「ファンタジーとはなにか」パンズ・ラビリンス supersilentさんの映画レビュー(感想・評価)
ファンタジーとはなにか
ファンタジーとは何か改めて考えさせる契機となった作品。血で血を洗う内戦さなかのスペイン。残酷な現実に生きる読書好きで夢見がちな少女が見ていたあの世界とはなんだったのだろうか。
メルヘンと呼ぶにはあまりにおどろおどろしいホラーのような地下世界。悪魔の化身のような守護神パンと、妖精と呼ぶには不快な案内役の巨大カマキリ。少女は石の欠片を拾ったことから地下世界の王家の女王であることを試すための3つの試練が与えられる。
試練の一つ目は木の根に住む不気味な巨大カエルから黄金のカギを奪うこと。2つ目は目玉を手のひらに埋めた怪物の目を逃れ宝を持ち帰ること。最後の試練は弟を生け贄に差し出すこと。
冒険と呼ぶにはあまりに現実的な残酷さをもつ空想世界。母を救うためにパンが教えた方法というのも、奇形の胎児のような木の根っこをミルクに沈め血を与えるというものだった。大尉である義父の日常的な殺戮、妊娠により血を流す母、現実の世界の残酷さを象徴するかのようなその世界は少女にとってどんな意味があったのだろう。
現実の宴では食べなかった裏で、同じ構図で並べられる宴の食べ物。口にしてはいけないという禁を破った少女はパンの怒りを買うことになる。義父に見つかり母の命を支えていた魔力は消え母は死に、反政府ゲリラを支援していた養母役のメルセデスとともに殺されかける。パンは最後のチャンスを与える。ゲリラの反撃によりメルセデスは助かるが少女の命は失われてしまうことになる。最後の最後、弟を差し出さなかったことで義父に射殺されてしまうのだ。しかし少女はその行動で地下世界の王女に迎えられる。
プロローグで血を吐いていた少女のシーンに繋がるエンディング。少女の判断は間違っていなかったというにはあまりにも残酷なエンディングではないか。現実は残酷でそれは彼女を結局殺してしまった。ファンタジーが現実を救うことはなかった。
改めて問う。ファンタジーとはなんだろうか。現実から逃げるための空想か。現実を変えるための希望か。ファンタジーの多くは後者の思想で描かれている。ファンタジーの主人公はいつも不幸だ。残酷で理不尽な世界に生きている。それでも純粋さを失わない主人公。現実に抗うように正しさを求め汚れなき魂で世界に立ち向かいその冒険がやがて現実の世界をも変えていく。
そういう希望に満ちたものがファンタジーの王道だったはずだ。残酷な現実を具現化したようなおどろおどろしい空想世界。それでも最後には魔王を倒すことで正義がもたらされる。そういう勇気を与えてくれる世界、それがファンタジーに期待されるものであり、そのカタルシスがあるからこその絶望であり、不幸だったはずだ。
でもこの映画はまったく違う。空想の世界では王女として認められた、そのラストシーンを見せられた視聴者は希望どころか絶望を突きつけられる。結局何も救われなかった、空想は妄想に過ぎなかったと。
でも実際のファンタジーとはこういうものなのかもしれない。空想は空想でそれは妄想に過ぎない。現実はなにも変わらない。現実はいつもと同じ残酷なもの。だからこそファンタジーという逃避が必要なのだと。
この物語の真相はわからない。少女は救われたのか。それとも無惨に死んでいったのか。ただ一つわかっていることは彼女にとってこの世界は残酷そのもので、そこから逃れようとして見た妄想は、彼女にとっては紛れもない現実の世界であったということ。そうであるならば、やはり彼女は救われたのだ。そのはずなのにこの絶望感はなんなのだ。