うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーのレビュー・感想・評価
全56件中、1~20件目を表示
時々話題になるので観てみましたが面白かったです 内容や全体的な雰囲...
時々話題になるので観てみましたが面白かったです
内容や全体的な雰囲気はうる星やつらでは全くないのに、うる星やつらのキャラたちでしか成立しない展開となっていました。
うる星やつらを知らなくても楽しめる作品だと思います。
夢の世界に生きるのは・・・まぁ「無し」ですね
人間の幸福には飽きがくるし、自分の想像の範囲内でしか何も起こらない
そんなのはごめんです
伝説のアニメ
初見です。私が中高の時うる星やつらは大人気でサンデーやアニメで、ちょいちょい見かけた程度です。TVアニメは終盤につれて実験的な作風が目立つようになりました。いきなり町が戦場になったり、夕暮れの電車内心象風景など押井監督の趣味が、この劇場版への伏線だったように思えます。この作品が無ければエヴァンゲリオンも生まれてなかったような気もします。
実験的なストーリーでもエンタメとして成り立っているのは高橋留美子のキャラが際立っているからでしょう。やはりいい漫画ですね。
サクラ先生の声がハマってるなぁと思ってたら鷲尾真知子さんが声だったなんてテロップ見て、びっくりしました。
サクラ先生のバイクの疾走シーンや面堂家ハリアー戦闘機の飛行シーンは爽快でした。
動く絵の面白さを再発見しました。
ここは上手いアニメーターが描いておられるのでしょう(板野一郎さんだったり)
大人になっても残る夏の日の夢
長い間の評価は変わらない
誰もが持っている10代の思い
失われない夢のあった夏の日。
劇中見せる普通のアニメには無い
場の心情や空気の温度を表す表現
子供向けでは無い大人対応の表現
仲間と戯れあって喧嘩して恋をして、
その時、彼らは何を見つめ感じ
大人になっていったのか
その表現はこちらが歳を重ねても
残っているのに驚く。
日本のアニメが他を寄せ付けないのは
こういうところにも有ると思う。
押井守監督はこの後
もっと深い世界へと
我々を誘ってくれた。
※
あの夏を思い出す
数十年前、小学生のころ、夏休み映画劇場みたいなので初めて見た。
いつものうる星やつらと全然違うテンションで、あの頃はおもしろくない、と思ってしまった。
あのループしているときの無気力な感じの気持ち悪さと、アタルがラムちゃんを大切にしていることをすんなり口にしてしまったことの残念さ。そんな記憶が残っていて、今まで観てこなかった。
ふと、思い出してひさびさに観た。
めちゃくちゃ面白かった。あのとき感じた気持ち悪さの正体は、子供の頃はこのループは当たり前だと思ってたからか。
毎年夏休みが来て、友達とおもいきり遊んで、両親も家族もみんな元気でダラダラ毎日がお気軽に続く。
大人になって、あのループは夢であり地獄だと気付いた。
夢から覚めたとき、それは別の夢の中にいるだけなのかもしれない。
うる星やつらは原作も読んでいないしテレビシリーズも観ていない。
本作は特殊な位置づけとして語られている印象だが、比較ができない。
それぞれのキャラクターを知らなくても楽しめた。
「学園祭前日が繰り返される」という話なのだが、いわゆるタイムループのように同じ出来事が繰り返されるわけではない。
「自分の好きな人たちと楽しくずっと過ごしたい」という願望が実現した世界が描かれる。
本作が製作されたであろう1983年はどういう時代だったか。
東京ディズニーランドが開園。
ファミコンの発売。
「おしん」が大人気。
なんとなく、景気のいい感じがする。
日本の安定経済成長期と呼ばれる時期だ。いわゆる「一億総中流」という意識があった時代だったのかもしれない。
それを踏まえると、「自分の好きな人たちと楽しくずっと過ごしたい」というのは、時代の空気とも言える。それを表現しているのではないだろうか。
本作の登場人物たちは、永遠に続く楽しい日々を受けとめ、満足する。
しかし、そこに違和感を覚える人々もいる。本作ではこれが夢であることを見抜く人物が現れる。
夢から覚めた時、それは本当に現実に戻ってきたかどうか、どうやったらわかるのだろうか。
