あいつと私(1961)
劇場公開日:1961年9月10日
解説
週刊読売連載の石坂洋次郎の原作を「都会の空の非常線」の池田一朗と中平康が脚色、「あした晴れるか」の中平康が監督した裕次郎回復後の第一作。撮影は「ろくでなし野郎」の山崎善弘。
1961年製作/104分/日本
原題または英題:That Guy and I
配給:日活
劇場公開日:1961年9月10日
ストーリー
都心から離れた専明大学。ここには若さと明かるさと太陽だけがあった。黒川三郎はそういう学生の中にあって特に野放図でくったくのない男だった。だから、授業中にうっかり「夜の女を買った」と喋ったため、女生徒の吊し上げにあい、プールに投げこまれてしまった。びしょ濡れの三郎を家が近くだという女生徒浅田けい子が父の服をかしてくれることになった。けい子の家は、父親の他は女ばかり七人。三郎を大いに歓迎してくれた。三郎の家は反対に父母と三人暮し、母親のモト子は有名な美容師で、することなすことが並はずれてスケールの大きなスーパーレディ、園城寺という恋人もいる。父親の甲吉はその偉大な夫人のヒップの後にかくれているような気の弱い男だった。だが、みんな型にはまらず個性的でカラッとしていてけい子は感激した。三郎とけい子はこの機会を通じて仲良くなっていった。夏休みが来た。三郎やけい子たち五人のクラスメートは東北地方を廻って軽井沢にある三郎の別荘までドライブを決行した。軽井沢についた晩、突然、モト子が円城寺と弟子の松本みち子を連れてやって来た。けい子は、みち子の三郎に対する態度にふと不審の念を抱いた。女の愛する者への直感だった。問いつめられた三郎は、みち子と以前に関係のあったことを告白した。けい子は泣きながら外へとびだした。後を追った三郎は、泣きじゃくるけい子を強引に接吻した。二人の仲はこれがもとでもっと強力となった。二学期が始まり秋風が吹く頃、モト子の誕生日がやって来た。けい子、円城寺、そして、モト子の昔の友達というアメリカでホテルを経営する阿川が久し振りに日本に帰って来て出席していた。楽しかったパーティも、阿川が三郎に“アメリカでホテルの後を継いでくれ”といったことからパーティはメチャメチャとなった。三郎はモト子と阿川の間に出来た子供だったのだ。翌日、モト子はすっかり元の陽気さを取り戻し、三郎も出生の秘密を知った暗さなどどこにもみられなかった。三郎はけい子と婚約した。将来、三郎とけい子はアメリカに行くかも知れないのだ。