く三平にお決まりの言葉で、“さくら”の人手不足をなげく寅さん。まだバブルが崩壊していない人手不足の現実。大企業では60歳定年になったことで定年過ぎた職人不足を嘆くタコ社長の言葉もあった。
一方、山野楽器の就職も断られた上に、母親・礼子が恋人を連れてきたことをきっかけに泉は家を飛び出してしまう。鳥取県の田舎町で寅さんと偶然会い、駄菓子屋のお婆ちゃんの家で泊まる二人。「おじちゃま!」というゴクミの声がぞくぞくする(俺もおっさんやな)。そこへ泉の自殺を心配した満男も加わり、かつて好きだったお聖さん(吉田日出子)と再会する寅さんだったが、彼女の夫は1年前に死んだとのこと。ピンクの灯りなんてのがかなり大人の雰囲気だったが、覗こうとした満男が2回目の転落事故。額の傷が本物じゃないかと思うほど生々しい。
寅さんと泉の母親についての想いを通して、全体的に「職業に貴賎はない」とかの職業に対するテーマがあったように思われる。満男の恋の行方もどこか行き詰まった感があるけど、寅さんの姿を見て、自分の生き方を決めるのが心地よい。
山野楽器の係長に山口良一、紙漉きの兄ちゃんに武野功雄と欽ドンファミリーが二人出演していた。思えば、ちょっと前に志穂美悦子、中原理恵、佐藤B作と、欽ちゃんファミリーとも相性がいい。ちなみに前田吟のTV版『積木くずし』では高部知子がブレイクしていた。懐かしい。
すでに常連となっていた三平ちゃんも馴染んできたし、お菓子職人の姿もちらほら。さらにここ3作の満男と泉ストーリーでは必ず最後が凧上げから始まる正月シーンがあり、毎度のことながら泉ちゃんが年始の挨拶で諏訪家を訪れていて、満男は友達の約束をすっぽかす展開が待ち受けている。友達なくすぞ!満男。そして、いつしか徳永英明の曲も定番になっていたようだ。
No 44。もはや主役は泉(ゴクミ)。彼女の美貌以外ほぼ何も無し。...
No 44。もはや主役は泉(ゴクミ)。彼女の美貌以外ほぼ何も無し。家出、鳥取での寅との再会、無理矢理の吉田日出子。あまりに唐突、偶然が過ぎる。見せ場も少ない。
・毎度役柄の違う笹野高史のちょい出演。
・相変わらず友を裏切る満男。
もうゴクミに頼るしかないのか。「ゴクミはつらいよ」である(笑)
日常は日常のままがいい
恋は若殿の特権なんかじゃない
誰でもどんな時でも幸せになりたいと願うもの
型はどうであれ誰だって幸せになっていい
辛くて辛くて苦しくていっそ何処かへ消えてしまいたい
そんな時が誰にだってある
「あーこんな時寅さんが居てくれたらな〜」
でも寅さんは特別なんです、年に一度のお祭りみたいなもの
その時は嬉しくて楽しくてついついはしゃいだりして
でも、祭りが終われば寅さんの空の雲のように流れて消えてしまう
「また来るよ」って言って消えてしまう
それでいい、特別は特別のままがいい
それが日常になったらそれこそ辛い時にどうにもならなくなっちゃうもんね
追伸
御前様の恋の激しさだけで映画を一つ作ってもらえないだろうか
切に願う!
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