男はつらいよ 奮闘篇のレビュー・感想・評価
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幼児◯愛者ではない。だから、マドンナではない。
『フェイクでも、エンターテイメント』でも良いのだが、描くストーリーは当時の最底辺に位置する人々である。
そして、決定的な誤りは、『なぜその地方の人々が集団就職しなければならないのか?』その問題点の解釈である。
その問題点をあらわにせぬまま、満身創痍で都会に出なければならなくなった人々の『血のにじむ様な苦労』をただ単に『哀愁』や『笑い』に変えてしまっている。
そして、この地方の多くはは過疎地と呼ばれる様になり、誰も居なくなったその跡地には、都市に送る為のエネルギーを生み出す建物が立ち、かろうじて村祭が営める数の人々が住む場所になっている。
まぁ、今が幸せならそれでも良いが、そこへ天災が及ぶと『かしこみ!かしこみ!』と唱えなければならなくなる。
さて、
その問題点とは減反政策である。国は1971年からそれを始める。富国強兵を考える上でもやってはいけない事に僕は感じるが。
さてさて、現在の大和民族の現状は?
何度も申すが、絶滅危惧種そのものになって、食料自給率は激減して、今更、少子高齢化問題とかのたまっている。問題は1970年代に始まっているのに。
追記 東京のおもちゃ工場で思い出した。その前の歯医者に8月19日に予約入れていたのをスッカリ忘れていた。
どうしよう?
榊原るみは可憐だが、コメディ映画の役割とは思えなくて。。。
1974年4月公開。シリーズ7作目。
GW、盆と正月、親に連れられ寅さんを観ていた。
懐かしい。
監督:山田洋次
脚本:山田洋次、朝間義隆
音楽:山本直純
本作から朝間義隆が脚本にクレジットされ、最終作まで続く。
朝間義隆と言えば、『幸福の黄色いハンカチ』が余りにも有名だ。高倉健を新たなステージに導いた名脚本だ。
「男の悲哀」「弱さ」「潔さ」「逡巡」
をセリフや仕草で表現するのが抜群に上手い。
お世辞にも二枚目とは言えない渥美清に、
国民が感情移入できた理由は、
朝間義隆と山田洋次が作品にかけた魔法にある。
渥美清、倍賞千恵子、前田吟に加え、
ゲストは、
【寅さんの実母・菊】:ミヤコ蝶々
【太田花子】:榊原るみ
【冬子(御前様の娘・初代マドンナ)】:光本幸子
【福士先生】:田中邦衛
ほかに、林家小さん、犬塚弘など。
◆寅さんの実母が、関西弁バリバリのミヤコ蝶々という変化球
◆さくらが異母妹であることをサラリと紹介
◆集団就職(地方と都会の格差拡大)
◆障がいを持つ女性をヒロイン役に設定
◆さくらのお出掛けモードファッション
(倍賞千恵子さん、素敵ですね)
障がいを持つ人をメインキャストに設定するのはなかなか難しいと思う。
演じた榊原るみは当時23歳、とても可憐で無垢な演技を無難にこなしている。
山田太一の『男たちの旅路』シリーズ『車輪の一歩』が正面からぶつかった代表作とするなら、
本作も、地方との格差と併せ、ひとつの問題提起をしたと思える。
山田洋次と朝間義隆の意欲を感じる。
だが、『男はつらいよ』はコメディに徹してほしい気がする。
腹を抱えて笑いたいからだ。
社会性のあるメッセージが含まれると、心から笑えない。
迷ったが、☆3.5としたい。
※ここからは余談
音楽を担当し、主題歌を作曲した山本直純は、
昭和の時代、クラシック音楽を身近に感じさせた功労者だ。
「大きいことは良いことだ〜」のCMは有名。
その昔、山本直純さんの死後、
山本直純さんが設立した音楽事務所であるオズミュージックと仕事することがあった。