本作では「夢」という空間を題材にしているが、人間は自分の知識や思考の中で生きている。それは夢の中に生きているのと似ている。なんらかのきっかけで、自分の考えに変化があらわれるとして、それは成長と呼ばれる。それはひとつの夢からさめた状態には違いないが、あたらしい夢のはじまりでもある。
そう考えると、人間は夢からさめることはないのかもしれない。
夢からさめると言えば、「マトリックス」(1999年)もカプセルの中にとらわれた人間たちが、仮想世界マトリックスから目覚めるために戦うというものだった。この作品が押井守の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995年)から影響を受けているのは有名な話だが、終わらない夢から目覚めるという意味では「うる星やつら2」にも類似しているかもしれない。ウォシャウスキー兄弟が本作を観ているかどうかは不明だが。
1984年という時代を振り返ると、当時の自分自身のことを考えられずにはいられない。それはセンチメンタルに彩られたものになりがちだ。そういう意味では、冷静な判断がむずかしい作品だったが、観ることによって記憶が刺激されたという意味では良い作品だったとも言える。
我が人生NO.1のアニメ作品
新宿東口映画祭 2024『#うる星やつら2ビューティフルドリーマー 』(1984年)を映画ライターの #よしひろまさみち さんトークショー付で公開40年目にして悲願の劇場大スクリーン、しかも貴重な35mmフィルムで鑑賞。(尚、当時は劇場公開と同時に場内でビデオ(14,000円)も販売しており、その貴重な告知も本編上映後に上映してくれました)
テレビモニターやタブレットでは判別できなかった細部の発見も多かったです。感謝。
第1弾の『#うる星やつらオンリーユー ・ユー』(1983年/同時公開 #相米慎二監督 『ションベン・ライダー』)は連れて行ってもらえたのですが、第2弾の本作品(同時公開 #吉川晃司 主演『#すかんぴんウォーク 』)は劇場では観られず、ガッカリして当時流行っていた「フィルムコミックス」(上下巻 各680円)をなけなしのお小遣いで購入、一言一句違わず完璧にセリフを覚えましたね。
当時10歳の私には『オンリー・ユー』のようなオールキャスト総出演のドタバタスラップスティック・ラブコメディとは全く違う世界観に驚くと同時に、とにかく思いっきり背伸びをして何とか理解しようと懸命に努めてました。
SF、コメディ、パロディをはじめ「荘子」の「胡蝶の夢」、フランツ・カフカの「変身」などの文学、フェデリコ・フェリーニ、ジャン=リュック・ゴダールなどのヌーヴェルヴァーグ作品や岡本喜八監督、実相寺昭雄監督などの様々な映画作品、果ては哲学、宗教とありとあらゆるジャンルがクロスオーバー、正解のない観客に委ねるシーンも多く、確かに10歳児には超難解でしたが、背伸びすることで視野が広がって得られたことも多く、以後の私への影響は計り知れない作品でしたね。
トークショーでは同作品がインスパイアされた作品としてイギリスのTVドラマ『プリズナーno6 』 だと判明して納得、ずっともやもやしたものが晴れました。
今でも同作が傑作と呼ばれているは 高橋留美子 先生の原作漫画とキャラクターの超強力なパワーと、押井守 監督の独自の世界観が化学反応を起こした奇跡ですね。
私も50年以上生きてきて本作を超える劇場アニメ作品にはまだ出会えておりません。
劇場で鑑賞できてホント良かったです。
40年前にこの発想か、すごいかも
押井守の黎明期の名作と聞いて鑑賞。なるほど哲学風味とファンタジーの塩梅がいい。その後に影響を受けたであろう作品群も思い浮かぶ。ラムちゃんにリアリティー求めるのは無粋だが、没入はできなかった。
押井守味のうる星やつら。胡蝶の夢。
内容は、高橋留美子作品のうる星やつらの映画化。押井守監督・脚本が良くも悪くも感じられる。素晴らしい作品。夢がテーマの作品でセルアニメーションの極地とも言える素晴らしさ。40年前の作品とは思えない程の完成度。当時の人はこの作品に心底やられたらしい。それ程までに素晴らしい押井守味の映画です。
印象的な台詞は『好きな人を好きでいる為に自由でいたいのさ!』主人公諸星あたるの台詞。ラムへの深い呪いとも言える愛情が80年代を感じさせます。
