ツォツィ : 映画評論・批評
2007年4月10日更新
2007年4月14日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズにてロードショー
小細工を施すことのないストレートさ
物語の舞台になるのは、南アフリカ・ヨハネスブルグの旧黒人居住区ソウェトにあるスラム。主人公は、病気で寝たきりの状態にある母親と暴力的な父親のもとで育ち、家を飛び出してからもただただ冷酷に生き延びることだけを信条とし、本来の名前を捨てて“ツォツィ(不良)”を自称するようになったチンピラだ。だけど、そんなすさんだ彼の人生に転機が訪れる。たまたま金持ちの家から盗んだ自動車内に赤ん坊が取り残されているのを発見、なぜか自らの手で育て始めようとするのだ。
たとえば、若い世代が子供を産むと、子供のような親……などと形容されるが、実際には、子供を産んだり育てたりすることで子供は初めて“大人”になるのかもしれないし、愛情を知らずに育った存在は愛を注ぐ対象を見出すことで初めて愛を知るのかもしれない……そんな単純な事実をあらためて僕らに告げる映画だ。南アフリカでアパルトヘイト政策が激化した60年代に設定されていた原作の時代設定をあえて現代に変えたことで物語のリアリティが増している。「戦場のアリア」や「パラダイス・ナウ」などを抑えて05年度のアカデミー賞外国語映画賞を制した本作だが、とりわけ最近流行の“アフリカの悲劇”を題材に複雑怪奇な展開を見せるハリウッド大作と比較して、小細工を施すことのないストレートさに驚かされる。もちろんそこで好き嫌いも分かれるだろうが、僕としてはシンプルな物語形態への回帰の意志にむしろ称賛を送りたい。
(北小路隆志)