男はつらいよ 寅次郎物語のレビュー・感想・評価
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【”人間は何のために生きて居るのか。”寅さんが、深遠な命題に対し鮮やかに答えるシーンと額に汗して働く事の大切さを語るシーンが印象的な佳品。名付けた子の母を共に探すロードムービー的要素も佳き作品。】
ー 今作は、寅さんシリーズでも哲学的な台詞が多く、且つ寅さんが今までは表面上、博たち職工を揶揄うシーンが多かったが、劇中額に汗して真っ黒になって働く人たちの尊崇さを認める台詞や、自身のテキヤ稼業をそれに比するシーンの数々が印象的な作品である。-
・中盤までは、且つてのテキヤ仲間の遺児、ヒデヨシがとらやに来るシーンから始まり、寅さんがヒデヨシと出奔した母(五月みどり)を探すロードムービー的な物語に魅入られる。
特に、大阪の宿でヒデヨシが高熱を出した時に、隣の部屋に泊まっていたタカコ(秋吉久美子)が、懸命に看病するシーンは沁みる。
夜中に医者(松村達雄)を呼び、医者の的確な処置により、明け方ヒデヨシの熱が下がり、峠を越えた事を喜びながら、タカコが言った言葉。”アタシにも、子供がいたのよ。これくらいの。おろしちゃったけど・・。”
タカコのどこか影がある風情を、秋吉さんが見事に演じている。
・終盤、漸くヒデヨシの母を見つけた寅さん。
ヒデヨシが”一緒にオジサンと行く。”と言いながらを舟に乗って柴又に帰る寅さんを追い掛けるシーンは切ない。
だが、寅さんはヒデヨシのために敢えて別れを告げたのである。ヒデヨシに言った台詞が何とも深い。寅さんはテキヤ稼業の儚さ、額に汗して働く尊崇さをヒデヨシに告げるのである。
<今作は、全編に亙り、哀調を帯びたトーンで綴られて行く。
そして、ヒデヨシが母と寅さんを送ってくれた船長と3人で仲良さそうに歩く姿を、テキヤ稼業の仲間達と、物陰からコッソリと見ながら言う言葉。
寅さんも、50代半ばを越えて人生の意味を知って来たのだな、劇中の数々の台詞から分かる作品である。
今作でも、山田洋次監督の脚本が冴えわたり、名言が数々詰まっている作品なのである。>
本連作の下位作はこのレベル。
シリーズの中でも特に良いですね。
寅さんの名言ナンバーワンの元ネタ
1987年12月公開、第39作
寅さんの映画は第7作まではプログラムピクチャーとして数ヶ月毎に不定期での公開でした
それが尻上がりに興行成績が上がり、1971年12月公開の第8作から盆暮れの年2回興行になります
野球でいえば不動の4番の主砲となったわけです
それが1985年12月の第36作まで14年間も続きます
1986年夏の寅さんの映画は一回お休みになったのです
理由は「キネマの天地」の公開がお盆に入ったからです
松竹大船撮影所50周年記念作品なのですから致し方ありません
しかし山田洋次監督作品ですし、渥美清さんも脇役で出演されているのであたかも全編が寅さん映画恒例の冒頭の夢シーンだったかのような趣向になっています
そこから第37作は同年12月、第38作は翌年1987年8月、そして同年12月には第39作の本作が順調に公開され元の年2回興行に戻ります
ところが本作の次の第40作は1988年12月公開になり、また夏の公開がお休みになります
今度の理由は山田洋次監督が別の作品
「ダウンタウン・ヒーローズ」を公開することになったからです
次の第41作は翌年1989年8月公開、第42作は同年12月の公開となり、また元の年2回興行ペースに戻ったかのように見えます
しかし、寅さん映画のお盆興行は第41作が最後になってしまうのです
この頃すでに渥美清さんの体調が思わしくなくなっていたのです
だんだんと劇中の立って歩くシーンが減っていきます