みなさん、クラシック畑なのだが、
カラオケに行くと必ず、
「〽お〜れ〜がいたんじゃあ、お嫁に行けぬ」
が始まったのが、涙が出るほど懐かしい。
本シリーズを観るたびに思い出す。
【粗にして野だが卑ではない男、寅さんの弱き人への優しさが溢れた逸品。知的障害を持つ青森の少女がマドンナと言う今までにない設定と彼女の先生を演じた田中邦衛さんの姿も嬉しき作品である。】
■柴又に寅次郎の母・菊(ミヤコ蝶々)が訪れるが大ゲンカとなり、寅次郎は再び旅に出てしまう。
彼は紡績工場へ出稼ぎにきていた花子(榊原るみ)と出会うが、津軽に帰りたいという彼女にとらやの住所を渡す。
その後、花子は「寅さんのお嫁さんになりたい」と柴又にやって来る。
◆感想
・冒頭、青森から集団就職する学生たちに寅さんが”困ったら、柴又の寅屋に来いよ!”と励ましの言葉を掛けるシーンから始まる。
寅さんの善性が溢れているシーンであると思うし、作品構成を見ても巧いと思う。
・花子を演じた榊原るみさんは、どこかで拝見した記憶があるが、多分(この時点で)一番若いマドンナだと思う。ハイトーンの歌声が美しい。
・花子は寅さんやとらやの人達に大切にされるが、東北の学校の先生(田中邦衛)が引き取りに来る。このシーンでの田中さんの演技(朴訥とした、口調も良い。)が、花子のことを心から心配し、大切に思っている事が良く分かるのである。
<今作の再後半では、寅さんからの寂しげなハガキを読み、心配したさくらが青森に行くが、花子の元気な姿を見て安心し、ラストは元気そうな寅さんがバスに乗って来ることで終わるのだが、山田監督の脚本(当時は、”原作”とテロップに出るのが新鮮。)が今作でも冴え渡っているのである。>
シリーズ第7作‼️
全50作からなる「男はつらいよ」シリーズの中でも個人的に五本指に入る、大好きな作品‼️今回のマドンナは榊原るみさん演じる少し知恵遅れの津軽娘・花子。寅さんがそんな彼女の "保護者" になろうとするお話‼️冒頭、雪景色の北国で集団就職の学生たちを見送る寅さん‼️寅さんの母親・お菊のミヤコ蝶々さんが再登場、さくらに涙ながらに感謝するシーンはホント感動的‼️さすが寅のお母さん‼️サングラスと付け髭で変装した寅さんがとらやに探りを入れるシーン‼️大爆笑‼️花子の働き口を世話する寅さん‼️河川敷での花子のセリフ「私、寅ちゃんの嫁っ子になるかなぁ」‼️花子が帰郷したことを知らない寅さんに、アタフタするとらやの皆さん‼️「知りませんか?とは何だ?」‼️そして寅さんととらやの面々のやり合いを和ませる第一作のマドンナ、光本幸子さんの存在感も素晴らしい‼️そしてやはり、この作品の白眉は終盤の青森・津軽の描写でしょう‼️花子が自分の元から去った寅さんの寂しさや、兄が自殺したんじゃないかと心配するさくらの心情が、津軽の寂れた風景にマッチした素晴らしい名シーン‼️いつまでも心に残ります‼️
「夏になったら鳴きながら必ず帰ってくるあの燕さえも 何かを境にパッタリ姿を見せなくなる事だってあるんだぜぇ〜」‼️
寅さんが結婚する!?
マドンナは榊原るみ
寅さんは旅先で花子という少女と出会う。
彼女は障害を抱えていたが純真で素直な子だった。
やがて花子は柴又のとらやを訪ねていく。
そして帰ってきた寅さんと再会する。
寅さんはやがて彼女と結婚しようと考える。
しかし田舎から学校の先生が彼女の元に訪ねてくる・・・
ちょっと中弛みかな
青森から出てきた田舎娘が都会で挫折。
しかも少し頭が弱いという設定の榊原るみさん。
帰ってきたウルトラマンの人やん!