印象的な場面は、一番最初の方に映る荒廃した友引町で、ほうけた主人公諸星あたるの顔が印象的でした。一番現実世界を望んだのは、主人公だったのかもと感じられる場面は、二度見する程素晴らしいです。
印象的な、状況はテーマの設定です。良くも悪くも押井守味の作品。考えさせられる難しいテーマは面白いです。実存主義・認識論・胡蝶の夢・ドグラマグラ・仏教感などをトレースしたホラー感たっぷりの印象は面白いです。
当時の映画館では観ることは出来なかった作品ですが、もう伝説に残る程の素晴らしい96分。三幕構成で基本をしっかり押さえながらも最後にタイトルの出る演出にはカタルシスを感じました。ビューティフル ドリーマーこの意味が心に深く響くセルアニメーションでは考えられない程の表現と内容には色褪せないものを感じます。
この映画のテーマは今この映画を楽しんで見ている一人一人に、今この時こそ夢かも知れないと伝えたい様でした。
『夢は見ている間はやけにリアルだからな』
『善悪は用いる人の心の中にあり。詭弁だ!』
『ラム抜きのハーレムなど不完全な夢!』
『わしが作るんはその人が見たい夢だけや!』
押井守味の台詞はその世界に引き込まれます。
傑作
どこか浮いたような不思議な感覚が全体を包む。
現実から切り離された解放感と閉塞感、喧騒と静けさ、あの頃に共有されていた確実で曖昧な空気。相反する様々な要素が、天才的作画とショットの連続で展開する。
風鈴が鳴り響く迷路に迷い込んたしのぶを、アパートの窓から見つめる男は誰?
終わらない夢のような学生運動に明け暮れながら、大きな時代の流れとともに青春の時代が終焉を迎えることを察知している。迷路の出口を探すあの頃の自分を、時空を超えて見つめているもう一人の自分のようだった。
夢が終わり廃人のようになった冒頭のあたるの表情、小さなラムから「責任取ってね」と告げられたショッキングなシーンは、もうトラウマ級のホラーだった。
さて。お馴染みのキャラたちに、あるべきコードに従ったセリフを言わせながら、押井はそのフォーマットを使って自らの精神の自由を提示した。
原作がこの上ない魅力と包容力を持つからこそ、原作のアイデアに溺れず、押井は自分自身の才気を十全に発揮できたのだと思った。天才留美子の天才押井バージョン。いやもう最高でしょ
かなりいい
コメディゆえの自由さがかなりいい。
ドラえもんやコナンよりクレヨンしんちゃんの映画の方がクリエイティブな自由さがあって面白いのと似ている。
前半はややシリアスに進み真の原作ファンなら思ってたのと違う、みたいな感想になってしまう気もするが、あいにくただの映画好きとしてはそれはそれでいい
散々浦島太郎の話を出してからの、
なんとか逃げ出そうと飛行機で飛び出して、実は亀の背中の上だったというのが、絵面としても分かりやすく面白い。
サバイバル生活を挟んでからの、大枠の話の説明があり、
夢の連続へ。
あらゆる夢の中を連続で繰り返すのはインセプションで感じたのと同じワクワクがある。
最後にこれも夢?って感じで終わるのも同じ。
永遠の1時間36分
中学生の頃に劇場公開→その後のテレビ放送で見ました。当時は「難しいけど、感動した」と、テーマソングの「愛はブーメラン」の印象が強烈に残っていました。
そこから約40年近くたってアマプラで視聴可能に。
あぁ・・・・押井守監督は凄ぇぇ・・・・・
中学生当時以来なのでストーリーはほぼ憶えていなかったのですが「タイムリープで、ラムが鍵」だけは憶えていたので、そういう前提でラムの言動に注目をして見て楽しみました。
単純に言えば「夢落ち」です。
ラジオなどでは「夢の話」というのはタブーと言われています。荒唐無稽で証明しようがないのと、下手をするとオチが無い場合もあるから。
でも、この作品はその夢を絶妙に料理して、設定をとても緻密に練って「我々観客の現実」と「作品内での現実」と「作品内での夢の世界」の境界線が判らなくなってしまうような、不安定な感覚に陥らせます。
大人になり様々な『タイムリープ』作品を見てきたので、辛うじて話が理解が出来たのだが、当時「うる星やつら」というモチーフで、この構成を考えつき、完成させた押井守監督の力量と胆力が凄い。
夜、メンバーが謎を解くべく学校内に潜入し、混乱しラムがあたるを探すために校内を飛行するシーンはカットやカメラワークが凄かった。(スタッフに板野一郎のお名前があったのだけど、もしかしてこのシーンに関わっているのか?)