第41作がロケ地がウィーンになったのは時代がバブル景気だったこともありますが、お盆興行はこれでお仕舞いという打ち上げ的な意味合いだったのだと思います
そして第42作からは満男がメインの物語となっていくのです
その意味でも本作はその満男の物語が始まる最初の発端が終盤にあるターニングポイントの作品だと言えます
マドンナは秋吉久美子
本作公開当時33歳
薄幸に疲れた巡回美容部員の風情が見事に表現された演技力をみせます
物語は観ての通り「母を訪ねて三千里」です
冒頭の夢シーンで寅さんが家出するいきさつを紹介して、秀吉が母を訪ねていく過程で、寅さんもまた母のこと、家族のこと、子供のこと、人生の幸せとは何かを考えるという物語です
だから「寅次郎物語」なのです
隆子は淡路島で生まれたという設定です
舞台は和歌山、吉野、伊勢志摩と移って行きます
地図で確かめて下さい
淡路島から伊勢志摩へ一直線に並ぶのです
つまり今は不幸のどん底だと思っていても、本当は幸せへと一直線に続く一本道の途中なのかも知れないのです
とうさん、かあさんと呼び合う喜び
小さな子供が二人の間であどけない寝顔を見せる幸せ
「大事な人生なのに粗末にしてしまった」と泣き崩れる隆子に寅さんはこう声をかけます
「大丈夫だよ、これからいいこと一杯待ってるよ、な」
そう言われて隆子はこう返すのです
「そうね、生きててよかった、そう思えるようなことがね」
そう、これが本作の終盤の寅さんの名言の元ネタだったのです
「生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、そのために人間生きてんじゃねえのか」
この言葉が公開当時に、32年ものスーパーロングパスとなって、2019年の第50作につながるなんて誰が想像したでしょう
ラストシーンは伊勢の二見ヶ浦です
道開きの神・猿田彦大神を祀る「二見興玉神社」があります
海に浮かぶ、しめ縄で強く結ばれた大小二つの夫婦の岩が、夫婦円満や縁結びに効くパワースポットとして有名です
「そのうちお前にもそういう時が来るよ」と、道開きの神様が寅さんの口を借りて満男にそう言われたのかも知れません
素晴らしい余韻が残る名作だと思います
意図的に手を抜いたのかなとも思えるような脚本だと思う。 山田洋次監督は、「何でもない日常を描きたい」 と言っているようだが、 それでは映画にならないのではないかと感じる。
BSテレビ東京で映画「男はつらいよ 寅次郎物語」を見た。
1987年製作/102分/日本
原題:Tora-san Plays Daddy
配給:松竹
山田洋次監督56才
渥美清59才
倍賞千恵子46才
秋吉久美子30才
五月みどり48才
寅さんのテキ屋仲間が病気で亡くなった。
テキ屋の小学生の息子が寅屋を訪ねて来る。
そこへ帰ってきた寅さん。
息子と一緒に蒸発した
母親(五月みどり)を探す旅に出る。
その旅先で秋吉久美子と出会う寅さん。
もちろん惚れてしまう。
ストーリーは以上。
意図的に手を抜いたのかなとも思えるような脚本だと思う。
山田洋次監督は、「何でもない日常を描きたい」
と言っているようだが、
それでは映画にならないのではないかと感じる。
満足度は5点満点で1点☆です。
生まれて来て良かったと思うために
"男はつらいよ" シリーズ第39作。
Huluで鑑賞。
夢のシーンで寅さんが少年時代に家出することになった経緯が少しだけ描かれていた。詳しくは「悪童 小説・寅次郎の告白」またはNHK土曜ドラマ「少年寅次郎」にて(笑)。
死んだ寅さんの仲間の息子・秀吉が、父親の遺言を頼りに柴又まで寅さんを訪ねて来た。なんと寅さんは秀吉少年の名づけ親らしく、彼の蒸発した母親・ふでを一緒に探すことに。
蛇の道は蛇で手掛かりを掴み、和歌の浦~吉野~伊勢志摩と珍道中。そこでマドンナの隆子との出会いもあったりしながら繰り広げられる母親探しロードムービーの行方や如何に?