映画の展開的にはちょっと物足りなかった。
この当時、まだまだ田舎の貧困と都会の発展で光と影が鮮明に浮き彫りになっている時代背景がよく分かる。
田舎の子たちは口減らしや稼ぎのあてとして中卒で都会へ出て行かされる。
集団就職のブームに乗らされ、地元にいたくても、勉強をしたくても、そんな思いは叶わない。
高度成長期とは言え、まだまだ日本は発展途上だったと気付かされる。
人情映画の寅さんだからこそ、庶民の鏡となるこの映画。
ただおもしろい!と片付けるには全然足りないと思う。
7作中、一番の秀作
本作は、シリーズ7作目だが、一番の秀作と評価します。笑って、泣けて、ラストもスッキリです。榊原ルミが、すごく可愛いです。もちろん倍賞千恵子も美しく、惚れてしまいそうないい女、いや、この表現は、不適切ですね、素晴らしい女性を演じています。各地(青森含む)のリアルな方言を駆使した、寂寥感漂う田舎の描き方は、山田監督ならでわです。
今のご時世に観ると許されない人助けだが寅さんだからこそ。いつもとち...
今のご時世に観ると許されない人助けだが寅さんだからこそ。いつもとちょっと違うマドンナの扱いもよかったと思う。母親菊子の絡みも愛情が溢れている
寅さん探して三千里?
"男はつらいよ" シリーズ第7作。
Huluで鑑賞。
榊原るみの魅力が爆発。めちゃくちゃかわいかったです。純真無垢、天真爛漫な感じを出すのが上手い。そもそも、本人が実際に身に纏っていた雰囲気なのかもしれません。
「寅ちゃんのお嫁さんになる」。珍しく向こうから言ってくれたのに、またまたいつもの如く失恋した寅さん。今回は振られたわけではない感じでしたが、寅さんかわいそう。
花子を訪ね、暮らしぶりを確かめてひと安心。でも傷心は変わらないので、遺書めいた葉書をとらやに送る始末。さくらが探しに行くも、ピンピンしているのが寅さんらしい。
シリーズ物ならではの粋な趣向が見られたのも面白い。1作目のマドンナ・冬子が再登場しただけでなく、寅さんの産みの母・お菊が何十年かぶりに柴又に帰って来ました。
寅さんから近々嫁を貰うと云う内容の葉書をもらったからでしたが、はてさて、どの時のことを言っていたものやらと悩むおいちゃんたちの姿を見るにつけ呆れるばかり。
再会も、寅さんの過剰な照れ隠しのせいで口喧嘩になってしまう。親の心子知らずと言うより、親の心子知りつつも素直になれず、か。ふたりはやっぱり親子だなと思いました。
※修正(2024/05/18)
寅ちゃんの嫁っこになる
シリーズ7作目。
今回のマドンナ・榊原るみは、特撮ファンなら誰もが知っている、『帰ってきたウルトラマン』の郷の恋人役である。
まず、序盤のエピソード。
寅さんの実母役でミヤコ蝶々が第2作目以来の登場。
寅から「近々嫁を貰う」との便りを貰い、自身も久々に柴又へやって来た。
さくらを寅の嫁と勘違い。考えてみれば、寅とさくらは異母兄妹。さくらと寅の実母はこれが初対面。改めて、複雑な家族関係である。
実はその便りは1年前のもの。
1年前は誰にのぼせてたんだっけ?…と、これまでのマドンナを思い出すとらや一同が面白い。
また、第1作目のマドンナ・光本幸子(御前様の娘)も顔出し出演する。
ほどなく寅も帰って来て、渋々ホテルに泊まっている実母に会いに行く。
相変わらずバカ丸出しの我が子にガッカリする母。
まともに生きてりゃ今頃、お嫁さんを貰って孫の顔でも見れたのに…。
やはりと言うか、親子喧嘩。
テメェがあっと驚くようないい嫁さん貰ってやる!…と啖呵を切って、ぷいと旅へ。
今回はこの“お嫁さん”が騒動になる。
旅先で、寅は一人の若い女性と出会う。
ちと様子がおかしい。
気になって事情を聞いてみると…
名は、花子。発育遅れ。
青森の田舎から出稼ぎに来たが、悪い環境から逃げ出し、青森に帰りたくても帰り方が分からず困っていたという。
同情した寅は交番のお巡りさんとお金を出し合って切符を買ってやり、帰り方を教える。
ちゃんと分かってるのかどうか…?