戦闘機に登場人物がしがみついて飛び出すシーンなどを筆頭に、良い意味でアニメ(漫画)の自由さとエンターテイメントがぎゅっと勢いよく詰まっている感じも良し○。パワフルさで細かな設定などを押し切るバランスの良さを感じました。
そして、この物語には判りやすい「悪役」は存在しないのだが、序盤の気味の悪い演出、「何かがおかしい?」と気がつきだした時の不安感、世界観が判った時の衝撃とそれを解決する「どうなっちゃうの??」というドキドキ感からのバクが一気に夢の世界を壊す開放感からのクライマックス。
そして、クライマックスを越えてラストシーンにタイトルがバーンと来てのEDイントロスタートの爽快感は実にジェットコースター的で凄いと思いました。悪役など必要無し。
「夢」ならば、一瞬だけど作品内では永遠的に繰り返し、でも現実は1時間36分・・・・不思議な感覚です。
「愛はブーメラン」はおぼろげではありましたが、ちょっと歌えて、思い出せて楽しかったですし、名曲ですね♪うん、本当に良い曲♪
やっぱり巨匠と言われる人の作品は、時代や国境や世代を超越する名作揃いなのだと思いました。
40年前の作画と思えない凄さ
異色の作品と聞いてたので、気になってましたがAmazonでたまたま配信されはじめたので、やっとみれました。
ストーリーはいろんなレビュアーが書いてるので書きませんが、驚いたのは作画でした。CGのない時代にあんなに立体的で躍動的な映像作りをしてる押井監督凄すぎです。それが自分が生まれる前の作品と言うのも信じられない作品でした。
ラムちゃんは大好きなんですが出番は少なめです。
ワタルは男そのものよ!
『ワタルはね!いい加減で卑しくて、女好きで浮気性でエゴイスト。男そのものよ。そりゃ、善人ではあるけどね。どうして、ワタルガ好きなの?』『周太郎だって変わらないチャ』『あら、少なくとも顔が良いわ』
しのぶの『少なくとも』って台詞いいね♥
『通りの神秘と憂愁』キリコ
『鏡地獄』江戸川乱歩
『変身』カフカ
実存哲学になっている。
公開後何年かしてレンタルビデオで見た。同じ時期に僕は、会社の企画部の様な所にいて、慰安会をあの浦安の『オリエン◯◯ランド』にした。本当は横浜の『ドリ◯ムランド』に行きたかったが、遠かったので諦めた。30世帯の家族が参加してくれて、好評だったが、会社からは怒られた。『何考えてんだ。予算オーバーじゃ』その企画はこのアニメーションの鑑賞が事の発端だ。懐かしい。
ストーリーはループする時間を現しているのに、一般的なループシーンはほとんど使われず、怠惰に時間が過ぎて行く。こんな『イッツ・ア・スモール・ワールド』にいつまでも居たい。そんな思いが浦安の『◯リエンタル◯ンド』の発想に行き着くのである。
改めて鑑賞して『少女終末旅行』は完全リスペクトだね。ユーリーとチトが迷い込む美術館の絵が出て来た。
そうそう、あのカビだらけの部屋は松本零士先生の『男おいど◯』
追伸
もう一つのテーマはナチス・◯◯◯の復活。つまり、『ファシズ◯の復活が、いずれある』と都市伝説が当時の世紀末思想と重なり、そんな考えがあったことを記憶する。だから、僕は『イッ◯・ア・スモ◯ル・ワ◯ルド』を否定的に捉えていた。『世界は小さいぜ』って誰かが言ってるって事かなぁ?
やっと観れました。
Amazonでやっと入ったので、
ついに名作と名高いビューティフルドリーマーを
観れました。
公開された1984年はナウシカも公開した年と言うこと
で、ワクワクしながら観たのだけど、
分かりやすいナウシカとは違い
正直どこが評価されてるのか分からなかった。
この無限とも思える壮大な世界観なのかな?