名言ばかりが飛び出した本作。中でもラスト・シーン、寅さんと満男の会話に本作の全てが集約されていると感じた。
「人間はなんのために生きてんのかな?」。思春期特有の悩みを抱える満男の問いに、こう答えていた寅さん。「(中略)生まれて来て良かったなぁって思うことが何辺かあるじゃない、ねぇ…。そのために人間、生きてんじゃないのか…?」。
悩める甥に対して、真摯に答えようと寅さんなりに真剣に考え、捻り出したこの言葉。まさに金言だと思った。めちゃくちゃ心に沁みて来て、思わず涙が零れてしまった。
人生、いいことばかりじゃない。嬉しいこともあれば、辛いこともある。ある日突然不幸が襲って来るかもしれない。
でもふとした瞬間や日常の小さな出来事だったり、誰かとの出会いが幸せを運んで来ることだってあるかもしれない。
それが人生の面白いところなんだろうなぁ…
嫌なことももちろんあったけれど、嬉しかった出来事なんかも含めて、それらが確実に、自分自身を形づくっている。
それに気づけた時に、生きていて良かったなぁとか、生まれて来て良かったなぁと、実感出来るのかもしれない。
この寅さんのセリフこそ、シリーズを通して描かれているテーマの集大成ではないだろうか。「男はつらいよ」は人生に必要なことを教えてくれる、素晴らしいシリーズだと思う。
※修正(2024/07/05)
桂梅太郎。それがタコ社長の名前だった。
なんだか満男のエピソードのほうが印象的。男の子に寅さんについて語るシーンとか、大学受験も控えた思春期らしい悩み事で家族を迷わせたりとか・・・最後にもポンシュウに対して寅の口から飛び出す「人間は何のために生きている?」という哲学的問題。満男にはすぐ答えていたのに・・・
郡山から一人で訪ねてきた男の子の名前は秀吉。実は寅さんが名付け親だった。母親を探すために秀吉と二人で旅立った寅さん。その秀吉が旅行中知り合った秋吉久美子と一つの部屋で看病する。引退した医者しかも耳鼻科の医者を連れてきた寅さんのエピソードがとてもいい。寅さんのことを「父さん」と呼び、寅さんは「母さん」と呼び合う仲になった。実は「男を断って」と語る秋吉に「じゃ、俺は女を絶つ」などと切り返す寅さん。
おふでが伊勢志摩にいる情報を耳にして、隆子とは別れ、二人で母探しに向かう寅と秀吉。ここからはありふれた“生き別れの親子対面”という流れであるし、病気療養中だという設定もそれほどのものではないが、やはり涙が出てくる。いっちゃん最後においしいところを持って行ったのが船長のすまけいだった。
人は、何の為に生きているのか
シリーズ39作目。
残り10本。いよいよカウントダウン!
OPの夢は、寅さんの少年時代。
親父に折檻され大喧嘩し、さくらの「お兄ちゃん!」を後ろ背に、旅立つまで。
寅さんファンなら誰もが知るエピソードを、無声映画風に。
尚、今月からNHKで、寅さんの少年時代を描いたTVドラマ『少年寅次郎』が放送。こちら、見てみよう!
満男が柴又駅で出会った一人の少年。
寅さんを訪ねて来たらしく、あまりの奇遇さに満男は飲んでいたジュースを吹き出してしまう。
遥々福島県郡山市から…って、私が住んでいる町ではないか!
なので、いつも本作を見るとこの秀吉少年に親近感を感じてしまう。
かの天下人のような大層な名前の名付け親は、寅さん。内向的な秀吉くん、名前負け…かな。
寅さんのテキ屋仲間の息子。が、ろくでなしの父親は死に、苦労続きの母親は蒸発。つまり、孤児(みなしご)。
父親から、俺が死んだら柴又の寅さんを訪ねろ…と言われてこうして来たのだけれど、
とらや一同、困惑。
そんな時帰ってくるのが、この男!
寅さんあるあるだと、「誰だ、このハナタレガキ…?」と言う所だが、珍しく秀吉の事を覚えていた。
事実を聞くなり、母親を見付けてやる事を約束する。
早速テキ屋ネットワークを使い、母親の足取りを掴む。
秀吉を連れ、母親を訪ねる旅へ。
和歌山県~奈良県吉野。
女中をしてた旅館を方々訪ねるが、何処もすでに居ない。
道中、秀吉が高熱を出して寝込んでしまう。
老医者(演・松村達雄)から、「何でこんなになるまで放っといた!?」と怒られるくらい病状悪い。
が、色々助けもあって、何とか回復。
寅さんと秀吉少年の旅は、心配した通り心配だらけ…。
そんな時有難いくらい力になってくれたのが、旅館の隣室に泊まっていた一人の女性。名は、隆子。
寝込む秀吉に一晩、付きっきりで看病。
隆子は寅さんと秀吉を実の親子と勘違い。老医者や旅館主は家族と勘違い。
そんな誤解もあって、ついつい互いを「父さん」「母さん」と呼び合う。
心配して電話を掛けたさくらはそれを聞いて呆然…。
心優しき隆子だが、実は彼女も訳ありで…。
マドンナ・秋吉久美子が色っぽさも滲ませて好演。
秀吉の母親が今居る所が、三重県伊勢志摩と判明。今度こそ、間違いない。
果たして、薄幸な母子の再会は…?
