劇場公開日 1955年1月15日

「悲惨な最後だよなあ」浮雲 JYARIさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0悲惨な最後だよなあ

2024年3月24日
iPhoneアプリから投稿

高岡もゆき子も、シナリオで読んだ印象と異なる部分があった。高岡は想定よりも腹の立つ言い方でゆき子を言いくるめ、口をすぼめた言い訳のような物言いが多かった。
 二人の関係も、シナリオではもっと緊張感が走っているという印象があった。映画では、二人で居る時は、ある種の安定感みたいなものがあり、むしろゆき子が独りでいる、または、高岡を巡る人物たちと対峙している時の方が、より高い緊張感があり、恐ろしかった。ゆき子は、おせいや邦子の前で冷徹な表情を見せる一方、高岡の前では感情的で、既に考え尽くして疲れ切っているようにも見える。高岡の前であえて「悲劇の女」を演じているようにも見えるのだ。
 このゆき子の性質から高岡の困惑が伝わってきて、割と二人の関係がフェアなようにも思えてしまう。(無論、中絶についてはゆき子が完全に不利であるが)
 また、伊庭の宗教の様子は、動きが加わることで想像以上に、面白く映っていた。ゆき子高岡の悲惨な状況との対比で、物語に抑揚がつけられていた。

JYARI