ちょっと当時夢中になった人の説明が欲しい。
この脚本をうる星やつらでやろうと思った
押井守監督はスゴいと思うし、
ゴーサインを出した高橋留美子さんも素晴らしい。
超過密スケジュールをこなしながら妄想を自由に組み立てて押井監督が暴...
超過密スケジュールをこなしながら妄想を自由に組み立てて押井監督が暴走して生み出した傑作。
大好きな作品『涼宮ハルヒの憂鬱』の世界観とも似ている。『ひぐらしのなく頃に』も大好きで、隔離された世界から抜け出す謎の世界系のアニメに目がない。最近ではMAPPA制作の『アリスとテレスのまぼろし工場』も近いものがあり好きだ。
ともかく、『うる星やつら』の登場人物が勢ぞろいし、もがきながらも現実世界に戻ろうとする姿を芸術的なテイストで描写されていて、わけがわからないストーリーよりもシチュエーションを楽しむ作品。
そもそも他の星から来たラムって設定だってわけがわからないんだし、氣にしない。
劇場版お約束(?)のラムのポロリシーンもあって滅茶苦茶で凄い。
おわりなき日常の恐怖映像
時間と空間がなくなるアクションシーンは物理法則無視の気持ちよさで、フィクションとは、映画とは、そしてその対比の日常とはを問うていく作品でした。
明らかにこの後の作品の方がスマートにその境目を映像で描いていたが、これはやはり1984年の映画なのでちゃんと楽しめました。
しかしこのメタ、メタ、メタ、は少しトゥーマッチかなぁと思ってしまったのもありました。
たぶん年をとったのでしょう
よくできたストーリーや思わせぶりなセリフ回し、マニアが好きそうな細かいアイテムがちりばめられていて、若い時分には尖っていて、カッコよくステキに思えたけれど、今となっては(もともとそのようなマンガ原作だけど) 煩いドタバタ具合や、古くさくて鼻につく、何となく肩に力の入った感じの声優さんのセリフ回しなどがむず痒い。決してつまらない作品ではないのだけど、まあ40年前の映画だからね。
3-68
公開当時、原作者・高橋留美子を怒らせたらしいが、私はこの作品こそ、...
公開当時、原作者・高橋留美子を怒らせたらしいが、私はこの作品こそ、ある意味では「うる星やつらの本質」を原作以上に体現している作品だと思っている。
「うる星」の世界とはまさに「終わらない前夜祭」そのものであり、この作品がファンの叶わぬ作品世界への「現実逃避願望」を象徴しているという事を、他ならぬ原作者が理解でき ていなかったというのは皮肉としか言い様がない。その世界を作り出した張本人であるがゆえに、ファンの「求めているもの」との認識に乖離があったのだろう。アイドルが自分のファンにならない(なれない)のと同じようなものだ。
作中における「繰り返しの学園祭前夜」とは「永遠に続く非日常」の象徴であり、そしてその非日常性こそが「うる星」の世界を根底で支えている原動力=魅力であり、「いつまでも皆と一緒に楽しい時の中にいたい」というラムの願いは、そのままファンの願いの代弁でもあるのだ。
それに対し、ラストのあたるの「それは夢だ」というセリフは、「終わらない非日常」から「平凡な日常への回帰」を促すものであり、それは「どんな楽しい事にも終わりがあるからこそ意味がある」という示唆なのだろう。
恐らくアニメや漫画において、現実と虚構の境界を描く事でメタ視点において「ファンと作品との関係性」を問うた、初めての作品だろう。この作品が後に「エヴァ」や「ハルヒ」、「らきすた」等にも影響を与えているのは周知の通り。
他にもこの作品の魅力を語り出すとキリが無い。面堂の車で迷路のような暗闇の町を走る不安感、外へ出られないと分かった恐怖感、廃墟になった街を背景にバカンスを楽しむ背徳的な高揚感、謎を解きに夜の友引町にハリアーで飛び立つときの爽快感、そしてハリアーの先端にちょこんと座り、煌く星空と町の夜景の中、 緑の髪を靡かせながらこちらを振り返るラムの幻想的なシーンの美しさetc.etc。何度見てもワクワクさせてくれる我が青春の神作品。
全56件中、1~20件目を表示