人情物語故、結末は予想通り。
寅さんの善意に、御前様からも惜しみないお褒めの言葉を。
母と子の涙の再会もさることながら、
役目を終えた寅さんと秀吉の別れも涙を誘う。
本作や『菊次郎の夏』もそうだが、堅気じゃない男と孤独な少年の交流はグッとさせられるね。
母親に五月みどり、病床の彼女を温かく世話する真珠店の女主人に河内桃子…ゲストも豪華。
本作で美保純演じるあけみが最後の出演なのは残念で寂しい。(でも、年末の新作にカムバック!)
寅さん版母を訪ねて…なロードムービー。
マドンナとの仄かな恋慕。
みなしごを母親の元へ送り届ける…とは聞こえはいいが、孤児の保護施設からは現実的な注意も。
本作も安定のシリーズの一作に見えて、実は非常に奥深いテーマに踏み込んでいる。
孤独な少年。
薄幸のその母親。
隆子も男に捨てられ、どうにでもなれ…と思っていた。
満男も進路で思い悩んでいた。
人は、何の為に生きているのか。人の幸せとは…?
終盤、満男がおじさんにズバリ聞く。
「人間って、何の為に生きているのかなぁ…?」
「あぁ生まれて来て良かったなぁって思う事が何べんかあるだろ。その為に生きてるんじゃないのか」
苦楽を経験した事の無い幸せ者や裕福者には響かないだろう。
でも、苦楽を経験した事ある人には…。
ふとしたきっかけからの出会い、再会、別れ、人助け、優しさ、幸せ…。
寅さんだから言えるこの台詞。しみじみと。
個人的にこの台詞は、シリーズでも一番。
…いや、映画好きになって多くの映画を見てきたが、中でもBESTに挙げてもいいくらいの名台詞!
昔、知人にこの台詞を聞かせたら、下らねぇとばかりに小馬鹿に失笑された。
コヤツだけではなく、結構色んな人にこの台詞を聞かせる事があるのだが、ほとんど笑われる。
笑うなら笑えばいい。馬鹿にするなら馬鹿にするがいい。
でもきっとコイツだってその他知り合った人たちだって、そう思えるひと時がいっぺんでも無いと言ったら、それは嘘だ。
人は、何の為に生きているのか。
そう。人は、生きて来て良かったと思える幸せの為に生きている。
ありふれて、とても深い。
素晴らしかった
寅と名付け子の秀吉が旅をする、ちょっとした里親展開で泣ける。実母の勤める真珠屋のおかみさんや島に渡る船の船長が人情に厚くて、今回は特におばちゃんも情の深さが全開で泣けたのだった。素晴らしい傑作なのだけど、先日読んだ滝口悠生さんの『愛と人生』で盛大にネタバレしていたので、なんだか残念だった。この映画を見てから読みたかった。
(追記)
東京新聞サイト「すくすく」で連載中の『里親映画の世界』で紹介するために見返した。改めてみてストーリーがとても面白い。キャストもいい。シリーズ屈指の傑作ではないだろうか。
寅さんが子どもを連れて歩いているのもいい。寅は子どもを子ども扱いしないのだけど、目線の高さが一緒なので楽しそう。前に見たときは、寅は子どものままだなと思ったのだけど、改めて2回目では、別れの場面で芽生えた愛着を無理矢理断ち切ろうとしていることに気づいた。それが父性なのかはわからないけど、秀吉と別れがたく思っていたのはよく分かった。
満男の成長
人間はなんのためにいきてるのかな
なんていうのかな
ほら 生まれてきてよかったなーって思うことが何回かあるじゃない そのために人間は生きてるんじゃないか?
そのうちお前にもそーいう時がくるよ
最後の最後に重いテーマ
考えさせられる作品でした
第39作。吉岡秀隆、もう高校生、早い。そして今回、最後に重いテーマ...
満男「人間は… なんのために生きてんのかな〜」
人は生きている間に幾つかの心から感動するときに出会う
自分のこと、親のこと パートナーや子供や友達、もしかしたらそれ以外の人なのかも知れない
そんな時に心底「生きててよかった〜〜」と思ったなら、その時が人の生きている意味になるのかも知れませんね
欲望を満たすだけでは得られないものなのでしょうね。
追記
何度も見ていてどうしても語りたくなるシーンがあります
母を探す旅の途中 安宿で珍しく酔った寅が般若の政の位牌に向けて語るシーンです
死者へのはなむけの言葉じゃなく生きている私達に語りかけているんだな〜と
「もっと大事にしっかりと今を生きるんだぞ」
そう寅さんが言っているように思えてなりません
死んでしまった人は戻らない、せめてその人のことを忘れずにいたいものです
良いにせよ悪いにせよもう仏なのですからね
でわでわ
ネットで見た!
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