「全てオフィリアの“空想”それとも“現実”」パンズ・ラビリンス 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
全てオフィリアの“空想”それとも“現実”
完成度の高さに圧倒されたスペイン映画でした。
DVDが発売になるのを記念して、試写会が開催されたので行ってきました。同時に見た「サルバドールの朝」のほうはフランコ政権の終焉前夜。そして「パンズ・ラビリンス」が背景としていたのはフランコ独裁政権の始まりの時代。
フランコ独裁政権という共通項以外はかけ離れた作品のように思えるけど、どちらもスペインという近代国家の悲劇を感じさせる作品でした。
ダークファンタジーという広告フレーズで、もっとどろどろした不気味な作品かと思いきや、怨霊めいたものもむ出てこず、ちゃんとファンタジーになっていましたね。
ただ、なんと言ってもラストが重く、悲しすぎます。ファンタジーのお約束ごとどうりになっていないことがダークたる由縁でしょうか。
せっかく地上の楽園を求めて、地下の魔法の国から抜け出してきた王女であったのに太陽のまぶしさに眩んで死に絶え、転生しても今度は余りに残酷な現実の世界から、生き延びるために迷宮の世界へ降りいかざるを得なくなるという物語は、これまでの世界を救うというファンタジーからするとなんと悲観的な話なんでしょう。
その現実の厳しさを思い知らしめる人物として、現地指揮官のビダル大尉が登場します。この男の冷徹さは、自分の妻(主人公オフェリアの実母)に生ませるわが子が無事生まれてくるためなら、母体を殺してしまえと担当医に命じるほどの人物。彼からフランコ独裁政権がどれだけ非人道的であったかその一面がうかがえます。
ゲリラを拷問にかけるシーンも凄惨でした。
その非人道的さを告発する作品として、ファンタジーの要素を全て取り去っても成り立つだけのストーリーのある映画です。
あえてファンタジーの味付けをしたことで、悲しみの深さが際立ったのではないでしょうか。
この映画の中で、ラビリンスは全てオフィリアが作った“空想”ともとれます。でもそれでは余りに悲しすぎます。小地蔵は、本当に迷宮が彼女を誘ったと受け止めたいですね。その微妙なさじ加減がこの映画の上手い所です。果たしてオフィリアは空想の世界に救いを求めたのでしょうか?
冷酷なビダル大尉も、軍人という生き方しか知らなかったのではないでしょうか。そして同じく軍人であった父親の形見の時計に縛られ、悲しい人生を送った人と言えそうです。大尉は何を思って死んで行ったのでしょうか?
ファンタジー映画にあるまじき、現実の重さを見せつけられて、それがずっと胸に残りついつい思い返してしまいそうな作品でした。