ぐわんぐわんと揺れるバス、そして乗客。こういう立体感のある動きを撮るメソッドが1936年にして既に確立されていたことに驚く。
わずか20数個の宿を巡る間にも、無数の人々の存在が立ち現れ、交差し、やがて消えていく。東京に売られていく村娘、身勝手な髭親父、訳知り顔の女。乗合バスというごく限られたシチュエーションにもかかわらず、物語には奥行きと説得力がある。わずか一言二言を口にしてバス(=物語)を降車した人々にさえ有機的な残香が感じられるというのは本当にすごいことだと思う。
好きなシーンはいくつもあるが、知人の結婚式に向かう夫婦と葬式に向かう老爺がうっかり車内で鉢合わせてしまうシーンが一番好き。夫婦は「縁起が悪いから」と言ってバスを降りるのだが、老爺もまた「さっきの夫婦には申し訳ないことをした」と言ってバスを降りる。滑稽と人情とが絶妙な塩梅で混じり合った名場面だ。
そういえば先日、レンタカーで都内を走っていて合流待ちの車に道を譲ることがあった。その車はこちらに何の謝意も見せることなく、一気呵成に加速してそのまま視界から消え去ってしまった。ありがとうくらい言ったらどうなんだよ、と思わず不貞腐れてしまった。
これは「みんなもっと有りがたうさんを見習えよ」という話ではない。むしろ逆だ。有りがたうさんは歩行者や馬といった無数の障害物に進路を阻まれているにもかかわらず、それらに悪態をつくどころか、彼らがほんの少しでも道を譲ってくれたことに対して「ありがとうー」と感謝の言葉を返している。
見返りを求めることなく素朴な感謝を振りまくことができる彼が、街道沿いの人々から絶大な信頼を得ているというのも至極頷ける話だ。彼ならたとえ目の前で割り込み運転を食らってもニコニコと微笑んでいられるだろう。そのくらい超然とした生き方ができるようになれば素敵だろうな、とは思うものの、本作を通してなんだかんだ一番共感できたのはやっぱりあの姑息で傲慢な髭親父なんだよな…