それでも心配の寅は、もし乗り継ぎの東京で迷子になったら、“かつしか・しばまた・とらや”を訪ねろと見送り出す。
一方のとらや。
そこへ、花子が訪ねて来て…。
それからすぐ、寅さんも帰って来て…。
とらや一同大困惑。
寅はここで花子の面倒を見ると言い出し…。
発育遅れではあるが、とてもいい子の花子。
かと言って幾ら何でもここにずっと置いとく訳にはいかず、花子から聞いた花子の事をよく知る青森の学校の先生に連絡を取る。
寅は花子の面倒で大忙し。
仕事を探してやるも、余所の男がちょっとでも話し掛けてきただけでも追い払う、超過保護ぶり。
おばちゃん曰く、寅さんの「花子~」という声を聞くだけでうんざり。
そんなある日、寅は花子から「寅ちゃんの嫁っこになる」と言われ…。
いつもならマドンナに一方的に想いを寄せる寅だが、マドンナの方から好意を寄せられた初の展開。(今後、シリーズでは何度かあり)
喜ぶべきところだが、とらや一同は素直に喜べない。
ヤクザな男と発育遅れの女。
差別・偏見的な見方も見受けられるが、もし、我々自身の身内だったら…?
すっかりその気になり、舞い上がる寅。
が、そこへ、青森から先生が迎えに来て…。
花子は先生と青森に帰った。
激怒する寅。
俺と一緒になるより、田舎に帰った方が幸せってのかよ!
悲しい事だけど、そうなんだよ、寅さん。
寅さんもとらや一同も親切だけど、見知らぬ土地に居るより、故郷でよく知ってる保護者の傍に居る方がいい。
寅はとらやを飛び出す。
とらやに寅から便りが。まるで自殺をほのめかすような…。
さすがに心配になり、さくらは差し出し先の青森の花子の居る学校へ向かう。
先生の保護の下、花子は用務員のアルバイトとして働いている。
明るく、元気に。
それを見て安心するさくら。
やはりこれで良かった。
実は寅もここへやって来て、花子の姿を見ると安心して、しかし悲しげに帰っていったという。
その後、ひょっとしたら…。
近くで入水自殺があり、ますます心配が募るさくら。
そんな時、ばったりと…!
今回も結局“フラれた”寅さん。
先生には奥さんが居て色恋沙汰と言うより、花子の幸せの為に身を引いたと言った方が正しいかも。(先生役に、田中邦衛。この人の人柄滲む好演)
フラれてもフラれても。
死にゃあしねぇよ!
そう笑い飛ばす姿こそ、寅さん!
