雨月物語

ALLTIME BEST

劇場公開日:1953年3月26日

解説・あらすじ

巨匠・溝口健二の代表作で、戦乱の中で世俗の欲に翻弄される人々を幽玄な映像美で描き、多くの映像作家に影響を与えた世界的名作。上田秋成の読本「雨月物語」に収録された「浅茅が宿」「蛇性の婬」の2編にモーパッサンの短編「勲章」を加え、川口松太郎と依田義賢が脚色、宮川一夫が撮影を手がけた。戦国時代、琵琶湖北岸の村。戦乱の到来を機に大儲けを狙う陶工・源十郎と、侍として立身出世を夢見る義弟・藤兵衛は、それぞれの家族を連れて舟で琵琶湖を渡り都を目指す。旅の途中、源十郎の妻子は戦火を怖れて引き返し、藤兵衛は妻を捨てて羽柴勢に紛れ込む。やがて源十郎は、若狭と名乗る妖艶な美女から陶器の注文を受け、彼女の屋敷を訪れるが……。1953年・第14回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞に輝いた。

1953年製作/96分/日本
配給:大映
劇場公開日:1953年3月26日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第28回 アカデミー賞(1956年)

ノミネート

衣装デザイン賞(白黒) 甲斐荘楠音
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映画レビュー

4.5溝口作品の傑作に触れる。祈りにも似た思いに触れる。

2020年4月29日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

溝口作品でも評価の高い本作は、戦によって村人のささやかな幸せが無残に奪われていく様と、非常時に試される愛の形といった部分が際立った幻想譚だ。物語自体は江戸時代に執筆されたというが、1953年という製作年から考えると、観客の多くはこの戦争をつい数年前の「太平洋戦争」として受け止めたはず。家族と生き別れたり、死んだ妻と会いたいと思ったり、どうにかして生き残ろうと歯をくいしばる姿には、当時の人々の胸の内側が大いに反映されたことだろう。もちろん、湖に立ち込める不気味な霧に始まり、お屋敷にはびこる生き霊、そしてラストを飾る妻の逸話に至るまで、心の内側に隙間風が吹くような不可思議なエピソードとそれを見事にまとめ上げる演出には舌を巻くばかり。それら決して美の範疇で終わらせず、自宅に灯った明かりがもう二度と消えませんようにと、こちらを祈りにも似た気持ちにまで高める流れに、溝口作品の真骨頂を見た思いがした。

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牛津厚信

5.0邦画で最初に衝撃を受けた作品

2025年8月23日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館、TV地上波

知的

難しい

驚く

最初に観たのは二十代初めで1970年代後半にテレビで。
邦画は黒澤明、小津安二郎、大島渚、勅使河原宏、今村昌平とか観てきていたが、何故か当時は溝口健二監督作品はほとんど名画座で上映する事が少なく見る機会がなかった。
観た印象は社会に出ていない学生には強烈すぎた。あまりにも多層的であり、また映像の美しさ、ストーリー展開の凄さ、日本の戦国時代という動乱期に生きた庶民の生き様や動乱に翻弄される姿。人間の欲望の有り様と家族への愛や共同体の姿など、映画で描かれる可能性の広さを初めて知ったのです。知的な作品、娯楽性の高いダイナミックな作品、映像が美しい作品、ストーリーが秀逸な作品、ヒューマニズムに溢れた作品は国内外の作品でかなり知ってはいたが、こんなに多重的で生半可なヒューマニズムでもなく、かつ美しいもの言語化が難しかった。今でも私の邦画のベスト1
その後は戦前の作品も観て、溝口さんの人間を観る神の視点に敬服。この映画はエンタメ性が高いから見てほしいです。
頭がヘトヘトなります。撮影は宮川一夫のモノクロの映像美。京マチ子さんの妖艶さ、森雅之の色気のある演技も見応えあります。観なければいけない作品。

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Kenku

4.0教訓めいたストーリーだが、映像美が素晴らしい

2025年8月4日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

NHK BS 4Kで鑑賞。とにかく美しい映像。

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あっちゃんのパパ

5.0魔性の映画

2025年6月26日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

映画史上最高傑作なんて称号をみだりに与えてしまうと、今後困ったことになるだろう。だから多くの批評家やアマチュア評論家は文末に"の一つ"とつけることで誤魔化すが、僕は言い切ってしまう。2025年現在の映画史上の最高傑作は溝口健二の『雨月物語』である。そう言い切りたくなる魔性がこの映画にはある。
フレームとはハサミであり、映画とはデパージュであると思っていた。北野武は『HANA-BI』で貼り絵をモチーフにしたのは彼のスタイルと非常に合っている。しかし、この映画におけるフレームは認識であり、生の実感である。それを成し得た映画監督は私の知る限りらジャン・ルノワールぐらいだ。
このような優美なフレーミングはサイレント映画時代の名残というのが、僕の持論だ。だから、ルノワールの音の使い方は少し奇妙だ。必ずしも必然性があるとはいえない。しかし、溝口健二の音は映画に息づいている。不思議だ。並の監督なら『雨月物語』に水の音や水のような音を鳴らすところを溝口はそんなことをしない。彼はフレームの中のもの、認識の範囲内のもの、に対しては音をつけることなく表現しフレーム外の見えざる認識できない"何か"を音で表現してしまった。
ところで、最近『けものがいる』という映画でレア・セドゥに恋をしたのだが、早々に乗り換えることにした。京マチ子が美しすぎる。恋をした。あんまり乗り換えると惚れやすいやつと思われそうだが、審美眼には自信がある。信じてほしい。京マチ子を観るためにこの映画を観てもいい。

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悠