とてもよかった
知恵遅れの女の子がヒロインというなかなか踏み込んだテーマだった。寅さんは彼女を守る人生を選択できていたら幸福だったように思う。俺も成人女性を守りたいという気持ちになったことが全くなく、子供は大いに守りたいのだけど、それというのも成人女性はご自身で自力でどうにでもできるからなので、手助けを必要としている存在の方が愛情を注げるかもしれない。愛すべき存在に対して身を砕いてがんばるのはとても楽しいので寅さんもそうできていたらきっとすごくよかったと思った。
さくらが津軽を尋ねるなど大活躍で今回も美しかった。みつおが2歳くらいになっていた。
寅さんが田舎から上京する人みんなに寅屋を紹介していて、本当にみんなが訪ねて来たらおいちゃんおばちゃんが大変なことになる。
成長神話の外側の人々
冒頭、新潟県の山村で集団就職の旅立ちを描く。自分が生まれた時代にはまだこのような経済情勢であったことに驚く。この地方からの労働力こそが日本の高度経済成長のラストスパートを支えた。
この作品は当時の日本の社会経済を映画のあちこちに描き込んでいる。このことは、映画が寅次郎と彼の周囲の人間を通して、何を描いているのかを考えるときに、非常な重要なものではないか。
寅次郎と花子が百貨店をぶらつく場面がある。経済成長がこのような大型の小売店を出現させた。しかし、このシークエンスが描くのは、この二人が買い物をすべき場所ではないことであり、このことが社会経済の変動に撮り残された人間の姿を際立たせている。
映画は、この二人がなぜ経済成長に取り残されているのかを描き切っている。
花子も労働力としての期待をされて故郷を離れた。しかし、彼女にはその期待に応えるだけの資質が備わっていなかった。
寅次郎も、今作での言及を待つまでもなく、産業社会では生きてはいけぬ人間である。隣家の印刷工場の職工たちに向かって「労働者諸君!」と偉そうに声をかけるのは、自分がそうした産業資本主義の部外者であることを自覚している証に他ならぬ。
産業社会の内と外にそれぞれの住人がいて、一方にとっては自明のことでも、他方にとって不条理なことを、いくつもの具体例を出して映画は語る。
花子が青森に帰っていったあと、柴又の人々が寅次郎に事情を説明する終盤のシーン。カメラは最前で悔しさをにじませる寅次郎ではなく、背後で困惑する桜たちにフォーカスしている。ほとんどの観客にとって、感情移入しやすいのは寅次郎を説得することに苦心する家族たちである。寅次郎の感情は理解できても、その行動や判断には同意しかねるこの人々の心象を映し出した見事なワンカットである。
2年たらずではや7作目、すごい人気だったんでしょうね。 安定の展開...
2年たらずではや7作目、すごい人気だったんでしょうね。
安定の展開。面白いには面白いのだが、今回は1作目のようには感動できなかった。
慣れてしまったがためか、ミヤコ蝶々がちとうざかったか(笑)、知的障害という微妙なテーマがあったからか…
男はつらいよの感動の根幹は、家族愛。とりわけ、さくらの兄への愛なのです。そんなさくらを殴っちゃダメ!1作目とは状況が違うのです。
そんなひどい仕打ちを受けてなお、やきもきしつつ兄を想うさくらのエンディングの表情。倍賞千恵子、絶品(別嬪)です。
東京のおもちゃ工場です
映画「男はつらいよ 第7話『奮闘編』」(山田洋次監督)から一言。
(封切日:1971年4月28日)
地元、シネコンのオープン記念で観ることが出来た。
今から35年以上前の作品だから、逆に面白いシーン満載。
先日、紹介した当時の沼津駅前の様子もわかる貴重な映像は、
時代の証人としての役割も担っている気がする。
今回、この映画の冒頭シーン、寅さんが東北のある駅で
若者たちとこんな会話をする。
「集団就職か?」「はい」「どこへ行くんだ?」
そして元気よく「東京のおもちゃ工場です」と答える。
そうかぁ、40年前の日本はこんなだったんだ、と
ひとりで面白がって、メモをした。
今では、餃子でさえ中国で作る事態になった。(汗)
「男はつらいよ」って歴史映画かもしれないな。
なんたって、寅さんのお母さん役を演じる
「ミヤコ蝶々さんのミニスカート姿」も拝見できる。
そんな視点で見ると、また違った楽しみが映画にはある。
(おまけ)
「ちょっとも変わっていない」という台詞があった。
「ちっとも変っていない」と違うのだろうか。う〜ん、気になる。
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